反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

ドストエフシキーよりも面白い、知られざる大傑作、実録「遥かなる革命」ロシアナロードニキの回想 ヴェーラ、フィグネル著 田坂昂(こう)訳 批評者1980年発行

   2、森の中で
「40ヴェルスタ(W、約1066.8メートルW、約40km)四方、人っ子ひとりいないのだから」~年老いた婆やのナタリア、マカーリヴナはこんな風に追いのだが、それは人々と親しい間柄になったりとなり通しで付き合ったりしたいという欲求が満たされないことからくる憂悶を込めて云われるのだ。
49ヴェルスタと云ったが、おそらく年老いた婆やは紺点で間違っていたのだ。
でも40ヴェルスタと云うと云う点でかかわりがあるとすれば、ソレは、父がその軍の森林監督官として勤め、国有財産つまり荒漠たる山林地域を監視していたマドゥィシの町に関に関してだけだった。
 とにかく、すべての歳月を通して、誰か外部のモノが道見迷って私たちのこの僻遠の森林地にふと姿を現すようなことがあったのを覚えていないのだ。
父のところにやってくるものと云えば、ただ討伐に関する方向所を携えて「森から」表れる「騎馬巡視員たち」だけだった。
 彼らは私の記憶に残っている。彼らはウサギを運んできたが、それらのウサギをばあやは屋根裏部屋に天日干しして乾かし、そうしたうえで森の珍味をわたしたちに御馳走してくれたのだった。
 こんな風な生活ーー父が管理している荒漠たる国有林の辺境に投げ出された家屋に住み、森が近くて人々から遠いために物恐ろしくもさびしい、林務官の家族生活ーは奇妙だったし、独特の情緒に満ちたものだった。
馬小舎のすぐ後ろにうっそうとした森林が迫っていた。そこには采園もなけれな庭園もなかった。
 隙間のない板張りに囲まれた、まるで木箱に漆喰も塗らずに太い丸太を打ち付けて作られた家屋ーどれを取ってみても同じ一つのことを物語っていた。
いうられば、あたかも「邪悪な」にんげんや「凶暴な」人間や野獣を引き連れた危険な隣人から塀をもうけて身を隠しているとでもいあった風なのである。
 「あっちを見ても、こっちを見ても、まるっきりひとりぼっちなんでしだよ!ところが森の中には盗賊がいましだよ
。」と婆やは言い、農奴の娘のカテリーナとドゥニャーシャが相槌を打ち、9歳になる農奴の子のパラーシャがささやき、母が怖がり、私が信じるといった具合に~~。
 
 父はしばしば長い留守になる。国有林を馬で回るのだ。
父の書斎に銃があるので皆が安心しているのだ。
けれども父が留守の間どうしたらいいのだろう?家に入るのは女子供ばかりなのだ。
得体のしれない盲目的な恐怖が老いも若きも、誰でもとらえてしまう。体力と云うものの唯一の代表者と云えば料理人である農奴のプロフィーだけなのだ。もし襲撃でもあろうものなら、彼だけが望みの綱なのだ。
~~
そうだ熊がいるのだ。その証拠は、母のダブルベッドのそばに敷かれている大きな褐色の毛皮だ。
私は信じている、-夜には夜のもう一つ別の生活が繰り広げられているのだと云うことを。わたしが昼間ぎゅと締め付けてやった猫は夜になれば私に仕返しをすることができるのだ。
わたしのところにやってきて、「喉頸にしがみついて」鋭い爪を持った足で絞め殺すことだってできる訳なのだ。

   
   3 婆や P23より始まる
よく婆やの膝の上に乗っかり、「子供のお淡いらしい手で彼女の首をピシャピシャ叩いてみたり、そうかと思うと頭をかけた、あの老人特有の顔中いっぱいー狭い額やらしわだらけの頬やら、小さな色あせた眼やらー次第にどこからどこまでキスを浴びせたりもしたモノだったが、ソレは何という喜びだったことだろう。
 そればかりでなく婆やはとても素晴らしい美声の持ち主だったのだ!
彼女は一度もうたったことはなかった。少なくともわたしはそれを覚えていない
>彼女はただ物語っただけだーおとぎ話を物語っただけだ。
しかもそのおとぎ話だって、彼女が知っていたのはほんの僅かばかりしかなかった。
本当のことを明け透けにいってしまえば、全部でたった一つだけだったような気がする。
 
>わたしが覚えているのはたった一つだけだったような気がする。
ソレはこんな話だった。
*~~意地の悪い継母の王妃が可愛くない継母を子羊に変えてしまう。~父はそのことを知らずに、酒宴のために子羊を刺し殺せと命じる~
ところが応じの姉妹のアリョーヌシカが、危機一髪のところで王妃の酒宴を見抜いて兄弟を救うと云う噺だった。
危機一髪のとこでは、こんな風だったーー。
 
   大釜はぐらぐら煮えくりかえり
   鋼(はがね)のナイフは研ぎあげられる
 
ああ婆やはこのおとぎ話をどんなに素晴らしく物語ったことだろう!実にすばらしかった!聴きあきるなどと云うことはなかった。何か不思議な誠実さと素朴さの感じられる、あの老人特有の叙唱のメロディーで語られた訳で、それだからこそ私たちは好んで聴いたに違いなかった。
 
 
 全くの話、古いと云うことは尊重すべきことなのでははないだろうか!?
そしてばあやもまた自分の価値観を知っていたのだ。---尊重されたり敬意を受けていると想われることに対しては、彼女はとても敏感だったからだ。母や、あるいは大人たちの誰かから受けた不機嫌だとか流し目だとか、単純な忘れっぽさだとかは彼女を逆上させたものである。
彼女は泣きだし、そして私たちが騒ぎ始めるまで泣きやめなかった。
それから次には旅じたくがはじまるわけで婆やは自分の家財道具を整頓すると、「ヴォルガの向こうへ」行きますだ、というのだった。
そこには、「ヴォルガの向こうには」いったい何があったのか私は全く知らない。
~~
こうした事すべては「気をつけろ!来るぞ、来るぞ、お化けだぞーー食ってしまうぞ!」と云った風に子供たちに話される場合の神話上のお化けに類する何かだった、ともいうことになるだろう。
 けれども私たちは怖かったのだ。
そこで私たちは母のところに行って、婆やと仲直りして彼女の満足のゆくようにしてやってほしい、とお願いすることになる。すると母が婆やのところに出向き、そこで事は丸く収まると云う次第だった。
***
 ~父は『農奴解放』の影響を受けてものやわらかになった
おそらく旧体制のあらゆる道徳的経済的関係を打破し、農奴と主人を平等となした偉大な社会化運動が主人の天性の最良の面を目覚めさせ、新しい方向を取って進んでいくのを彼に許すぐらいにまだ柔軟だったのであろう。~~ともあれ父における精神的変革は深かった。
召使いや母や私たちに対して農奴制支持者としてふるまった父は、その態度を変えて自由主義者となり、勝手気ままな人間から控えめな人間に変わったのだった。
新しい思潮はだんだんに及んできたのであって、影響は目立たないものであった。
地方は主として出版物を通して広がって云った訳であるが、私に父はたくさんの本を読んでいた。
***
その上に、父よりも15歳も若くて知的にも性格的にもまるで未発達な幼稚な人間として結婚した母が、このころまでには、自習やら読書やらをぼちぼちと日常的に続けることことによって、精神的にしっかりし、知的成長も遂げて、もはや服従することなく自分の方から父に影響を与えることができるようになり、しかもこの影響は好ましいモノだった訳である。
 ちょうどそのころ、私たち子どもたちは母と親しくなり、母の指導の下わたしたちの成長のもっとも重要な時期に入ったのだった。
 そのころはもう婆や必要でなくなった。けれども私たちは彼女を熱愛していた。過去故に、現在故にも、彼女を愛していた。現在ゆえにも、と云うのは、わたしたちの方で彼女を甘やかすことも庇護することもできたわけだったからだ。
わたしたちは、何かにつけても婆やが十分に足りているかどうか、食事のときにはおいしい食べ物が彼女に堕されているかどうか、デザート菓子は忘れなかったかどうか、と云った風に目を配った。
 こんな風にわたしたちはどんどん育っていった訳であるが、婆やを愛することはやめなかった。
婆やのかつての養い子で、今では治安判事でもあり地方自治会の活動家でもあるおじさんだって彼女に敬意を払っていたわけなのだ。おじさんは私たちの家を訪れてくれば、その出発前になると、きまってこういったものなのである。『婆やのところに入ってこなくちゃならん』と。それから太った身体の下できゅきゅう長靴をきしませながら二階に上がっていった。
 
  
 
 わたしは寄宿女学校を卒業してから1年後に父がなくなり、~~~
その後、私と妹が勉強をしに外国に出発し、弟たちが大学にいあらなければならなくなった時、弟たちと一緒に母もペテルブルグへ移った。
けれども婆やには経営の面倒を見てもらうことを口実に村に残ってもらうことになった。
本当は家計面からみてもペテルブルグで彼女に今まで通りの快適さを与えてやることも、また夏が来るたびに村へ連れて行ったり帰ったりすることもできるとは考えられなかったのだった。
 
 婆やは領地管理人の家族と一緒に離れ家に住むために残っていたのだった。
領地管理人は私の祖父のかつての農奴たちの優れた人物だった訳であるがその妻もやはりかつての農奴だった。彼らの家族は大家族だったが、婆やもまた彼らの親せきをみなされた。
なぜなら婆やは彼らの子供たちの教母になっていたわけだし、<教母>というのは、わたしたちより純朴な人たちの目から見れば、尊敬すべき近しい親せきなのである。あるいは彼等は皆同じ主人の農奴だった訳だからである。
 最初の冬を迎えると婆やは風邪をひいて、熱病か、あるいは何かの炎症におかされたしまった。
***
~外国から帰ってきた私は、いつもわたしが愛していたおじさんに会うために、また故郷のの我が家を見るために、村へ行ってきた。
~庭の中の池では草が生い茂り、そこには母が話してくれたように『漁師たちがいないため』魚が姿を消してしまっていた。
~わたしは、道路から外れたところにある墓地へ回り道をしてもらいたいと頼んだ。~~
鉄柵と十字架が父の上に立っていたが、その隣には叔母が葬られており、そして同じ場所に婆やも葬られていたのである。背丈の低いの野草がは墓の上を覆っていた。2,3本の白樺の若木の細い幹が白く立っていて、沈みゆく夕陽の光線をうけて若葉がまぶしく震えていた。
 三つのは家のうち、一番大切なのは婆やの墓だった。

       4 ツァーリの妃になろうと考える
省略