反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

記憶力思考力の衰えが激しい時期になって、<学びの初期化>。頭の中までシューシュポス的不条理が支配。先を急がねば/志賀直哉「万歴赤絵」で証明。犬好きは得てして種属によって好き嫌いが激しい人が多い。

  しまった。前日書き写した、武者小路実篤の<牟礼随筆>がブログ画面から消えてしまった。ウィルス対策ソフトのスキャン終了で、電源をきるようにしたのがいけなかったのか、余計なことをしなければよかった。
本を書きうつすのはしんどい。以前、スキャナーを買い込む予定で量販店に出かけて、イロイロな製品を調べ店員の話を聞くうちに、そんなものは必要なし、と判断した。
理由は二つある。
 
 
理由その1。
写した文章はコピーペーストできない。早とちりで、できる製品もあるかもしれないが、構造上、ブログページに直接、張り付けはコピペは無理だと思う。一端、PC内蔵のメモソフトなどに張り付けて、転載すればコピペできるようになるかもしれない。ハイパーリンクなどが邪魔な時、面倒だがこの手をつかう。
 
 
 本の縦配列の文章を横配列にすることは可能。(以下話題は違う方向に進む)
>しかし、よくよく考えてみると日本語文章の縦配列と横配列を常に使い分けているというのも、不思議なものだ。この件に関して以前記事した。読書習慣なのか、文学系に横配列は馴染まない。文脈とともに沸き起こるイメージ操作に無理が生じるようだ。論文系は横配列でないと、外国の横文字を入れる都合上、不便なことになる。
>しかし、とりもなおさず、日本人と日本語は二つのイメージ操作の手段の間を行き来している。
言い換えると二つの文字による共同幻想の手段が日本人と日本語にある。
情に流され、論理的統一性が希薄になるのは、こんなところにも原因があるのではなかろうか。
 
 
 
 志賀直哉の敗戦直後の日本の公用語をフランス語に~~発言は不評をかったそうだが、日本語綴り方教室(太宰治の皮肉)の究極をいって、日本語と格闘して彼独特のキリつめ、かつ、イメージの湧く文脈の流れを創造した経験が云わせたという側面もあるだろう。つい口が滑ったと片づけられない。実感であろう。そこまで到達したのだと高く評価している。
 
>この前、ミミズが這っているようなアラビア語の文章は横配列だが、右側から読むと知った。
効き腕右は頭脳と脳神経の配列の関係で、そうなっているわけで、右側から文字を並べるという不便も含めて、
自ら言語的閉じこもりの壁を作っているようなものだと言えなくはない。
>戦前の日本の一時期、横配列の日本語を右側から記した、のではなかったか。

理由その②。
簡単に映してしまうと、その箇所に立ち止まって考えることしない様になる。
 この日記の目的は自分の知らないこと、分からないことを、書きながら学ぶことであり、公開しているのは、自己規律を持って書くためである。感情に任せて何でも書いていいというわけではない。回り道をするように書く。
「日記」を書くのを止める日を、念頭に置いている。その時自分の書いたものの中から資料を探して、頭の中を整理する。日記の記事に直接は関係のない資料をべたべた貼りつける理由は、コレだ。

 キーボードの打ち間違いは極力直さない様にしている。
学校の試験では、制限時間内にしあげた答案用紙にケアレスミスがあっても後から修正できない、と云えば屁理屈になるが実際のところ自分は前後関係から、その間違いを修正して読むことができる。情けないなあ、とは読む返すたびに感じるが、基本的に修正しない方針なので仕方がない
 
 
 閲覧者にとってどうなのかと云うことも考えないでもないが、わたしの基本的な考え方は、日記で同調者を得ようとか、ましてや人様を啓蒙しようなと云う大それた、所からは遠く離れている。
人が100人集まれば100通りの意見があってしかるべし!コレが私の基本理念である。
さらに竹中労の「人が弱いのは、群れられないからではなくて、群れるから弱いのだ」。コレは絶対的真理ではないが、確かに痛感するときがあった。
 
 ココまで書けば、グーグルの随所に張り付けられている我が日記について書かねばならない。
もちろん私が張り付けているのではない。
最初そういうことが起こっているとは全く知らず、知った時は愕然とし、抹消する方法はないものかと調べると、なかなか簡単にはいかないと解った。
不快な気持はずっと続いたが、「日記」を止める日を意識し出してから、自分の痕跡がネット上に残る便利さ、を知った。
大量の記事を自分のコンピュータに保存するのは、あまりにも手間がかかり過ぎる。この前、過去の記事をカテゴリー別に分類して、単純PC作業のしんどさをいやというほど知った。そういう意味でみっともないが、貼り付けはあり難いこと、張り付けてくれているのだ、と思えてきた。が、恥ずかしい。みっともない。片隅で静かにしていたいが。日本ももっと静かに足元を見て、今後進むべきだ。
 

 打ち間違いがでるのは画面を見て、文字を入力できないからだ。
インターネットのソフトが出現する前のワープロ時代には、ソレができた。フロッピーディスクで、ひらがな配列の練習をすると簡単に手元を見ないでうてるようになった。それも自分から進んでならったのではなく、親しい友人たちが、当時、発展途上にあったコンピューターにはまっていて、上から順番に中古品が自分のところまで降りてきて、中古PCを買わされたからで、自分自身は全くそういう方面に興味はなかった。
 
 
 その後インターネットソフトが開発され、XPが出るころまでPCに触ったこともなかった。
ただし仕事の都合で、機械類、回路系は知る必要があった。
入力はアルファべットに少なくなっていたが、コメントを投稿することはあっても、ブログ記事を書くなんて、思ってもみなかったので、ひらがなの時の様な練習はしないまま、大したきっかけもなく、「こんな日もある」と云うタイトルの趣味をかくブログをはじめた。
 
 そして、生来の凝り性が高じたのか、己のあまりの無学に自然とそうなったのか、込み入ったことを書くことになったが、前のようにできないことに非常に不便を感じる。その気になればできないこともないと思うのだが、自分の手書きのノートにメモしたとき、文字が汚いからと云って、ゆっくり書けないが、ここにも不便がある。
後から読み返して文章が解読できないことがある。よくよく考えてみると、相手の話をよく聞いていない、読書も速読が過ぎるので、メモも解読できない程に乱れる。
そういうことが分かっているのでメモの文字はできるだけ丁寧に書くようにしている。
 
 しかし本は速く読まなくてはならな場合がほとんどで、その時タブを貼って、後でその箇所を読み返すようしているが、思考と記憶力の低下によって、書かなくては、自分のものとできない。
ということで、入力間違い乱発の記事がやっと完成する。わかってはいるが修正しない。入力の技術を習得したり、個々の間違いを修正するよりも、前に進まなければならない予定がある。
記事は自分の生きるためにある。

どうやら自分の場合、一生に達成できる知識量が決まっていたようだ。ず~と頭の中に入力しないまま過ごしてきたのが、記憶力思考力の衰えが激しい時期になって、<学びの初期化>がはじまった
 
以下に挙げたことは書こうと、しなければ、発見できなかった。書きながら、考えることで自分の者に多少できる。
 
例えば志賀直哉を読んで、記事にするときに調べると、新しい発見がある。
今日の予定記事は、昨日の志賀直哉とクマの、いわば素直な感動話とは違った「そのやり方がたちの悪い」直哉~太宰治が狡猾と非難するところである~と犬との関係を冒頭におくつもりだった。
(「万歴赤絵」は犬がダブルの落ちになっている凝った短編である)
 
志賀直哉は自分のお眼鏡にかかった犬は大切にするが、駄犬で用なしと判断すると実に素気無く狡猾な手を使って、買ってきた小さなマルティステリアを迷い犬に仕立て上げることもできる。そのやり方に子供たちから、非難轟々の様子を書いている。
しかし、あえてそれを書くことで自分の人物像をさらけ出し、短編を面白くしている。犬にとって、少し残酷なユーモアである。子供は素直だから、そんな彼を非難する。
動物好きが、動物全般の愛護者とは絶対に限らない。犬好きは得てして、どんな種類の犬でも可愛いとはいかない。好き嫌いが激しい人がいる。私などその典型で、志賀直哉よりもひどい。
 
書きためた武者小路実篤の<牟礼随筆>から、<時間持ちW。金持ちに対比して)<夢W。常に悪夢が去来する。><トルストイ主義W。武者小路の(自然)観は純日本的。どうしてそうなるのか考える余地がある>で終わらせるつもりだった。

記憶力思考力の衰えが激しい時期になって、<学びの初期化>がはじまるという
頭の中までシューシュポス的不条理が支配しているのだから、大したものだ
 がしかし、頭と体の両面をこの時期にシューシュポス的不条理状態にしておくことは、不可能だとよく実感する。
 だから、先を急がねば~、である
 
万歴赤絵」のこの部分だけ要所を引用しておく。
太宰治は「万歴赤絵」を挙げて、志賀はイロイロ云うが、結局は妻子が一番かわいい、それに尽きると非難しているが、前日の「クマ」の話といい、志賀直哉には短編創作の独特のテクニックがある。綴り方教室も極めると、簡潔な文脈の流れが用意周到で、凄いものだと素直に感心する。日本語だからこその文芸、だと云う気がする。

 
 
      万歴赤絵 当該個所から、落ちまでをかいつまんで引用
帰ったとき、家内や子供たちが玄関へどやどやと出迎えた。
『大丈夫ね。確かに犬でしょうね』(W、展覧会で中国の「万歴赤絵」の高価な陶磁器を買い込むかも知れないと妻は心配していたが、子犬で安心した。この短編の最後の落ちは、志賀が満州講演旅行で当地の「万歴赤絵」を買い込むどころか、グレーハウンドに似た満州原産の犬を二匹も買い込むことで、妻はあきれ果てて終わっている)
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『何時か浅草の犬屋で買ってまた返した犬がいただろうあの種類だ。』
 犬は子供たちがさっそくさらっていった。
~子供たちは前からいる3匹の犬を縁先に集めて新来の犬を紹介していた。
 
~~~W。マルティスの来歴についてうんちくを傾けているが
買ってそうそう私はもう興味を失っていた。狆のようなこの子犬は新来の癖に先輩の犬たちに対して甚だ厚顔だった。縁側から庭の犬を見下ろして吠えたりしていると、私は一寸頭を打ってやった。この犬はもしかして爺であるかもしれない。図々しさにそういうところがあった。それとも絶える前の種属で、種属的に爺のようなところがあるのかもしれぬと思った。
~~イギリスの通俗名画にこの犬が描いてあったのを思い出した。~画題が『ディオゲネスアレキサンダー大帝』
 
W。古い時代からペットであったことには間違いない。なお、この種は偶に近所の公園で見かける。絶滅していない。古い時代からペットとして種が固定されていたせいか。見てくれは白くて小さくかわいいけれど、動作に小型犬のペットらしい覇気がなく、他の犬との社交性もないようだった。キャンキャン吠えたてるような小型犬ではない。
~~
 
 2,3日は家の中に置いたが、雨の降るじめじめした日に茶の間がにおうような気がして、とうとう庭へおろし他の犬と一緒にしてしまった。W。真っ白な毛長の小型犬、屋内飼育に種が固定されている。
子犬は習慣で外はいやらしく、どこからか泥足で上がり込んできて困った。それよりも毛が長いのでノミの駆除に手がかかった。この犬だけノミをとっても、他の3匹からうつり、この犬ではすぐそれが増えた。興味はなし、手がかかると云うので、ますます嫌気がさすのに、来る御用聞きについてよくいなくなり、後に誰かれの見境なく往来のヒトについていくので、電話の知らせがある度に車夫に何がしかの金包を持たせ受け取りにやるなど、ひどく面倒くさくなってきた。
 
>しまいにに私は鑑札と飼い主札を首輪から取ってしまった。
2,3日たって子犬はいなくなったが、今度はどこからも知らせがなく、こちらも探さず、遂にそれっきり帰ってこなかった。
 
娘たちはこの私のやり方を非難した。
『おまえたちだって少しも可愛がらなかったじゃないか』
『誰か人に挙げればよかったのよ』
『とにかく、かたずいて清々した』私はわざと平気な顔をしていった。娘たちはさらに総攻撃で非難した。可愛がる、可愛がらないの問題ではない、そのやり方がたちが悪いというのであった。
『とにかく清々したよ』
 この場合、親の威光でしかるわけにはゆかなかった。子供たちが喜ぶだろうと思って買ってこの結果は私にとって甚だ割の悪い話だった。
W。コレにてマルティス犬の一件落着。
~~
 
 ある日、南満州鉄道嘱託の洋画家が訪ねてきた。W.この縁で満州講演旅行をする。
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~~~
その後で私は家内にいった。
『一人っきりの招待など硬くるっしくてかなわないが、里見や佐藤君が一緒なら大いに気丈夫だ。万事よろしく頼んでおいて、おれは万歴の赤絵と云うことにするかな。』
『いよいよ宿願がかなうわけね。今度こそ犬に化けないようにしてくださいよ』
~~
 ところで、私にとって肝心の万歴赤絵は奉天の大通りにある日本人の店で水ガメのようなものを一つ見たきりで、その他にはついに一つも見ることができなかった
~~
そして帰ってきた。家内が云った。
『面白いのね。よくよく万歴赤絵には縁がないのね。でもそれが犬に化けなかっただけでも大出来よ。』
『ところがまた実は犬になったのだ。鉄道部長の宇佐美さんの家に蒙古犬の生まれたての子犬がいるんだ。
グレーハウンドを野生にしたようないかにも原始的な奴だが、乳離れしたら送ってもらうことになっている』
『驚いた。実に不思議だわね。どういう訳で万歴赤絵とかがそう犬にばかりなるのでしょう』
『全く不思議だ』
『万歴もいい加減にしていただかないと、これじゃあ犬ばかり増えて堪らないわ』
 
W。あくまでもオレ流の志賀直哉であった。
会話の使い方のセンス抜群。ポイントで適切に使う。武者小路実篤の「愛と死」との長い会話で物語を進行させているのと比べると、志賀直哉の<文芸>が冴えわたっていることが良くわかる。
小津安二郎東京物語の様な物語性のない都市市民上層の生活実感を淡々と描いた映画の世界の匂いがする。