反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

「イスラム原理主義」岡倉徹志著 明石書店<2001年、11月>発行を引用してイスラム教の宗教構造を明らかにする。フランス国家の脱宗教性(ライシテ)共和制獲得の歴史は、イスラム原理主義の政教一致の対極。

 本著は2001年9,11事態を受けて、中東イスラム教の教えを鵜呑みにし、なおかつ、その必然的原理主義への回帰の宗教体質を明らかにできないまま、ほぼ全面的にそれを肯定的に紹介し、時には説得力のない弁護をしながら、最後の締めくくりで、取ってつけたようにアルカイーダの行為を批判をするお粗末なものである。
 
 しかし事細かい記述内容によって、原点的なイスラム教の構造イデオロギー、及び中東イスラム教が原理主義的行動主義を生み出す土壌を提供する宗教イデオロギー構造を明らかにできる絶好の材料を提供している、と判断する。
チェックポイントを引用し疑問点を指摘する。
 
 中東イスラム原理主義全般の問題点の核心を理解するキーワードは、<合成の誤謬>である。その典型を中東全域に広がる活動歴の長いムスリム同胞団 - Wikipedia系に見出すことができる。
日本では全くなじみがない用語だが、ライシテ - Wikipedia
 
「私みたいなとくに宗教や信条があるわけでもないけど共和国的なセンスもない典型的な日本人には、一読するとかなり頑張って屁理屈こねてる感が否めないですが、~」
 
W。確かに、日本人の政治感覚では理解し辛いが、実例を挙げながらの長い解説を読んでも最後まで、分かってないなぁ~、とおもう。
この説明は具体的でリアルだが、日本人的法的情緒的解説に留まっている。
 
18世後半のフランス革命や19世紀後半のパリコミューンにおいて、国民が血を流した歴史や勝ち取った各属性(男女団体民族宗派など)を排除した個々の自律した人権主体である(抽象化された。理念的市民)市民を国家へ包摂することを実感できる政治立場でなければ分かり辛い。
 
>フランスの近代史における宗教と国政との関係の特殊性は、
国民がたちあがって血を流して実現した共和制国家のライシテ(簡潔にいえば脱宗教)が、一貫して自然発生的な社会の世俗化に先行した事であり、この歴史が、フランスの共和主義を急進的なものにしている。(イスラム教の始祖ムハマドへの侮辱漫画もあり得る政治風土。国家理念としては政教一致イスラム国家とは、真反対の要素が強烈)
 
>言い換えると、歴史的事実として、英国の名誉革命に至る市民革命が一番先行し、米国独立宣言がそれに続き、その直後に、フランス革命は続いたが、産業商業ブルジョアジーの形成の遅れていたフランスでは、先進的な様々な立場の都市住民自らが(農民も土地分割されるので賛成に回る可能性があった)、支配宗教であったカトリックと封建領主連合に激突することで、共和制国家を実現する必要があった。
>その政治方向はパリ・コミューン (1792年) - Wikipedia→1871年のパリ・コミューン - Wikipediaまで徹底化急進化した。
 
>そうした自律的個々人の国家への包摂統合は、いわば革命的国家主義(中央集権性)でありソレを保証するのは国家の関連する公共の脱宗教化である(中央集権制が強いので当然地方公共団体も脱宗教化)。
 
 そういうことで、日本で一般的に理解する自由と民主主義とは、フランスのソレは大いに違う。
個別的属性を取り除いた個々人の自律的人権主体を保障する基盤である国家の脱宗教化に包摂されないグループには共和主義の立場から排除の論理が働く。
更に、上記の革命的国家主義は、素朴な国家主義にも解釈可能なので、この政治翼でも排除の論理が働く。
 
動画 フランス国歌を歌うカサブランカの一場面
 
行こう 祖国の子らよ
栄光の日が来た!
我らに向かって 暴君の
血まみれの旗が 掲げられた

血まみれの旗が 掲げられた
聞こえるか 戦場の
残忍な敵兵の咆哮を?
奴らは我らの元に来て
我らの子と妻の 喉を掻き切る!
 
武器を取れ 市民らよ
隊列を組め
進もう 進もう!
汚れた血
我らの畑の畝を満たすまで!
 
何を望んでいるのか この隷属者の群れは
裏切者は 陰謀を企てる王どもは?
誰のために この卑劣な足枷は
久しく準備されていたこの鉄枷は?

久しく準備されていたこの鉄枷は?
フランス人よ 我らのためだ ああ!なんという侮辱
どれほどか憤怒せざるを得ない!

奴らは我らに対して企んでいる
昔のような奴隷に戻そうと!
 
何と! 外国の軍勢が
我らの故郷に来て法を定めるだと!
何と! 金目当ての傭兵の集団が
我らの気高き戦士を打ち倒すだと!
我らの気高き戦士を打ち倒すだと!
おお神よ! 両手は鎖で縛られ
頚木をはめられた我らが頭を垂れる
下劣なる暴君どもが

我らの運命の支配者になるなどありえない!
 
戦慄せよ 暴君ども そして国賊どもよ
あらゆる徒党の名折れよ

戦慄せよ! 貴様らの親殺しの企ては
ついにその報いを受けるのだ!
ついにその報いを受けるのだ!
すべての者が貴様らと戦う兵士
たとえ我らの若き英雄が倒れようとも
大地が再び英雄を生み出す
貴様らとの戦いの準備は 整っているぞ!
 
フランス人よ 寛大な戦士として
攻撃を与えるか控えるか判断せよ!
あの哀れなる犠牲者を撃つ事なかれ
心ならずも我らに武器をとった者たち

心ならずも我らに武器をとった者たち
しかしあの血に飢えた暴君どもには
ブイエ将軍の共謀者らには
あの虎狼どもには 慈悲は無用だ
その母の胸を引き裂け!
 
神聖なる祖国への愛よ
我らの復讐の手を導き支えたまえ
自由よ 愛しき自由の女神
汝の擁護者とともに戦いたまえ!
汝の擁護者とともに戦いたまえ!
我らの旗の下に 勝利の女神
汝の勇士の声の下に 駆けつけたまえ!

汝の瀕死の敵が
汝の勝利と我らの栄光とを見んことを!
 
僕らは自ら進み行く
先人の絶える時には
僕らは見つけるだろう 先人の亡骸と
彼らの美徳の跡を!

彼らの美徳の跡を!
生き長らえるよりは
先人と棺を共にすること欲する
僕らは気高い誇りを胸に
先人の仇を討つか 後を追って死ぬのみ
!
 
日本の自由と民主主義のイデオロギーは一応日本国憲法に表現されているが、共和制でなく君主制へのイデオロギー的統合を明記しており(1条~8条)民主主義を支える実体であり個々人の自律的な人権主体は明記されていない(基本的人権項目)。もっとも文字に書かれているいない領域外の生きた歴史に、フランスの共和制の源泉があるのだが。
 
自分自身の身体化した思想傾向は実存主義、急進民主主義であり、その源流をフランスの歴史に見出す。
フランス革命ジャコバン主義に流れる傾向を戒めながらの戦士市民の政治的力を基礎とする民主主義である。ISテロのような事態は、絶対に許すことができない。またどのような形態であれ、政教一致を原理とするイスラム原理主義には大いなる疑問がある。
 
また、宗教者と政治の場面で向き合う機会があったが、良い思い出はなかった。
宗教者が政治の前面に出て来る機会は、政治混迷期、政治運動の衰弱期であり、宗教的観点で事態をみる習慣が根付いているのか(信心するとは結局そういうことだと思う)彼等は政治配慮に乏しく、政治的無能性があり、政治を混乱させる。
仏教徒との経験はないが、宗門側と対立する創価学会とも良い思い出がない。
 
*ただし、政治的に破廉恥な活動の組織性、持続性があり、宗教的フレームが確定しているので、個人が自分の頭で自律的に考え、迷い、決断する要素は希薄で、宗教フレームにエポック的に合わせるかどうかの問題になり、その分だけ、客観的に自我の政治的権威思考は解放されいる。
その意味で自我が宗教的に救済されているという政治幻想ゆえに、お気楽であり、世間での行動力が発揮し易い。
従って、宗教は政治軍事の領域に安易に参入しやすいイデオロギー構造にあった。
イギリス、アメリカ、フランスの近代移行期は、キリスト教の、そういった政治参加にいやといほど苦しめられた。
その歴史的教訓が国家機構関係の脱宗教化の英知を獲得した。

 いきなり参考資料 
W。2001年11月時点の著書では、こんなサウジアラビア批判の視点は一切含まれていなかった。このヒトはムスリム同胞団程度のイスラム原理主義の目線から中東イスラム世界を見ているのかもしれない。
 
  第Ⅱ章 イスラムとは何か。
3、政教一致イスラム共同体
 
「(W。メッカを追われた)622年後メディナと名を変えたこの町で自ら政教両面の長となって、イスラム共同体を築き上げていった。
一方、ムハンマドは基盤を固めたメディナ~から遂に預言者イスラム軍はメッカ勢力に大勝した後、名実と共に政教一致イスラム共同体の長に収まった。
~そして630年、イスラム軍はメッカに乗り込み、ここを占領する。
ムハンマドはメッカのカーバ神殿におかれていた、多神教の象徴である360体の偶像を破壊した。
W。仏教、キリスト教徒とは完全に異質な政教一致の政治宗教であることが分かる。
「軍事は政治の他を持ってする継続である」と云う原理から、当然にも、武力行使はムハマド軌跡に刻印されており、イスラム教徒はそれを批判できない。ムハンマド原点の帰れ!と云う原理への復帰運動から武力行使の正当化を取り除くことができない。岡倉の云う防衛戦争限定云々の教義の引用は、戦争は得てして防衛や平和を口実に行われることからあまり意味がない。
 
 
平等の教え
イスラム学者の中によく見いけれれる一夫多妻の弁護を展開。家父長制を絶対的前提にした議論。一妻多夫でも良い。
男女差別の弁護は何を云っているのか不鮮明で説得力がない。
 
公正、正義、生命
聖戦を防衛戦争に限定している。
コーラン第2章
「治安維持を正当化したうえで、(「騒擾は殺人よりももっと悪質であったのだ」)
向こうからお前たちに仕掛けてきたときは、構わんから殺してしまえ。信仰なき者どもにはそれが相応の報いというもの。
~「騒擾がすっかりなくなる時まで、宗教が全くアッラーの(宗教)一条になるときまで、彼らを相手に戦いぬけ。しかも無効やめたら(汝らも)害意を捨てねばならぬぞ」
 
岡倉はイスラム教と同志は殺し合うことは許されぬという言説を引用した直後、次のように述べる。
「このようにイスラムでは人間の生命をことのほか尊重することが解かれ、信徒にそれぞれには厳しい責任が課されている」
 
反近代的な証左
コーランの引用には説得力がない。
2001年9,11事態直後とはいえ、なぜそこまで弁護しなければならないのか。弁護論を展開するのならば、もっと違う方法があったろうに。
 
イスラムの教義と経典
ユダヤ教の戒律主義の影響がう抱える。
 
信条 道徳律 聖戦(戦争行為に限定されない広い意味での宗教努力)を行う勤行 
>ただし、民事、刑事事態への対処と刑罰まで記されている、所に特徴があるが、多分ユダヤ教も、そう云ったところあるとおもう。メッカにはユダヤ教徒がいた。
 
A、ユダヤ教旧約聖書とい聖典があり、~B一方後発のキリスト教徒は旧約聖書に加えて新約聖書を作り出し、聖典にしたのである。
C、コーランが神の言葉をそのままの形でまとめたのに対して新約聖書は4福音書使徒パウロの「手紙」のように、神の子の行為について人間が書き記したものである
神は絶対唯一の超越者であり、神に子供などいないとするイスラムの立場からすると、キリスト教新約聖書を認める訳にはいかない。
 
B、にはローマ帝国の国教になってから、イエスキリストとは何者か?その位置づけを巡って、数回の教義論争があって、最終的に三位一体(神~キリスト~聖霊)というどうにでも解釈できる教義に落ち着いた。
教義の幅を持たせるためにハッキリさせない方が良いとの政治判断である。しかし、聖霊とは何か?と云う新たな疑問がでてくるのではないか。天使なのか、八百万の自然神なのか、古代ギリシャ神々なのか。ただうまいことはぐらかした。
 
C。コーランが神の言葉をそのままの形でまとめた!?
唯一絶対神=ザ、神=アル イーマムはメッカ付近のアラビア語で神のお告げをムンハマドに直接下されたのか?唯一紳の源流であるユダヤ教は否定できないが、その俗化形態であるキリスト教は批判できる、と云う構造。イスラム教にユダヤ教に敵対する教義はない。
 
スンナ
 ハーディス=ムハマドの語りが伝承された集大成だが、人間の日常生活(経済活動、家庭生活、衣服、飲み物食物など)にまで及ぶ。しかし、イスラム教(ハーディス)の欠陥は労働の位置づけがない事である。  
スンナ=ムハンマド預言者)が存命中実践してきたこと=政教一致活動←(文書で伝わっていないので伝承によるしかなかった)の範例、慣行化であり、ハーディスの研究によってスンナは確定できる
後世のイスラム信者の法学者、宗教的政治的指導者による、基本的にムハマド時代の再解釈による原点回帰なのだが、神とムハンマドに対する幅のある再解釈の余地を残す。
ここにおいて、後世の様々なイスラム原理主義は、スンナ派から生まれるイデオロギー構造を確認する。
 
「一方、シーア派ではムハンマドとその血筋を引くイマームシーア派政教一致の最高指導者)の云ったこと行ったことの伝承)~をハーディスにしている。
 
>続く