反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

名作「OK牧場の決闘」初鑑賞。予想に反して、西部劇と云うよりもバート・ランカスター(アープ)、カーク・ダグラス(ドク)両名優の濃密な演技力の際立つ、<さながら>ブロードウェイの舞台劇。

 時間の都合上、今回はビデオ「OK牧場の決闘」関連で検索した資料を挙げるだけになった。
 
 映画史上に残る「OK牧場の決闘」、「カサブランカ」を今まで見たことがなかった。
西部劇は好みに合わない。ヤクザ映画は大嫌いである。戦争映画やSF映画もパスする。政治色の強い映画も避けることが多い。
夢のないハードボイルドな人間である。
「政治」は本質的に見るものではなく参加し実行するものと考えてきた。
スクリーン上の嘘っぽい切った張ったのドンパチに反応希薄。驚かない。暴力的な映画は御免こうむる。
 
がしかし、北野武の初監督先品その男凶暴につき - Wikipediaの数々のシーンは、今でも鮮烈に記憶し、納得するものがある。HANA-BI - Wikipediaまで行くと、思わず目をそむけたくなるが、彼はその時代に実在し、結果は惨憺たるものであったリアルな暴力精神をすくい取って映像化した、と思う。
実際の暴力の行使は度重なると人間精神を物に変える。
そこにやくざ映画の暴力シーンの伝統的美意識はない
 
昔のハリウッド製の映画は、暴力シーンを北野武のように生々しく描かなかった。「OK牧場の決闘」の最後の決闘シーンもその典型で、荷車の陰に隠れると弾丸がさえぎられるごときよくあるパターン。
米国映画には、今も暴力シーンを生々しく描かないという傾向はあるのではないか?
 
こういう趣向の著しい者にとって、「OK牧場の決闘」や「カサブランカ」は関心外だった。
「OK牧場の決闘」のストーリーはもちろん知っていたし、実在の人物であるワイアットアープ(81歳まで存命。保安官系の仕事に就いた期間は僅か4年程度。アメリカ的正義は生活力、経済力と合体し、矛盾はない)の人物像に関して様々な見解の資料があるもなんとなくわかっていた。
 
今回資料に挙げる「OK牧場の決闘」の現地であり、ソレを売りにして年間40万も観光客が訪れるトゥームストーンの探訪記の最高傑作は、藤原新也 - Wikipediaの写真入りエッセイである。
藤原新也の該当する著作はこのどちらかである。
アメリカ(1990年) アメリカ日記(1991年)
ルート66を東から西に下って行く旅の途中でトゥームストンに寄り道して、例の決闘が実際にあった僅かなスペース場所の写真(空き地、6m×6m程度。発砲騒ぎのときの双方の位置取りが人形で展示)と、現地のレストラン兼酒場に闖入し、ケバイ化粧と身体にピッチリの妖艶な?ドレス姿の異常に陽気すぎるおばちゃんウェイトレスの様子が見事な写真と共に生々しく、ウィットを交えて活写されている
 >そうそう、想い出した!あのおばちゃんの風情は、ドリー・パートン - Wikipedia
イメージ 2
イメージ 3
この写真入りエッセーで、なぜかトゥームストンのところしか印象に残っていない、のはどうした事なんだろうか?
 
日本にもアメリカンカルチャー風の佇まいはたくさんあるが、絶対にお目にかかれないアメリカらしさの最たるものこのレストラン兼酒場と異常に陽気すぎるおばちゃんウェイトレスに感じたからなのだろうか
所詮、カルチャーの底に流れるものは(歴史伝統制度習俗を含めた)ヒトの在り方、ということか。風景色ではないということだ。

とりあえず、この視点から、ネットで見つかった一番、興味深いトゥームストン訪問記はコレだった。
この方は、目線の付けどころが違う。鋭い。
 
                                              引用。
イメージ 1「写真はツーム・ストーンのシューティング・ギャラリー(射的場)の前でたむろする地元住民です。」
(写真省略)
 
「ツーム(トゥーム)・ストーンは西部劇では年中舞台になる町で今ではそれに完全に依存した観光地です。多分、それがなければこの町は遠の昔に消え去っていたでしょう。」
 
「この町の好ましい所は、全面的に観光に依存しながらも、余計な設備やアトラクションなど無くて(多分)当時からそれほど大きく変わってないのではないかと思わせる落ち着きです。
そしてテーマ・パークなどとは違って明らかに実際に住民が生活をしている、お店も西部劇的な装いで観光客向けに造られていますが本来の店としても機能していることです。例えば雑貨店や本屋なども住民向けの面も残し、革製品の店などもお土産屋の面と本来の皮革製品店の面も持ち合わせています。
鋭い!
「本物の拳銃をぶら下げてレジを叩いていました。所謂観光客向けの演出ではなく、最新型の自動拳銃を実用的な樹脂製ホルスターに入れていました。チリカワ・マウンテンの山中で道に迷った時に道を教えてくれた陽気で如何にもお人好しなヤング・パパと云う感じの人も拳銃をぶら下げていました。彼の場合は熊が多い地域だったので威嚇用・護身用かもしれませんが、ツーム・ストーンの雑貨屋さんの場合は人間用でしょうね。
北・南西部各州の公共の建物の多くには入り口に「拳銃持ち込み禁止」の掲示がある場合が多いです。公園のトイレのドアなどにも書いてあります。因みに人々が拳銃を腰に下げているのは、私の推測ですが、他人から見て武器を携行していることが判るように義務付けられているのではないかと思います。これは大型ナイフでも同様でコンシールド(秘匿)・ウェポン(武器)はご法度です。もしこれで事故でも起これば重罪になる可能性があります。」
 
付録 W。この方の旅行記がネットに載っている。時間を見つけて読ませてもらう。
 
 
 
 
 
 
 
 

 以下、今回は資料だけ掲載する。
資料① W。映画「OK牧場の決闘」ではなく、本物の<OKコラルの決闘>の経過と背景が簡潔、明瞭にまとめられているネット上最高の資料である。
「OK牧場の決闘」に先行して同じOKコラルの銃撃戦を題材としているジョンフォード監督の西部劇名画「荒野の決闘 - Wikipedia主題にした2016年1月21日発行東京図書出版、青木利元著(荒野の決闘~マイダーリン、クレメンタイン。郷愁の諸相~)における決闘の背景を探った長い論考を圧縮したのが、コレである。
 
..Wild Wide West America travel...Wild West
Tombstone
ワイアットアープ・ドクホリディが歩いた街
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資料② 
W。資料①を補強する資料。OK牧場の決闘は町の発展期に東部から押し寄せてきたヒトモノカネ(イリノイ州出身のワイアットアープもその一員、共和党系)と野放図な地元住民(民主党系)の南北戦争や、米国、メキシコの戦争、米国の最南部領土拡張のいざこざに伴う反目を抜きに語れない。
たった数百年前の新大陸発見前の米国よりも1000年以上も<書かれた歴史>~米国史は基本的にヨーロッパ史、アフリカ史にすぎなかった!人類史と歴史を勘違いしてはいけない!~の古い日本では、平将門の乱、奥州勢の叛乱もあった。彼らは我れの隠れた英雄である!「反俗日記」は平将門を史実に基づいて特集した。
 
二つあった地元新聞も二派に分かれているというのがいかにもアメリカらしい。

>W。「OK牧場の決闘」をみた感想は、タイトルにあるように、ブロードウェイの舞台劇としても成立するような両名優の性格劇とでもいうべきものである。
コンセプトはアメリカ人ならだれもが知っているストリーを、西部劇にありがちなドンパチの活劇場面を抑制することで、観客を名優の濃密な演技力を前面に押し出し、スクリーンに釘づけにすることである。
 
ロケーションの映像は少なく、あってもオープンセットであり、ストーリーの進行するほとんどの場面は、舞台劇で間に合うような屋内セットである。
だから、仮にこのコンセプトを舞台劇にすると、ドグ、ホリディーの挫折と陰影はもっと深く掘り下げられるだろうし、バートランカスターは映像以上のワイアットアープの違った実在に近い側面を演じるだろう。
明らかに脚本家は舞台劇のように書いている。
また、ソレに答えるに十分な演技力が、両者に備わっている。
 
大衆受けする華やかさと個性があって、様々な演技の引き出しを持つ彼らのような俳優は日本映画全盛期において、誰と誰に相当するのだろうか?新劇出身の俳優には演技力があった。映画会社の俳優の演技には限界があった。
存在しないという想いがあるからなのか、成瀬巳喜男 - Wikipedia映画の大ファンであるのかもしれない。上手い演技をする俳優しか起用しなかった。成瀬映画は安心して見ていられる。
 
OK牧場の決闘」にハリウッド映画の全盛期の底力をみる想いがする
この時期のハリウッド製の名画と云われているものの多くは巨大資本の勢いで制作された側面もあるが、俳優に本物の演技力が求められる演劇的なストーリー展開のものが多いのではないか。

ヘンリー・ハサウェイが監督、マリリン・モンロージョゼフ・コットンジーン・ピーターズが主演した。モンローにとっては初のカラー(テクニカラー)主演映画。」
>「モンローは劇中で「モンロー・ウォーク」と呼ばれた独特の歩き方を披露して話題を呼んだ。彼女が歩いて行く後ろ姿を映したシーンは映画史上、最も長い歩行シーンとされる。」
 
W。この映画のストリー展開も演劇舞台的要素がたっぷりで、夫殺しを若い情夫と企み実行する主人公の妻に内面を表現する演技力が要求されるが、モンローの演技は役作り以前のレベルである
 
ソレによってこの映画は、ドタバタ劇の様相さえ呈することになってしまった
 
後に、モンローは「ニューヨーク移りリー・ストラスバーグが主催するアクターズ・スタジオで演技の指導を受け、「劇作家のアーサー・ミラーと結婚」したが、その伏線は、「ナイアガラ」の演技にあまりにも露骨に表れている。
 
ハリウッドスターシステムは、一端頂点にまで押し上げれられても、やがて未熟な演技力を痛感させられ、割り切って前に進む道を閉ざされ、淘汰されるのか。
 
マリリンモンローは夫殺しをたくらむような悪女の片鱗を、醸し出そうとするが、画面に見出せるのは、その努力の気配だけであり、ただの頭の弱い女にしか見えず、こんなヒトに夫殺しはあり得ないと観客は直感するのではないか
それで、モンローウォークの話題だけが先行するが、実際に見ると評判ほどセクシーではなかった。
「後ろ姿を映したシーンは映画史上、最も長い歩行シーン」でもなかった。
 
>しかし、よくよく考えるとモンロー演じる軽はずみな女こそが、実生活で行き詰ったときに夫殺しを企画し、高かすぎるハードルを越えられるのかもしれない。指折り数えると、そういう想いがする。宗教書の有名なフレーズではないが、やはり法廷で「悪人」を擁護する弁護士は必要である。
ここが、映像芸術と実生活の違いであろう。
<事実は小説よりも奇なり>の真相はこのあたりあるのだろうか?

No.065   W。映画好きにはこの解説が一番おもしろい。
バート・ランカスター
Burt Lancaster(1913~1995)
 
 
<往年の男優シリーズ> バート・ランカスター。 責任感があり、頼れる存在であ...
YAHOO知恵袋
 

W。自伝「屑屋の息子」は都合のよい成功譚だが、それなりに面白い。