カサブランカ (映画) - Wikipediaはテレビでちらっと見た記憶がある、と思ったが、合計4本の日本語吹き替え版の年代をみると、どうやら勘違いだったようだ。
しかし、このような有名な作品の印象的なシーンは、マスコミ媒体で事あるごとに使用されているもので、ソレをちらっとみて、解ったつもりになっていただろう。
前回の記事で戦争映画は嫌いだとした。
>とくに後者は、シーンが進行するつれて胸狂おしく正視できなくて、途中放棄する。
>この映画によって、戦いの斧を振り上げたところで、打倒対象は、すでに存在しないのだ。戦後世界は第二次世界大戦の結果によって変わり、各々の国における支配形態も変化してまったのだ。
この映画の示す戦う相手がいなくなっている、ということは、この映画の云わんとする政治行動に直結するはずの課題は、事実上消滅し、イタリアはい云うに及ばず、世界は新たな政治的軍事的経済的課題に直面しているということだ!
戦後世界体制は反ファシズムの戦いの形態が通用しなくなっていたのだ。
今の立ち位置の結果論からしても、ソレが正統な歴史の見方だ。
新たな課題である戦後世界体制への戦いを開始しなければならないときに、既に終わった過去の反ファシズムの戦いをこのようなリアルに提出するということは、ファシズム吹き荒れる苦しい時代に抵抗できなかった人々の内面をこの映画によって、勝利の共同政治幻想の祝祭日とすることによって、許すことになる。
何もしないで傍観していたものが、実は自分もファシズムに反対だったと、この映画に共感することで追認できる
大衆的な歴史の改ざんである。
この映画は、どうしても以上のような勇まし大言壮語の引きつけを起こさせる。だから嫌なのだ。
「ネオレアリズモと呼ばれるイタリア映画の全盛期の作品には、この種のものが多い。
『自転車泥棒』ヴィットリオ・デ・シーカ(1948年)も痛々しい子供がストーリーのコマ回しの役をする悲しい作品だ。地方からの出稼ぎ、イタリアの南北格差の問題もある。
同じようなコンセプトの鉄道員 (1956年の映画) - Wikipediaは、「自転車泥棒」のように、失業と戦後の絶対的貧困状態が背景にあるのではなく、機関車の運転手たちの労働運動の繋がりをベースにした作品なので救いがある。仲間外れにされたスト破りの父親は、仲間とのつながりを回復したころに、愛する家族の気付かないまま、ベッドで眠るように死んでいた。
>映画にはユーモアと何処かに救いが必要であるという絶対的ともいえるコンセプトをハリウッド映画は弁えて事も、世界中から受け入れられたキーポイントであった。
「1942年に製作が開始され、同年11月26日に公開された、親ドイツのヴィシー政権の支配下にあったフランス領モロッコのカサブランカを舞台にしたラブロマンス映画。監督はマイケル・カーティス。配給はワーナー・ブラザーズ」
「政治がらみの臭いのプンプンする映画も性に合わない」
評伝を読むぐらいだから、ハンフリー・ボガート - Wikipedia(1899年~1957年)←W注目!を大いに評価しているが彼の「カサブランカ」の役どころに自分は安住できない、すわり心地は良くない。
>ヴィクトル・ラズロ:ポール・ヘンリード
引用
「ウィーンの貴族で銀行家の家庭に生まれた。」
>イルザ・ラント:イングリッド・バーグマン(その妻でパリではボギーと一時的な熱烈恋愛関係)
W。1941年にハリウッドに招かれたばかり。役作りができていない。どこからどう見ても抵抗運動の大物闘士の妻に見えず、ただの綺麗な女優。演技はぎこちないし、存在感希薄。
バーグマンの傑作は、ひさしブルハリウッドに復帰した1956年「追想 (1956年の映画) - Wikipedia」
原題アナスタシア
追憶 (1973年の映画) - Wikipediaと実に紛らわしい。コレも一種の傑作だが、両者を比較すると、前者は1917年ロシア革命後、小屋に集められ兵士たちに一挙に銃殺されたロマノフ皇帝一家の生き残り皇女の物語であり、時代の流れ、風潮の違いを実感する。後者は最初から誰も傷つかない事がミエミエの甘ちょろいストーリーである。ハリウッド映画伝統の救いのスケールが最初からあまりにも違いすぎて、矮小な感動しかもたらさない。
ボギーの経歴で重要なところはココだ。
引用
「家庭が裕福だったこともあり、イェール大学へ進学するよう希望していたが、ボガートは高校を中退。1918年に海軍に入隊するも、3年後に除隊。
>やがてブルックリンの劇場で舞台に立ち、俳優の道を志す。
>やがてブルックリンの劇場で舞台に立ち、俳優の道を志す。
W。ボギーは演劇とのかかわりは、最初演出などの興味を持ち、裏方をやっていたところ、舞台に立つようになり、舞台俳優として、頭角を現した30代になって、映画の道に進んだ。
↓(下済み時代の長いヒトであり、ボギースタイルはワンパターンだが、演技の引き出しは意外に多い)
1930年代はギャング映画の敵役を多く演じたが、40歳を過ぎて主演したマルタの鷹 (1941年の映画) - Wikipediaダシール・ハメット - Wikipedia原作、後の名監督ジョン・ヒューストン - Wikipediaの記念すべき初監督作品で、今までになかった私立探偵像サム・スペード像を独特のボギースタイルのセリフまましと、ハードボイルドスタイルの淡々とした演技によって、大ヒットさせ<ようやく>主演を張れる地位に辿りついた。
1942年制作の「カサブランカ」のリック、ブレイン役は当時、ドナルド、リーガン(B級映画の主役が多かったが、俳優組合の会長でもあった)後のレーガン大統領にふり当てられたが、断られて次の俳優に回されその俳優も都合が悪く、最後にボギーに落ち着いた。
骨のあるリベラリストのリックの役は、ボギーの政治信条から云ってもはまり役なのは確かで、彼の好む役であっただろう。
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それが、ビシー政権下の仏領カサブランカで、ナイトクラブ「アメリカンクラブ」の支配人として政治バランスをとりながら微妙な立ち回りをしていくリックに、颯爽とした実在感を吹き込んで観客を魅了していることは間違いない。
ところが、ボギーは「マルタの鷹」のサムスペードを彷彿させる演技の限界を補う術を舞台俳優から出発した長い下済み俳優時代にすでに獲得していたのだ。
せりふ回しはハードボイルドの私立探偵サムスペードのボギー調であっても、リックのちょっとした動作や小道具の使い方で、トータルとしてリック個性をカッコ良く印象付ける偉大な技を彼は獲得していたのだ。
コレこそがボギーの「カサブランカ」大成功の秘訣であり、彼は一気にスターダムにのし上がった。
プロ中のプロの術である。
観客を目の前に説得力を持って演じなければならない舞台俳優としての鍛錬が基礎になっていのだ。俳優ボギーはプロ中のプロであるということを最大のプライドにした。
>と云う事で、「カサブランカ」はハンフリーボガードの独壇場の映画だったのだ。
>イングリッドバーグマンは美しい女優さんにすぎず、演技していない。ミスキャストだから演技できなかったというべきか。
*なお、この俳優さんはいぶし銀のような演技をしている。
「マルタの鷹」の役者さんである。
ウーガーテ:ピーター・ローレ
>後の演技派ボギーの説得力のある演技を二つの作品でみた。
黄金 (1948年の映画) - Wikipedia1948年 ジョンヒュ-ストン監督
W。出演者は少なく演技力が要求される。汚れ役を颯爽としたボギー調とは、違ったスタイルで演じている。演技の幅は広い。
ケイン号の叛乱 - Wikipedia1951年 当時のハリウッドの超一流スタッフ・キャストが総結集、映画史上に残る名作ドラマに作り上げた。」
外面は恐持て有能な艦長の内面に精神疾患が潜んでいた。ソレが次第に露わになっていく際のボギーの円熟したスリリングな一人芝居は圧巻!小道具にパチンコ玉のよな銀玉を使って、神経質に手の内でじゃらじゃら鳴らせ、その音はいらだちとともに大きくなって、艦長不適格者と居合わせた者たちが気づいていく。
ストーリーの終いは法廷劇でもあり、非常の手の込んだ大人の鑑賞に堪える高級作品に仕上がっている。
掛け値なしに映画史上に残る名作である。
「カサブランカ」を超える完成度の高い作品である。
<付録>
W。知っている作品好きな作品をチョイスするのも面白い。
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