反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

阪神タイガースの原口文仁選手「研究」。~高校時代の経歴を辿って、腰の故障の実相を明らかにする・金本矢野氏へ!大事に使ってあげて!と云う事に尽きる!ソレがチームの将来にためであり彼のプロ野球人生のため

4月29日 (金)阪神 2 - 1DeNA 18:00 甲子園
勝 岩貞(神)
S マテオ(神)
敗 今永(D)
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じっくりTV野球観戦するつもりで、PCの画面を開いたが、見るに耐えない映像があったので、すぐに「反俗日記」の記事を書くことに切り替えた。
 
 
当該個所引用
「*ソフバン先発投手 中田昨年は(先発ローテ。中日からFA移籍)は
初回いきなり、育成枠阪神原口捕手<DH出場>にレフトにHR!
>育成背番号をつけているが、原口は、キャンプで評価の高かった選手であった。
構えたところから、少し移動しただけでトップの位置が作れ、ミートポイントに向かってシャープな軌道のスイングができる。しかも、バットのヘッド効いたスイングを、どのコースにもできるようなので、芯に当たる確率が高い、ファウルになっても鋭い打球が飛ぶ、打球の上がる角度が良い。右打ちもできるようだ。
動画から受けた印象では、1軍の横田、北條よりも打撃力は上と感じる。打者に専念すれば陽川より上の成績が残せる可能性がある。ただし2軍において~。」
 
上記の記事を書いたのは
支配下選手用のユニフォームが間に合わないほどの育成枠、原口選手の登録が急きょ決定された数日前であった。自慢するつもりはなく、画面不鮮明な無料動画とは云え、<打者原口選手>のスイングに目を凝らしていたら誰でもわかることであるが、<捕手原口選手>についてはイロイロ考える所があるので後に記す。
 
とりあえず、支配下登録された原口捕手の背番号<94>が気になる、と云っておこう
<94>←(9苦4しむ)と読めてしまう縁起が悪い。何の根拠があって94番なのか。もっと慎重に考えるべきだった。

原口選手はドラフト6位指名とは云え、経歴をみると、高卒では潜在能力の高い選手だったと解る。担当スカウトの目利きが効いた掘り出し物の高卒選手であった。
 
埼玉は寄居(よりい)の出身。
*****番外編
 
寄居は埼玉の奥、秩父盆地の入り口で、鉄道は荒川の上流の景勝地である長瀞(ながとろ)渓谷を眼下に見下ろしながら、秩父盆地に至る。近隣の大きな都市はかなり離れた別の鉄道沿線の深谷であり(昔は深谷の経済圏であった)、寄居の鉄道沿線の一番近くの都市?は牧歌的な田園地帯の新興住宅地であり、かなり離れている。
地図で見ると埼玉県は狭く感じるが、平野部が広いので、東京からみると奥行きがあり、寄居は都心部への通勤圏内ではない。
 
寄居は懐かしの地だ!
大昔、秩父困民党の本をよんで、現地を訪れたとき、寄居(よりい)で下車して徒歩で困民党ゆかりの地、風布(ふっぷ)峠を目指して秩父山系をとぼとぼ歩いた。地図も持たず適当に山道を辿った結果、秩父市を見下ろす山頂で日暮れになってしまい、あわてて下山した記憶が今でも鮮明に残っている。山頂と下界の間に比較する対象物がないからか、目の錯覚で下界との距離感が縮まって見える。
*****番外編終了
 
原口選手は片道2時間もかけて帝京高校に通ってい、そうである。帝京高校は23区の東の端、板橋区にあったから、まだその程度の通学時間で済んだのだ。
甲子園に出場した野球名門高校の球児の中でも原口選手の高校生活は往復の通学時間4hを通算すると異色であった
引用
>「高校時代は寄居町の実家から東京都板橋区の学校まで片道2時間かけて通学し、授業と部活を終えて帰宅した後は、自宅裏に父親が作った打撃ケージで深夜まで練習するという日々を送っていた。」
 
   *往復4hの時間的ロスのハンデにもかかわらず
~食事はどうしていたのだろうか?睡眠時間は十分だったのか?素朴疑問がわく~
         ↓
>「高校3年生の夏に、第91回全国高等学校野球選手権大会へ東東京代表として出場。5番打者として3試合で打率.385を打ち、チームの8強入りの原動力となった。」
         ↓
W。高校オールジャパンに選抜されている。
>「準々決勝で県立岐阜商業高校に敗れ、原口は最後の打者となったが、様々な投手の持ち味を活かせるリードを買われて日米親善高校野球大会にも出場した。」←W。5番打者として3試合で打率.385を打ち、チームの8強入りの原動力!撃てる捕手でもあったので、高校オールジャパン選抜は当然であった。この年の夏の甲子園の屈指の選手だった、と理解できる!
しかも、往復4hの食事(栄養補給)、睡眠などのハンデを背負っての成績と思われるので、ドラフト時点の原口選手の潜在能力は非常に高いレベルにあった
 
>また、ドラフトにかかる高校生とは全く違った特殊環境に芽吹いた才能を持っていた、と想定できる
ざっくり云いかえると、彼は成績と潜在能力にもかかわらず、普通の高校生的肉体条件と気分の持ち主だったのではないか。

この点がプロ入り後の腰痛故障発症の肝である!と考える
 
   <プロ入り後>の球歴は細かく列記する必要がある。
 引用
2009年のドラフト会議で、阪神タイガースに6巡目で指名
 
2010年には、ウエスタン・リーグ公式戦9試合に出場。打率は.143(7打数1安打)であった。←W1年目
 
2011年には、ウエスタン・リーグ公式戦48試合に出場。打率は.329(79打数26安打)で、打数が少ないながらも、2本塁打、11打点という好成績を残した。←W。早くも頭角を現した事を実証する数字を残している。←2年目!
 
>2012年には、
シーズン開始当初に腰を痛めて戦線を離脱。←2年
 
                   ↓
5月初旬に練習へ復帰した直後に、腰の故障が再発した
 
>このような故障の影響で、ウエスタン・リーグ公式戦では、16試合の出場で打率.189(37打数7安打)、打点5という成績にとどまった。
さらに、シーズン終了後には、自由契約選手の公示を経て育成選手契約へ移行。育成選手に関するNPBの規約に沿って、背番号を124に変更した。←W。球団の見切りが早く、腰の故障はヘルニアとかその手の重度の物理的なモノと想像できる。
 
2013年には、←年目
4月のシートバッティング中に死球を受けて骨折。←W、骨折させるほどのあり得ない球を投げるバッティング投手が阪神2軍にいるということだ!練習環境がたるんでいるのか技術がないのか?骨折個所も打者にとって大事な箇所でなければいいが、気になる。
ウエスタン・リーグ公式戦では、17試合の出場で、打率.263、2打点という成績を残した。シーズンの終了後には、育成選手の規約に沿って自由契約選手として公示された後に、改めて育成選手契約を結んだ。
 
2014年には、←年目 
ウエスタン・リーグ公式戦57試合に出場。打率.264、5本塁打、13打点を記録した。シーズン終了後は、自由契約選手としての公示[を経て、11月13日に育成選手としての再契約に至った。
 
2015年には、←年目大卒ドラフトの年
ウエスタン・リーグ公式戦で、自己最多の59試合に出場。打率.220、4本塁打、11打点を記録した。3年続けて支配下登録選手への復帰を果たせなかったが、11月11日には、改めて育成選手契約を結んでいる。
 
2016年には、←6年目。
春季キャンプを二軍の「安芸組」でスタート。
シートバッティングでこの年のチーム初本塁打を放つなど打撃が好調だったため、「安芸組」終了後の2月25日には、支配下登録選手への復帰を視野に一軍へ合流した。同日に催された海道日本ハムファイターズとの練習試合では、途中出場ながら一軍デビューこの試合で一軍初安打を放つと、オープン戦の途中まで一軍に帯同した
公式戦開幕後の4月27日付で、3年振りに支配下登録選手へ復帰するとともに、背番号を94へ変更

報道によれば、金本監督が2軍球場で行われた2軍公式戦に直接足を運んで視察したときに、目に留まり即決で昇格が決まったという。
「反俗日記」で原口選手の打撃を高く評価したのは4月22日だった。
 
プロ入り以前、以後の原口選手の経歴を細かくたどった究極の結論は、大事に使ってあげて!と云う事に尽きる!ソレがチームの将来にためであり、彼のプロ野球人生のためでもある!
原口選手は野球名門高校のレギュラーで、高校オールジャパンに選抜された程の成績と潜在脳慮の持ち無視ではあったが、通学往復4hから想像できるように野球環境に恵まれていたとは決して言えないわけで、プロ入り直後、の身体はまだプロの練習についていく基礎的体力が備わっていなかったとみる。
ソレが端的に表れたのが、2年目の腰の二度にわたる故障発症である。捕手と云う腰に負担の特別にかかるポジションが腰の故障を重度にしたと思われ、今も腰の故障個所は基本的に、元通りに回復していないとみる。
 
と云うこともあって、2軍ではDHで使われることが多くなっていたとみる。
この辺の事情は、1軍に急きょ抜擢し、4月28日の試合で捕手として全イニング出場させた金本監督、特に矢野作戦バッテリーコーチが冷静に判断すべきである。
原口選手のポジションは捕手と1塁しかないと聞く。捕手としての肩は、ウィキペディアのいう「100mの遠投が可能で、本塁・二塁間の送球が1.8秒台という強肩」と云う見解もあれば、関連コメントによれば「肩は弱い」と云うものもある。
自分の感覚では100mの遠投では捕手として肩が強いと云えない。もっとも遠くまでながられることと捕手としての肩の強さは即イコールではないが。「肩が弱い」というコメントは、捕手のスローイングを前提にしたものであろう。捕手の肩の強弱は、捕手たちが順番に2塁上にスローイングしたとき一発でわかる。
 
昔、阪神の2軍に北川博敏 - Wikipediaさんがいた。
2軍では抜群のバッティングセンスの持ち主で、とにかく、スイングがシャープで瞬きするぐらいの速さでコンパクトに球をとらえた。北川さんがゲージに入ると対戦チームの選手が見に来るほどだった。
阪神ではあくまでも捕手として、鍛錬されていたので、1軍でその打撃力を発揮するチャンスがないまま、近鉄にトレードされ、才能が開花した。
引用
    <近鉄時代>
梨田昌孝に認められて一軍に定着し、4月28日にプロ初本塁打を記録。5月27日は29歳の誕生日だったが、生まれて初めてサヨナラ安打を放ち、お立ち台で涙を流した。その後2週間後にもサヨナラ打を放ち、9月24日の対西武戦では代打として出場し、松坂大輔から本塁打を放ち勝利に貢献している[4]。これでチームは優勝へのマジックナンバーを1とした。そして、9月26日の対オリックス・ブルーウェーブ戦で代打逆転サヨナラ満塁本塁打を放ち、チーム12年ぶりのリーグ優勝を決めた.」
 
「2003年、5月25日に不振の中村紀洋に代わって自身初の4番に座り、いきなり4安打3打点の大活躍をするなど、打率.309、13本塁打、50打点の成績を残した。」
 
   <オリックス時代>
(途中省略)
「2010年、開幕戦を4番DHのスタメン出場で迎えた。本職である一塁手アレックス・カブレラT-岡田に奪われ、DHでの出場が多かったが、打撃ではハイアベレージを記録。
9月に100本塁打、1000本安打と節目の記録を次々と達成した。最終的には119試合に出場して打率.306、12本塁打61打点の成績を収めた。」
 
   <引退後>
「2015年10月14日に、オリックスの一軍打撃コーチへ就任することが球団から発表された。」
 
   <人物> W。屈託のない明るい性格で阪神時代から人気があり、派手なことは、避けていたが存在そのものが目立つ人であった。
 
「常に笑顔を絶やさず阪神タイガース時代からスマイリーの愛称を持ち、顔が似ていることからアンパンマンとも言われている。また自身のヒッティングマーチにもあるように近鉄時代の優勝を決めた代打逆転サヨナラ満塁優勝決定本塁打インパクトの強さから「奇跡を呼び込む男」ともいわれている
>ちなみに、北川さんは兵庫県伊丹市出身だが、両親が埼玉大宮市に転居したため、埼玉県立大宮東高等学校から日本大学に進んだ。大宮は寄居町 - Wikipediaからみると都会。
原口文仁 - Wikipedia選手の出身地、寄居町 - Wikipedia大里郡。「埼玉県の北西部、東京都心から70km圏に位置。」原口選手は素朴な環境が育んだ人である。東武東上線の終着駅であり電車の乗降客の風情まで変わってくるか不思議である。良いところである!

ということで、金本ー矢野体制は脳内筋肉体質丸出しの故障持ちに配慮しない「明日無き野球」~大阪朝日放送野球中継の中でアナウンサー小縣裕介 - Wikipediaが迂闊にも漏らした率直な感想!~ゴールデンルーキーのはずの高山俊 - Wikipediaが、肘の故障を抱えながら、バンバン使われているのをみてもハッキリわかるように (太もも裏を痛めている39歳福留も常にあてにしている状況) 今後、チーム成績が落ちても自己保身のためにしていくこと必至なので、原口文仁 - Wikipediaは好成績を残せば残すほど、無理遣いされる可能性が大である。
 
最後に、冒頭に記した
「じっくりTV野球観戦するつもりで、PCの画面を開いたが、見るに耐えない映像があったので、すぐに「反俗日記」の記事を書くことに切り替えた」主要因は、原口捕手の捕手としての無駄多い動きである。見るに耐えられない。り切っているのはわかるが、大袈裟なジェスチャーはイラナイ。投球を阻害する。
自分は超変革の対象の若手選手を全く掛け値なしに評価しているので、想い付きのような起用に反対である。
こんなことを1シーズン繰り返しているとチームの骨格が壊れてしまう。
実力主義を貫く中でのピースとして当てはめるべきと考えている。
 
又再三指摘しているように、先発ローテ投手を見学要員としてベンチ入りさせるのは大反対である。実際に疲労蓄積が出てきているのではないか。
25人枠は目いっぱい使うべきで、中継ぎ陣の弱い阪神は、ブルペンの員数を増やすべきである。
現状同じような投手が勝ちパターン追い上げパターン、負けパターンに関係なく使われている。コレでは1年間モタナイ。
2軍の先発ローテ投手を1軍に召し上げても、1軍中継ぎ陣を強化すべきである。
 
70球程度で球威の落ちる岩崎優投手は先発向きではなく、ロングリリーフにすると十分機能する。
1軍に上げられた石崎投手の2軍実績は惨憺たるものであった。基本的のこの投手は、初速の球速ほど終速の威力がない。
板山外野手は2軍の選手の域に完全に留まっている選手である。
40打席で、打率250も話にならないが、2軍の投手相手に四球0とはどういう事?1軍の選手でない証拠である。
総じて若手選手の能力を見極めず、中途半端に起用している状況を、低レベルの野球をしていると忌み嫌うファンの声が、チーム成績ににって証明される、時が刻々と迫っていると考える。
そしてその言い訳と自己保身のために、能力に大きな限界ある若手選手を使い続けるのである。
 
ソレは絵空事阪神、生まれ変わり都市伝説を吹聴することで商売をする関西スポーツ関連マスコミのでたらめな報道に頼るしかないという事に帰着する。
商売目当ての一方向のマスコミ報道が続く限り、ソレに載せられ勘違いするファン層は存在し続ける。
 
しかし、金本矢野らは期待する若手選手の実体をしているので焦りもある。
だから、監督自ら2軍の球場に足を運んで選手を物色するような行動に出る。
ノムラさんの阪神監督時代と、そっくりな行動パターンで、基本的に2軍の指導方針に飽き足りないものを感じているのだ。
 
なお、掛布雅之2軍監督には疑問がわいてきた。
能力以上の期待をかけ、選手が失敗しする失望したなどと云うコメントを出し、マスコミに載る。
ちょっとうまくいくとニコニコ顔、期待に反すると仏頂面丸出しでベンチの真ん中に座っている。喜怒哀楽が激し過ぎる先生が生徒に嫌われるのと同じ理屈で、性格的なものだから治らない。
監督ではなくバッティングコーチ向きなのは金本氏と同じである。
矢野は論外!