W。ツーアウトランナー2塁代走俊足の俊介。打者福留の打球は三遊間ショート定位置より、を緩く抜けていく、当然にも俊介は打った瞬間、スタートを切っている。コリジョンルールに備えて、前進守備の左翼手はゴロに反応し突進して捕球し、土の内野グランドの10mぐらい後方の位置から、バックホーム。
<TV観戦の自分の感覚>
打球方向と速度、走者のスタートを瞬間的判断して、ホームはクロスプレーになるが<セーフ>。
この感覚は、多分、コリジョンルール以前の同じケースのものだろう。
コリジョンルール採用元年の同じケースの外野手の前進守備は、以前よりも数m前にいるのだろう。
TV野球観戦ではこの辺の野球の機微、緊迫感が実感できない。
球場行くと、こういう細かいプレーの積み重ねの勝負のアヤが感覚的に解って、勝った時も負けたときもなんとなく納得できる。野球は球場にいってライブで楽しむスポーツである。
野球現場と直接関係のないイロイロな見当違いの意見が流布されるのも、マスコミが映しているTVスレッドの範囲の映像←別物!を本物の野球と錯覚してアレコレ云う輩が余りにも多すぎるからだ。
コレは一種のバーチャルリアリティ - Wikipediaである。
球場に行けば、個々人の個性的なフォーカスで野球観戦できる。
今日も、3kウォーク、スロープ階段1000段を上下した。身体はだるかったが、止める理由はない。
プロ野球選手は自分にとって皆RIPだ(本質的に1軍、2軍育成も関係ない)。
彼らを批判し論評の対象とする以上、自分のできることはする。
本論は記事の途中から、回り道をする必要があった。
*****
<9回裏、阪神サヨナラゲームの本塁上のクロスプレー>
まず直感したのは、俊介の脚は遅すぎる。(コリジョンルール以前の前進守備の感覚かもしれないが)
2アウト2塁走者はヒットエンドランのようなケースで、アレでは代走に起用される俊足ランナーとしては、中の下程度。
ただし彼には走塁技術がある。
延長戦に試合がもつれこんで、勝ち越した場合の守備固め要員として前田大和は、欠かせない(俊介は外野手)。
さらに大和はここぞというチャンスに向かない選手。何かと失敗が多かった。
自分も大和ならあんなにきわどいタイミングにはならなかったようにも思う。
守備力はメジャー級と云われる大和の方が身体能力が高い。
しかし事が先に挙げた延長戦突入や2アウトの2走者としてのスタート本塁上のクロスプレーなどの際の走塁技術の優劣を考慮すると<俊介>で正解、コレがセオリーだった。
サテ、問題のクロスプレーと球場に詰めかけた阪神ファンの「帰れコール」について。
帰れコールを批判するコメント氏等はこの記事をじっくり読んでもらいたい。
全文引用しなければ本塁上の出来事の真相がわからない。
>ただしソフバン工藤監督の抗議内容を表現した文章の一部は何を指しているのか不明。
まずその個所を上げる。
工藤監督 「コリジョンは捕手だけのものじゃない。走者がどの位置を走ったとかもあるから」 ←W。ベース盤手前で内側を走り過ぎた気配はTV画面から全く感じなれなかった。ほぼ直進しているように見えた
ただし、
>俊介は内側に回り込む必要があった。
>俊介はスピードを落とさず若干内側に回り込む必要があった。
>コレが俊介の走塁技術だ。
以上を念頭に全文引用すると事情が良くわかる。下線強調部分に注目。
「異様な幕切れだった。福留のサヨナラ打に沸く阪神ベンチを横目に、ソフトバンク・工藤監督は審判団にリプレー検証を要求。サファテを除くナインがグラウンドで結果を待っている間、阪神ファンから「帰れコール」が起こり、球場は騒然とした雰囲気に包まれた。
中村晃からのホーム送球はタイミング的にはアウト。
しかし、鶴岡が「コリジョン(衝突)ルール」が適用されるのを念頭に、やや三塁側で捕球したことで追いタッチになってしまった。
リプレー検証の結果、セーフの判定は覆らず、
鶴岡は「おとといのこともあるので立ち位置に迷った。もう少し前に出てタッチすれば良かった」と唇をかんだ。15日のヤクルト戦(神宮)では三塁走者の走路をふさぐ形となったが、タイミングが完全にアウトという観点から“不問”にされていた。
「映像を見て結果が出たので後味が悪いことはない」。
「映像を見て結果が出たので後味が悪いことはない」。
指揮官は淡々と振り返ったが、怒りが収まらないのが4敗目を喫したサファテだ。サヨナラの瞬間にはベースカバーに入っていた本塁後方でグラブを叩きつけたが、その前にも微妙な判定があった。
2死一塁。代走・俊介がカウント2―2から走った。福留のハーフスイングはボール判定で盗塁成功。試合後、サファテは珍しく声を荒らげ「三塁塁審は福留じゃなければスイングを取ったはず。バッターで(判定を)変えるな。ビデオを見て反省してほしい。あれじゃ試合にならない」と不満をぶちまけた。
2年連続の交流戦最高勝率は持ち越しとなり、工藤監督も「三塁ベンチ側から見ていると左打者だからよく見える。審判もしっかり見てほしいとは思いますね」とため息交じりに話した。(田中 貴久)
≪交流戦1位の条件≫交流戦首位のソフトバンクが敗れ2位ロッテが勝ったため、ソフトバンクの1位決定は持ち越し。18日ソフトバンクが阪神に勝つか引き分け、ロッテが巨人に敗れると、ソフトバンクの2年連続6度目の交流戦1位が決まる。」
2年連続の交流戦最高勝率は持ち越しとなり、工藤監督も「三塁ベンチ側から見ていると左打者だからよく見える。審判もしっかり見てほしいとは思いますね」とため息交じりに話した。(田中 貴久)
≪交流戦1位の条件≫交流戦首位のソフトバンクが敗れ2位ロッテが勝ったため、ソフトバンクの1位決定は持ち越し。18日ソフトバンクが阪神に勝つか引き分け、ロッテが巨人に敗れると、ソフトバンクの2年連続6度目の交流戦1位が決まる。」
Wのクロスプレーの感想。
ソフバンは、強くなったが未だに<田舎チーム>。紳士的ではない。
鶴岡捕手は、何処に立って野手の送球を待つべきであったのか。
>このルールを円滑に運用するためには、ルールに明記されていないチーム側の協力、つまり暗黙のチーム側のマニュアルが必要。
>でないといつまでたってもこのルールをめぐってもめごとが起きる。
この問題をめぐる「反俗日記」の記事では大リーグの試合の動画を掲載した。
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<参考資料>その1。
W。3分25秒過ぎの1アウトランナー1塁 3塁で打者のボテボテのショートゴロ。
>ホームタッチアウトを狙うドジャースの捕手の立ち位置に注目!ホームベースの真ん前である。
>コリジョンルール採用以前はその必要ななかった。
↓
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野手からの送球を待つ捕手の立ち位置。
ベース盤の前に立て!をメジャーリーグのチーム側が徹底した。
それによってコリジョンルールをめぐる混乱を鎮静化した。
審判側の恣意性の問題だけではなく、半分はチーム側の協力がいる。
コリジョン(衝突防止)ルール実施を前提にして、
プロ野球のエンターテイメント性を維持しるためには、コレ以外の方法はない。
であれば、後発の日本プロ野球は、メジャーリーグの衝突防止ルール元年と、翌年のチーム側の簡潔でリアルな対処マニュアルを見習うべきで、審判団の恣意性 云々もあるが、有力チームが率先して、簡潔なコリジョンルールへの対処法=捕手はベース盤の前で捕球態勢を取れ!をマニュアル化すべきだったのである。
<他山の石とすべき明らかなメジャーリーグの2年間の結果>が展示されているのだから、自主的な意思さえあれば実行できたことである。
*****
日米の事情の違いを基に
>なんとなくグレイゾーンにしたまま、米国ほど問題多発がないまま、日本的環境を落ちしどころにコリジョンルール採用がうやむやになって、何年か経て元通りに修正されていく事態が、
>グローバリズムの下でコレで適切な対応かどうかの問題がある。
>が、日本は野球にかぎらず、米国流の制度を採用するときに今までグレイゾーンを作って、年月を経て、日本流を落とし所にしてきた。
>ところが、グローバリズムが深化するほどに日本内外の実情が違ってきた。
世界の実情は十分知り難いが、日本の最先端の支配的な政治、経済は米国流儀にショートカットするようになって、途中の日本流儀への返還の手間を省くようになった。
ハマスタ「市民」~あくまでも「 」付き市民で実際は地元中小零細企業<港湾関係多い>だと想う~は南場のおばはんの、撒き餌→餌付→パブロフのイヌ状態という参入前から企画していた高等戦術に騙されたのである。
コレによってワタミ規模のDeNaは年間12億円の投資(札幌ロドームの場面転換の構造問題を抱える日ハム27億)を相殺するどころか球団のためとか何かと理由をつけて資産を取り崩すことができるようになったのである。
という日本プロ野球界を含めた日本内外を取り巻く現実を直視すると、本塁上のクロスプレーをめぐる本質論を持ち出し、事態を日本流にいつの間にやら修正する流儀はファンを愚鈍のまま放置するいつもの手口であり、
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参考資料その1。
当時の阪神電鉄グループは村上ファンドに500億円の預金(阪神大震災による被害を転換社債発行で修復しようとした)をかすめ取られ、1兆数1千億円の有利子負債を抱える阪急グループと統合することで公開株式購入をせざる得なかった実情(現状、ホールディングスの有利子負債は9000億円規模に圧縮)
を根拠に
当分の期間、グループ内高収益部門のエンターテイメントスポーツ部門~宝塚歌劇団、東宝、大規模劇場などイロイロ~の阪神タイガースへの大型設備投資は手控えられるという、これまでの同企業の基本動向から観察できる真相である。
>と云う事は、どうしても、カネのかからない共同政治幻想で大きなファン層を引くつけておく必要が生じる。かなり無理が生じるのは当然のことであり、墓穴を掘っているが、
同じチーム人事ならば、もっと地道な方法はあった。目先にとらわれ、先を急ぎ過ぎた。
岡田影布さんの再登板で育成はできないことはなかったし、その方がチーム成績も上がった。
>超変革のキャッチコピーはチーム人事が現出する深層心理はホールディングスの財務にある。
参考資料その2。
ココからもカネをかけない超変革都市伝説流布の必然性が導き出される。
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ソフバンのチーム関連多額設備投資も、同じ路線である~本当の中身が伴っていないのは本論が示すとおりである~
21世紀の代表的商品は<情報>と云う言説がある。
そしてIT金融企業が球団を所有すると、簡単にリーグ優勝日本一に到達している。
基本的にIT金融企業の固定資本率は低い。と云う事は収益性がとんでもなく高く簡単に金もうけできるという事で、球団への投資もお手軽に決済できる(楽天で700億円~800億円)。創業者ならポケットマネー程度でどうにでもなる。
********
プロ野球ファンは、コレを機会に突き放した意見を持たなければならないと考える。そうしなければ良いように利用される。
プロ的スポーツはますます、国民統治のアイテムになっていく宿命にあり、事はあまりにも政治的に提出されていくのである。
鶴岡捕手の発言の強調部分。
もう少し前に出てタッチすれば良かった」
鶴岡捕手の送球を待つ位置はベース盤の後方であったことはTV画面からはっきりと確認できた。
コリジョンルール上、ベース盤の前に立とうが後ろに立とうが、走路妨害位置にいないのだから問題はない。
がしかし、コリジョンルールのホームベースのクロスプレーのあらゆるケースを想定するとベース盤の前に立つ方が合理的で問題も起こりにくい。
元来ひねくれ者のWは、送球を待つソフバン捕手のベース盤後方の立ち位置と、その後の工藤監督の抗議を受けて、
確かにその方がベース盤の前にいるよりも、<追いタッチ>の確率は下がる。
しかし、ベース盤の後方で捕球するとイロイロな障害が発生する(一々指摘しない)。
鶴岡はレギュラー捕手である。
2軍の育成選手、DHなどにも起用されていた阪神原口捕手の1軍昇格後のコリジョンルールに協力するベース盤前の捕球態勢ができなかった事態とは別の次元の問題で、ソフバンは<追いタッチ≫になる不利承知のベース盤前の捕球態勢をレギュラー捕手に周知徹底しないで、勝ち星を重ねてきたのである。
ソレでベース盤の後ろにいても<追いタッチ>セーフの誰が見ても明らかな、サヨナラの判定に監督は抗議に出向いてビデオテープ判定にとなった。
野球はしょせん娯楽の面がある。
勝てば良いというだけはない。監督抗議の必要のないシーンでシャシャリ出ていくから、訳のわからない「「コリジョンは捕手だけのものじゃない。走者がどの位置を走ったとかもあるから」
などといちゃもんをつける必要があった。
などといちゃもんをつける必要があった。
そんなことよりも、レギュラー捕手にベース盤の前で捕球態勢をとるように徹底できていない方が問題である。
ましてや、福留のハーフスイングはボール判定で盗塁成功。試合後、サファテは珍しく声を荒らげ「三塁塁審は福留じゃなければスイングを取ったはず ←W。ハーフスイングで三振だったとサファテは云いたいのだろうが、結局、ヒットにされ、サヨナラも事実。野球ってそんなものじゃないだろうか。勝ち過ぎて天狗になっている!~~以下の部分はボールストライクレベルの審判の判定であり、見っとも無い。勝ち星に相応しくない。
Wのようにルールの抜け道を探していたのだ、などと邪推し、所詮、田舎チームなどと侮るものも出てくる。
ロッテの対ソフバン成績も良くない。(3勝 7敗)
***
9人制野球と変則10人制野球では長く続けていると、投打の相乗効果だけではなく、チームの総合力に格差が発生する。
この試合のTV解説をした阪神元監督真弓は長々とDH制がもたらす効果を説明していたが、その説明は、投打の相乗効果に限ったものにすぎなかった。
引用
2004年 ア・リーグの127勝125敗
2005年 ア・リーグの136勝116敗
2006年 ア・リーグの154勝98敗
2007年 ア・リーグの137勝115敗
2008年 ア・リーグの149勝103敗
2009年 ア・リーグの138勝114敗
2010年 ア・リーグの134勝118敗
2011年 ア・リーグの131勝121敗
2012年 ア・リーグの142勝110敗
2005年 ア・リーグの136勝116敗
2006年 ア・リーグの154勝98敗
2007年 ア・リーグの137勝115敗
2008年 ア・リーグの149勝103敗
2009年 ア・リーグの138勝114敗
2010年 ア・リーグの134勝118敗
2011年 ア・リーグの131勝121敗
2012年 ア・リーグの142勝110敗
*DHありなしがかなり戦力差や試合結果に影響するんだと思う
W。ワールドシリーズのア所属球団 ナ所属球団の対戦成績も、ほぼ同じような結果が出ている。
W。戦力差とは投打に限ったことではない。
例えばバント、走塁技術も変則10人制野球では実戦の中で磨かれる。
選手の育成にも影響していると思われるのでことは深刻だ(プロ野球チームの基礎の問題~イ、ウ両リーグはDH制採用~)。
DHアリとなしの野球では、同じ野球をやっていないと気づくべきだ。
メジャーリーグを頂点とするシステムと比較して、野球環境の劣る日本プロ野球では、9人制野球と変則10人制野球の格差の拡大する傾向はもっと速く進む。小さな器の中で戦っている者同士の片方が最新鋭の武器を携帯していろと仮定すると、一端劣勢に立たされた方は逃げ場がないので、一気に殲滅される。
日本プロ野球はア、ナ大リーグよりも、先にDH制有無の問題を解決すべきだ。
方法は数通りしかない。
A)DH制採用をセ、パ隔年にする。
B)セパ止めてしまう。
*A、BはWBC、プレミア12の国際大会がDH制を採用している、という制限がある。
C)セ、パDH制採用
*狭い球場を3球場~神宮、ハマスタ、東京ドーム~も抱えるセでDH制を続けると、野球の質が様変わりしてしまうと想う。パDH制のような投打を軸とする相乗効果は生まれず、打者優位が続き、投手の故障者が続発するのではないか。
D)1リーグ制DH制採用。CSを併用すれば、何とかなる。
*いづれにしても、将来展望のない能力の低い若手選手が入れ替わり立ち替わりでも、ナントカ開幕以降2か月以上、5割ラインをキープできたなどというレベルの低い野球には疑問を感じる。
*******
監督就任前の解説者時代の真弓、金本、両氏には同じようなトロイ徴候がうかがえた。
何よりも、アナウンサーとのコンビネーションができていなかった。
真弓に至ってはアナウンサーの質問を聞き逃すほどで、同じ質問を二回もしなければならない事態が再三だった。戦況没入型、視界が狭いということだ。
コレによって統率力やマネージメント能力の不足がうかがえるのである。
**
その点、ソフバン工藤の口八丁手八丁振りは、解説者時代から際立っており、監督の素養は衆目一致するところだった。彼の野球人生には理論と実行の裏付けがキチンとあった。
>だからこその現在のソフバン躍進もあると云えるのだから、
>「王者」に相応しい<けじめ>を監督自ら率先した方が良い。
その方が強さが輝くし、真に強くなる。
V9時代の川上監督は、あんな事態を自ら演出しなかったヨ。
なお、帰れコールをした阪神ファンに対して民度なる奇妙きてれつな用語をもちだしての批判コメントが多数あるが、9回裏サヨナラ後のソフバンに対して「帰れコール」は球場ライブ観戦の観衆の反応としては、間違いではない。
なお、マナー、服装云々の学校の風委員の様な言説は論じるに値しない。個々人の嗜好の問題に過ぎない。アレコレ敢えて云う感性を疑う。幼稚な意見である。
まず、民度なる訳のわからない用語を持ち出す政治次元の低さを恥じよ!ソレはいかなる尺度なのかハッキリせよ!
生観戦していると、9回裏サヨナラのソフバンの明らかな不当性が、直感で来たのである。
TV観戦では、そこまでのリアルな直観は生まれない。
球場のファンが集団行動に対して、以前から批判的な意見を持っていたが、場合場合で良し悪しを判断する。
悪いものは悪いと直接行動に移すことが正しいときも、9回裏の事態に民度を持ち出し批判する人たちが想う以上に大きい!
>云うところの民度なるものも、そういうところから発進していったのではなかろうか?
「帰れコール」を安易に否定すると民度は上がらないヨ。
ソレは民主政の原点の一つだ。市民革命はそういう次元から発した。残念ながら日本にはその時期がなかった。
米軍事力による日本軍一掃が、市民革命にとって代わられたのだ。
~~~
故にコメント氏等は「帰れコール」を安易に否定できるのだ。
帰れコールの観衆の方に民主政の原点があって、安易に否定する人たちは、付加体日本列島原住民にすぎない己の実情を知らないだけである。
<追記>
一方で、あんなにたくさんに人たちが、(負ける要素の多い)毎試合ごとに甲子園球場に詰めかけている、現実を前にして、謙虚であらねば、とも想う。
ファンの動態について批判があれば、球場に足を向けなければ良いだけの事で、実際に観衆の多い甲子園球場の公式戦にはここ10数年入ったことがない。甲子園の高校野球は偶に生観戦する。観衆の少ないOP戦は偶に出向くがその場合、相手チームのファンの入る観客席に座ることに決めている。
TV野球観戦には写している景色がマスコミ任せの大きな限界がある。
民主政の多数決原理の原点は古代ギリシア、アテネのプリニュスの丘に集まったデモスたちの直接民主政の時代からあった。政治軍事指導者は厳しい批判の目にさらされ、時には戦場の英雄の将軍に掟破りの罪で死刑宣告がなされた。
市民革命以後、発達した資本制においては、資本と労働力商品の等価交換の擬制から、個人の決断と実行が決定的な意味を持たされている(ソレを鵜呑みにはしない。人間は弱い)。
が、しかし。ココは日本である。
他方、集団行動をとっているファンが多数派であり、彼らにも楽しむ権利がある。ココは日本、欧米とは違う。
ソレを嫌がるのならば球場に足を向けければよいだけのことだ。
阪神ファンは全国規模で存在している。
負けることが多いチームと、矛盾の多い球団と応援しているのはフォン歴を少し重ねるとだれしも実感することである。
しかし実に多くの阪神ファンが全国にいる。
散らばっているのか所々に群れをなしているのかよくわからないが、阪神タイガースには全国規模の観客動員力がある。
コレに類似した持続している「社会現象」?があれば指摘して欲しい。次第に希少になってきているのではないか。
その数も多かったし、結束力と元気もあった。
野球少年だった子供のころ、TV中継の巨人戦を応援していたとき、背後の父親から「強いものを応援してそんなに楽しいのか」と突然言われて、ハッと我に返ったことがあった。
>少数派も許容され、多数、多様性、全国性もある(普遍性があるとまでは云わないが、ソレに近づけるアイテムである。)阪神タイガースファンの中にしか自分の居場所がなかった。
阪神ファンの基底的パターンはチームが強いから、勝つから応援しているのではない。
基底的パターンのファン層の個々を取り上げると、みんな応援するにいたった自分史を持っている。
しかし、それだけでは年月を経て応援し続けることができない。
ましてや1年の多数の貴重な日々を割いて球場に出向いて阪神タイガースを応援することは、並大抵のことではない。コレは金銭的精神衛生的に厳しい現実である。
何らかの自己暗示と云うかパフォーマンスを通じて、この難事を成し遂げなければならないのは、人間精神の異常性ではなく、正常な反応である。
また、弱くて問題の多いものを応援するヒトが一杯いることは世の中の均衡を保つ意味でも、歓迎すべき社会現象である。歴史的に見て、民主政が危うくなるときは、こういう人たちが社会の片隅に追いやられるときだ。
球場で阪神を応援するのは異次元空間に身を置く行為である。
日常から非日常に飛躍するとき、なのだ。
球場を非日常の<ハレのパフォーマンスの舞台>にする人が一杯出現するのは、必至の現象だ。
正確にいえば、全国の阪神ファンは少数派であり続ける宿命を背負っている。繰り返しになるが、球場まで毎度のごとく詰めかけるのは、並大抵の行為でない。
少数の特殊性を持続するためには通過儀礼が必要なのである。
歴史上、民衆の祝祭日の空間には一種の行き過ぎは常に伴っていて、ソレが政治行動に転化することを恐れて為政者は統制下に置こうとしてきた。
現在も本質的に同じだ。観衆であれ群衆であれ、統制下に置いた上で、観衆と群衆に自己規制を要求する。まるでワンパターンである。
そこにはマナーなどと云う次元を超えた政治次元の問題が潜在している。
自己規制と云おうが自主規制と云おうが、続けているうちに民衆の感性は飼いならされ従順が当たり前になる。
><帰れコール>は昔の阪神タイガースファンの叫びがワンパターン応援からむき出しにされ蘇ったときであった。
9回裏のホームベース上の出来事と切り離して阪神ファン固有の現象を俎上に、もっともらしいことを云うのは、間違っている。
帰れコールは少なくともセーフなんだという有りのままの事実に基づいている。
ソレを踏まえて、「反俗日記」の記事は、コリジョンルールを円滑に運用するためにチーム側の協力が必要として~煎じつめると捕手はベース盤の前で捕球態勢を取れ!~、鶴岡の立ち位置を勝ち星を積み重ねてきたソフバンに相応しくない、抗議は不当であると、問題にしている。
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そういえば球場の入り口で手荷物検査を厳重にやる球団があったっけ。身体検索まではしなかったが。
それなりの入場料を払ってわざわざ侮辱されに行くように感じた。そこまでして試合を見せる球団ではなかった。
大きな勘違いか、何でそこまでしなければならないのか、イロイロ勘繰ってしまう。
そこに米国にショートカットする日本の最先端をみる。
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JRA中央競馬会のビッグレースではいつも間にやら、訳の分らん歌手もどきがしゃしゃり出ての国歌斉唱が慣行になっている。国営賭博と国歌斉唱!笑えるが、腹立たしい組み合わせだ。馬券など買うものか!
そして、この前はファンに皆さまご起立願いますときたもんだ。遂に大相撲化か?増長するのいい加減にしろと云いたい。
レーススタート前に若者を中心に大観衆が手拍子を合わせて歓声を上げる、などと云う世界に類をみないみっともない光景~音に敏感なサラブレッド競技にはあってはならない光景~が出現する経過を目の当たりにしてきたものとしては、それらすべての事態がワンパックになった、観衆(群衆)飼いならしの管理された光景に映る。
「帰れコール」はそうした大きな時代の流れに抗するものであると直感する。