反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

「人と比較せず自分の中で少し頑張る」

 「人と比較せず自分の中で少し頑張る」
イチローが野球少年に送った人生訓。 Number Web  http://number.bunshun.jp/articles/-/827372?utm_source=headline.yahoo.co.jp&utm_medium=referral&utm_campaign=directLink  笹田幸嗣 
posted2017/02/02 11:30
 
「Number Web  ホームページは http://number.bunshun.jp/ 」
 
イチロー自らが大会長を務める「イチロー杯争奪学童軟式野球」は、2016年末に21回目の大会を迎えた。
 未来の野球界を背負う学童たちに、勝つことの喜び、負けることの悔しさ、また、野球というスポーツが持つ様々な要素を体験してもらい、そこから多くを学んで欲しい――。
 大会長にはそんな強い思いがある。
 だからこそ、閉会式には自らが毎年足を運び、学童の目線に立ちメッセージを贈る。メジャーの世界でも最高峰の立場に上り詰めた実体験から発せられる言葉の重みと説得力は、まごうことなき金言である。」
 
   イチローは人の2倍も3倍も努力したわけではない!?
2016年12月23日。
 愛知県西春日井郡豊山町で行われた閉会式には、同大会からプロ野球選手となったDeNAの関根大気外野手(21歳)も駆けつけたが、その際のイチローのスピーチは学童だけでなく、性別に関係なく、野球好きか否かにも関わらず、幅広い世代の人間の胸に訴えかけるメッセージであった。
 以下はオフィシャルサイトから引用した言葉となるが、ひとつひとつの言葉に意味があると感じるので、少し長くなるがお付き合いいただきたい。
「みなさん、こんにちは!(声が)小さい……。
 こんにちは!!
 ここにいる3チームのみんな、本当におめでとう。199チームの中から、3チームに残ったこと、勝ち上がったこと、本当に凄いと思います。僕は(ナ・リーグ東地区)5チームの中で今年も3位でした。
 今年の僕がみんなにかけてあげられる言葉を少し探してみました。
 今年メジャーリーグで3000というヒットを達成することができました。こういうことがあると、たくさんの人から褒めてもらえます。
 そして、イチローは人の2倍も3倍も頑張っていると言う人が結構います。でも、そんなことは全くありません」
 
     「人との比較ではなくて、自分の中で少し頑張った」
「人の2倍とか3倍頑張ることってできないよね。みんなも頑張っているからわかると思うんだけど。頑張るとしたら自分の限界……自分の限界って自分で分かるよね。
 その時に自分の中でもう少しだけ頑張ってみる。ということを重ねていってほしいな、というふうに思います。
 みんなが今、僕を目の前にして……日本のプロ野球で何年かやってアメリカに行って16年終わったんだけども、そういう目に見える結果を残したからそんなふうに言えるんじゃないかって思っているかもしれないけど、それは全く違っていて、僕もみんなと同じように野球少年だったし、ここに今日来てくれた関根選手もみんなと同じ。しかも彼は毎年、1回戦負けの選手でした。ね? みんなの方が成績がいいんだよ。現段階では。
 彼もきっと人との比較ではなくて、自分の中でちょっとだけ頑張った。そのことを続けていくと、将来、思ってもいなかった自分になっている。と僕は思うし、実際、僕だってメジャーリーガーになれると思っていなかったし、アメリカで3000本打てるなんてことは全く想像が当時できなかったんだけど、今言ったように、自分の中でちょっとだけ頑張ってきた。
 それを重ねてきたことで、今現在(の自分)になれたと実感しているので、今日はこの言葉をみんなに伝えたいと思います」


http://radiko.jp/#!/live/CRK
W。ラジオより有線がやっぱり良い音が出る。音源のレコード盤のまろやかで奥の深い音が聴こえている。
オトナのムードあふれるJAZZ番組。
◆パーソナリティ◆ 島崎保彦・阿里耶

2月5日(日)
NHK第二
 21:00 文化講演会「人類学の挑戦」山極寿一
 世界の人々が「戦争」をする その攻撃性の起源はどこにあるのか?
マツオカソウヤ
「進化の過程で大事だった道具はいつ?
道具が狩猟に使われるようになったのは、わずか50万年ほど前です。最初は殺傷力の弱い、槍(やり)のようなものです。大規模な狩猟が始まるのは、現代人になってからで、20万年前をさかのぼらないわけですね。
 狩猟能力が、武器によってあっという間に進化したのは確かでしょう。
 
 でも、人間同士が戦いを起こすには、さらに時間が必要でした。人間が武器を使って集団で戦い合った証拠は、せいぜい1万年ほど前でしか見つかっていません
 
Wの記事で繰り返し、主張している氷河期の過酷な環境で現代人の基本設計終了!人類史上からみた、現代の激烈な新生事物の出現にDNA的不適応と同類、主張である。
 
これは人類が狩猟から、自ら食料を生産し、それを貯蔵して食べるという時代(Wなぜそうしなければならなかったのか?厳しい環境がそういう選択をさせたのだ!)、定住して自分たちの土地を持つという時代になってからです。
 
    危機で家族と共同体という社会性が形成された
なぜ集団間の戦争に至る能力が、人間に高まったのか。大前提は、共感という能力ではないかと思っています。人間の家族は、共感によって作られています。(W共同幻想の絆)また、家族は単独ではあり得ず、複数が集まって共同体を作ります。それはどんな狩猟採集民でもそうです。複数の家族が集まり、共同体を作ることが、生きるために欠かせないわけです。
 
しかし、ゴリラもチンパンジーも、どちらかなんですね。ゴリラは一夫多妻家族的な集団を作って、共同体がない
 
チンパンジー複数のオスとメスが含まれる数十頭の集団がある。でも、その中に家族はありません
 
 
なぜなら、家族と共同体は相反する原理でできています
 
家族は、親は自分の子どもが誰よりも可愛く、子どもは親が誰よりも大切というのが原則。
依怙贔屓(えこひいき)が当たり前の集団なんですね。だから何かあげても、お返しを期待しないでいい。
 
>しかし、同体は互酬性が当たり前です。
何かあげればお返しが来るし、何かしてもらえばお返ししなければならないと思う。そういう心でつながっているわけです。
それは同じような共感ですが、原理が違う
人間はうまく両立させながら、生きてきたのです。
 
なぜ、そんな変な集団を作ったのか。ゴリラかチンパンジーのような集団でよかったのではないか。ここが問題で、実はそれではやっていけない事態が起こりました。人間が熱帯雨林を出て、樹木のない土地へと足を伸ばしたからです。
 
W。ホッブス的な本源的危機管理を国家に求める原理よりもっともっと遡った動物次元の原理。
       ↓
熱帯雨林は年中緑があって、豊富な食料がある。樹木の上なら地上の大型肉食獣から逃れて安全な場所で休める。
 でも、熱帯雨林を離れると、食料はまばらに分散し、乾期になるとなかなか得られない。だから、遠くまで足を運ばないと必要な食料が得られないわけです。また、地上の大型肉食獣にも狙われる。
 
W、家族単位と共同体単位の行動が機動的フレキシブルであったと云うことだ。
       ↓
食料と安全性という点から非常に不利です。だから、食料を集めるためには、能力が近い小さな集団で動かなければならなかっただろうし、安全という面では、大きな集団のたくさんの目で警戒しなければならなかったでしょう。
 
この二つの相反する課題を乗り越えるために、人間は結論から言えば、家族と、複数の家族が集まる共同体を作らざるを得なかったわけです。しかも、これは基本的には子育ての集団でもあります。
 
  お互いが守る役割を持ち、各自で分担を行うように
恐らく、サバンナに出てきた人間は肉食獣に子どもを狙われ、たくさんの子どもを失った。そのため、子どもを増やさなければならず、授乳期や出産間隔を短くして、多産になったわけです。なおかつ、人間の赤ちゃんはなかなか成長しませんから、お母さん1人では育てられなくなった。複数の家族が集って、育児集団を作らなければならなかったわけです。
 
Wの付加体日本列島原住民論に論拠を与える様な言説。
     ↓
 そうすると、いろんな分担をするようになる。食料をとりに行くもの、集団を守るもの、育児をするもの、居住条件を整えるもの、というように。そうしながら、自分の子どもに対して与えていた共感能力を、子ども以外の大人や他集団にも向けながら、生活力を高めていったはずです。複数の家族を含む共同体ができあがる時点で、人間は相当に高い共感能力を備えていたはずです。
 
こうした高い共感能力に加え、さらにいくつかの契機が重なったと僕は思います。具体的に言えば、一つは言葉。言葉は、時間と空間を越える能力を持っています。自分が体験していないことを誰かに伝え、それを自分のことのように思い込むことができる。比喩もできる。そういうことによって、想像力が生まれ、それまでとは比べものにならないぐらい高められた。
 
  余裕ができるようになると定住生活をするように
次に定住生活。それまでは狩猟採集で移動生活を送ってきたわけです。移動するため、持ち物が限られ、自分の所有物にしてしまうと、持って歩かなくてはならなくなる。だから、ほかの人たちとの共有が当たり前になる。
 また、獲物を追って移動するわけですから、集団の大きさや密度が限られてくる。集団同士、個人同士の出会う頻度が少なく、所有物が個人に帰されるものでなければ争いはあまり起きません。しかも、争いが起きたら離れ合ってしまえばいい。実際、現代の狩猟採集民はそういう解決の仕方をしています。
 しかし、あるときから定住生活が始まった。土地に投資し、そこで食料を蓄え、環境が悪くなった時期を耐えることの方が、移動生活より有利な時代がたぶんやってきたんだと思います。
 
 
  W、コメント。付加体日本列島原住民はテリトリー意識が過剰、動物本能次元である。沸点低過ぎで、ワンクリックすると我を忘れて沸騰する、為政者として最高の自己防衛の存在!
 
1万数千年前ごろから、だんだんと多くの人が定住するようになりました。そうすると、農耕は水場の権利や肥沃(ひよく)な土地が大切ですから、そういったものをめぐり、集団が住む土地の間に境界がひかれるようになる。こうした境界などが、争いのきっかけになったと思います。
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なおかつ重要なのが、
集団の規模を保つために、死者にそのルーツを求め、死者を仲間に加え始めたことです
現代の狩猟採集民は墓を作りません
 
墓は、祖先によってこの土地は守られているという考え、その土地の権利を自分たちで主張する標識にもなります。
 
人と人との結束を強めるためにも、祖先は必要です。
ほとんど会ったことがなくても、祖先が同じだということで家族のように付き合える。祖先という目印をもとに、互いに助け合い、敵に立ち向かうという精神が育まれるわけです。
 
      自然界に敵がいなくなってしまった最後のほこさきを人間自身に向ける
共感能力は本来、人間の協力を高め、一つの行動に向かわせるために利用されてきました。
 
それが、言葉、定住生活、死者によって爆発的に高められ、共同体を脅かす敵に対し、一斉に向けられるようになったと僕は思っています。
 しかし、自然界にもう人間の敵はいなくなってしまった。つまり、人間は自分たちの生活を拡大するために、今度は人間自身を敵にしてしまった。