反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

第1回。1)日米経済関係のモノとカネの流れを一体的に大掴みする。2)、「上方へ抜けていく空洞化」最大の輸出品目であり続ける自動車産業の現状と米国バブル崩壊前後の動向比較。~脱線<このクニのカタチ>~

記事2017/2/1(水) 午後 4:32の文中で気になること、知らないこと、を調べる糸口を見つけた。
複数の重要ポイントがあり、各々が深堀しなければ納得できない内容なので(以前の記事内容の忘却、もあるがコピペに終わり解っていなかった)連載することにした
•各々の項目にキーワードをみつけて全体像を掴みしたい。
 
重要点は次の通り
 
1)日米(結局は世界経済)経済関係におけるモノとカネの流れを一体的に大掴みする。
 
冷泉さんの記事はコラムという限界から、今現在の自動車産業に典型的な日本特殊の<上方に抜けていく産業空洞化>を、日米間のカネの流れ~米国株式市場の主導する日本の<円安ー株高>構造だけに絞っているが、この問題は非常に根深い。
*アベ金融財政政策は小泉政権の<財政緊縮、金融緩和 円安誘導政策>を政策選択肢の狭まった日本内外の政治経済環境に破行的適応したものである。(2020年五輪以降一気に問題露呈。支配層も予知しているので、予防的な政治体制を構築しようとしている~戦前の日本ファシズム規定は間違いで、既存の半封建的軍事的統治機構のなし崩しの予防軍事化であり、
この政治体制の変態は、新自由主義支配層と、その積極的支持基盤=新自由主義大衆という形<このクニのかたち>で繰り返される。
 現状、日銀マイナス金利政策にもかかわらず、国内投資に向かわず、円は日本から海外に流れていく。
この方面の問題は、過去記事で繰り返し取り上げてきたが、もっとも立体的な把握ができているのは、中央官僚と専門家の報告書、研究文である。かれらには必要な数値を握っており、現場の事情にも精通し、チームで時間をかけて立体的な構造を問題にする目的意識がある。
「日記」重要論集はこの方面の記事が多いが、コピペ主体の記事で本人の理解の足りないまま、記事の載せていたことが多く、引っ張り出して読み込まなければならない。
時間、労力がかかり、すぐには記事にできない。
ネット上のショートな記事を参考にするより、「反俗日記」が中途半端な理解のまま載せた専門家論文のコピペを読み込んだ方が、自分は納得できる。
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2)上記のコラムで、米国バブル崩壊以降の日本の自動車産業の現状を、「上方へ抜けていく空洞化」の重要キーワードで表しているが、
>「上方へ抜けていく空洞化をリアルに掴むためには
>最大の輸出品目であり続ける自動車産業の現状と米国バブル崩壊前後の動向をリアルに比較しておく必要がある。
 

     <このクニのカタチ>
参考資料①
「~~とくに戦争体験のある司馬においては、45歳をすぎるころから、日本を左右する出来事や言動がしだいにのっぴきならないものになっていた。こういう人は、歴史を学んでいるのではなく、歴史観をつくろうとしているのでもなく(よく司馬史観などといわれるが、こんなものじゃなかった)、はなっから歴史に生きている。
ぼくは、こういう日本人には、むしろ小説よりも、司馬の赤裸々の歴史語りを読んだほうがいいと思っている。
司馬はあんなにも大作を書きながらも、場面主義なのである。3分、5分、1時間の場面に、歴史的現在の渦中にいる人間がどのように臨んだか、そこを書いてきた人だった。それがつながって大河小説になっていただけだった。W。この帰納法的散文主義こそ日本人思考パターンの特徴。「反俗日記」はその典型で、またまた、本題からそれて寄り道している
 
松岡引用
「しかし、ついに観念したのか、その司馬が晩年極まって、「文藝春秋」に6年にわたって歴史語りを書いた。大半の課題を小説になしてきた司馬が、ついに赤裸々の寸前に至ったのである。
 それが『この国のかたち』である。
なぜ司馬においては歴史が生きていたのかを覗いてみたい。
 
 
    キーワードは「異胎」。
司馬遼太郎は自分が軍服を着て、同期生とともに中隊に属していたという自分の実人生史そのものを引きずることを、いっときも忘れなかった人だった。ことに軍服を着ていた戦前の日本が「異胎」の時代にあったということを引きずった。
 
W。以下は「反俗日記」の司馬遼太郎論の核心でもある。
 松岡正剛 引用       ↓
 「その「異胎」は、統帥権についての異様な解釈が、昭和日本に罷り通ったことによって成立していた。
 ところが、司馬はこの「異胎の時代」をついに小説にしなかった。半藤一利によると、いっときはノモンハン事件を舞台とした作品を構想したようだが、挫折したらしい。司馬自身は「ノモンハン事件のようなバカバカしい事件をおこす昭和前期国家の本質がわからなければ、この作品は書けない。その錠前をカチンと開ける鍵を手作りでつくりたい。しかし、それがつくれないままなのだ」と弁明した。」
すでに多くの評者たちが「書けなかったからだ」という意見をのべている。しかし、書けなかったのならなおさらのこと、ぼくは司馬を書けなくさせた「異胎」のところで、いま日本人の多くが本気の立ち往生してもいいように思うのだ。
W。戦前日本社会経済の体制ひとくくりにして問題にすれば、半封建的軍事的統治機構の内外状況に先行する予防的警察軍事化と簡潔に表現できる。(天才的場面主義の歴史小説司馬遼太郎は、こう云う表現方法を用いなければ思考が前に進まない、という壁にぶち当たった。丸山真男的フォーカス、左翼的フォーカスを用いなければ状況を的確に把握できない、ところに立ち止まり、結局は生粋の大阪人らしくリアルな技術の遅れを指摘し説明しようとした。司馬の1930年代論の客観的歴史叙述は前記3者のミックスである。その点で彼は歴史を前にして誠実であった。この側面があるので、司馬ファンの広がりは大きい。
 
日本ではムッソリーニの黒シャツ党もヒットラーナチス党も必要ではなかった、というよりも欧米的な政治内容での民主主義政治が希薄だったので、民間反革命政党が階層間の戦いの渦中から主導権を握る政治環境はなかった。
その場合、支配層の基本動向から状況を的確に表す政治概念の両方からの分析することが、多くの歴史家に認知された方法である。
金融資本のテロ独裁とソレに呼応する国民層(小市民層が積極的に支持行動。
 
いま、米国から発信されるトランプ、ファシズム規定は、米国におけるその分野の理論的蓄積の貧困によってもたらされたものであり、日本の側がそのまま真に受けるの間違いで、トランプ政治は新自由主義政治の一形態であり、積極的支持層は<新自由主義大衆>である。
日本のアベ政治も日米の歴史の差異(付加体列島原住民と市民革命なき民主制度の関係)に踏まえなければならないが、新自由主義政治の一変形であり、支持層は新自由主義大衆である。
(内外状況への統治機構のなし崩し予防政治体制構築がキーポイント)。民主制の意匠は変わってきた。
 
>という事で、松岡の「そもそも明治憲法は、三権が分立しているという意味では十分に近代憲法になりえているものだった。」のそもそもが大間違い
国家基本法憲法なる日本語概念を適用しかさ上げしているが、あくまでも付加体列島原住民の<まつりごと>の意匠にすぎない)と成立前後の政治経済環境と法的形式、運用実体が、日本のように甚だしくかけ離れている場合がある。
 
松岡に戻る
「では「異胎」とは何なのか。
 そもそも明治憲法は、三権が分立しているという意味では十分に近代憲法になりえているものだった。軍の統帥権は形式的ながら、三権とともに天皇がもっていた。」
         ↑
W。ドイツ帝国憲法も皇帝に権限集中してたが、政治代行者ビスマルクの成功とその後の皇帝直轄政治の破たんから第一次世界戦争敗戦、ワイマール憲法(日本でいえば大正デモクラシーの表層文化。ワイマール憲法体制は表層ではなく実行主体の争闘を伴っていた)へと至るリアル歴史のフォーカスからいえば、「そもそも明治憲法は、三権が分立しているという意味では十分に近代憲法になりえているものだった」は明治憲法は絵にかいた餅にすぎなかった、という証左でしかない。明治維新天皇の果たした役割はイタリア国王のケースと比較的似ており、歴史の推移からもドイツコースは別モノとわかる。
 
国家基本法憲法なる日本語概念を適用しかさ上げしているが、あくまでも付加体列島原住民の<まつりごと>の意匠にすぎない)と成立前後の政治経済環境(明治維新や敗戦)と運用実体(下層封建軍事貴族や宮廷+一部官僚層、「復活した」大正デモ知識人)が、日本のように甚だしくかけ離れている場合がある。
 
松岡引用
「この帷幄上奏権に加えて、明治憲法においても天皇は「無答責」にあったから、これで軍部は勝手に戦争に邁進していった。それどころか、作戦も何もかもにおいて、日本の政治家と官僚は天皇をカサに利用するようになった。
W。ことさら論う程のことではなかった。
国民の民主運動の担保が欠如し、国民過半は追随していたのから、普通の成り行きで、天皇周囲の明治以降、日本資本主義の原始的蓄積を保障した軍事官僚の権益が増大した。
 
松岡引用
 これが「異胎」の時代なのである。司馬遼太郎はこの時代を自分が生きていたことに異和感をおぼえ、そこには「日本」がないのではないかと感じた。(W。明治憲法三権分立の近代憲法の文脈は司馬遼太郎たちの良く使う論法)」
 
それがのっぴきならないところまで逼迫したのが、1840年アヘン戦争である。
一部の藩兵は近衛兵となった。けれども次の廃藩置県の断行には、他藩がどれほど反発するかわからない。イギリス公使パークスは「きっと大変な流血を見るだろう」と予想した。

>が、廃藩置県はあっけないほどにスムーズに済んだのである。
理由はただひとつ(と、司馬は書いている)、「一君万民の気性」がこの国に流れていたからだ。←W。<一君><万民の気性>とは云い得て妙である!
幕藩体制年貢村請負完全実施民の側から積極的に幕藩体制の下請け化~従順は民の知恵、美徳でさえあった~)と王政復古開国近代化体制を歴史の継続とみて、支配形態と民衆の表裏一体に掴んだ
引用に戻る
 
「加えて、もうひとつ奇妙なものが出てきた。西周が起草し、井上毅が検証した「軍人勅諭」である。
 フランスのお雇い外国人ボアソナードから、「これでは法体系とまぎらわしくなるではないか」と注意をうけた内容だった。なぜならそこには、天皇が教育方針を統帥していたからだ。
 こうして「統帥の混乱」が深まっていく。この曖昧で奇妙な状態が、昭和の統帥権問題にまで続いたのである。
 
それは、昭和5年(1930)のこと、浜口雄幸が海軍の統帥部の反対を押し切り、ロンドン海軍軍縮条約に調印したときである。軍部・政友会・右翼は、これを統帥権干犯」として、激しく糾弾した。「干犯」は北一輝の造語だった。←
 
W。軍艦建造比率 英国 米国5 フランス 3 日本3。 日本の工業生産指数列国最低
>この歪なかい離は、日本が半封建的軍事的国家の証左であり、
>この異常事態を基盤として世界基準からかけ離れた海軍の要求が出てきた。
>コレはファシズムではなく、既存の半封建的軍事的国家機構の内外情勢に先行するなし崩しの警察軍事化である。

 浜口は東京駅頭で狙撃され、死んだ。以降、昭和史は日本をみるみるうちに“統帥権国家”に仕立てていったのだ。
>司馬はこのような日本をあえて「異胎」がつくった国と呼び、「別国」とも言ったのである。
>本来の日本ではない日本、という意味だ。
>では、この「別国」ではない日本とはいったいどこにあったのか。W。日本のリアルな近代史にオールタナーティブはなかったが、求めようとしたところが司馬らしい。
>それを「この国のかたち」として司馬は追い求め、検証し、その途次に亡くなった。
やはり司馬の日本についての見方が随所に吹き出している。とりわけ神道的なるものを重視して、これを「真水」(まみず)とみなしているのが、目立っている。
 
W。伊勢神宮周辺のたたずまいの浪漫派的感想であるが、今の日本人にとって様々な意匠の一つに過ぎず、そこにアイデンティティーになる筋はない。振りができるだけである。勘違いと言い換えても良い。付加体列島原住民の性はそこまで根深く、表層的多様であった
付加体列島原住民に思想政治の真水など、どこを探しても見当たらないのに、司馬は敢えて日本の源流探しをした。本居宣長路線にはまることは必然だった。
しかしながら、世界に中心文明文化地域(ここではハッキリした歴史事実がストレートにアイデンティティーになる。例、中国)の周辺縁辺地域ではこう云う実感的抽象的歴史手法に民族のアイデンティティーを見出さざる得ず、日本だけが独特ではない。韓国の高校歴史教科書を一読すればよく解る。
日本の特殊性は付加体列島原住民の性による。
 
松岡引用
「司馬が言う「かたち」とは、つまりは権力にまつわって見えてくるものなのである。権力にまつわって自身を忘れ、狂い、静まり、蠢く者たちがめざしたもの、それが司馬の言う「かたち」なのだ。」
 
W。以下省略。啓発されるところはなかった。
 
<このクニのカタチ>
参考資料②
 
2016年2月13日
「谷口氏は「この数年、外国人から見た日本や日本再発見がテーマの番組が増えるなど『日本人論』がある種の流行になっている」と指摘したうえで、「それだけ今の日本が国際的、経済的に自信を失っているのだと思うが、当時、司馬さんが考えたり、憂えていたりしたことは、今を生きる現代人に宛てられたメッセージだと改めて感じている」
 
W。手を変え品を変えてのニホン、チャチャチャ、御苦労サン!
欧米崇拝、海外好奇心、日本チャチャチャ満足の一挙両得。一粒で二度おいしい!この手の番組はTVに氾濫している。
しかもその異常性に気づかない付加体列島原住民性は注目に値する。
 
多分、こう云う番組がTVで氾濫している国々は日本の他にもあって、日本もその仲間に分類できるが、
>面白いことにそのスタンスと現時点の経済力が不均衡であると云う事実だ。この絶対的不均衡の歴史的事実を<自信喪失>などという情緒に置き換え、誤魔化しやり過ごしている。今風排外主義の土壌づくりをしているのだ。巧妙に。この足元をリアルに取り上げずに政治経済批判をしても中身が伴わなくなる。民の次元のリアルな歴史認識はこういう受け入れやすい風俗文化の形で継承されきて堆積して、突如として噴出し濁流化した
コレが日本歴史の本性と教訓である。
 
であれば、日本の経済力の相対化する趨勢において、ますますこの手の番組による宣撫の需要が高まり、支配的イデオロギーの共同政治幻想は広く根深いくなり、鵜呑みにした日本的新自由主義大衆は増大の一途をたどる。番組作りもお手軽だ。
 
全豪オープンテニス、錦織選手を観戦する日本人集団らしきスタンドの日の丸小旗振り、日の丸扇子応援風景異様!(日本プロ野球の球場応援スタイルの集団喧騒も不思議異様極まるが)
TV映像をみていて、いったいあれは何なんだろうな、とおもった。
同じ東アジアでも韓国人や中国人がアレをやるのか?想わず問うた。試合は2回戦にすぎなかった。あり得ない。
公衆の集まる場所に設置されたTV映像には、立ち見のヒトが群がっていた。たかが2回戦にすぎないし、試合内容も相手が弱すぎて凡戦に見えて、いたたまれずその場を立ち去った。
この種の人たちは、時と場所、機会を選ばないのだな、とおもった。  
 
自信を失っている、とかの次元よりもっと根深いひとくくりにするならば「付加体列島原住民」の性で、ソレはますます満開に向かうだろう。
嗤い飛ばす対象に過ぎないがソレらに思わず宣撫されてしまうのが付加体列島原住民」の特性である。
この手の風潮の<中心付近>に現代的解釈を施された天皇制が位置するのは必然である。
 


続く