反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

2017年44月9日(日曜) ~新PCまったく不慣れ、データ移転もできていない~連載中の課題の閑話休題。

ビスタのサポート期限切れる間際になってWindows10、搭載の新しいPCに買い換えた。
巨大な量販店のPC売りは以前よりも縮小されているように感じた。以前はフロアーの前面にPC売り場が配置されていたが、後方に下がって売り場面積も狭くなっている。
PC国産メーカーは富士通NEC東芝の三社に絞られているようで、DELLレノボ、その他の外国製品が約半分を占めている。
スマホを利用する人が多くなれば、当然にも日常的なネットアクセスはそれで済ますことができるわけで、わざわざ高価なPCを買ってまでのネット作業は少なくなる。
例えば、「反俗日記」程度の記事であればスマホでOKかな?

ということで、スマホに切り替えることも考えたが使用料金が高すぎる。
手軽な料金のMVNOスマホ (モバイル、バーチャルネットワーク、オペレーターの略。簡単に言えば、各寡占企業の電波ネットワークにコンピュータ接続するプロバイダーのような役割) というのもあるらしいが、PCに慣れ親しんだものにとって、そこまで踏み切れなかった。

もっとも、反俗日記はいずれやめなければと考えているので、早い決断をしてもよかった。

 Wは元来、アウトドア人間。部屋にこもっていろいろ考えたりすることは苦手。
それでも必要から記事を書いている。
これまでの不勉強の付けが今頃になって回ってきているのか、知らないことが多すぎる。
>また不条理人間の反抗、戦いは実行と「知」への渇望であり、意識がなくなるまでこの道を進むしかな、と割り切っている。
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      情勢の奥底の原理論
それでも、
各テーマを設定しながら書き進めてきた結果、「反俗日記」の最終局面は近づいている、と感じる。
① グローバル資本主義(全地球一体化市場)。
② 東アジア東端、付加体列島原住民のマツリゴト(特殊日本的事象)。
③ 新自由主義大衆(①②に即応する世界的政治傾向)。

以上の①②③のカテゴリーに国内外のすべての政治経済事象は<集約された>。

①については踏み込む必要があるが、
>商品「経済」は書かれた歴史の頃から部分的に存在し、
封建制、近代を経て、二つの世界戦争の特殊時代を通じて戦後世界体制に結実。
>1980年代後半から1990年代初頭にかけてのその崩壊という壮大な歴史の流れを踏まえると、
*人類の必要、欲望、空想が生み出した商品経済の発展的結末に歴史的に位置付けられる。
以上①②③は情勢の奥底の原理論のつもりだ。
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とはいっても政治的人間とは程遠いところにいると自覚する者は更に、思考の道筋をたどっていく必要があった。

今回連載中の課題
2017/3/14(火) 午後 0:35
は、、どうでもいい人にとってなんのことはないが、自分にとっては重大な関心事である。

非政治的人間、非社会的人間(個人主義者である)を自覚し、自分が自分らしくあればあるほど、最終的な関心事はそういうところに行く。

自分自身の宗教を作るつもりはないが、①、②、③の時代に戦う唯物論者でしかも、非政治的非社会的人間であるものが、最終的にたどり着くところは「創神主義」になる。

白井聡の記事を書いたとき、昔レーニンの「唯物論と経験論批判」の読了感が鮮やかによみがえった。
レーニンの厳しい批判対象であるボグダーノフの「創神主義」に共感した。
政治的あまりに政治的なレーニンにはその時代に創神主義」は無縁であり憎悪すら覚えただろうがボグダーノフの関心をそこに向かわざる得なかった。
自己流にいえばレーニン唯物論は単純明快だ。
しかし、それで済む人と済まない人がいる。
この領域の課題は今も色あせない。
公明ー創価学会の「政治」と日本共産党の政治を横並びで検討すると、この分野の課題にぶつかるはずで、この分野に無関心な人は鈍感すぎる。日本ではどうしてそうなるのか、ということもはっきりしているがここでは言及しない。付加体列島原住民の原住民性に還元するつもりはないが。
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今回連載中の課題は済まない自分のためのものである。
ソレが最終的にたどり着くところもわかっている。

結果として戦う唯物論者を自認するものが自分自身の中に「神」を作り出そうとしている。

人が100人いれば100通りの意見や見解があって良い。
むしろそういう傾向が不十分なところにこの付加体列島原住民自身の課題である。
もっといえば、
人が100人いれば100通りの神が存在してもいいではないか!
Wの創り出す神は、しょせんその程度に過ぎないが、一寸の虫にも五分の魂というが人間は虫になれない。
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今回の連載中のテーマをたどっていくと、ネット上の記事では間に合わない思いを強く持った。
そこで、思い浮かんだのは上野千鶴子であった。
早速、図書館からごっそり借り出してきた。

面白いことに上野千鶴子のような「理論」本は女性関連のあまたの本が並んでいる書棚(ほとんどポピュラーな本)からかなり離れた労働関連の女性論の書棚という別枠にあった。
そうした多くの女性本は予め「理論」的に思考することの埒外にあるようで、、そうした分野に関心の向かう人たちの読書傾向を象徴していると思った。
結論的に言えば、井戸端会議の延長線上の議論を繰り返すろころ(女性週刊誌レベル)に「文化革命」が起こらなかった要因がある。
次の特殊日本的な傾向が出現してきた事情をよく表している。

反俗日記
2017/3/18(土) 午後 0:42
はグラフを掲載した。
  引用
>「1980年以降、世界の先進国の夫婦と家庭の在り方は大きく変動したが、日本はニューファミリーの薄手の意匠をまとっただけの風俗、表層的生活スタイル変化に終わり、核家族ユニット固定の本質核家族化の傾向は高度経済成長時代に始まったわけではなく戦前から始まっていた。!)は何も変わらなかった
むしろ世界が変わった時代に夫婦~子供の核家族化は強化された核家族強化(少子化)によって、社会変動の荒波に耐えたともいえる。」

上野千鶴子はそういった傾向に抗してきわめて理論的に論を立てようとしている(本人もそのように明言している)。
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代表作は10年をかけて完成したという「家父長制と資本制~マルクス主義フェミニズムの地平」 岩波文庫 2009年刊行 だろう。
タブをいっぱい張るほど注目点は多かった。
しかし、労作(文庫厚み2cm)を前にWは偉そうなことをいうと自覚するが、
コレは小理屈の積み重ねの集大成であっても、本全体のコンセプトが云わば<大理屈>になっておらず、何ら革命的なところがない。
したがって、注目する者たちの偉大な行動力を喚起するものになっていない

この本はマルクス主義的用語に満ち溢れ、それなりの展開をしているが、少しはかじっているものからすると、難解ではないく、むしろもっと易しい展開はできなかったのかという、疑問が付きまとった(自分にできないことではなるが」)。

また、マルクス的思考パターンの女性学専門分野に自己の思考基盤を確立しようとしているところに無理がある。
もっともこれは、論文の書かれた時代状況(冷戦体制崩壊前)から仕方がなかったとも言えるが。

家事労働のカテゴリーの発見とそれが不払い労働との指摘に、
歴史的に通底し、近現代にソレが変容し資本主義の労働力商品の再生産に不可欠な家父長制をキーワードとして二元論的に説明しようとしたが、失敗しているとしか思われない。

上野の近現代家父長制(明らかに変容している)の説明は社会学の平板な家族分析のフォーカスに代替えされている。
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Wが上野に注目したのは、エンゲルス「国家、家族、私有財産の起源」を支持する研究者の長い論文をネットから取り込んで調べた結果、これは本人の嫌う天皇制につながる日本的家族の容認記録ではないかという疑問点を持ったからだった。(東アジア諸国の歴史と比較しないからそういう結果になる。付加体列島原住民の全貌を浮き彫りにできていない)

そこで上野に期待したが、マルクス主義のその分野に自己の「党派性」を築き上げようとする学者的意図があるように見受けられるので、そうであればエンゲルスの「国家、家族、私有財産の起源」の視野は発展させる必要があったが、無視して階級云々の用語だけを連発している。
自民党政権幹部の顔ぶれを列挙するまでもなく、資本制支配層にとって今もなお、「国家、家族、私有財産」の系譜、連携はリアルな現実であり、自分たちの階層的権益のために改訂しようとさえしている。

反俗日記の今後の予定では、例のエンゲルス擁護から天皇制出現を後ずけたに終わった研究者の論文を取り上げて後で、上野千鶴子の本を検証してみたい。

上野の「家父長制と資本制」を通底する論法は、
旧来の家族破壊?(1960年代後半~70年代~80年代~90年代の欧米諸国で起こった文化革命)とはかけ離れたニューファミリー擁護にとどまる議論である。

そしてニューファミリーは
反俗日記
2017/3/18(土) 午後 0:42
はグラフを掲載した。
  引用
>「1980年以降、世界の先進国の夫婦と家庭の在り方は大きく変動したが、日本はニューファミリーの薄手の意匠をまとっただけの風俗、表層的生活スタイル変化に終わり、核家族ユニット固定の本質核家族化の傾向は高度経済成長時代に始まったわけではなく戦前から始まっていた。!)は何も変わらなかった
むしろ世界が変わった時代に夫婦~子供の核家族化は強化された核家族強化(少子化)によって、社会変動の荒波に耐えたともいえる。」

東アジア東端付加体列島原住民のマツリこととそれの即応する新自由主義大衆の原理がここでも見え隠れする

続く

Windows10の初期設定は言われているほど難題ではなかったが(こんなもので電気店が2万円も3万円も取る必要経費は所要時間だけだろう)、旧式ソフト、ビスタからいきなりWindows10への移行は慣れるまで時間がかかる。

特にWindows10に新しく搭載されているedgの画面をいつも使っているGoogleに変換したら、エクスプローラと使い勝手が全く違ってまいった。
マイクロソフトの将来の企業戦略ではエクスプローラを廃止して、Edgの検索機能を強化したいらしい。
コンタナというのもビスタだけしか触ったことのないものには邪魔なだけ。
ただしネット上の検索機能は強いが、それならそれでグーグルもあるわけで、自分のPC内のファイル検索機能は、いまだに不明。

そのほかやることはいっぱいあるが、使いながら慣れていくが自己流なのだが、この際いろんな、使い方を覚えようと思う。
運動する時間は絶対に確保する。
しばらく日記の更新はできないが、連載課題に対してホットな状態を維持できている今だからこそできることもある。