前回の記事の問題意識を引き継ぐ。
情勢の奥底の原理論
① グローバル資本主義(全地球一体化市場)。
② 東アジア東端、付加体列島原住民のマツリゴト(特殊日本的事象)。
③ 新自由主義大衆(①②に即応する世界的政治傾向)。
以上の①②③のカテゴリーに国内外のすべての政治経済事象は<集約された>。
①については踏み込む必要があるが、
>商品「経済」は
古代から部分的に存在し、
中世、封建制、近代を経て、二つの世界戦争の特殊時代を通じて戦後世界体制に結実。
>1980年代後半から1990年代初頭にかけてのその崩壊という人類の壮大な歴史の流れを踏まえると、
*人類の必要、欲望、空想が生み出した商品経済のヒトモノカネの全地球一体市場化の発展階梯に至った。
*ヒトとヒトとの生でリアル、複雑、手間暇かかる社会関係は、
>金融、IT、マスコミの媒体力を通じてグローバル資本を頂点とするカネとモノの支配秩序イデオロギーに転倒された。
<日本の社会的個人(キャラ、パーソナリティー)は動物血統的な3重の外皮<家、家族、夫婦>に覆われ、社会に露出しない>
欧米諸諸国の家族の変節が進んだ1980年代90年代に
日本の家族が、核家族化のまま固定されたのは、ハッキリとした理由がある。
近代化、資本主義化を推し進める明治維新政府が採用し
今日に引き継がれ世界に例のない戸籍制度は封建軍事貴族の家制度(ソレに対応するのは百姓階層の屋号である)を資本主義秩序と折り合いをつけたものだが、ソレは家族夫婦関係を外側から包み込む法的イデオロギー的外皮である。動物血統的な家はいわば器であり、その中に生殖血統の家族と即物的生殖に依拠する夫婦子供関係が入っていた。
という事であれば、
であれば、ヒトモノカネの全地球一体市場化するグローバル資本主義でさえ、日本の強固な3重の外皮にくるまれた日本の諸個人を社会に直面させず、常に血統生殖的、団体的所属の外皮をまとった個人が問われる。
グローバル資本主義の時代に大きな器の家がユニットとして機能不全に陥ると、
今度は順番に家族、夫婦関係がその荒波にさらされるのであって、個人がむき出しにされた場合は、あってはならない失陥とされ、家族、夫婦関係の聖家族化の道具になる。
>言い換えると、ソレは余りにも時期尚早すぎるのである。
以上①②③は情勢の奥底の原理論のつもりだ。
今回連載中の課題
2017/3/14(火) 午後 0:35
は、、どうでもいい人にとってなんのことはないが、自分にとっては重大な関心事である。
非政治的人間、非社会的人間(個人主義者である)を自覚し、自分が自分らしくあればあるほど、最終的な関心事はそういうところに行く。
自分自身の宗教を作るつもりはないが、①、②、③の時代に戦う唯物論者でしかも、非政治的非社会的人間であるものが、最終的にたどり着くところは「創神主義」になる。