反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

第9回 上野千鶴子「家父長制と資本制」。日本の就労人口のうち雇用者の比率が自営業者の比率を抜いて逆転は、1960年代の初め。主婦【都市、核家族、雇用者家庭】の【妻の座】大衆的成立は60年代末の遅さ。

   古墳時代親族構造論と古代国家形成過程 | 九大コレクション | 九州大学 は日本古代史の知識が乏しく、文章の背後を読み取れないので中止する。

上野千鶴子「家父長制と資本制~マルクス主義フェミニズムの地平~岩波文庫 2009年刊をとりあげる。
 
 第1章    
  1.2 市場とその外部      
                 <自然
                    
     資源エネルギー ↓      産業廃棄物
                 <市場> 
     労働力           ↓老人、病人、障害者
                 <家族>
  ●上野の解説のまとめ
ラジカルフェミニストが市場の外部に発見した二つの領域とは<自然と><家族>であった。
米国流経済学の交換ゲームとして閉鎖的に取り扱われている市場システムには必ずソレに関与する【外部環境】がある。
市場システムもまた【自然】と【家族】という二つの環境から、ヒトとモノとをそれぞれインプット、アウトプットしていたのである。
自然という環境からは市場はエネルギーと資源をインプットし代わりに産業廃棄物をアウトプットする。
この自然という環境は、ブラックボックスのように見えない存在だった。長い間自然環境にとってはエネルギー、資源も無尽蔵なら、汚水やガスの様な廃棄物の様な産業廃棄物の環境事情の力も無限と想われてきた。
 
 
 だが、60年代高度経済成長を通じての日本の産業化の完成は、環境から市場へのインプットアウトプットにも限界があることをあらわにした。
 
>フェミストが市場の外側に発見した家族という環境も自然と驚くべき類似点を持っている
家族は第1に性と云う人間の自然に基づいている。
家族と云う領域から市場は、ヒトという資源を労働力としてインプットし、逆に労働力として使いものにならなくなった老人、病人、障害者を「産業廃棄物】としてアウトプットする。
 
  
  W。以下は上野の仮想現実。古代ギリシア、スパルタ?
*******
ヒトが市場にとって労働力資源としか見なされないところでは、市場にとって意味のある人は健康で一人前の成人男子のことだけになる。
成人男子が産業軍事社会の現役兵だとしたら、社会の他のメンバー、例えば子供はその予備軍だし老人は退役兵病人や障害者は廃兵である。
*******
上野
 「しかし、60年代から70年代にかけて噴出してきた家族問題は、この家族がインプットの側ではヒトという資源の供給源として無償で自動的に働く訳ではなく、
またアウトプットの側では廃棄物となったヒトを受け入れるキャパシティが無尽蔵だと云う訳にはいかない、という事実を示した。
 
 
 女たちは家族という市場の外部を支えるコストが、もっぱら女たちの肩にかかっている重圧に対し意義を挙げ、抗議したのである。
市場には自然と家族という外部があり、市場はこの外部に依存して始めてなりたっていること、
この市場にとっての環境を維持するにはコストがかかることを、私たちに教えたのである。
 
     第3章  家事労働論争
 3,4 日本の家事労働論争
1960年代日本の第二次主婦論争の限界は理論と実践の二つの側面から指摘できるだろう。
 
第二に、実践的には(W。1960年台初頭の学者の間で巻き起こった) 主婦労働の問題は女性運動の全体にとってはまだ見えない問題だったと云う事があるだろう。
 
 
 
  W。以下の上野の説明は戦前戦後を通じた日本固有の産業構造が都市、核家族、雇用者家庭】の【妻の座】という現代的主婦の出現を遅らせてきた歴史的事実を示している。
 
W。戦前戦後を通じて農村の潜在的流動的過剰労働力人口は日本資本主義急速発展のエンジンであった。
(改革開放後の中国経済の目覚ましい発展でソレは実証されている。韓国経済発展もこの部類)
欧米先進国より遅れて資本主義化しアジア侵略によって金融帝国主義化した日本資本主義は半封建的軍事適側面を引きずり【国内】市場の狭隘化は緩和できず、二度の世界市場の再分割戦に突入し、農民の階級分解はを停滞し、膨大な潜在的流動的過剰労働力は温存された。
 
「日本の市民革命」(市民社会の前提)は米軍事力による日本軍事力の一掃に代替えされ、戦後の経済成長と農民の階層分解の大前提となった。
***********
上野
>「日本の就労人口のうち雇用者の比率が自営業者の比率を抜いて逆転したのは、1960年代の初めにすぎない。
主婦という雇用関係によらず家事労働に専従する女性が成立するには
都市、核家族、雇用者家庭】の【妻の座】が不可欠の前提であり、コレが大衆的に成立したのは、1960年代末であった。
のは
W。以下の上野の指摘は日本固有の歴史のねじれ現象が70年代のリブにまで及んでいることを示している
欧米的家族の文化革命が起こる前にグローバル資本主義の荒波が日本の家族を襲った。
 
上野  
「70年代初めのラディカルリは都市中間層のプチブル急進主義の一種には違いなかったが、コレが運動として成立するためには、女性のマジョリティーが主婦になると云う社会的は背景が存在していた。」
 W.リブ急進主義はようやく主婦の座に座った主婦層のところまで届かず、女の大勢は動かなかった。家族の文化革命の道は遠のいた。リブたちは女の大勢の様々な意匠の一つにさえならなかった。
 
次回に続く