反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

第15回。上野千鶴子著「資本制と家父長制」~共同体が析出したのは自由な個人ではなく自由な孤立した家族。市場が手を結んだ個人は単婚家族の代理人=家長労働者。養育、教育期間の母親のM型就労。

        上野千鶴子著「資本制と家父長制」引用
前近代的な婚姻では、妻は嫡出子をあげるための道具とみなされた。
こういう制度の下では、離婚は女にとって子供を近家において出ることを意味した。
>子別れが嫌さに離婚を思いとどまった女も多い。
が当時も、母親と生き別れた子供を父親が育てたわけではなく、父系拡大家族の中の祖父方の祖母が再生産労働に当たった
>ここで問題なのは、母が育てるにせよ祖母が育てるにせよ、子供が父系集団に帰属するという事実である。
中国や韓国のように夫婦別姓の婚姻制度の下では、子供の父系帰属はさらに際立つ。
子は父方の姓を名乗ることで、母と異属であることを有識化する。
 
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戦後、この状況は大きく変わった。←W。キャッチアップしたのは、高度経済成長期。この遅れが問題である。
現在離婚に際してこの8割以上が母方に引き取られる。
>それは核家族化に伴って夫が妻に代わる女で(祖母)を失ったことと無関係ではない。
>離婚が子供を失うことと同義でなくなったことが、女性に離婚の決断を容易にさせている事実h、あまり指摘されていない。
 
                         ↓
>だが多くの死別、離別母子家庭が、貧困ライン以下に落ち込むことも事実である
 
離別した父親の養育費の取り決め額は、すこぶる低いばかりか、多くの父親はしばしば支払いを遅らせやがて送金を停止することがデータからわかっている。
>しかもその時点で裁判所に取り立てを請求する女性は極めて少ない。
>ハンディの多い労働環境で、再生産費用を100%負担しながら子育てする女性は家父長制から<子供を奪い取った>といえるだろうか?
 

 

       第6章 再生産の政治
  6,3 子供数の決定要因
子供の成長に時間がかからず、かつ子供が経済価値を持っているところでは、家父長制は<大家族>に価値を見出す。
だが義務教育渡航情報が子供を労働の場から追い出して以来、子供の経済価値は減少する一方であり、その上母親にとって子供は家事労働や子育ての手助けにならない無益な<穀つぶし>に成り下がる
>他方、社会化の期間と教育の費用は増大するが、
>これは最終的には、より高度に産業化した社会の中で、より高い収益を上げる質の良い労働者として成人した子供に対する将来の期待を高める。
*教育は、今日では<富の世代間移転>の主要な形態である
世帯の収入が上昇するにつれて、それとは不釣り合いに教育支出が急上昇する。こうして両親は、自分よりも学歴の高い子供の成人してのちの将来の経済的貢献に、より大きな期待をかける。
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もっと驚くべきことがある。
子供の第二次社会化、すなわち学校境域が始まると、母親はもう自分の現物費用、つまり手間暇愛情だけでそれをカバーすることができない。
しかも教育費負担大化するファミリーステージⅢは、夫の中高年期に当たり、賃金曲線の上昇が鈍化する時期に当たっている。
>ちょうどこの時期に、母親は余分にかかるようになった教育費負担を稼ぎ出すために、貨幣費用として労働市場へと再度ーー今度は不利な周辺労働力としてーー立ち戻る。妻の家計補助収入は、子供の教育費のために今日では不可欠である。
したがって、子どもを育てる第一次社会化にかかる現物費用も、第二次社会化にかかる貨幣費用も、結局母親が負担していることになる。
離婚して母子家庭を営む女性は、第一に経済価値を失い、第二に経済的な依存期間の長くなった子供を抱えて、再生産の現物費用も、貨幣費用もともに一人で背負わなければならない。」
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  6,6娘の価値
「高齢化と老後の不安の増大につれ、親の側では父系同居よりも母系同居に対する選考が、徐々に高まっている。
>それは老人介護の貨幣費用よりは現物費用のほうの重要性が高まっているためである。
 
>第一に、現物費用の持っている心理的な性格と、
第二に、現物費用(介護の人出)の負担がますます増えて、もはや貨幣費用ではその購入がおぼつかなくなっているレベルまで達しているという事情がある。」
 
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      第8章 家父長制と資本制
 「家父長制的な近代家族は、あくまでも資本制下の家族であり、逆に資本制は、その補完物として家族を市場の<外部>に前提している。
だとすれば、
市場が手を結んだエイジェントは、実は個人ではなく家族であった。
>市場は自由な個人をプレイヤーとして成り立つゲームのはずだったのに
この個人は、実は単婚家族の代理人=家長労働者だった。
自由な個人を登場させるために、市場は伝統的な共同体に敵対し、これを産業化の過程で解体していったが
共同体が析出したのは<自由な個人ではなく>その実<自由な孤立した単婚家族だった。
近代化の過程で「勝利したのは個人ではなく家族」だった
家族の独立性がかつてないほど高まったこと
と同時に家族が歴史上どの時代にもまして公的な領域から隔離され孤立したこと
そしてそれだからこそ逆に家族が市場にむき出しにさらされたことーー近代家族を特徴づけるこれらすべての属性は、こうして、『市場と個人の二元論のうちではなく』、市場と家族の二元論のもとに』成立したのである。」
 
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  8,5 「家」の発明
幕末から明治にかけては、伝統的な村落共同体の解体期であった
「家」の独立性自律性は、共同体の規制との逆相関関係にある。
共同体のサンクションが弱まるに応じて、家は経営体として自律性を獲得し、そのことによって家相互の隔壁も厚くなった。労働の共同や農具の貸し借りは次第に廃れ、村内婚も家格を重んじる仲人婚に移行していく。
家が公的性格を失ったことに比例して、私事の秘匿性(身内の恥意識)は高まっていく。
共同体を解体を即したのは<個人主義>ではなく<家エゴイズム>であった。
 
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      第12章
 12,3 再生産のQC思想(クォリティー、コントロール
「日本の資本制が家父長制ーー日本型家族制度ーーに第一種兼業主婦化といういわば中途半端な形で指示を与えたのは、私には再生産の品質管理思想の表れと見える。
~少産化の中で、女の育児負担はかつての子だくさんの時代より縮小しているように見えるが実はその逆である。
少産化圧力(子供は二人まで)は何よりも、子供一人一人を一人前に仕立て上げる期間の長期化と、費用の膨大な上昇とからきている
 近代化に伴って、子供の第一次社会化(赤ん坊が言葉を覚えて人間らしい活動ができるまでの0歳~3歳の時期)の期間に比して、第二次社会化(子供が大人になるまで)の期間は格段に延長した。
言い換えれば、養育に対して教育の比重が格段に増加した。
再生産労働とはこの第一次及び第二次社会化の全期間を通じての労働であり、単に養育行動のみを意味しない。
母親第一次社会化の時期はこれに専従しなければならず、だが第一次社会化の時期を超えてまでそうしてならないのだ。
養育を終えた子供は教育の場へと引き渡さ化ればならない
教育は費用の掛かる再生産労働である。
母親は、教育を自分の手で担う代わりに、自分の手から子供を奪っていく教育サービスを買うために、今度は生産労働者化しなけれなならない

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子供を労働市場に適合的な製品に最終的に仕立て上げる画一的で管理的な教育という商品を買うために、母親は積極的に働きに出る。
中断ー再就職型の主婦労働者にとっては、ポスト育児期には労働者であることこそが、良き主婦であるための条件なのである。
 
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学校を画一的で従順な身体を加工する工場に類比している。
工場製品の品質管理(QC)という思想を生み出したのはアメリカだが、このQC思想を取り入れて~
日本型家族制度もまたこのQC思想の表れともいえる。
 
しかし、養育を女に任せるという選択をした資本制は、教育までは女に任せない。
中断ー再就職型の暮らしを女に押し付けることで、、養育を無償労働として女に担わせた後、今度は教育の費用負担を同様に担わせることという(受益者負担)を実現したのである。
 
市場に適合的な従順な身体が、当事者の負担において、水準の高いQCのもとに次々に再生産されてくるとなれば、資本制にとって家父長制と調停す津帳尻は十分合うだろう。
>家父長制の産物である母性イデオロギーが、少しも資本制に抵触せず、女と子供に搾取される存在に自発的に仕立て上げていく再生産労働の組織化が、<家族の再編>の中で進行している。」