事情により長らく作業が停滞した。連載中の課題を思い起こすために、とりあえず上野千鶴子著「資本制と家父長制」の気になる論点を整理する。
2,2 市場と家族の弁証法的関係
「家族は労働市場に人間という資源をインプットアウトプットする端末だったのである。
家族は、本能のレッセフェールのもとにおかれたわけでなく、
>それ自体が一つの再生産の制度であった。
A)>この中で、人々は再生産をめぐる権利義務関係に入り、単なる個人ではなく、夫・妻 父・母 親・子 息子・娘になる。
B)この役割は、規範と権威を性と世代に不均等配分した権力関係であり、フェミニストはこれを「家父長制」と呼ぶ。」
W。感想。
市場は資本制市民社会の中核的経済構成要素であり、家族は労働市場に人間という資源をインプットアウトプットする端末=それ自体が一つの再生産の制度である。家族の再生産をめぐる権利義務関係は民法を含む法体系でによって規定強制され、
結局、こういうことが根底にある。
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--論理的思考で考える 」 祥伝社文庫 2014年刊行
第7章 法律は家族を守っているか
引用
「~~家族をめぐる様々な問題に共通する根本的な原因は、家族形態の多様化、家族メンバーの意識変化、そして解決手段となるべき法律と現実との乖離です。」
>第4編 親族
>第5編 相続
に相当する部分のことを言います。
このうち、親族は夫婦や親子など親族間の関係を定義づけ、相続に相当する部分は家族の財産が親族によって引き継がれる方法を定めています」
W。以下「 」省略
なぜ法律で家族を定義づけるのでしょうか。
その理由は家族という最小単位の組織が持っている社会性です。
家族は子供を産み育てるという、社会を維持していく上での不可欠な人口の再生産機能を持っています。
次に家族は国を富ませるために必要な労働力の供給源となります。
そして家族は老父母を扶養し介護する福祉的な役割も担います。
つまり家族の在り方は社会全体に大きな影響を与えます。
1898年施行した明治民法は、中央集計的な性格を持つ当時の明治政府が、富国強兵という目標を達成するため、国民を統率する集団として家族を利用する法律でした。
具体的には、戸籍の筆頭者である戸主に強い権限を与え、家長として家族を統治させるという家制度の導入です。
つまり中央政府の上意下達を徹底させるための間単組織として家族が機能するような仕組みを作ったわけです。
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しかし、そこには「家族はこうあるべし」という国家の定めた社会的規範が示されています。
すなわち、法律によって個人の尊厳と平等は守られているものの、この「規範」に当てはまらない人はその限りではないという扱いです。
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「法律婚というのはなんで大事かというと、家族に属している人たちをいろんな形で保護するという、そういうものが法律上全部なくなるというのは、やはり社会全体にとって非常に不安な状況になりますよね。」
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これに似た考え方はほかにも多くあります。
例えば、障害者総合支援法は、障害者との共生社会の実現を目指した法律です。障害者が適切な支援と受け、自立した生活を送ることを目指した法律です。
でも、、この法律が守ってくれるのは「障害者」だけです。
障害者であるどうかは医師が診断によって決められますから、認定されなければどんな生きづらさを射抱えていても支援の対象にはなりません。
私はこのような社会の仕組みを「転ばぬ先の杖」型と呼んでいます。
あらかじめ国民全体に転ばないよう歩ける杖を与えておきます。
つまり「家族」とか「障害者」を定義し、法律で守られるべき相手を決めておくわけです。
そうすれば、転んだ人を助ける必要はありません。なぜなら、杖を使わないで転ぶのは自己責任となるからです。
このやり方は行政サイドにとっては事後的に発生しうる統治コストを節約できるという利点があります。
しかしすべての国民が杖をうまく使えるとは限りません。
杖を使いづらい環境にいる人や、使い方を間違えて転ぶ人もいます。
こうした人が増えてくると、杖を作り変えるか、あるいは杖を与えるのをやめて、転んでしまった人たちを後から助ける仕組みに切り替える必要があります。
私はこうした社会を「案ずるよりも生むが易し」型と呼んでいます。
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結婚とは何かーー事実婚から考える
~省略
結婚の形が多様化し、法律の想定する「あるべきろ論」から外れる人たちが増えてきたときに、法律上の結婚の定義を見直す必要が出てくるように思われます。
父子関係の「推定」と「否認」
民法第772条2項には「婚姻の成立の日から200日を経過した後
または婚姻の解消もしくは取り消しの日から200日以内に生まれた子は、
婚姻中の懐胎したものとみなす」とあります。
この条文は何を意味するのでしょうか。
簡単に言えば、親子関係、特に父子関係を法律によって定義したものです。
父子の関係が血縁ではなく、法律によって決まっていると聞いて驚かされた方は多いのではないでしょうか。
正確に言えば、法律は父子を「決める」のではなくて推定する」のです。
母子関係は出産という事実により実証されますが、父子関係の場合はそうはいきません。いちいちDNA型鑑定などしていたら時間と費用が掛かってしまいます。そのため法律は手助けします。
これを法律用語で「嫡出推定」と呼びます。
ここでも民法が想定している「真っ当な」婚姻と出産(懐妊期間300日)であれば何の問題もありません。つまり「性行為は婚姻中の男女に限る」という行動規範をすべての国民が守るということです。
さらに女性は離婚後6か月間は結婚できないという規定もありますので、
>こちらも加味すれば、出産は必ず結婚から200日後かつ離婚から300日以内になります。
そして「推定」された父子関係は、夫がそれを認めれば、「確定」されます。
>つまり「嫡出推定」とは「まっとうな」家族における父子関係を法的に守るための制度です。
一方、民法第772条の条件を満たさない子どもが生まれたとき父子関係は推定されないため、父親を決めるには誰かが「自分です」と名乗り出なけれななりません。これを「認知」といいます。一度「認知」すれば父子関係はその時点で「確定」されます。
法律によって「推定」された父子関係は、「確定」する前でしたら「否認」することもできます。これを「嫡出否認」といい、否認を申し立てる権利は父親側にだけ与えられています。
ただ、父親のいない子供が増えないようにするために、否認はそう簡単にできません。
家庭裁判所に嫡出否認の調停を申し立て、そこで夫婦の合意を得る必要があります。
>さらに否認の訴えは出産後1年以内と決められていて、それを過ぎると父子関係は「確定」されます。
なぜ否認の権利が父親にだけ与えられているのでしょうか。
私は「夫のメンツ」を守るためだけだと解釈しています。
家族法は個人を守っているか
次回に続く