って作る組織という理解が必要。
「できちゃった婚」に法律はどう対応しているか。
厚生労働省「人口動態特殊報告」をみると2009年の第一子出生のうち実に4件に1件は「結婚期間が妊娠期間より短い」ケースとなっています。これを25歳未満の母親に限ると「できちゃった婚」は6割にも達し、それ以外の年齢でも年々増加傾向にあります。
>つまり「できたった婚」は民法が想定する「例外ではなくなっているのです。
>こうした世の中の変化にかんがみ、実務では婚姻後200日を経過していなくても、婚姻中の提出であれば夫と子供の父子関係を「推定」し、嫡出子として出生届を受理することにしています。
>法律を変えずに実務で対応するという日本独特の対処法の典型例と言えます。
離婚後300日問題
民法第772条に従えば、離婚した女性が300日以内に出産すると子供の父親が前夫と「推定」されます。
例えば夫と不仲で別居していた妻が別の男性と親密になってその男性の子供を身ごもったとしましょう。
その後離婚が成立し、再婚したのちに子供が生まれましたが、それは離婚して300日内であったために、前夫の子供と推定されたケースです。
それを嫌った母親が出生届を出さないままにしておくと、子どもは「無国籍児」となるのです。
この問題は、現在の民法のもとでも以下の3つの解決方法があります。
すなわち① 前夫による「嫡出否認」
②前夫に対する親子関係不在確認
③実父を相手とする認知請求の調停申し立てです。
*こうしたコストを最も簡単にこの問題を解決する方法は、母親(と子供)に「嫡出否認」と「認知」の権利を与えることです。
婚外子(非嫡出子)の遺産相続問題
それを受けて、民法第900条4号「嫡出でない子の相続分は嫡出であるこの相続分の2分の1」の部分は、子が数人あるときには「各自の相続分は、相等しいものとする」と改められた。
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問題の所在
「法定相続分は、嫡出である子(以下、「嫡出子」と表記します。嫡出子には法律上の婚姻をした夫婦のあいだに生まれた子だけでなく、養子、準正を経た非嫡出子も含まれます)の相続分の半分であるとしています。
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「最高裁判所大法廷は、本件規定は合憲であるとの判断を示していました(最決平成7・7・5(以下、「平成7年大法廷決定」と表記します)。
しかし、この平成七年大法廷決定には、本件規定が憲法に違反するとの五名の裁判官による反対意見が付され、また、法廷意見と結論を同じくする補足意見のなかにも本件規定の合憲性に疑いを示すものがあり、「僅差の合憲判決」ともいわれました(注2)。その後の小法廷判決・決定においても「僅差の合憲判決」が続き、いずれ最高裁の判例変更がなされる可能性は濃厚であると考えられるようになり~」
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この改正の背景には国連において1989年に採決された「子供権利条約」の存在があります。
この条約は婚外子に対する差別を禁止していて、日本は1994年にこの条約を批准しています。
しかしこうした意見の根幹には、「転ばぬ先の杖」的な発想があります。
それは杖を使わない(「まっとうな」結婚をしない)人たちを平等にあつかうべきでないという考え方があります。
>そもそも国連でこのような採決がなされた背景には、ヨーロッパを中心に事実婚が当たり前になってきているという事実があります。

つまりこれらの国では婚外子も立派なデフォルト(標準仕様)なのです。
DNA型鑑定訴訟の真実
2014年、最高裁で興味深い判決が言い渡されました。それは、DNA 型鑑定によって血縁のないことが証明されているにもかかわらず、法的な父子関係は認められるというものです。
訴えを起こした理由は、その女性が現在、子どもとともに血縁上の父親と暮していて、子どももその男性になついているためにというものです。不存在の根拠になるのはDNA型鑑定です。1審と2審は「不存在」を認める内容でしたが、それを不服とする前夫が上告し、最高裁は前夫の訴えを認めたのです。
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つまり最高裁は「外観説」が「血縁説」より優先すると判断したことになります。
>裁判で父子関係を決める際、懐胎した時の「外観」と現在の「外観」のどちらが家族にとって重要かといえば、現在の「外観」であることに誰も異存がないでしょう。
今回の判決に問題があるとすれば、それは「嫡出推定」の条文にこだわるあまり、子供と母親にとっての「現時点での外観」を無視したところになるのです。
さらに付け加えるなら、この問題は、夫のみに「嫡出否認」の権利が与えられているために起こったことで、先ほどの離婚後300日問題と同じく (民法772条、離婚した女性が300日以内に出産すると子供の父親は前夫と「推定」される) 子どもと親権のある母親に否認の権利を与えておけば当初から裁判にはならなかったのではないかと思われます。
生殖補助医療
省略
家族法は個人を守っているか
これは国家が国民と統率することを目的とした明治民法と決定的に異なるところです。
先ほど上げた「離婚後300日間問題」にしても「DNA型鑑定訴訟」にしても、民法は個人を守り切れていないというのがその理由です。
この点について私なりの解釈は以下のようになります。
憲法13条が個人の尊厳を規定すしていたとしても、実際にどの個人を守るかは個別の法律で定めることになります。
>その時、あらかじめ守るべき個人の範囲を限定し、その枠に収まった人たちだけを助けようとするのがいわゆる「保守」の考え方です。
私はそれを「転ばぬ先の杖」型とよびます。
範囲を定めるうえでの基準は、日本の伝統的な(といってもたかだか明治以来ですが)価値観ということになります。
つまり家族法で守られているのは「まっとうな」家族を作っている人たちだけです。
>しかし、国民一人一人の価値観は時代とともにどんどん多様になってきていて、もはや一定の枠に収まりきらない状況です。
また文明に利器の登場によって、家庭内では個人化が進み、家族のメンバー間ですらそれぞれの価値観を理解しあうのが難しくなっています。
>つまり今の法律では想定していない人々が増えてきているのです。
そうなったとき「保守」の人々は、変質してしまった家族をなんとか「まっとうな」状態に戻そうとします。
「まっとうでない」家族を救えば、ますますそうした家族が増えてしまい収拾がつかなくなると考えるからです。
一方、リベラryな考えを持つ人たちは、時代の変化に合わせて法律を改正し、なるべく多くの人たちを事後的に救おうとします。
私はこうした発想を「案ずるより産むがやすし」型と呼びます。
家族というものが常に愛情を基本として形成され、血縁によって固く結ばれているのであれば、「転ばぬ先の杖」方式でもうまくいくでしょう。家族のメンバーがみな利他的行動をとれば、家族の抱える問題のほとんどは解決されるでしょう。
>でも、残念ながら人間は多かれ少なかれ利己的であり、目先の利益に目がくらみ、誘惑に勝てない「弱い」存在です。
>こうした前提に立てば、家族の在り方についても、愛情や血縁を頼りにした集団ではなく、利己的な個人が集まって作る組織であるという理解が必要になります。
家事や育児といった「家庭内公共サービス」は、もはや妻の「愛情」のみに頼るやり方ではうまくいきません。
妻も一人の人間としての生きがいがあり、それを実現することで得られる個人として幸せがあるからです。
そして子供にも自分の生きがいがあります。「愛情」の仮面をかぶった親の過剰な干渉が子供の自立を拒み、成長をゆがめるというリスクの存在を知っておかなければなりません。
家庭内の主たる稼ぎ手である夫も家事や育児を妻に任せっきりにしている状態では自立しているとは言えません。
どの家族のメンバーも、まずは社会の中の自立した人間を目指すことが重要です。
このように言ううと、個人としての自立が進めば家族は崩壊し、「まっとうな」結婚をしようと思う人がいなくなるのではないかという意見が聞こえてきそうです。
実際、他の先進国に比べて日本で婚外子が少ないのは、日本の伝統的な家族制度がいまだ健全に機能している証拠だという意見もあります。
でも今の家族は本当に健全だといえるでしょうか。
法律が想定する「まっとうな」家族像を好まない国民が増えているために、婚姻率や出生率が低いままだという解釈も成り立ちそうです。
離婚率が低いことが家族の健全さを表すとも限りません。
禁煙、企業経営ではダイバーシティー(多様性)の重要度が高まっているといわれています。多様な人材を生かす力のない組織は、環境変化について行かれず弱体化していくからです。
家族も同じではないでしょうか。様々な価値観を持つ個人が家族を形成し、その中で個人の尊厳を認めることによって、結果的に日本の家族が健全に生き残っていくように思います。