2017年 9月27日 水 二度目のオレンジリング受講
出席者二人
夫 81歳 アルツ型
妻 76歳 上品な感じのひと
2017年夏 物忘れ外来で診断を受ける。
症状の進行が早い。
同年、症状の進行にもかかわらず、二度の入院(白内障手術、痔の手術)
娘の姑はアルツだった。
息子二人 東京広島
>妻はまだ夫の介護に理屈で対応できていない、みた。
そのための受講なのだが、じっくり聞いていない。
講義中にもかかわらず、Wに私のことばかり話してごめんなさいね、と断ってい一方的に講義者に質問を繰り返す。講義はこのヒトの質問と講師の回答のつなぎにテキスト解説を進めるというスタイルに終始した。
この症状の一対一介護において、介護者は相談する相手にも恵まれず鬱屈し、次第に心と体を痛める結果になることが多い。医療福祉の社会的資源を利用すれば、何とかなると介護のテキストはいうが、実際の現場ではそれらは、部分的にしか機能しない、と知っておくべきだ。
このケースもかかりつけの医者では部分的にしか対処できず(診療行為、薬処方対応であり、日常生活に踏み込んだ対応は無理)、介護の日常生活は妻の対応かかっていた。
このような極端な例に接すると、なるほどWも救いを求めていたのか、と自分の分身を見る思いだった。
>印象深かったのは、夫の混乱を目の当たりして、おもわず、暴力をふるってしまった、と率直に話したこと。
>知人の話よれば、別の夫婦介護(妻に症状)ではデイサービスの日に拒む妻に夫が暴力。
>夫婦間で大声でわぁ~わぁー言い合っている例も知っている。
夫婦の間の介護では、お互いの遠慮がなくなってしまうのだろう。
Wは突き放して、見守り対処する日常なのだが (彼女いわく、 情がない、二重人格、自分のことしか考えていない) 、時々、新たな症状、事案出現に混乱し<割り切り>段階の以前に戻ってしまい、反省。その繰り返しだ。
>それは積み木崩し。
それまでの交流が崩壊する危険性が常にある。ここが夫婦介護との違い。←技術的な問題が大きい(頭を冷やすためにとりあえずその場から退散。)
知恵、機転、洞察力いかんの問題であり、悟りとかそういう観念領域の問題ではない。
2017年 10月1日 日
かなり遠くまで散歩。記念にデジカメ写真。
ケアマネが、施設入所について語ったと、聞いた。
施設入所=酷いところという長年の女友達もいる。
ヘルパー責任者に言わせると普通の人の思いだというが、Wは相手の立場を考えない残酷な言辞だと思う。
2017年 10月 4日 水
回覧板にある字句 隣室のヰが寸になっているのは間違いで、ヰ(イ)なのだ、とは指摘した。
スルドイ!なるほど、子どものころよく読んだ軍事雑誌<丸>に<ヰ>は潜水艦や作戦名として、よく出ていた。
Wは、燐寸(マッチ)の寸の連想で間違ったのだろうね、といって、辞書で確認し感動のあまり大声を出して叱られる。
間違った漢字の札がそのままで回されるので、言ってやろうかな、というとやめときなよ、と。それもそうだなと一件落着。
最近はこういう間違いもあった。●盆踊り←×貧踊り。Wも伝票の間違いを封筒に写して、そのまま出してあとからなんだか変だと気づいた。Wはこの程度。
2017年 10月14日 土
夜、9時過ぎ、緊急TEL。
「おしっこが出ない」 寝て目覚めたとき死ぬかと思った。
眠剤を飲むまでおしっこが出なくて眠れなかった。
この夕刻、Wが買い込んだアルコール度数40%の外国製スピリッツを目を離しているすきにぐっと飲んだ。
30MLのんだとしても、300MLのビールを飲んだと同等のアルコールを摂取し、夕食後の分封の薬を飲んだことになる。
>もともと大酒のみの家系で、ビール2本を飲んでいた人が、ピタリとやめていたが、Wが慌てて止めるので、冗談で一口飲む。
この時は飲んだ酒が強すぎたのか?