反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

第1回。 発作性心房細動、カテーテルアブレーション治療入院記。

           12月15日 10:30病室到着
① 薬剤師が来て持参の抗凝固剤の確認→12,17オペ当日 朝夕服薬中止
② レントゲンと心電図
③ 看護師が来て体温、血圧測定 入院患者IDバーコードを手首に着ける(簡単に外れない。退院の日、自分で切断)
 *病院側の要求するカテーテル承諾書は事前に受け取ってなかった(入院受付でもたってないのですか?と言われた)。

同部屋の老人の夫人と話す。
主人は運動を続けてきた。体脂肪率18%だったとか。
夫人の血筋は長生き。介護は男より女向き、とつくづく思う。男が介護すると心と体を壊し自滅する。そんな事例を繰り返し確認してきた。
**********
         12月15日  16:50
Wは帰る、と言い出した。
   <誤解の元>
M→病室担当の医師
H→Wのオペスタッフの長、主治医、このヒトが主導して手術。

>WはMがオペするものと勘違いして、実験体になるなら、帰ると看護師に言い出し、病室に来た医師から、上記の説明を受けて、納得したが、そもそも担当H医師のカテーテル承諾書は入院時に手渡されていないのかと受け付けて言われた。この文書だけを見ると誰が手術するのかわからず勘違いする。
 もっとも猜疑心が強すぎるWの性格に問題があるとわかっているが。
***********

        1216日 8:30 デイルームにて
 夫が入院し妻が早朝から面会に来ている。
夫の給水をヘルパーらしき女に指示している。
「朝200ミリリットル。 昼200ミリ 夜300ミリ」
「ろれつがおかしくなってう~う~いいだした。MRをとってもらったが、前の梗塞の他に小さな梗塞を発症している可能性がる~」

>W。でもなあ~
 昨日の夫介護の妻といい、そこまで循環器系の大手術までして生き永らえなければならんのかなあ~
昔なら、とっくに死んでいる人が今、手厚い医療の下、生きながらえている。

 その一方で、
近所の82歳老女Oさんは糖尿を悪化させる中で、自ら生きることをやめるように、一人で枕にうつぶせになったまま、窒息死した。合鍵を持っている近所のサポート続けてきた長年の知人女性に発見された。
合鍵で室内に入った発見者は警察の事情聴取を深夜まで受けた。
警察の仕事は事件性の有無を調べるのは当然としても、よい意味での「おせっかい」がこのように調べられたら、たいていのサポート実行者は引いてしまう。
>集合住宅の良いところは、こんな人がたくさんということ。

他人を気に掛けることは普通の人間的感情として当たり前の所作だが、
>それを実行に移すことの間には大きな溝がある。
>そういうことができる環境と経験がなくてはいきなりなかなかできない
>テレビのバラエティー報道番組に相槌を打ち同情することは誰でもできるが、いざ実行すれば、面倒くさいことや負担が発生し、ある場合は不利益を受ける。

>環境、個人の在り方、経験が大事になる

Wは短い間だったが、Oさんを解り易い人と親近感を抱いていた。
年齢の割にベタベタしたところがなく合理主義のひとである。それいて相手に負担をかけない適度な礼をわきまえている。何事にもたじろがないところがあったとは合鍵あづかっ人のOさん評である。
こうした自分なりのOさん評は、衛星放送のアンテナを直してあげたときの前後で、分かってきた。Wはこういう時にお礼の品物をもらうのが嫌いでどうするのかのな、思っていたが、その後の対応がWの気持ちを汲んでくれていた。

>同じ近所の人工透析中のSさんは喉頭がんで8時間の手術を受け入院中。
一人残された妻は認知症
ところが夫が同居していたころより顔の輪郭がすっきりし、日常動作も何とかこなしている。
>はっきりしていることは、Sさんは介護負担でつぶれていった。
>Wの見方が適切だとすると、Sさんの自己犠牲は余りにも過剰すぎたということになる。そこまで介護しなくてもよかった。制度を利用すれば、負担は少なくなるのは確かだ。


      12月16日 日曜日、病院は休みであるという事実に唖然とする
 外出許可は医者が出している、とか。外出を言ってみたがあいまいな返事しか返ってこないので諦める。
>大部屋に3人。結構広いスペースが確保されている。

    <窓際の老人の「異常」行動?>
①独り言が多い
②夜間の消灯時間に枕もとの結構明るいライトをつけっぱなしで寝る
③久々に聞く東京弁→江戸時代から三多摩郷士。山の手言葉かな。
>このヒトも妻介護で、心臓病を悪化させた、と分かった。

 Rに電話。「ホテルみたいにいいとこだよ」といっておいた。
「昨晩なんで<みんな>来ないのか」とベッドで座ってよく考えてみると、「<みんな>病院に行っているんだと思い出した」
あきれるし、クスリきちんと飲んでいるのかと危惧する。
>この1週間が今後の成り行き具合の試金石になると思っている。

     <読書>
ここにくる目的の一つに本を読むぞ~というのがある。
①読みかけの新書サイズ1冊を読み切る。
日本仏教の系譜を解り易くまとめてくれている。
葬式仏教のスタイルを確立したのは日本最大の信者数の宗門、曹洞宗(これも意外だった)というのは意外だった。
よくまとまっているが表面的な教養本。
立花隆 「脳を鍛える」
気がめいってくるだった。どこか何かが違う。

   
      12月17日 オペ当日
SLEEP 21:00すぎ→2;30
      4:00    →5:30  
        合計    6時間半
昨夜、病院食が2日続きエネルギー不足なのか気がめいっていくような感がしたのでカロリーメイトとヌガーを売店で買い込み食す。
普段の接収カロリーから急激に低カロリーに替えると精神的不安定要素になる。

     
     12月17日 9:00 オペ。  
朝一番になると告げられた時、一番バッターはよい、と言っておいた。緊張感も不安感もなかった。
① ぴったり膝までの薄いゴム靴下をはく。足に梗塞ができるのを防ぐ目的とか。←これはネット記事に出ていなかった。

②出発前に主治医が病室に来て、凍結バルーン(マイナス40~50度の液体窒素の風船をカテーテルの先端に取り付け不適切電動回路を凍結やけどさせ絶縁する)をすることにしたと告げる。
ただし、状況によっては高周波(電子レンジと同じ)で焼く治療も追加する。←こちらの方が一般的治療法(5ミリ弱の火傷)で凍結バルーンは新治療法(いっぺんに風船を押し当てた広い範囲に凍傷~~1センチ以上~~を負わせることができる)。

   参考資料 
Part Ⅳ 不整脈
心房細動に対するカテーテルアブレーションの発展と現況
横須賀共済病院 循環器センター  副院長 高橋 淳氏
 
      クライオバルーンアブレーションの有用性と限界(経皮的カテーテル心筋冷凍焼灼術)
「クライオバルーンアブレーションでは、バルーンにより1~2回の冷却で肺静脈を全周性に隔離できるので(120~240秒/回×1~2回)、高周波アブレーションにおけるpoint by pointの複数回焼灼で肺静脈を全周性に隔離する方法(30~60秒/回×複数回)と比べて、技術的にも容易だという。
 しかしクライオバルーンアブレーションには次のような限界があると同氏は指摘する。
  1. ①発作性心房細動に限定
  2. ②個別肺静脈隔離と同等の効果に留まる
  3. ③太い肺静脈では隔離困難
  4. ④非肺静脈起源に対しては無効
「心臓が余り大きくなく、肺静脈が余り太くない発作性心房細動例に対するクライオバルーンアブレーションはかなり有効だが、肺静脈が太い症例、さらには持続性心房細動などではなかなかうまくいかないのが現状である」(高橋氏)。
イメージ 1






③オペ室移動。
外来で来ていたいつも見慣れた場所の奥にカテーテル室があり、景色を見ながら移動ベッドに横たわっている。この時も緊張感不安感はなかった。
>ベッドから手術台へ自力水平移動し、手術台に上って「もうちょっと頭を上の方に」などといわれる。普通冷静な声掛けだった
Wにとって基本的にどうでもいいことなのだ。
>オペ室に紺色の作業服姿?の多人数の人が各分担ごとにいて、いつもの当たり前の作業を進めていく。
室内は意外に雑然としている。テレビ映画などでよく見かける集中治療室とカテーテル室は異なり、そこで作業している人たちの雰囲気はテレビ映画のようにいかにもテキパキ動いているというフンイキではなく、自分の分担を着実、当たり前にこなしいる感じ。
職人さん腕は仕事内容で決まる!恰好はつけない。

④「点滴から全身麻酔薬を注入します」「ぼ~とします」と告げられ、すぐにいかにも点滴から薬を注入された感がしてぼ~としてきたら、そこから先の意識が消えたという感覚さえなくまさしくプッツン、PCの削除状態だった。


⑤それから、夢をみた。
CTスキャンで撮影されたやけに鮮明な胸部らしき血管の映像。背景は薄い水色。血管は濃いブルー。
その時手術を意識した。
そこから徐々に感覚が戻ってきたのか周囲の人の声掛けで、人間的?意識が戻ってくるように思われた。
鼻は鼻水で詰まっていた。
>ベッドに横たわり病室に戻る途中で心臓の具合は前と違って落ち着いており、別心臓の人格に生まれ変わったようにかんじた。
>人に聞いた話では、手術が成功したかどうかは、こんなに早く自覚できるらしい。その人は手術の失敗を目覚めたときに自覚したとか。

>振り返ってみると麻酔薬(睡眠薬も投与したとちらっと聞いた)がまだ効いていて、メルヘンチックになって、こんな大げさな自覚が出現しなのかもしれない。
>医学治療における麻酔麻薬の威力は強力なものがあるのでははないか!

>時間経過とともに(翌日)、術後のありのままの状態を自覚するようになった。根本的に心臓に異変のあるWのような状態では、完全回復はありえない。それがわかった。
術後当日はメルヘン状態だったのだ。
奇跡は起こらなかった。
今後とも障害と仲良くよくだましだましやっていくしかない。

>>手術の時間は5時間い及んだ。
手術を決める前は3時間程度と説明されたが、この手術としては最長時間を要した。
*手術箇所は複数にわたっていた。
イメージ 2
液体窒素バルーン手術による
  ↓
① 左心房肺静脈4本の周辺←一般的な解説に載っている箇所(手術法は上掲載の画像参照)
******
高周波焼き付け
 ↓
② 肺静脈の上の心筋
③左心房内旋回電動の発生源

冷凍と過熱の2つの手段で左心房にいっぱいやけど跡を作って不適切電動回路を絶縁したのだ。左心房内には旋回電動もあった。

>5時間後、医者がカテーテル挿入口の状態(3センチ程度縫っている)を見に来た。
「術後6時間?」と看護師に聞いていた。「いえ、5時間です」
挿入口はうまく塞がっている、とおもった。

Wは手術前に体力強化を図っていたから、手術の臨む体力には自信があった。
アルコールは入院の前日まで飲んでおり、普段と変わらない忙しい日々を送っていた。
食事は多めを心掛けていたので1,5キロほど太った。
もっとも入院して、体重は少し増えた。病院の階段上下運動をしていたが、Wの日常生活からすると運動不足甚だしい。

>これからが大事なところ。
カテーテル挿入口を抜糸ができるまで、片足は動かさないように言われた。←経験者の記事ではここが一番しんどいと記されていたので、断固臨むことに決めていた。徹夜など普段やっていることで、まるで問題にならない。煩悶して眠れぬ夜を過ごすことがあるので、この程度のことは何ら気にしない。
>支援介護の方がしんどい。自己葛藤で夜が終わり、日はまた昇る

≫絶食でもよかったが夕食は仕方なくとる。ベッドは45度程度に挙げてくれた。ストローで吸引。手元の曲がるストローが便利だ。

>本を読む集中力はなく、テレビが懐かしい。
>上体を動かすストレッチで腰負担を減らすが、背筋が凝ってくる。
プール通いをしているころは腹筋運動300回で鍛えておりまだその余韻で背筋もストレッチする。
**********

「あのまま、全身麻酔のままでよかった。一種の臨死体験だった」と病室に来る若い看護師にいった。
帰ってきても~~~。
     
     次回に続く