反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

1月事故の教訓。真鍋 厚「『家族がいるから、老後も多分大丈夫』という思い込みの「落とし穴」

      「家族同士で面倒をみるべき」という価値観
「ほんの3、40年前ぐらいまでは家族の単位も大きくて、親族のネットワークも機能していたから、今でいう『終活』もどうにかなった人が多かった
>つまり、面倒臭さと表裏一体ではあるけれど、相互扶助のようなものを期待することができたんです
 
しかし、現在はというと、病気でも介護でも何かしらトラブルがあると、すぐに家族が壊れてしまう非常に危うい状況にあります。
普通の家族』自体がはっきり言ってすごくリスクの高いものになっているんですね
しかも、現役世代の人ほど自分には関係ないと思っているのが問題です
 
>例えば、現在50歳の会社員で、75歳と78歳の両親がいる場合、
>10年後にはそれぞれ順に60歳、85歳、88歳となり、
>15年後には同じく65歳、90歳、93歳となる計算だ。
しかし、子どもの立場にいる人の大半は、「自分は歳を取らないことを前提に考える」そうだ。
つまり、自分は50歳のままの感覚で親の介護などの問題を語るのだという。←W。そういった子供でも持病を抱えると、多少は老人の立場に近づける。


そこで起こるのが、親子での「老老介護」だ。
子どもも高齢化し、持病や障害などを抱えている場合もあり、すでに要介護状態になっていることすらある。
 
お互いの安否を気遣うレベルの近所付き合いや、日常的に対面する友人などが一人でもいないと、このようなリスクを回避することはかなり難しい←W。それら等を形成するには長い年月がかかった。それらが形成できなかったものが、いきなりできるわけがない
 
>つまり、現時点で自分が置かれている「関係性の貧困」について、客観的に捉えることができていないのである
        ↑
W。そうかな?ごく狭い人間関係しか形成できないのは、自分の置かれ環境について客観的に把握できていないからなのだろうか?との大疑問。
存在が意識を規定するのであって、意識が存在を規定するのではない!
 
>これは仕事の有無や、パートナーの有無にまったく関係なく、
誰もが「自分の関係性を自分でマネジメントする」ことが必要な時代に突入したことを意味している。
     ↑          ↑

W。語の真の意味で関係性をマネージメントするのは難しい!

近年ビジネスシーンでは、「関係性のマネジメント」という言葉が流通しているが、これからは私的な領域においても、QOL」(生活の質)の視点から「関係性」を再考することを余儀なくされるだろう。
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W。もっと難しい作業におもえるが、生活の質はプライベートゾーンの問題に帰着するから、肩ひじ張ったものではないかもしれない。
 
とはいえ、個人が主体的にコミュニティを立ち上げたり、ネットワークを作っていくライフスタイルは、残念ながら一部の例外を除いて、日本の文化にはあまり馴染みがない。←W。行動的参加の活動スタイルが今よりも大きな意義をもち、主体的であろうとしてきた我々の世代がなしえなかったのは具体的な理由がある。
意識革命、文化革命ができなかった。個人の自律性を大切にしたものを包摂する社会空間がなく風俗と観念、ミィーイズムに収束し、大勢は会社社会の経済至上主義に統合された。
W。育む海がないから<家族><会社><社会組織>がたこつぼする。
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*家族や会社での人間関係を「固定されたもの」として認識し、所属集団へ閉じこもるような依存体質があるためだ
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W付加体列島原住民社会は古来から他の東アジア地域と比べて極めて流動性の低い所属集団を原基形態としており
日本的封建社会において年貢村請負の支配が末端まで及ぶ管理排他社会(下が忖度、自粛し配下の管理を請け負う)に成長し、明治政権ブルジョア半封建性支配者はこの統治機構を利用し、やがて金融資本制に突入し資本蓄積の強化の一方で、
半封建的な社会機構の残存を資本的に吸収できず過大な労働過剰人口の圧力を抱え、東アジア侵略戦争において、世界帝国主義権益との衝突に敗れ、米軍事力によって、敗戦後の市民社会革命を将来させた
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>そして、最も大きな障壁になっているのは、「高齢者は家族が面倒をみるべき」という、<家族を言わば聖域化する価値観>である。←W。日本独特の家族法制である戸籍法は古代中国の専制国家体制が人民を家族単位で掌握しようとして成立させた法制に明治政権が倣ってとりいれたものである。
W。令和という不気味な元号は眠っていた古代天皇ー地方豪族半国家の用語である。
遠藤さんの終活サポート>は、家族代行と見守りを兼ねたもの。介護施設選びから入所後の施設とのやり取り、本人の健康状態の確認までを家族に代わって一手に引き受けている。
必要な場合は、死後の葬儀や遺骨の処理までも請け負うという。
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 本物家族 VS 出前家族の争い - YouTube
続・本物家族 VS 出前家族の争い  
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>今のところ、「疎遠になっていた身内が認知症などになったのだが、面倒を見切れない」といった人からの依頼が目立つ状況にあるが、
これからは「普通の家族」でもこのような事案が増加するとみている。
*ただ、現在は、上記のように、家族からの事態が深刻化してからの急な依頼が多い背景には、
**「家族で何とかしなければ」という思いに囚われて消耗し、三者に助けを求めるまでに時間がかかることが挙げられる。←W。事実!
仮に親が重度の要介護状態で、子どもが一人っ子の場合、入所施設が遠方であったり、仕事の都合で駆けけにくかったりなど、トラブルにすぐに対応できないため、このようなサービスを受けることは現実的な選択する。
  W。なんだその程度か?子供の代わりに施設で戸惑う親に面会する。
 
「働かないと生活が回らないので、介護疲れなどにより体調を崩したりすると、家族全員が共倒れになる恐れがある。だからその前の段階で、私たちのような存在がいることを知ってほしい」(遠藤さん)
 
    「2・5人称の関係」とは何か
*遠藤さんは、「自分たちの立ち位置は、家族ではないけど、かといって他人でもない〝2・5人称の関係性〟」と表現する。
「家族だと2人称の関係性になってしまう。自分たちは明らかに家族ではないけれど、一方で3人称の関係性だと他人になってしまうので、ちょっと距離が開き過ぎてしまって、サービスを受ける側の満足は得られないんです。
>だから私たちは〝2・5人称の関係性〟でやっています。
感覚的には、ある時間帯だけその方の家族の代わりになって、入所先の施設の担当者とやり取りをしたり、個人宅に直接訪問して安否確認をしているのに近いですね」←W.介護事業所のケアマネ、ヘルパー責任者、ヘルパーはどうした? 介護保険の範囲内では隙間が多すぎるということか。

 一昔前、二昔前にはあったような親族やご近所とのつながりが薄れ、何か事が起これば、数少ない家族にすべての負担がかかる。介護保険などの公的支援にも限界がある上、しかも、それを独力でこなすことは肉体的にも精神的にも厳しい。
だが、「第三者」の手を借りるにしても経験がないため、価値判断(正しい選択かどうか)とアクセス方法(誰に頼めば良いのか)の両方で戸惑うこととなる。
 
*W。??介護保険の諸サービスとの関係はどうなっているのか?一言もないのでこのケアはボランティアなのか??→ここに「自分の関係性を自分でマネジメントする」ことのヒントがある。
 

孤独や孤立をめぐる議論は二極化に陥りやすい。つまり、肯定派と否定派だ。←W。解っている。
>>しかし、現実はそれらの是非を超えて、「三者の協力が得られないと<人は生き残れない」>と告げている。←W。サバイバル議論がなさすぎるから現場に実情を把握し対処できない。戦後市民革命は米軍仕様で日本国憲法の云う権利と人権は市民社会に土着しておらず宙吊り状態なので当事者のサバイバル意識が優先される。
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>これは実は、病気や失業などの緊急事態の場合は云々……といった限定的な局面のみを指しているわけではない。
普段の生活で心理的な安定を得ようとすれば、コミュニケーションの濃淡を別にして、
>「自分にフィットした関係性」が不可欠となる。
そのため、孤独死予防」に主眼をおく消極的な関係作りよりも、W。better
「心の健康」を最大化できる関係作りベストとなる
W,best  社会的介護が未遂なのだから、現状の家族介護で「心の健康」の最大化を目指したほうがいい、ということか。
けれども、誰もがそのように自由に振る舞えるわけではない。
現実的な処方箋の一つとしてよく示されるのが「多重所属(一つの集団に依存せず、複数の集団に同時に所属する)」であるが、当然ながら、人間関係を最小限にしたい人も少なくない。
 
W。意味深。もっと具体的に。施設環境の選択のことか?→もう一つの現実的な処方箋は、自分が望むコミュニケーション環境があるコミュニティへの移動と、
W→現実的には訪問介護介護診療、デイサービス、ショートステイなど介護保険利用の諸サービスのことか?個人向けの多様化したサービス(民間・自治体)の使い分けである。
>他人との積極的な
コミュニケーションが不得意な人にとっては、現実的な落としどころになるかもしれない
 
   「迷惑をかけたくない」が生む孤独
 
女性の方は、私の『さえずりの会』の情報を見て、相談においでになります。不安や悩みなどを聞いているうちに、自然と見守りの話になることもあります。
他方、男性はこちらから声を掛けないと引きこもってしまいますね」
国立社会保障・人口問題研究所の「生活と支え合いに関する調査」によ
ると、高齢期の会話頻度が低いほど、「長生きすることは良いことだと思う」割合が減ることが分かっている
近年、山下さんのような取組みは、個人・団体を問わず増えてきている。これは決して高齢者だけの問題ではない。
 
>家族が外部の資源なしに回る時代は終わったことを自覚し、現在の「関係性に潜むリスク」と向き合う余裕を持たなければならない。
コミュニケーション環境のコントロール、「サバイバリズム」(生存主義)の要だからだ。
今後、QOLと人間関係に対する社会的な関心は、
ソーシャル・キャピタル社会関係資本)の「焦土化」とともに高まっていくだろう