引用
「 認知症サポーター養成講座標準教材
認知症を学び 地域で支えよう。(W。こんな認識では地域住民は遠巻きに眺めるだけ、興味本位、一歩踏み込んで接しない、寄り付かない、になる。そういう地域の状況は厚労省の云う地域の見守りとは異質そのもの。ありきたりの住民啓発イベント開催などは悪く言えば、アリバイ工作。) 助けられ上手、助け上手などのそれ自身適切なキャッチフレーズも根元が間違っていれば上滑りする。
原則的認識論の普及も大事だが、具体的にできることできないこと、を明示してもよかろうに。それで行動している人たちを応援するメンタリティーをはぐくむことだ大事だ。
発行元 全国キャラバン、メイト連絡協議会
冒頭部分引用
認知症サポーターキャラバンの展開
我が国の重要課題です
尊厳をもって自分らしくありたい。これは誰でもが望むことですが←W?下線部分の認識は、日本の在宅介護現場の多くの人々にとって、たとえ望んでもかなえられないのだから、現実とかけ離れ余計な葛藤を自己と他者に抱え込ませる。この教科書は地域向けのものであるが、そこで展開される論議はがちがちの原則論であり、施設環境前提の介護で実践されるものと感じる。日本の認知症介護の教科書的論議はl在宅介護と施設介護の環境差を取っ払ったものが多い。
そもそも、Wが受講した講師は自宅で母親介護をしながらデイケアを運営している自分も教科書にあるような実践はできず、被介護者のリアルな混乱の増幅に接すると戸惑い混乱段階に帰るという本音をふと漏らしていた。
だったら教科書論議と平行に、そこのところの討論を深めたほうが在宅介護現場にとって、良いのではないか。
もっとも、講師受講者ともどもがこの領域について話しだしたらきりがないという経験もWはしている。
在宅介護現場で混乱状態にある受講者は、その不安感を一気に吐き出してしまう。
深沢七郎「楢山節考」の死地に赴くおりんばあさんの尊厳貫徹は、徹底した自己否定系の中で行われたがゆえに崇高の域に達したと読者に錯覚させるが、この文章の云う尊厳貫徹とは生に対するアニマル的貪欲性の貫徹の側面が色濃く、日本の介護現場の現状を超える思考がない。
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全国キャラバン引用文に戻る。
「この願いを阻み深刻な問題になっているのが「認知症」です。←W。課題の設定そのものが現実離れした理想形(最期のときまで尊厳貫徹)だから,それに応えようとすれば現実の深刻性は増幅して認知される。
>極端な例だが昨年1年間にWの周囲で起こった高齢者<死>5件のうち3件は警察の現場検証必要な事故死。そのうち2件は夫婦の一方の死なのだから、いわゆる高齢独居者の孤立死とは違う。
引用に戻る
「今や老後の最大の不安となり、超高齢社会を突き進む日本にとって最重要課題の一つとなっています。
他人事ではありません
認知症は誰でも起こりうる脳の病気によるものです。←W.。によるものとは微妙な言い回し!で間違っていないが、注深く読まないと、認知症=脳の病気とかんちがいする。一般の見方はこれである。きちんと詰めて書いていないから、一般民に勘違いや偏見の発生源を提供することになる。
>ただし、後で挙げる引用文を読んでWは認知症=脳の老衰説という認識を緻密化していなかった、と反省した。
当該箇所引用~すでに何回も引用している~~こういう官製の認識が根付いているから橋田寿賀子というおひとのような認知症になるくらいなら死んだほうがまし、などという人間の深層に迫るべき作家にあるまじき論が出現する。
認知症になった安岡の母親は、父親とともに高知県の実家に身を寄せるが、症状が進行し、
高知市桂浜(坂本龍馬の銅像で有名な海辺の観光スポット)にある精神病院に入院したが、短期間に症状がさらに悪化し死の時を迎える。
すでに芥川賞を受賞していた安岡は東京の有名作家としての卑俗な文壇的日常生活の余韻も冷めやらぬままに~~←世俗世界~~駆け付け、重度認知症で死に至る母親と入院している海辺の精神病院~~定在としての自然~~の交々とした人間模様~~認知症認識の原点。当時は老人性痴ほう症、~~に覚めた作家的な目で向き合う。
第9回 認知症サポーター養成講座標準教材~認知症を学び地域で支えよう~*教材作成協力者、斎藤正彦*「認知症」(関わり)を訊く*W資料 安岡章太郎「海辺の光景」 2017/10/8(日) 午後 1:35
>>W。参考資料②
引用
「
ところが、過酷な状況を繰り返し目にする中で本人側に共体験したり、クリスティーン・ブライデン(注)の本を読んだら、「本人だって話せる、本人にしゃべらせないのは周囲だ」と書いてあって、なるほどそうかと思ったりして。潜在化されていた本人のニーズが見え始めてきた。←W。口達者な自分がいると、対人関係の邪魔になる、しゃべらせなければ、という気持ちになる。そこにいなければよいだけのことだ。
そのまま出ていこうとする医者ともう少し話したい気持ちで、母の掛かった老人性痴ほう症とは、どんな病気かを聞いてみた。この男ならざっくばらんな話を聞かせてくれるかもしれない。
『さあ、我々にもよくわからんですな。』~
『とにかく戦後増えましたな、こういう病気がーー』
『身体の各部は健全なのに、脳細胞だけが老衰する。
~~~
『息子さんぞね息子さん』
母の呼吸はいくらか落ち着き始めた。彼女は眼を閉じた。部屋の外に押し音が聞こえて父親が表れ枕元に座った。
その時だった。『イアタイ。イタイ』次第に間遠に、眠りに誘い込まれるようにつぶやいていた母が、かすれかかる声で低くいった。
『お父さん』~父はいつもの薄ら笑いをほほに浮かべたまま、安らかな寝息を立て始める妻の顔に目を落とした。
~話題を変えるために、『母のような病気にかかっているものが全国でどのくらいいるものか』聞いてみた。
~『それがさっぱりわからんのですよ。
外国の場合だと、老人だろうと何だろうと、すぐに入院させるのですが、こちらは家族主義というか、個人主義思想の徹底がたらんというか、たいていは家において外に出さんようにしますからね。
ことに病気の性質から言って、年寄りが多いものですから。あなたのように』
~なるほど、夫の信吉が内地にいるときでも留守がちであり、生活を保障されて(W。獣医師陸軍少将)、息子と二人で暮らすことの多かった母親は、家庭の主婦としては気楽なものだったはずだ。
>原因はむしろ、そうした気楽な暮らしと戦後のひっ迫したそれとのクイチガイ、それにたまたまその時期に生理的変調をきたす更年期がぶつかったことによるのではないかと思われた。」 引用終了
認知症に対する理解を深めるために
引用
「
認知症訪問診療の第一人者であり、現在は「のぞみメモリークリニック」(東京都三鷹市、いまは外来のみ)の院長を務める木之下徹さんへのインタビュー2回目。なぜ、木之下さんが「本人の視点」を大事にするのか。その原点とも言える体験から、「人が生きるとは?」という根源的な問いへと話は進んでいきます。
前回の記事はこちら
>認知症とは? 病気ではなく症状です
認知症」は、病気の名前ではありません。たとえるなら腹痛や頭痛のようなもので、さまざまな病気が原因で起きる「症状」です。その症状はひとつではなく、「もの忘れがひどい(記憶障害)」「今日が何日かわからない(見当識障害)」といったいくつもの症状の集合体です。
原因となる病気は、アルツハイマー病や、脳卒中、ピック病など数多くあり、すべて数えると70種類以上にもなると言われています。そして、症状が多少表れていても、生活に支障がない範囲であれば、認知症とは診断されません。
W。アルツハイマーは病気。その症状が中核症状である記憶障害、見当識障害、周辺症状の行動心理障害(BPSDBehavioral and Psychological Symptoms of Dementiaの略)に代表される認知症。
つまり認知症とは、「脳の病気などによって認知機能が低下してさまざまな症状が表れ、生活に支障が出ている状態」のことをさすのです。
記憶とは①覚える、②記憶を保持する、③記憶を呼び起こす、という3つの機能によって成り立っていますが、老化すると③の呼び起こす力が衰えます。しかし、認知症の場合は①②③すべてに問題が起きてくるのです。
認知症の原因ははっきりわかっていませんが、遺伝傾向はあるので、親が認知症であれば注意が必要です。ほかにも、高血圧、糖尿病、高コレステロール血症、喫煙、過度の飲酒、運動不足などでリスクが高まることも知られています。
参考資料
2019年04月27日
木下
だって記憶できていないんだから。それを忘れた、忘れたと責め立てれば、人間関係はどんどん壊れていく。あたりまえだけれどもね。
冨岡 なるほど。
木之下 認知症の苦しさには、二つの病理があると、僕は考えている。その一つが、この「もの忘れ」です。みんな子どもの頃から宿題忘れるな、忘れ物するなと、「忘れることは悪い」という価値観の中で育ってきているから、罪悪感を持ちやすい。
今の世の中の優生思想的な認識、排除の論理に寛容な空気がちょっとあらわになって、際立った形で人権の問題をみんなが考えることができるようになった。
そういう世の中は嫌だよねという批判もしっかり出てきた。この構図はそっくりそのまま認知症にもあてはまるんですよ。「人は皆、等しい価値がある」ということを実現する社会をつくるうえで、認知症は極めて有用な題材でもある。そもそも、「認知症って、そんなに迷惑なことか?なったらおしまいか?」って僕は思うんだけどね。
木下
10年以上、毎日のように暴れている本人たちを見てきて、あるとき、「これは自分だな」と思ったんです。「いつか自分もこうなるんだ」と共体験したっていうのかな。←W。現場では実際にそう思う。
冨岡 困っている家族の側でなくて、本人側に共感したのですか?
木之下 最初はもちろん、家族に共感するんです。「本人が暴れている、それは大変だ。なんとかしなきゃね」と。でも、毎日本人に接しているうちに、本人たちに自分が重なった。
僕の中ではずっと、思考実験を繰り返していたんです。そもそも本人と周囲の何が問題となって、本人は「暴れて」いるのか。この問題は相当にこじれているんだけど、「家族が困っている」という顕在化されたニーズがあるから、僕だってその当時は「医療は家族のため」と信じてやまなかった。
引用
「アルツハイマー博士が発見した2つの特殊な病変とは、何だったのでしょうか?
老人斑
特殊なタンパク質から形成された「アミロイドβ」からなるシミ状の斑点
神経原線維変化
神経細胞内で、「タウ」というタンパク質にリン酸が異常なまでにくっつき形成された糸くずのような塊
その2つの特殊な病変とは「老人斑」と「神経原線維変化」というものでした。
「しかし、まだまだアルツハイマー病の原因の全容解明とまでは至っていないのが現状です。
要約 アルツハイマー病患者の脳に観察される組織病変として、βアミロイド沈着(老人斑と脳 血管壁アミロイド沈着)と神経原線維変化がある。これらの変化は老化に伴って進行し、と くに進行が著しい場合に老齢期にアルツハイマー病を発症する。ヒト以外の動物の場合、寿 命が短いマウスやラットなどのげっ歯類ではこのような病変は観察されず、イヌやサル類な ど中寿命の動物では加齢に伴ってβアミロイド沈着はおこるが神経原線維変化は生じない。 私たちはこの現象は脳老化速度と個体老化速度の相違によっておこると考えていたが、最近、 老齢のネコ科動物には神経原線維変化が生じることを見出した。←Wその程度か。βアミロイドのアミノ酸配 列の相違が神経原線維変化の有無を規定しているのではないかと考え研究を進めている。