我ら」は兵士の帰郷もの。おそらくこの種の映画の先駆だろうとおもう。
三人の帰還兵がたまたま同じ小型旅客機に乗り合せ友人となり、中西部と思われる故郷に帰るとこから物語は始まる。
構成の特徴。三人は故郷に帰ってからも互いに連絡を取り合い、相手の帰郷後の生活状態を心配し合う。
これで三人三様の帰郷後のストーリーが絡み合う前提が確保される。
話の流れとしては二つのラブストーリーのハッピーエンドなのだが分け入ってみると面白いことが分かる。
軍隊時代の兵士としての階級と帰郷後の生活状態が逆転していることである。戦場の英雄である大尉は大型ドラッグストアーの一角のカウンターでソーダ水やらを売っていた。若い美人妻は尻軽女であり、離婚。仕事もうまくいかず、失業。
下級兵士の中年男は田舎に帰れば地元銀行の幹部で最新式の豪華マンションに住んでいる。
美人でやさしい妻と可憐で気立てによい年頃の娘、まじめな息子がいる。
最後の一人は中流階層の男だが、戦場で片腕を失い義肢をしているが隣のうちの幼馴染と相思相愛である。
離婚した元大尉に銀行幹部の娘が恋をするが、父親としては離婚男で生活不安の大尉の人間的な素晴らしさは認めつつもOKはだしずらく彼に娘との交際断絶を要請する。
身体障害者となって帰ってきた若者は自虐的観点から幼馴染との結婚に躊躇する。
どちらの恋愛も女性が変わらぬ愛を持ちつずけることから成就する。
銀行幹部は大酒のみで酒にまつわるシーンが映画全体にユーモアのアクセントを与えている。
これがなければかなりきつい映画にもなってしまう。
一つの気になるシーがある。
銀行幹部が戦争の手ミアゲといわんばかり日本刀、扇子、見せるところ。
当たり前のようにジャップと日本人兵士を呼んでいたこと。
感情としていい気持はしなかった。
しかしこれが戦争というものだろう。日本人は鬼や畜生と彼らを例えていたのだから。
銀行幹部の日本刀やらは戦利品だろうがその向こうに無残に死んでいった日本兵の姿を思い浮かべてしまう。
やはり第二次大戦には勝者がいて敗者がいたのだと実感できる。戦闘の勝者は倒れた敗者の持ち物を奪って記念にする。
原爆記念日。
核武装の軽はずみな持論を持つ麻生がそれ自体ウソでしかない非核三原則を公言するの欺瞞だが、秋葉市長がオバマの核廃絶の願いに依拠するのも論理的に矛盾している。
アメリカがアメリカである限り核は手放さないし、戦争は続ける。
金融システムは核を頂点とした圧倒的軍事力の背景がなければ成立しない。
説得ではなく軍事力で勝ち取られたものだ。
アメリカはつい先日、深い地下壕を破壊する爆弾を開発したと発表した。
第二次大戦後あの国だけが海を越えて他の民族に直接戦争を仕掛けている。
しかしいまや世界はアメリカシステムを基準としないようになってきている。
アメリカは反面教師とさえなっている。
文化の面でもアメリカへの憧憬はおわった。今のアメリカにワイラーを生み出す環境がない。
数々の名画はアメリカの黄金時代が作り出したものである。
戦前の日本は「風と共に去りぬ」のような映画を撮れるアメリカと戦った。
兵士の帰郷先の中西部の小都市の市民の生活がリアルに描かれているが、戦前の日本とはあまりにも生活水準が違いすぎる。こんな国と総力戦を構えた日本の軍人どもは愚か者だ。これを肯定するタモガミは同じ轍を踏もうとしているのがわからない。
政治軍人の観念の肥大化が国を結局は破滅させる。