反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

昨夜TV東京系の番組を見ていたら話がそういう方向にいったので慌ててスイッチオフ

 薄い番組だった。要するに俗流の黒澤伝説を繰り返し確認しただけ。TVだから仕方がないとは言えるがもうちょっと良い味付けにできなかったのかなと。
 黒澤映画は白黒時代のものは全部見ている。池袋の文芸坐で睡魔に負けて気が付いたら終わってた、なんてのもあるが。
 個人的好みとしては黒澤映画は世間の評判ほど好きでない。カラーになってからの作品はすべて凡作であるとおもう。
 しかし公平、総合的に見て彼を超える映画監督は日本には残念ながらいなかった。これが日本映画の限界である。
 
  <ベターな作品を順番に上げていくと>
 椿三十郎。赤ひげ。用心棒。7人の侍。もう出てこない。
 全体に思うのは監督の力みが俳優の力みにつながっていて見ていて疲れる。画面にくぎ付けとまではいかない。

  <たけし映画は最初の監督作品「その男凶暴につき」は面白いと思ったが、>
 見る気がしないので見ていない。
 「hanabi」はじっくりとみた。
 全体の構成はジョン、ヒューストンの「赤い風車」というフランスの画家ロートレックを描いたものの完全な剽窃だ。
絵画を進行の間に入れていく手法はそっくりだし入れるマワいがとにかく似ている。ヒューストンではロートレック本人の作が挿入されているが、北野では主人公のハチャメチャ刑事の描いた絵が物語の進行に合わせて登場し、アクセントとなっている。
主人公の設定もダーティー、ハリー風。最も凶暴につきもそんなタイプだったが。
 しかし腑に落ちないのは妻をがんで亡くし同僚を目の前で殺されたぐらいで刑事がドロップアウトして復讐の鬼と化すのかなと。「それポッチ」のことでいい大人の刑事が道を踏み外すのかな。本人が一か月後に死ぬと宣告されたのなら理解できなくはないが。一応映画を見ている限りはその気持ちは雰囲気的には理解できる仕組みになっているが格好つけて甘えてるだけじゃないかと。
 そんな男が単独にやくざに挑んでいく。
 当然、えげつない小暴力をリアルに描いていくがここら辺りは東映やくざ映画の暴力シーンを参考にしているだろうし、巷ではもっとすごい人と人との直接暴力が実際にあったのだから。たけしもそんな時代を生きてきた人間だから時代の空気は知っている。  
外国の観賞者から見たら日本的な陰湿な暴力の発露は異常で新鮮に見えるかもしれない。
日本では欧米ほど銃器で簡単に武装できないから民間の暴力が肉体と肉体直接的暴力として発露される。当然、局地的には陰湿、残忍にみえる。

 画面構成で気になるのは日本の名匠といわれる人たちのまねごとが余りのも多すぎる。

 あそこまでのパクリはひどすぎる。。次から次へと出てくるのでこれでは自分のわからないパクリがもっとあるのではないかと思ってしまう。
 エッ!このシーンは成瀬巳喜男の完全パクリ。猫が静止た画面を右から左に横切っていく。
 小津安次郎風もある。
 とにかくオンパレード。
 ただ言えることはこういうのを全体でうまくまとめあげている。その意味で完成度は高い。
オリジナリティは私から見たら乏しいがヨーロッパの人でどこまで日本の映画を見ているか。
不案内だったら新鮮に映るかもしれない。
 もっとも今村昌平の「うなぎ」が賞をとるぐらいだからヨーロッパ映画は衰退しているのかなと。映画産業の衰退は評論の衰退でもある。
 
  北野武は俳優としてはいい線いっているときもある。
「教祖誕生」の宗教を完全に食い物にしている俗物の演技なんか彼以外にはできないのではないか。性格俳優としてはかつての三国連太郎にせまるものがある。
 しかし映画はいただけない。おすぎも北野映画認めずのスタンスをずっととり続けているらしが
映画批評としてまっとうな立場だ。キチンとモノが言えない環境が悪い。

 北野武東京芸大で映画を教えているらしいが、ある意味それは的を得ている。
偏差値秀才に小器用な映画の撮り方編集の仕方を教えているんだろう。

 カネと権力にまみれすぎた彼が政治の場面で発信すれば世間をミスリードする。