反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

週刊ポスト今週号で近況と人生論を「激白」されておられる。

 共感するところ、教えられるところも多くあった。
かつての時代、その分野のトップランナーとして駆け抜けてきた方は年を重ねても先駆者であるということかな、と。
 萩原健一的生活と意見は参考になるし気が引き締まる思いもする。
 あるとき病院の医者から「天寿を全うする」という言葉を聞いた時、おやっとおもったことがあった。
比較的若い方でズバズバしゃべる合理主義者と思っていたのでその言葉に意外感をもった。
帰ってから医者がどうしてそういう言葉を発するのかと考えてみると納得するところがあった。
 個々人には天から与えられた寿命というものがある。これはどうあがいても変えられないものだ
個人は天から与えられたこの大枠の中で生きていくものだ。生きるとはこの中で全うしていくことで死とは天から授かった命を全うした、という現在完了なのだ。
 
 あきらめる、というのも人間的行為だな、思ったことがあった。しかも完全に。覚悟をするというのとも違う。納得という言葉のほうが近い。

 萩原氏は運命は天寿としがって変えられると信じてすさまじい精進の日々を送っておられる。
ある種自己完結した精進の日々が長く継続されると淡々とした当たり前の日常になる。

 早寝早起き。一日20KMの周辺ウォーキング、腹筋、背筋1000回。自炊洗濯。アイロンかけまで自分でやるという。酒たばこは4年前に一切止め禁オンナ。
 こういう生活をある種、自作自演しているような余裕がある。そうしている自分を突き放してみているもう一人の自分がいる。様々な人間を演じてきた役者、ステージに上がって熱狂をリードしてきたミュージシャンとしての経験がストイックな生活を無理なく継続させている。

 四国88か所めぐりは2回半。
 現在の地方は車社会。巡礼行も車の往来する道も歩かなければならず、決してかつてのような牧歌的ものばかりではあるまい。その意味で新たな現代的課題が出現した。求道の心がなければ成しとげられない。
歩き歩きした果てに境地が見えてくるという。

 人生の上り坂の時は前かがみになって下を向いて歩く。下り坂は頭をあげて下るから景色を見ることができる。

 50、60はまだまだはな垂れ小僧とか。

 参考になる。ひとつの典型である。自分に与えられた場所で主体的に生き抜こうと思った。