反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

あるジャーナリストの変貌。このお人、サイトで民主党を論評していたが、

 余りの変貌ぶりに驚いた。以下、醜い個人攻撃にならないように描く。ほとんどTVのニュース、報道、政治討論番組は興味がない、見ない。ずっと見ていると個人の変貌は徐々に進行しがちだから気がつかなくなる。しかし、たまにしか見ない者にとってその変貌ぶりは強烈な印象を与える。

 この人を初めて見たのは関西ローカルのコメンテイターとしてだった。喉を潰したようなしゃがれ声で切れ味鋭いコメントを発していた。
黒田清さんと一緒に大阪読売新聞社会部で異彩を放つ活躍をされていたが、ナベツネが読売の権力を掌握する過程に反抗し退職。黒田さんとミニコミ誌を立ち上げ在野のジャーナリストとして多くの人々から支持されていた。大阪読売社会部長黒田清は在職当時からジャーナリストとして名の知られたおひとだったが、Oさんの存在は世間的には無名。その彼が部長と行動を共にし退職したのである。もちろん自分のジャーリストとしての才能に自信をお持ちであったにしても地位と保証された生活を捨て節を貫き通したのである。ある意味、有名ジャーナリストとして認知されていた黒田さんよりも勇気ある行動である。

 TVに出始めたころは舌鋒鋭いが何か一抹、影が薄い感じがした。しかし見慣れていくうちに気にならなくなったというか、彼自身がテレビ慣れしてきたのか自信に満ちてしゃべるようになり、ジャーナリストとして批判精神溢れる言葉に説得力があった。我々庶民にとって頼もしい存在であった。

 黒田さんが癌で亡くなって多くの購読者を持っていたミニコミ誌は後継者O氏が廃刊を宣言し活動の場を東京に移した。ちょうど星野仙一率いる阪神タイガースの優勝で関西が沸き立っている頃だったが彼は巨人ファンだった。

 その後の彼はよく知らない。時折見るテレビで見かけた彼は上手く型にはまった発言をしてい 
関西で見ていたころより角が取れてな、というところが感想だが、何しろその種のテレビは見ないので基本的に関心外の人だった。

 民主党大阪府知事候補として名を上がったころには本人がOKすれば当選間違いなしとの報道もあったが、きっぱりと否定していた。キチンとしたわき前のある人である。
ところでここで気になったのは知事候補として名の挙がった橋下徹に関する彼のコメントである。
考えの浅いところはあるがとした上で肯定的評価を下していた。
ハシモトをまるで評価しないばかりか将来の危険人物とみなしていた自分にとって違和感があった。でもさして気に留めなかった。

 0氏はサンプロに出ていたらしいが見ないのでそこで彼がどんな発言をしていたのか全く知らない。

 ある民主党寄りのサイトを最近見るようになったが、とにかく記事の内容よりもコメント投稿の余りのレベルの高さに驚いた。なかには評論家レベルを軽く超えた方もいる。世間は広い。

 この欄で0氏のサンプロでの小泉郵政選挙時の発言が批判されていた。自民党を離党した亀井静さん等を黒いハトとテレビで名指ししていたらしい。
何より0氏の記事へ寄せられる多くのコメントから0氏は多くの人から政治的立場を疑われており、全く信用されておらず頭から批判の対象とされていると見て取れた。
大阪時代のO氏を知っているがテレビをほとんど見ない自分には0氏の現在の立ち位置を初めて教えられたようである種、愕然とした。

 そして今回O氏の民主党マニュフェストに対する記事を読んで余りのひどさにもうどうしょうもないと感じた次第だ。

 子育て支援に雇用確保、賃上げを対置する。具体策は何も提起していない。
財政赤字を長期自民党政権の責任を上げずに取り上げ、自民と同じようなばらまき批判をする。民主党自民党長期政権で培われた利権癒着団体、会社を迂回して国民の可所得分を増やし、需要を喚起しようとしていることには目をつむる。
 最後は子育て支援が子供は国の子、意識を喚起し徴兵制の地ならしになるとまでのたまう。

 どうしようもない。

 しかしなぜそうなったか?
 要は存在が意識を規定するということ。
マスコミでの売舌、売文は高収入を保証する。もてはやされもする。人間関係も仕事がら業界関係という特殊なものに限定される。
この状態の長期化は志の高かった人を変貌させるに十分であった。

 マスコミに出てきてペラペラやってる人を疑うのは常識になってきているようだ。まだ一部の人たちの間だけだが。0氏もテレビ芸人の一変種か。

 最近の若い人はテレビを見なくなっているとよく聞く。
 世の中、進歩はあるものだ。