反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

核密約。日本列島をアメリカの不沈空母にせよ!BY中曽根康弘。

 民主党核密約のささやかれている中、1960年以後の安保体制下の日米秘密交渉の日本側の記録文書を省外の専門家によって確認作業を推し進め公表するという。すでに秘密交渉における密約の内容はアメリカの情報公開によって明らかになっているが、今回の調査は日本側の外務省文書によって事実の確認を行うものである。
 核密約は核の配備された沖縄の返還によって日本本土自体が国境が取っ払われることで核配備OKということになる、という論理的帰結をこっそりと追認したものいえよう。
 当時はこの論理的帰結自体を糊塗するために沖縄には核が存在しないと日本の当局者はのたまっていた。米軍当局は沖縄の核の存在は軍事的配慮から肯定も否定もしなかった。これが自民党の当時の佐藤栄作らが言う核なし返還=本土並み返還であった。日本当局が勝手に核なし=本土並み返還を強弁していたにすぎない。本土の基地は非核三原則によって核は配備されていないものとされており、核付きの沖縄が返還されればこの原則は完全に瓦解するので自民党はそのように言い張るしかなかった。
 おかげで佐藤栄作ノーベル平和賞受賞の恩恵にあずかった。いい加減なものである。

 1970年当時はベトナム戦争まっただ中で、解放戦線が旧正月に首都サイゴンホーチミン市街で一斉蜂起しアメリカ大使館の敷地内でも銃撃戦が行われアメリカは通称ベトコンの軍事力、非公然、非合法組織力に肝を冷やし、将来の戦況に憂慮した。
 このような情勢下で沖縄の基地はアジア最大のアメリカ軍の要石として存在していた。

 中国、ソ連は暗黙裡に北ベトナムと解放戦線を支援していた。

 かくして沖縄米軍基地に核兵器が配備されていないなどということは当時でも絵空事と思われていたが沖縄返還の事実の前にマスコミは沈黙した。

 しかしもっと難題があった。国境がなくなればアメリカ側からすると日本本土に核が無許可で持ち込めるという論理を得たともいえる。
 もちろん日本側は非核三原則を盾に抵抗できるが、現実には沖縄返還と引き換えに日本本土のアメリカ軍基地への核の持ち込みを容認した、ここが密約の核心部分だと思う。
横須賀の第七艦隊所属空母の母港化は核搭載船が首都圏に常駐しているということである。まさに非核三原則云々以前の身近で緊急な問題である。
 さらに日米ガイドライン閣議決定、周辺事態法の成立により、自衛隊の米軍下請け軍隊化も実体的に進行し、米軍の世界戦略の一翼を担う部隊へといつの間にやら組み込まれているのだ。
(日米合同軍事演習は両軍の実践司令官の配下での両軍の一体化作戦を想定して行われている。10月には滋賀で両陸軍の合同軍事演習が行われる。これは安保条約で否定されている集団的自衛権の行使を前提とする実戦訓練であり、事実上、米軍の世界戦略の中に自衛隊を組み込むことを前提としている。従って現状の安保条約の実態は以前のような日本を守るとかどうとかいう段階から完全に変質し、新たな段階に達している。この事態を持って自民党やマスコミは日本の国際貢献と言いつのるのだが現実はアメリカ配下での自衛隊の下請け軍隊化である。インド洋の給油活動、ソマリア沖海賊対策を見ればその実態が明らかである。)

 さらに中曽根が言うように日本を米軍の不沈空母とする発想は国民もろともアメリカの世界軍事戦略の人柱とさえしようとする完全な売族、売国である。親米右翼もここに極まれり、なのだが、
まだこの段階では親米右翼中曽根の虚妄の範囲を超えるものではなかったが小泉竹中路線の登場で事態は現実のものとなっていく。
 アメリカの年度要望書を着実に実行すればどうなるか?
事は自衛隊の米軍下請け化だけ済まなくなる。

 小泉時代になってから日米同盟という言葉が当たり前のようにマスコミに登場するようになったが、日米軍事同盟を超えた政治、経済、文化、の対米従属化のことである。これこそまさに本物の売族、売国行為そのものであるが、この事実を覆い隠すためアジア諸国の非難を餌食にするかのようにこれ見よがしに靖国神社に参拝し、民族排外主義の火に油を注ぎ続け、その熱狂で広範な国民に目暗ましをしてきた。
 そんな政治の結果が日本の無残な破壊である。小泉竹中は日本の庶民の戦後神話も破壊してしまった。
まじめにコツコツ額に汗して働けば家族を養い生活していけるという庶民のささやかな希望さえ困難を極めるようになった。石川啄木が貧困生活の果てにわが手を見つめたような事態が進行し、異常殺人の横行、自殺者3万人、それも青年層のものも多いという。そこに世界不況の高波が襲いかかったのだ。
自民党が選挙でいくら日の丸、君が代をがなりたてても、それが事実の隠ぺいであることは多くの国民の実感するところとなった。

 選挙が終わって必ずマスコミに取り上げられるのが自民党の再生である。
 許してはならないと思う。もはや利権癒着者を飼っていくほど日本の立場は余裕のあるものではない。国内の政府投資は有効に行わなければならない。また弱い人、困った人を助けなければならない。こうしたことにもっとも不必要なのは自民党政治である。
 
 八ッ場ダム
 どうしてあんな巨大プロジェクトが進行していったのかマスコミは元をたどって検証せず、現時点の問題点しか報道していない。
 巨大な無駄な投資でも確かに経済効果はある。しかしそれは結果的に国家と国民の未来につながっていず、一部のものしか潤していない。

 今回の選挙での自民党選挙公報を読んだが地方に約束しているのは幹線道路工事だけだった。
農業のノの字もない。こんな政党が日の丸やら君が代を言うのはチャンチャラおかしい!
 選挙中のネガティブキャンペーンはひどいものであった。この日本ではあの類のものはやるべきでない。狭い国土に密集して暮らす我々にとって最低限の人間的相互信頼感は生きる上での最低の了解事項と感じる。自民党はこれさえも自分が政権にしがみつきたいがため破壊して恥じないのである。許せない!それでどうして日の丸なのか!