反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

2022年9月27日(火)

 日本国は1980年代半ばのプラザ合意受諾、日本バブル崩壊以降、政治経済面にやることなすこと、ことごとく裏目ばっかりになっている。何かコレはという将来に希望を持たせる(最大多数の最大幸福)スマッシュヒットってあったっけ?国葬もその中に含まれる。

 

 昔、NHKの夕方の人形劇に<ひょっこりひょうたん島>というのがあった。井上ひさし、さんが放送作家時代の作品で、声優は中山千夏さんが主人公。藤村有弘さんガドンガバチョ、熊倉さんもいた。軽快リズミカルな主題歌も漂流する島とその個性的人間模様にはぴったりだった。

毎回ストーリーを追っていくと

単にひょうたん島の漂流記以上の何かを語っているという予感がしたが、その何かは子供にははっきりしないで奥底のワクワク感に留まっていた。

ひょこりひょうたん島は日本列島と原住民のことである、というのは自己流解釈。

 エレファントカーブの図が表しているように、日本列島と原住民はユーラシア大陸側に経済的地殻変動によって沈み込んでいる。

ウクライナロシア戦争はエレファントカーブの図がズバリ当てはまるケースである

 

 私は今日デモに行った。

原典に当たっていないので表面的な伝聞だが仏教では人間の苦しみを突き詰めると生老病死に行きつくという。古代宗教らしいそのものずばり、である。年を取らなければわからないことである。

 今の人間は生まれてくるときは平等ではない。出産は病院なのだから一人で生まれてくるわけでもない

ところが、<死>は平等に訪れる。コレこそ人間にとって究極の絶対である

死ねばその人の世界は終わる。真っ暗な世界だとかそういうのではない。苦しみのたうち回りながらの死もあるが病院で死の瞬間を迎えることができたら

<死>それ自体は恐怖でもなんでもない

あべさんは病院に運ばれたときは心肺停止状態だったというが、現場ではどうだったのだろうか?

しかし、酷な言い方だが、この事件の報を聴いてしばらく経って、コレは内輪もめ、もっと悪く言えば飢えたオオカミの共食いだったのではないかと疑念した。何に飢えていたのかは、それぞれ次元を異にしていただろうが、山上氏は一致点を見出した。

アベさんへの批判は仕方がない。徹底した公人なのだから。

山上氏の行為は選挙に及ぼす結果だけに関心があった。山上氏の政治的見解はネット右翼に分類できる。政治センスのあるものなら、参議院選挙投票日の前日、あのような行為は絶対にしない。投票行動に大きな影響を与えることをまず考える。復讐と国政のどちらが重いか、41歳にもなって判断できなかった。それからあのような行為を実行するときは捕まったらごめんなさいでは絶対に済まない。ほとんどの人がそういう形で裁判をやってきた。自らの行為を政治行為として貫徹できるかどうか、問い詰めてできないとなれば中止すべきだ。

統一教会の問題を突き出しても、内閣支持率は変動するが日本人は忘れっぽく、政局は作っても参議院議席は次の選挙まで変わらない。内閣が倒れても次の出番がある。政策も肝心の経済政策のかじの取りようがない(中央銀行のノーマルな政策である金利政策が不能。こんなG7はどこにある。)ので変えようがない。日本の統一教会も存続する。なによりもこの宗教団体は日米韓の情報機関と通じることを要に政治に接近しているところではないか。だとすれば政治の側で簡単に切れない。

 

 はっきりしていることがある。ネット右翼には暴力が溜まっている。おそらくこの種の事件は再発する。

TVではウクライナロシア戦争の情勢を喜々として取り上げている。一方の戦争がただしいなら、正義の人殺しもある得ると短絡する人間が現れて不思議がない。ましてそれに絡めて中国との戦争の危機を煽る議論が毎日のように流布されている。

 

苦痛のない死は消える、というよりもフェイドアウトという英語の軽い感覚が最も適切だろう。脳内で進んでいる時間がフェイドアウトする。

 全身麻酔剤を点滴剤にセットし、言われるままに数を勘定すると5つ以内に、フェイドアウトできる。全身麻酔剤の替わりに苦痛緩和剤を投与し続けると結果的に安楽死のような事態になる、のではないだろうか?

何年も前に大橋巨泉さんが亡くなった時、<妻>がモルヒネの投与しすぎで死んでしまったと医療ミスのように主張していたが、もうがん細胞と戦う時期を過ぎているものに、医師が適切な措置をしたのではないだろうか。

 平等にフェイドアウトした故人に世界は終わるが

関係する他者には故人の残した

①対幻想的、共同幻想的、そして③リアル世界がある。

 

>最近の反俗日記では、韓国の文学、現代史をざっと取り扱った。

記事にするときに調べてみると、事実上1代目2代目の文民大統領、金大中さんと盧 武鉉(ノ・ムヒョン盧武鉉; 1946年9月1日〈旧暦8月6日〉- 2009年5月23日)は国民葬に付された、とわかった。

>死んだアベさんは国葬になった

>いっては悪いがアベさんに国民葬が妥当だったかどうか、と問えるならばはなしは解りやすくなる。

>しかし、国葬などいうものを閣議で決めて持ち出してくるから話がややこしくなる。

@出るところに出て話し合おうじゃないか、というのは当然のことだ。黙っている方がおかしい。

@ちょうどエリザベス女王国葬と重なったが、ああいうのは軽蔑しているので無視した。ビートたけしが面白いことを言った。イギリスは海賊国家!そういううがった見方もできる。

 

@アベさんを国葬にした意味、意義は②と③のものでしかありえない。

それは彼らの国家共同幻想、を肯定し推進するということであり、

彼らのリアル世界を肯定し推進しづける宣言である。

アベノミクスは止められない。

日本は急落途上にある。

アベさんはその後のアベノミクスを見ずに済んだ。

美しい国日本」のアベさんらしい。

なお、若者層の正規雇用率は高い。その給与や労働環境は別としてコレが若者に自民党、「いしん」支持が多い要因だろう。兎にも角にも仕事はあると。

 しかしそれは中高年、特に女性の非正規雇用の下支えがあり中小企業でも若者を正規で雇える。また、高齢者の早期退職制度や団塊世代の大量リタイア、労働人口減、扶養家族108万円非課税制度など、まだ少ない移民労働力導入などの恩恵という日本的な特殊条件によるものだろう。(なお、この関連の図表と解説を見つけたので後日載せる)

なお、上記を裏返すと、日本の一人当たりのGDPが低くなっている要因に転化する!

ま、今までこの労働環境でよくやってきた方だ。

白井聡さんは国葬反対の動画で若者の自民党支持率が高いのは無知によるものと端的に指摘していたが、啓蒙には限界がある。啓蒙ではひとは本当に動かない。

 

存在が意識を規定するなんでもいいから正規職があればというところまで日本の労働市場新自由主義市場原理主義化している。

あべさんの仲間内にはあのボわ~ンとしたところが魅力で何でも言うことを聴いてくれたかもしれないが、一国の指導者としての見識はなかった。もともと右翼というのは身内に大甘。個人の人脈優先。経済も勉強しない。だから三橋さんのような愛国と経済をごちゃまぜにする人が新鮮に映る。そもそもアベノミクスのようなアブノーマルな経済政策は日本の将来のことを想って躊躇するのが普通の政治家の感覚だと思うが、得意になって信じ切っている風情だった。

 

やることなすこと上手くいったためしがない、その最たるものがアベノミクスだった

リフレ派から一貫して観察、批判してきたものとして、当時、何もかもが日銀のせいにする批判が如何にでたらめだったかど素人にもわかって、白川日銀総裁路線に理があるとみていたが、今もその意見に変わりはない。

アブノーマル路線に走って、良かったことは自公政権が安定支配したことだけだ。インフレがなくて仕事があるということは安心感を与える。株で儲けるやり方など、大方の人は無縁でも平均株価が上がれば何となく景気が良いみたいな気になる。時価総額で会社の力が評されるので株が上がれば会社の景況感に影響するが国内投資は儲からないのでしり込みしてきた。

株式まで買う金融政策の幅を目いっぱい使ったら、後は もう打つ手はない。財政膨張?そもそも一国の需給ギャップでデフレ云々をすることは一国内に供給ルートが留まっていないのだから現実離れしている。遊休設備に資金注入されたら動き出すとは限らない。

円安がこのままだと、日本の海外展開する金融寡頭制の円換算の資本収支、輸出の儲けの総額は膨らむ一方、その恩恵にあずからない企業との差異は広がり、企業間、家計間の資産格差は急ピッチで拡大する。中間層は分解し没落者が層をなし、少数の多数支配の構図がはっきり目に見えだすと、分解動揺した市民中間層に不平不満が溜まって、それを束ね拡散する力のある政党が前に出ていく。アベさんの得意技はここにあった。

 先日、イタリア総選挙で一般的に極右といわれる女性党首が首相になった。未成年の頃からその道のアジテーターをやっていた人物で、その前の政権党は5つ星運動とかいうインターネット政党が一翼を担っていた。期待した有権者の評価は「所詮、政治素人だった」と。有権者もいい加減なものだ。

第二次世界大戦前、ファシスト党が政権についたのは1923年、非常に早い。この面で将来を占うバロメーターになる。

 

 今のヨーロッパで左右の区分けはどうやら核心は日本よりも門戸開放しがちなEUの移民政策への態度にあるようで、昔の社会民主主義リベラリズム、あるいは保守主義という区別の仕方と変ってきている。

移民を擁護する政治潮流は非ヨーロッパ系の移民でも徹底して擁護する。その他諸々の民主的課題への対応も徹底している。こういう目の前で展開されている政治傾向への負担感、嫌悪感を覚える庶民は多く、そこをポピュリズムがついて多数派形成のためになんでも利用しようとする。EU内の南北問題も依然としてある。結局、EUがうまく作用しているのは北諸国だけのようだ。特にドイツの都合の良いシステムに転化してしまっている。

>はっきりしていることは、グローバル資本制の経済下部構造からの支配はがっちりしているのでそれをけん制されない政治ならば、種類を選ばないということ民主政の枠組みなどは傷がついても金儲けに支障のない限りOK。トランプの議会乱入煽動も容認されている。

次から次へと新手のデマや政治アドバルーンをぶち上げ人々を引き付け選挙で多数派をとれば良い、というわけだ。経済の政治から主権を奪う変数が格段に上がっている。政治の要諦は経済をけん制することなかれ、規制することなかれ。民主主義の制度は完全に空洞化しグローバル資本の跋扈するシステムに変容した。

となれば政治家の活躍する場は限られてくる。優秀なものは政治家にならない。

広域統合システムは本質的に住民の制御の効かないものである国家さえシステムが大きくなりすぎているのにその上にまた統合意思決定機構ができると政治家の固定と官僚システムができる。そこと住民の意思が離れていくのは理の当然。新帝国とはEUのことである。帝国は外部に拡張する習性がある。ユーゴスラビア紛争とロシアウクライナ戦争は帝国拡張のもたらした結果である。帝国の庇護下に入ってエレファントカーブ現象で金儲けすることに理があるとみたものと、きょひするものの分裂にEUNATOの軍事力が絡むと内戦状態になる。食い扶持の恨みは根深い。ユーゴスラビア諸国でもウクライナでも内戦状態が先にあった。そこに弱体化したセルビアやロシアが民族主義純化させ絡んで大規模戦争に拡大し、EUNATOの出番になった。ただしこの二つの戦争は地域紛争と世界対立構造、世界戦争ぐらいに違いがある。

 

 世界の資本主義に打つ手がなくなると必ずヨーロッパで大戦争が始まった

米国は地政学的優位性を発揮して、漁夫の利を得る形で覇権を拡大した。コレが現代史だ。

今回のロシアウクライナ戦争の基本的な構図も同じだが、米国の力は低下した。新興発展途上の力もついた。

EU東方膨張の縁辺で軋轢が発生し、ここに英米のグリップの効くNATOが先行的に絡んだ。

グローバル資本制は新自由主義市場原理主義を世界基準として相手方に当てはめさせ利益を得る当該の共同累犯者を見出し新規開拓地とするのが本性である。自分たちが歴史をかけて作り上げてきた土俵に引きづりこみたいという身勝手な理屈である。

特に新大陸国家というのは別物でそこの理屈やルール、習慣習俗を真似るのは滑稽を通り越している。

小国は小回りよく従えるが、潜在能力を秘めた大国にNOという国が出てきて当然だ。昔でいえば、ドイツ、日本、イタリア。プラザ合意前の日本は事実上、屈服させられ日本流儀の経済発展方法を中途半端に放棄し、国民の経済発展、消費を支える地域、団体、地方自治体、会社、国家に対する安心感、自信、信頼感がなくなった。

いまでいえば、ロシア、中国。そしてその背後には多くの国がある。

この歴史的と言って良い世界の対立の構造がはっきりしているから、この手の戦争にいったん足を突っ込むとなかなか抜け出せなくなる世界に出回る物資も不足しがちになる。圧倒的な投機資金が物資不足に付け込んで値上がりで大儲けをたくらむ。

戦争の構図が世界戦争なのだから当然物価は上がる

 ウクライナロシアの戦争は即時停止。コレによって世界の人々は物価高から逃れられる。困るのは軍需産業と投機資金だけだ。 

 東アジアもエレファントカーブの図が成立するただし日本はウクライナ程資源国ではないし上陸し攻め込まれる要素もない。その価値もない。ロケット攻撃はあるが。

ただしもう経済状態は悪化の一途をたどるだけで(他国と比べて悪化するという意味だが、本来の持てる力、背伸びしなくて済む位置に回帰しているだけのこと。)、ロシアとウクライナ戦争が続いている間は動かないがウクライナが勝利し停戦するようになれば、米国は中国に戦争をせざる得ない状況に追い込むだろう。中国側にもバブル的経済の行き詰まりという戦争要因はある。ただし台湾の政治経済事情は調べたことがない。台湾国民党の最近の動向も知らない。民進党ヘゲモニーを完全にするために危機感をあおっている可能性もある。台湾には中国とのつながりで金儲けしている構造もある。

 中国共産党は一つの中国を認めさせたが、台湾独立を認めるという究極の譲歩をする余地もあるが、NATOの東方拡大の事情から、独立台湾後、米軍基地ができる可能性を懸念するだろう。条約など作っても米国は破る。

>結局、欧米諸国はロシアと中国を解体し、新自由主義市場の新規開拓地にしたい、ということだそんなことに巨大な労力を使っていたら、その国の最大多数の人々は苦しむことになる。

>米国民主党政権は発足した途端、軍事予算100兆円、気候変動に大投資をぶち上げた、積極財政を行い挙句の果て巨額のウクライナ援助をして高インフレを引き起こし金融引き締め政策で対抗している。バイデン政権の国務大臣に力の解決優先の危ない政治家が就任しているとの解説があったが、まさかそれが早々と実証されるとは。米国の政治家はカラーがはっきりしているので解りやすい、という他ない。

そのため一番犠牲になっているのは金利政策ができず、円売りドル買いに陥っている日本だ。回り回って円の流入によって米国はウクライナ支援ができているようなものだコロナ渦で多数の死者も出している。

中間選挙民主党はぼろ負けし、トランプ的傾向に凝り固まった共和党が優位に立つ。

@しかし、中間選挙の争点にロシアウクライナ戦争の停戦は挙がらない。

@日本に国体はなくなったが、米国には国体があると、丸山真男は指摘している。

アメリカ流自由と民主主義は米国の国体であり世界基準である。

@自分で動く力はイラク戦争で区切りをつけているようだが、当該紛争多発地域の他国をけしかけ騒動を引き起こし、武器を売ることに経済の光明を見出している。

『アメリカの歴史、テーマで読む多文化社会の夢と現実』有賀夏樹、有斐閣~第4章 文化復権を求めて-先住アメリカ人のあゆみ

W参考資料。詳しいが純粋な人類学的資料に偏った情報であり、あぁ~そうだったのですか、という程度のインパクトしか与えない。直近の氷河期、現在のアメリカ大陸の原住民の祖先が凍結したベーリング海を渡った時期が紀元前1万2000年前と推定されている。現生人類の出アフリカしユーラシア大陸オーストラリア大陸方面に広がった時期に比べると、最も遅れた移動であった。

 この人類の移動について、イメージ的に、ゲルマン民族の西方移動のような誤解があるが、実態はその場所の食物を採取し狩猟し自然の食物が欠乏すれば次の土地に移動したもので道中は決して<グレイトジャーニー>(現代にそのルートを辿っていったい何の意味がるかということだ!その土地土地で働いて次に移動するのが正解?)ではなかった。平均4km/月今の徒歩移動だった。

北アメリカ先住民|人類歴史年表

natgeo.nikkeibp.co.jp

引用

これがホモ・サピエンスユーラシア大陸への最初の進出なのか、彼らはどこまで東に行ったのか、初期の小規模な移動(W.出アフリカは現生人類以前の人類<ネアンデルタール人など)にも共通する。イスラエルの洞くつで発見された18万年前の人類の下顎と歯はアフリカから小規模移動した現生人類であるが5万年前まで大きな流れにならなかった(大規模移動は5万~10万年まえ)のはなぜかなど、はっきりしないことはまだあるとユブラン氏は言う。」⇒W。小規模移動、大規模移動という分類の仕方も誤解を与える。専門分野の研究(ゲノム解析)では出アフリカした際の人数さえ割り出している。168人。

 数十万年にわたり、「アフリカの人口が西アジアの入り口に間欠的に押し寄せる動きがありました」とユブラン氏。W.小規模移動、大規模移動の違いは間欠的に西アジアの入り口に押し寄せる間合いの大小かな>

この動きは、いわゆる「グリーン・サハラ」と関係があるのかもしれない。グリーン・サハラとは、間欠的に気候が湿潤になり、現在のサハラ砂漠のある一帯に植物が繁茂して、人々が自由に移動できた時代のことだ。」

ユブラン氏によると、さらに早い時期にアフリカを出て、近縁種の中に入って行った集団があったことを示唆する最新の遺伝学研究もあるという。研究では、ドイツで発見された12万4000年前のネアンデルタール人の骨をDNA解析したところ、今から22万年以上前にネアンデルタール人と現生人類が交雑していた可能性があるとしている。(参考記事:「ネアンデルタール人と人類の出会いに新説」)」⇒W。欧米白人ネアンデルタール人のDNAを引き継いでいるのでコロナに感染しやすい、という説もあった。

https://www.artsbrains.co.jp/company/future/007.php

コピーしました。

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W。読み進めていくうちに非常に面白い、とおもった北米に白人入植以降の原住民史(破棄人の原住民対策、政策)が、適切にまとめられている。いろいろ検索してみたが、おそらく日本語ネット上ではこれが一番。

著書の一部を提供者がWORDに打ち換えている。

 

従来、アメリカ合衆国の歴史はヨーロッパ移民の歴史と捉えられ、「コロンブス以前」は先史時代として扱われてきた。アメリカ先住民の歴史がアメリカ史の研究に取りこまれたのは、つい最近であり、1960年代の黒人公民権運動に代表される社会的マイノリティ(女性・労働者・移民など)が注目されたことによって、先住民の研究も盛んになっていった。1970年代に入ると、アメリカ先住民研究は歴史学文化人類学を融合させた形で独自な発展を遂げ、今に至る

  • ヨーロッパ人の到来と先住民の運命

現在、最古のアメリカ人は古インディアンという狩猟民であったと考えられている。約1万4000年以前北米大陸とアジア大陸を結んでいた陸橋を渡って東北シベリアからアラスカに進出したグループを先祖とし、約1万2000年前の気候の温暖化とともに南下し、ばらばらの地域に散らばり、それぞれの地域の地理・気候に適した特有の生活様式を築き、多様な部族を形成していった。しかし、ヨーロッパ人の到来によって、天然痘や麻疹といった伝染病が広がり、以前は少なく見積もっても200~700万人いたとされる北米先住民の人口は激減した。同じ病原菌がニューイングランド南部の住民の90%を死に追いやった。コロンブス航海以降400年にわたり、北米先住民の人口は激減の一途を辿り、病原菌以外の理由としては、ヨーロッパからの開拓民の先住民の土地に対する暴力的侵入が頻発したことがあり、これがインディアン戦争を引き起こし、先住民の殺戮へとつながった。

    

  • インディアン戦争としての独立戦

 イギリス人による植民地建設以来、19世紀のアメリカの歴史はインディアン戦争の歴史だといっても過言ではない。そして、その戦争の過程で、ヨーロッパ系アメリカ人にとって先住民は野蛮人であるというイメージが強くなっていった。1775年に勃発したアメリカ独立戦争でさえ、裏には五大湖周辺の先住民の征服という目的があった。実際に1979年イギリス側についたイコロイ族に対する制裁として、45000人ほどのアメリカ軍勢が彼らの住居・果樹園・畑・家畜など全てを焼き払い、彼らの生活の糧をたつ事件があった。常識としては、アメリカ独立戦争は83年のパリ講和条約をもって終結したとされているが、実際は北米内陸部でのインディアンとアメリカ軍の戦いは94年まで続いていたのであった。

  • 白いインディアン

インディアン戦争は多くの戦争捕虜を生み出した。植民地時代から19世紀半ばまで先住民の多くは戦争で失った家族の代わりとして、白人の子供や女性の捕虜を部族に迎え入れた。ホワイトインディアンとは先住民と共に暮らすうちに彼らの生活に溶け込んでしまい、白人社会に戻る機会があってもインディアン社会に残ることを選んだ人のことである。とりわけ、子ども時代に捕虜になるとインディアンの子供として大切に育てられるため、ホワイトインディアンになる確立が高い。これまでイギリス人がインディアンを「文明」化する努力をしてきたがことごとく失敗に終わっている。しかし、征服の対象として見てきたインディアン社会を選んだ白いインディアンの生き方がアメリカ史の表舞台に登場することはまずなかった。⇒W。アメリカンニューシネマにその手のストーリーがあった。

1830年連邦議会は、インディアンの「文明」化を促進するという名目の下、インディアン強制移住法を一方的に可決した。ミシシッピ川以東に居住していた5部族・約6万人をミシシッピ以西の現オクラホマ州強制移住させた。この命令が東南部の肥沃な農耕地を白人のものにするためであることは明らかだった。部族の中には法廷闘争にまで訴えて抵抗したが、最後まで抵抗した1万4千人も連邦軍隊の監視の下、強制的に立ち退かされた。その道中では、疲労・飢え・寒さや食糧不足などから4分の1が命を落とした。また、移住先での慣れない生活が先住民の人口の減少にさらなる拍車をかけた

 

    インディアン寄宿学校

インディアンを「文明」化するには、子ども達を家族や共同体から切り離し、教育することが効果的であるとの考えから、インディアン学校という寄宿学校制度が生まれた。植民地時代にはインディアンの経済的自立を支援するという名目だったが、実際は白人のための家事手伝いなどの労働力を確保しようとするものだった。この学校で子ども達は英語以外の言語を使うと厳しく罰され、半日は教室で学科の勉強、残りの半日は労働、家族との面会も厳しく制限された。反抗的な生徒は独房のような部屋に閉じ込められた。無理やり寄宿学校に押し込まれた子ども達は、慣れない環境や白人教師の偏見・体罰、ホームシックなどに苦しみ、これに伝染病が追い討ちをかけ、その多くが命を落とした。しかし、皮肉なことに、不況の時代は逆に寄宿学校への入学希望者増加という現象をもたらした。

  • ドーズ法

「文明」化政策は先住民のアメリカ社会への同化政策を意味した。1887年に制定されたドーズ法と呼ばれる「インディアン一般土地割当法」は19世紀の同化政策の総仕上げの役割を果たした。この法は先住民社会の伝統であった土地の部族共有性を解体しインディアンは個々の土地保有者、一市民として合衆国社会に同化することが求められた。割当地の売買は25年間無効とされていたが、土地の賃貸制度がなし崩し的に認められていき、その結果インディアンの土地を奪うことになった。87年には1億3800万エーカーあったインディアン保留地が、1934年には4800万エーカーにまで減少した⇒W。1平方キロメートルは247エーカー。広いアメリカ国の大地のうち、分散した土地を合わせると5万キロ平方メートル。人口分に割り当てると、さらにその土地の位置。いわゆるインデアン居留地が共有地ではなく私有地になり、なし崩しで売られていった。20世紀初頭のロシア農奴解放も同じ手口。土地の私有を認めると売買の対象になり、農民は土地を手放し農奴と変らない身分になる。

    都市のインディアン

 1934年制定の「インディアン再組織法」にはインディアン社会の経済的発展、伝統文化の復活、職業教育のための連邦主導型プログラムなどが含まれており、これまでの部族文化を無視した従来のインディアン政策とは異なるものだった。しかし、第2次世界大戦後連邦政府は部族との協力・援助を打ち切ることで、インディアンの社会への同化を促す「ターミネーション」(連邦管理終結)という新たな政策を打ち出した。「ターミネーション」は1953年に議会で可決され、1950・60年代に多くのインディアンが都市へと移住し同化は進んだように見えたが、援助プロジェクトまでが途中で打ち切られたことで、都市におけるインディアンの貧困、ホームレス、職に就けないといった問題が噴出した。こうした結末を受け、この政策に対する批判によってインディアン側の反対運動は高まり、この政策は1970年代に廃止されるに至った。

 

   9・インディアンの復権運動とコミュニティ意識

 1960年代、70年代はインディアン・ルネッサンスと呼ばれ、インディアンの否定的なイメージを回復するための復権運動が盛んだった。各地で大規模な集会が開催され、こうした活動を通してインディアン達はレッド・パワーを世間に強く訴えた。レッド・パワーとは、北アメリカ先住民の権利回復運動およびそのスローガンであり、これは各部族間の垣根を越え、アメリカ・インディアンとしての歴史的体験をアイデンティティの拠り所としている。このような集団的自己意識は植民地時代の戦争、インディアン学校での諸部族の子ども達の交流、「ターミネーション」による都市移住がもたらした他部族民との出会い・違いの認識の獲得などの歴史の中から新しいネットワーク形成の土壌を作ってきたことの結果といえる。現在ではインディアンの約70%がシカゴ・ロサンゼルス・シアトルをはじめとする都市部に居住し、非インディアンとの結婚率も高くなっている。しかし、こうした新しいコミュニティに同化しながらも、インディアンとしての根本となるアイデンティティは自然との結びつきを重んじる文化、伝統文化を土台に存続していくものと考えられる。

 

 W。ここから先は読んでいないが、このような方面からの情報に接するのは初めて。新鮮である。

 W.著書を抜粋している。

 W。貼り付け作業をしながら、解ったこと。

 エマニュエルトッド「帝国以後」アメリカ国民には各民族集団の移民、移住の順序によってWASPを頂点とする差別化の構造が埋め込まれているという論拠と同じだった。トッドは黒人差別が差別化の底辺として亡くならない理由を挙げていた。付随してアメリカのユダヤ人のヨーロッパのユダヤ人とは違う立ち位置も明らかにしている。

ここではアメリカのユダヤ人は出てこない。総人口に占める割合は小さいが、文化、政治、金融、外国とのネットワークなどでその存在の比重は大きく、その立ち位置は独特のものがある。

   第5章 アメリカ白人の創造

 1.ある移民家族の肖像

  南仏のラングドックに住む新教徒であるジトー家はカトリックの新教徒排撃に耐えかね、またサウスカロライナという新しい広告の素晴らしさに魅せられ、アメリカへの逃亡を企てた。しかし、希望に満ちた移住の途中、アメリカ行きの船内で母が亡くなり、ようやく辿りついたアメリカは疫病・飢餓・貧困・血と汗の労働でひどいものだった。また、ヨーロッパ人の移植民と移民は、先住民にとっては剥奪と殺戮を伴い、アフリカ人にとっては強制移動・人身売買・奴隷制度をもたらす災禍の源だった

 

  2.17世紀の移民

  17世紀には約16万5000人がヨーロッパからイギリス領北米植民地に移住し、その94%がイギリス人だった。彼らは植民地に入り、主にタバコ栽培の安価な労働力として従事した。この当時イギリスでは急激な人口増加が原因で、中・下層民の生活が圧迫された

こうした人々をアメリカに労働力として移送することでイギリスは本国の失業者を有益な労働力に変えるだけでなく、本国製品の輸出市場を拡大することにもなった。

この様な経済的理由と共に信仰の自由をアメリカに求めた移民もいた。植民地に移住した人の大半がイギリス人であり、彼らは英語を話し、故郷の生活習慣を維持したため、植民地社会の基盤はイギリス方式で形成され、こうしてアメリカとイギリスは密接な絆を築いていった。

 

  3.18世紀の移民

 18世紀に入ると、イギリスの法律で重罪受刑者のアメリカ移送定められた結果、イギリスからの移民の4分の1を受刑者が占めるようになった⇒W.イギリス本国は産業革命を達成し、労働力商品は足りなくなっていた。また資本の蓄積は他方における都市底辺の貧困と犯罪を生んだ。アメリカ資本の原始的蓄積期の準備であり、犯罪大国の原点でもある。何をしても儲かればよい、勝てば良い。神に告白すれば許されまた同じことを繰り返す。

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また、スコットランドアイルランドからの移民も増加した。

1740年から独立戦争の間に約6万人が移住し、彼らは福音主義、節制と厳格な生活習慣などの独特の文化を維持し、スコッチ・アイリシュと呼ばれるようになる。1730年以降にはドイツ系移民が増加し、こうした人口流動によって、それぞれの場所によって特色があらわれ、イギリスが形成した植民社会は変化していった。段々と植民地が成熟していくにつれ、本国イギリスの伝統的なスタイルを模倣する人が出てきた一方で、固定的な秩序に縛られない心性も育まれた。このような考えが生まれた背景には、植民地での生活がヨーロッパと比べて、経済的にも日常的にも自由だったということがある。

 

  4.アメリカ人とは何か

 独立に際して、彼らはアメリカ人がどういったものなのかという事を強調し、そのイメージをヨーロッパからの移民をモデルにして描いた。それによるとアメリカ人とは「古くからの偏見も慣習もすべて棄てて、自分が受け入れた新しい生活様式、政府、地位から、新しいものを受け取る人」と定義されており、つまり移住によって旧世界と決別し、向上意識を持ってアメリカの新しい環境に溶け込もうとするヨーロッパ人こそアメリカの象徴であるといっている。そして、ヨーロッパ人は最初の帰化法(1790年)帰化資格がある外国人を「自由身分の白人」のみと定め、こうして白人社会の土台が築かれていったのである。

⇒W。南北戦争1861年1864年

 
 南部の奴隷解放は、北部西部の奴隷的労働力商品の使用の自由に変わったともいえる。同時に、南部にプアーホワイト労働層を生み出した。 
5.移民の世紀

  

 

 

1815年以降から今日に至るまでアメリカへの移民の数は増加の一途を辿り、

アメリカの人口にも世界の人口にも大きな変動を与えている。実に世界各地の人々がアメリカに移住しており、そうした多様な人種がアメリカの労働力として、ブレインとしてアメリカを築いているのである。

 

  6.東・南欧系移民の特徴

 東・南欧系の移民は故郷で土地を購入するために、およそ5倍の賃金が得られるアメリカへ出稼ぎに出かけた彼らはいったん故郷に戻るが、家族を連れてまた渡米する者が多かった。

南部を除いてアメリカの労働者階級は、こうした移民とその家族、子ども達で占められていた。故郷で得る賃金の数倍ではあるが、アメリカにおいては格段に低い所得しか得られない彼らは、同様の境遇の者同士で共同生活することを余儀なくされた。この共同生活の中で、彼らは多文化に触れることによって、自身のアイデンティティをより明確にしていった

しかし、大戦と1920年代の移民制限法制定によって移民の流入が抑制されると、帰化する者が増え、こうした祖国への帰属意識は変化していったそれでも同じ祖国の者から結婚相手や政治家を選ぼうとする傾向は残り、民族的なコミュニティはこうして滅亡の危機を逃れたのであった

 

   7.劣等人種の烙印

 「新移民」と呼ばれた東・南欧系移民やアイルランドは、文化的・政治的にも未熟であり、アメリカの伝統や価値観に適応することが難しいとされ、不当な扱いを受けていた。

 その理由として、彼らの異質で多様な言語・生活習慣・宗教などがあった。

 ユダヤ人移民は、反ユダヤ主義の潮流に乗る移民排斥運動の標的となった。

この様に、19世紀のアイルランドは黒人と同様の扱いを受けていたのであった。

こうした人種区分を反映した1924年の移民法は、アジアからの移民を全面禁止すると共に、東・南欧系移民をも事実上の禁止ともいえるほど差別的に制限した。

 

   8.アメリカ白人として生きる

 前の段落で述べたような排斥のまなざしにさらされる中で

アイルランド人や東・南欧系移民は、黒人やアジア人に対する人種的・文化的優越性を示すことで、自分たちの権利を主張した。

こうした風潮から、とりわけ黒人に対する風当たりは強くなり

公営住宅への黒人の入居反対元来黒人労働者が主だった仕事にアイルランド人が進出したことによる労働現場における黒人の排除・黒人労働者の排除を目的としたストライキなどが頻繁に行われた。

一方で、アイルランド系移民は「白人の特権的資格」の恩恵を様々な場面で教授していた。

例えば、大恐慌期には政府による労働者保護の恩恵をヨーロッパ系移民の一部として存分に享受したし、白人として子どもを学校に進ませ、いい職に就かせることも黒人には出来ないことだった。そして何よりも、帰化したヨーロッパ人とその子どもは公民権を獲得でき、政治に参加できた。この様にアイルランド系移民は排斥される一方で、白人としての恩恵を受けてもいたのである。

 

  9.ホワイト・バックラッシュ

 東・南欧系に対する差別的な制限を設け民法も1965年に廃止され、アイルランド系や東・南欧系の移民も、中流白人の支配社会に融合する条件が整えられた様に思えた。

>しかし、1960年代の黒人公民権運動と人種差別是正問題が進展するにつれ黒人は権利を認められ、優遇されているにもかかわらず、一部では彼らと同じく不当な扱いを受けてきた東・南欧系移民達には、まるでもとから白人としての全ての権利を認められていたかのように扱われ、自分たちの存在を無視して、黒人のみに対して優遇を行おうとしているかのように感じられた。彼らがやっとの思い出獲得した居心地の良い住宅や、職場を黒人に譲るよう求められていると感じた人の中から、黒人運動家を襲い、連邦政府の黒人向け福祉・住宅政策に実力で抵抗す「ホワイト・バックラッシュと呼ばれる動きが生じた。

 

  10.エスニック・リバイバルアイデンティティ

 1970年代にアイルランド系や東・南欧系を中心にした白人民族集団(ホワイト・エスニック)がエスニック・リバイバルと呼ばれる運動を展開した。

1972年には連邦議会は「民族遺産学習計画法」を可決、民族集団に関する事柄を学べる学校や白人民族集団に関する研究に助成金を支出することとした。この法律は結果的に試験的なもので終わってしまったが、これによって連邦政府が白人民族集団の存在を正式に認めたことは明らかだった

この様な、白人民族集団の活発な動向と世間の動きに対して、1970年代後半には様々な批判の声があがった。エスニック・リバイバルの唱道者達は、支配的白人文化を強烈に非難したが、彼らが共有する白人の特権や恩恵そのものを否定しているわけではなかった。

現在では、1世紀半前に入国した東・南欧系移民でさえも教育・職業・所得などにおいてほかのアメリカ白人との差異はない。

現在の多くの移民系の白人は、文化としても居住区としても共同体を喪失したにもかかわらず、人口動態調査において「ドイツ系」や「イタリア系」と自分のアイデンティティを表明する者が多い。

これは自己の個性を表すためか白人というカテゴリーを用いないことで「脱人種」的な異議申し立てをしているのか、

それとも、同じ移民だがアフリカ・アジアなどの移民と自分たちを人種的に区別するためか、様々な理由が想像できるが、

結局のところ、ヨーロッパ系の人々に宿る民族的アイデンティティの意味は、白人という特権集団歴史的に造られてきた過程の中で捉えられるべきである。

 

世界が複雑になっているので世界論を語るのは難しい。寺島実郎「2022年秋の世界認識・多次元化する世界/21世紀は宗教の世紀~旧統一教会問題の構造」(2022年9月18日放送)

寺島実郎の世界を知る力 #24「2022年秋の世界認識・多次元化する世界/21世紀は宗教の世紀~旧統一教会問題の構造」(2022年9月18日放送)

反俗日記

「美しい国、日本」アベ著

⇒1960年安保以来、【駐留軍を同盟軍に変える】というイジマシイ努力してきた

日米の今後の基礎体力の推移も「アメリカが世界唯一の超大国だった時代は終わりを告げた」のは事実であっても、 アメリカの凋落よりも日本の凋落のほうは急カーブであれば、そのつけは国民が被る。

W。第一次世界大戦の時代自由放任資本主義の発展から先発、後発の金融寡頭制帝国主義争闘英米仏VS独資本主義カイザー帝国の台頭<+オーストリア、ハプスブルグ家+トルコ>。

世界市場の再分割戦争⇒独、オーストリア王家一掃。激烈なヨーロッパ戦争と市民革命によって、急速発展した経済構造と矛盾する政治上部構造の転換。

 ↓   1929年世界恐慌時点で米国GDPは世界の49%。米恐慌が世界に伝播。

 第二次世界大戦

民主主義陣営VSファシズム、ナチズム、軍国主義の世界戦争ではなかった!

上記を米国ユダヤ自己肯定的に言い換えた民主主義陣営VS全体主義の世界戦争でもなかった。

ハンナ・アーレント - Wikipedia

引用

アメリカ革命W。アメリカ独立戦争のことである。ちなみに南北戦争アメリカ市民戦争と自称!)を解放された人間同士の自由な活動として評価し、「地上の生活は稀少性に呪われているのではなく豊かさに祝福されているはずだという確信の起源は革命に先立つものであり、アメリカ的なものであった」として、近代的な革命の原型を作ったとアーレントはみなしている。」⇒W。このような米国ユダヤ自己肯定の思想は現在の新自由主義市場原理主義、悪性リバタリアンイデオロギーの原点といえる。米国流民主主義は普遍的な統治原理ではない

新大陸への初期の移住者は原住民を排除し予め祝福された豊かさの恩恵を甘受した。さらに初期移住者は欧州最先端の宗教と技術をもって移住した。

 近代化と資本主義の生み出した大災禍世界戦争封建的残存に塗れた20世紀ヨーロッパにおいて2回も爆発した。(今もウクライナロシア間で戦争が起こっている。なぜか?)

さらに新大陸国家は国内に広大な新開拓地域を有し資本と市場の拡大条件が自生的に備わっている。

アジアにおいては遅れて近代化した日本以外は植民地半植民地であった

コレらは大陸国家の地政学的歴史的な圧倒的な優位性である。こうした条件を抜きに「地上の生活は稀少性に呪われているのではなく、豊かさに祝福されているはずだという確信の起源は革命に先立つものであり、アメリカ的なものであった」として、近代的な革命の原型」

とするのは典型的な米国イデオロギーである。

人類の拡散

インディアン戦争 - Wikipedia

引用

「  戦争の根本要

コロンブスの上陸以来、白人たちはインディアン部族が、アフリカの部族社会のような「酋長が支配する首長制の部族社会である勘違いしていた。実際にはインディアンの社会は完全合議制民主的社会であり、「王」や「首長」のような個人の権力者は存在しない。大いなる神秘」のもと、人と動物すら明確に区分されず、平等に共有されるのがインディアンの社会であり、まして大地は誰のものでもなかった。

  土地に関する誤解

「合衆国は植民地化を進めるにあたり、まずインディアンから領土を「購入」しようとし、「物品」と引き換えにこれを行った(つもりだった)。しかし、これは、インディアンの共同体から見れば「白人が贈り物をして、ここに住まわせてくれと言って来た」ということになる。白人は「ここから出て行ってくれ」と言ったつもりだが、インディアンはこれを理解していない。元より彼らに「土地を売り買いする」という文化習慣が無いからである。」

 部族の制度に関する誤解

白人たちは「酋長」を「部族の代表」、「部族長」だと考えていた。

酋長」(Chief) とは、実際には、部族の「調停者」、「世話役」、あるいは「奉仕者であって、「指導者」でも「部族長」でもない。

インディアンの社会に「指導者」も「部族長」もいない。個人が権力を持つ上意下達のシステムを持たないのである。」

「酋長」、あるいは「大戦士」を「部族長」だと思い込み、和平の調停や交渉の責任者とみなした。酋長の署名として「×印」を書かせ(インディアンは文字を持たない)、これを「部族の総意」と解釈したのである。もちろんこれは全くの誤解であって、合議を経ていない部族の総意はあり得ず、インディアンの戦士たちは戦いをやめなかった。

またインディアンの戦士団を白人は「司令官が統率する軍団」だと勘違いしていた。これもまた全くの思い違いで、インディアンの戦いは自由参加であって、彼らは「軍」でも「兵」でもなく、誰に率いられるような集団でもない。合衆国はしばしば、「インディアンが協定を破って攻撃した」としているが、協定を破っているのは白人側だった。

インディアンの社会は細かいバンド(集団)に細分されており、それぞれが自治を保ち、自分たちの判断で動いていた。すなわちインディアンの部族は一枚岩ではなかった。これをまとめて従わせようとする合衆国の考え自体に無理があった。インディアンの部族で、最終的な判断を決めるのは長老と酋長たちの大合議だけである。これは現在のインディアン社会でも変わらない。」⇒W。現生人類がアフリカ大陸から、直近の氷河期の1万4千年前に凍結したベーリング海峡北米大陸に渡ってきた頃、とほぼ変わらない狩猟採取の生活形態を維持できる過不足のない環境があった。言い換えると、植民移住者にとって豊かな処女地であった。部族集団が留まった地域で狩猟採取で食料を調達できなければ、次々と移動したはずだ(計算上、平均移動距離は4km/月)。

 中南米のマヤやインカ古代帝国の文明は北米から流れていったその地の生活環境が北米のように、原始的共同体生活を維持できる程、十分でなかった(密林や砂漠、不毛地が「定着」採取狩猟には不向き)から採取狩猟生活から土着農耕、牧畜に生活資料を求め結果的にそのための生産性向上が原始的共同体の貧富の階層分解と祭政一致の部族内の首領支配とその広域支配を発生させた

16世紀、中南米のスペイン人征服者による原住民支配と収奪の残酷極まる過程は中南米古代原始帝国と中世ヨーロッパ帝国の文明同士の衝突だった。

ユーラシア大陸や日本の歴史とアフリカ、新大陸の歴史は根本的に違っている。とくに新大陸移民は出発地に移住したときに、出発地に過去を残置し新規の歴史が始まる。そこに古代も封建時代から、完全に分離された広大な地であった。北米大陸オーストラリア大陸は移住者にとって処女地であった。しかも出身地は近代化の先頭を切っていたので、植民地として一方的な収奪の対象にならなかった。

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@世界金融寡頭制の世界戦争は列強の弱い環において生まれた画期的、対抗的なロシア革命は、市民革命に留まったドイツ革命によって連続革命の展望が挫折し、スターリン主義体制という後進国的な官僚軍事独裁過渡期国家が誕生し、世界の多次元化=多極化が実現した。ハンナアーレント流米国民主政原理で言えば全体主義に取りまとめることができるがはたして妥当か?

 ソ連独ソ、日ソ不可侵条約締結にもかかわらず、防衛戦争あるいは開戦の道を選んだ⇒第3極になることはできなかったスターリン主義の道を選んだ時点で帝国主義戦争の変数になった!

スターリン主義体制を日独伊の政治軍事体制の亜種とみるか、別枠の特殊時代限定の体制とみるか

全体主義などという政治概念をもちだすと前者の見解になり、第二次世界大戦を米国流の美しい勝利の物語(勝者の絶対化イデオロギー)とすることができる。

@寺島氏の言う多元化の世界は第二次世界大戦前に実現していた(帝国主義の変数に過ぎなかったにしても)。

 

英米仏VS日独伊の2元対立項の大きな変数としてのソ連があり、大戦後の世界体制は東西冷戦体制となったが、

その一方で世界中の植民地、反植民地は独立し、先進国への従属下にありながら独立性を強め各国の連携を模索する動きは非同盟会議や中国共産党政権の三つの世界観における第三世界という政治想像空間を生み出した。

この視座からすると東西冷戦体制のときも、多元世界の要素を含んでいた

非同盟諸国首脳会議

クワメ・エンクルマ - Wikipedia

 @ある意味で実験国家的体制であったソ連東欧体制崩壊、中国の改革開放を通じた独裁と資本主義の混合体制と

G7(EU,NATO日本とその追随国)のウクライナで発火し続ける対立は

寺島氏が英米日本のGDPの占有率の低下の図で示しているように、2元対立ではありえない。

アジア、アフリカ中南米諸国のグローバル資本と先進国への経済従属は20世紀の新植民地主義支配と一対のものでなくなっている。

確実にパワーの多元化現象が世界の基調方向であると示している。

仮にロシアや中国の覇権が後退してもその傾向は変わらない

 G7諸国グローバル資本支配層がロシアや中国の独裁と資本主義の混合体制を毛嫌いしているのは独裁的国家権力は、経済過程への強制介入権が担保されたままであるとみなし、いつ何時、自分たちの経済権力優位システムが崩れるかもしれないという疑念が消え去らないからだ。

自分たちの資本主義の通った道と別の道から資本主義に到達し曲りなりにも経済発展しているからだ。グローバルスタンダードという自分たちで作ったルールに従っていないから、経済相互浸透できない、と恐れを抱いている。

 かつての日本が頂点にあった時代の日本たたきは、日本の経済発展の根幹システムが世界基準から逸脱している、と攻撃し圧力をかけその結果、プラザ合意受諾となった。あの時代の日本叩き、よりもロシア、中国へのけん制は強圧的暴力的であり、止むことはなく時代の基調とさえなっている。国家戦略性の乏しく政治、特に軍事面で従属性の強い日本は引き下がって相手の作ったルールに合わせたが、ロシアは戦争に打って出た。中国はどうするか?このゲームで担保に入れられているのは各々の国民の生活であり、途上国はグローバル資本の投資増で得をし、回り回って、欧米主要国の世界GDPに対する比重低下は加速するだろう。結局、この対立は双方に戦略展望なき戦いになる。

 

 少数のものが民主政というイデオロギー幻想の伝動ベルト偽りの国民国家共同政治幻想で圧倒的多数を支配している実態が明らかになり所詮、日米欧も中露も似た者同士、大枠が独裁政治の程度の問題だけなのだ、と暴かれることを恐れているのだ。

 G7本国の経済は投資>成長が続き、政権はグローバル資本支配層と排外主義政治勢力のコントロールを受け税収減少もあって、政策的分配機能を放棄し労働階層の中位以下層の没落が急進する趨勢にある。他方、新興国ではグローバル資本制による投資で中間層が形成拡大される。

>だから、現状において、

旧ソ連ウクライナ地域と東アジアにエレファントカーブ=経済地殻の沈み込み、とそのための摩擦が発生し続け、   世界は多元化していくとみるのは正確な世界認識である

中東、中南米ウクライナ戦争と緊張度を増す東アジア情勢に覇権国家が注力している間は政治軍事過疎状態になると思う。

W。総人口13億人のうち月収2万円の層が6億人もいるという。

ただし購買力平価に換算すると日本の2万円よりも遥かに買える商品は多くなる、また農村農民の比率がまだまだ高く、自給自足率もたかい。

月収1万円層は2億人。

海外旅行を頻繁にできる富裕層が1億人とか。どうりで日本の大都市商店街が中国人だらけになるはずだ。まさに「規模の経済」の威力である。20世紀の初頭、米国が英国経済を瞬時に抜き去ったのも「規模の経済」の威力である。資本の集中や集積の規模や速さが違う。

 ただし、中国政治主導層の一路帯水、という中国本土から東の陸路、南の水路への拡張戦力は、いずれ墓穴を掘るのではないか

中国は分を弁えるべきだという鄧小平の遺言から逸脱している。

今の中国はまだ新興国と先進国の間の国だ。最先端と後進が併存している。その国が外に伸びると無理が生まれる。間延びしているように見える。欧米生活スタイルを追い求めることが豊かさになっている。マンション購入(不動産投資)と高級自家用車(高級耐久消費財)が連動し経済をけん引ているような状態はバブリーである。

台湾状況も条約復帰した香港さえ混乱が起きたのに統一は無理とわかっていても、過去に一国中国を国連で認めさせた以上、引くに引けない。独立を認めると在台湾米軍基地が設置される恐れがある。中国国民の多数が台湾統一を願っているというのも疑問である。

中国歴代王朝の没落は公共部門の最大限を越した拡張に対する民衆の叛乱と外勢の征服によるものだった。(「中国専制国家史」図書館蔵書)

 しかし中国史によれば、王朝崩壊や国内大反乱があっても、中国民衆は独自性を維持し生き続け生活し続けた。中華民族の文化、と風習は上層の外勢権力移動にもかかわらず永続のごとく続いた。支配層と市井の二重社会があるから民は息をつけた。

古代文明発祥の地でありながら、実験国家の段階を経て、中国は復活した

経済発展の素は中国史の中にあった。紙、印刷技術、火薬、は中国発であった。一冊の図書館から借りてきたボロボロの本によって群雄割拠の奥底の中国史の基本的な見方を教わった。

 

引用

1949年の中国の人口は5億4000万人で、うち農村人口が89.36%を占めていた。 2018年の全国の人口は14億人弱(人口増2,5倍)で、農村人口の割合は40.42%に低下した。 これは70年で中国の農民が占める割合が半減したことを意味する。 多くの農村人口が故郷を離れている直接的な理由は、農業の生産力水準(W。工業部門のように簡単には機械化しないというのが歴史学の通説。私が子供の頃、都市近郊だったが、牛でで田を耕していた。肥料の導入も歴史的視野でみると遅れる。)の向上にある。

 中国農民(農村部からの出稼ぎ労働者)の規模は2020年に2億8,560万人となり、外資企業を含めた企業経営を支える重要な働き手として中国経済の発展 ...中国の推進する都市化によって農村戸籍の人口そのものが今後も減少していく。農民工の教育レベルが上昇して、労働市場への参入が遅れている。

W。雲南省少数民族村のYou Tuber。

料理の腕前、撮影、編集センスに圧倒される。こういうのを見るとつくづく中国は広い、いろんな人がいる、と納得する。

雲南省の片田舎の生活風景がテーマ。本人は四川警察大学出身。警察畑に進まず市場調査の会社に就職、父親の大病を契機に帰省し、地元の農業生産物のネット販売から始めて今のスタイルに行きつく(Uターン組

大王(Da wang)という巨大なアラスカンマーミュート犬(体高81cm体重120kg)をかっている。プロ級の料理を毎回見るのは飽きるので、ほとんどこの犬関連の動画を見る。

 日本の高度経済成長前期の農村風景と同一視しがちだが、風俗風習、建物の重厚な建て方、大胆かつ細心な料理、農村にしてはからっとした人間関係に当時の日本の農村よりもその地に土着した歴史の長さをなんとなく感じる。しかし長年かけた人の出入りは日本の昔の農村よりも多かった。日本の農村の閉鎖性は人の出入りの歴史的な少なさによるところが大きい。(朝鮮半島の方がかなり出入りが多い)。今でも日本人は移住しない。たった数平方キロの町内で結婚し子供を産み、離婚し再婚し死別した。そして老いて、最初の結婚した官舎と家業を営んだところから数百メートル離れたグループホームに入所し最後を迎えた。争いごとが感性として嫌いな良い人だった。それだけに儚いが人間にとって生と違って死の瞬間は平等に訪れる。みんな一人で死んでいく。

この少数民族がこの地に移住してきたのは秦の始皇帝時代に周辺部から追われた遊牧民だというから、定着して2000年の歴史がある。

www.youtube.com

W。このような世界論を語っても日本国民の大方にとって米国は存在論的普遍。東アジアの危機的状況を煽られて経済停滞にも拘わらず超高価な米国製武器を買う。税収が間に合わなければ国債を発行し最後には日本銀行の直接引き受けの幅をもっと増やすしかない。

現代貨幣理論(MMT)というのは経済会計主義原理論の域をでていない

経済原理論を党派性にして、啓蒙していくのは無理がある。財政金融膨張政策は八方ふさがりになった支配層が最後の最後に選択する政策であり高橋是清の時代も今も変わらない亡国経済政策である。そもそも今の円安、インフレが時代基調になっているとき、火に油を注ぐことにならなる。

日銀の金融政策をリフレ派は攻撃しアベノミクス国債大量発行になった。それでうまくいかないので今度は

財務省を緊縮財政と攻撃する人々が現れた。現在貨幣理論である。

以上は日本の経済長期停滞に対する処方箋である。

 

 原理論の理論的な枠内でリアルな政策をぶった切ると一般には解りやすい。

MMTの代表論客の三橋さんの動画では、MMT原理論で国の経済政策を小気味よくぶった切っているが、リアルな政策論になった途端、口が閉じられる。財政を拡大し投資すれば国内の企業活動が自然に活発化する程度から話を深堀できない。それすぐ効果が表れるのが国民消費との直接の連動がない軍需産業への投資だけだ。後の部門は過剰設備になり不況の大本になる。そもそも今の日本の経済構造を象徴するのが飲食業、小宿など観光関連の事情の多さである。GDPに占める割合はイタリア、フランスよりも大きく、スペインと同等。しかも外国観光客の利用率は低く、国内客向けである。TVで国内小旅行のロケ番組が多いのも日本の現実だからだ。こういう業態に生産性を持ち出すのはお門違いだが、確実に言えることは、こういう方面に政府が財政援助しても薬漬け状態になるだけだ。公共事業のつっかえ棒を外された地方経済の疲弊の別の顔である。

だったら、穴掘って埋めるような公共事業の方がより大きい経済波及効果が望める。

 国の経済運営は原理論ではできない。経済の教科書の原理論レベルで財政金融、その他の経済政策の運営ができるわけがない。

それを実行する段階ではせいぜいケインズ経済学の有効需要の創出、程度のことしかできない。枠を超えると、今のインフレに拍車が掛かる。ステファニーレイトンの来日記者会見を聴いて現実政策レベルではケインズ経済の枠から出ていないと見たそれでも民主党バイデン政権の財政膨張政策(軍需予算100兆円。気候変動何とかにも大投資)が高インフレの呼び水になっている現実は見逃せない。

 そもそも政府が公共事業、補助金に帳簿上の借金をして大金を投資しても今の日本の経済構造は海外依存している部分が多いのだから、輸入が増加する。自生経済が活性化するなんて日の丸愛国とリアル経済を混同している。一時的なカンフル剤になってもグローバル経済のつながりの中での日本経済の今の立ち位置を無視しているので長続きしない。

ただいま現在、目の前にリアルな国内生産力連鎖が不足し最大限の利潤を求め、さらに現地生産の優位から海外に出て行っている。中間財レベルでも海外依存している。国内市場は少子化高齢化で限界がはっきりしている。閉塞社会も経済解放の邪魔になる(カネがかからず改革ができるのはここ)。当然、MMTは今のインフレと円安のさらなる進行材料になる

 いま、日銀はウクライナロシア戦争を奇貨として世界中の架空資本が資源原材料市場に投機され輸入インフレが進行する一方で、

赤字財政穴埋めの国債大量購入に不可欠な超低金利維持のため、米国の高インフレ制御の高金利政策によって、為替市場における日米金利差が生じ円安は基調となる。

 英米日のGDPの割合後退の趨勢ははっきりしているなかでのウクライナロシア戦争は民主主義VS権威主義という二次元対立に世界の注目を集中させ、今後の世界覇権の行く末が掛かっているのでG7はウクライナを盾に引き下がることはできない。さらには台頭してきた中国を世界市場から分離したい、という野望を持っている

戦争を継続すればインフレが進行し公的金利を上げることで対処しようとしているが日本は国債日銀大量購入というアブノーマル超金利政策と長期経済停滞のため為替差をうめる金利政策が取れない。ここのままのインフレ状態が続くと事実上国債減価、利払い減価、庶民物価高のインフレ税になる。

 どうしたらいいのか?

適切な解答があれば、現政権でも実行している。

派手好みや無駄なことは止めた方が良い。自由闊達に活動できるような法制度に替えるべきだ。オランダのような国造りが理想だ。コンパクトな日本でいこう!武力に関しては持論があるがやめておこう。そもそも今の支配層をそのままにしていざ戦争になれば放置されるものが、どうして国を守る、必要があるのか。とりあえず政権交代だ。

W。

 

@ロシア、中国の支配体制は戦後世界体制の残存形態であり、民衆が権力を握ることもできるし、欧米型グローバル資本支配層の手下がヘゲモニーを握ることもできる過渡的な国家形態である。

@欧米日本の支配体制は個々人を新自由主義市場原理主義)市場にくぎ付けにする新型コロナのような変異を本質とする決して多数派民衆が権力を握ることができない、物理力、感染力のあるエンドレス不自由な統治形態である。

 

 だから中身は反民主制度である。

W,人間存在の関係を世界的市場物象化現象に替えるグローバル資本主義に即応した

政治領域手っ取り早く原始的な多数派工作

民族主義国家主義、の共同政治幻想宗教共同幻想によって人々を囲い込み、束ねることである。

 であれば、安易に民族や国家、宗教のようなもともと集合性のある原始的アイテムを前面に出したり、利用する政治家は反民主下衆政治家である!

 

 引用 

「物象化とは、人と人との関係が物と物との関係として現れること。」

 小田実は人間関係をカネ関係に替えることはいちいち説得や指示、強制するのが省けて合理的であるという一面を挙げていた。

いわゆる社会主義の計画経済の政治過程から自律的に作用しない脆弱性の要因は物象化の経済合理主義的側面を蔑ろにしたことにある。

資本論のテーマである。初期マルクス人間主義は「資本論」にいって止揚されている。マルクスの革命論(古すぎる)や哲学(情熱が湧かない)はある時期から切り捨てることにした。「資本論」ももう一度読み返そうとしたができなかった。労働価値説では現在の経済現象は説明できない。産業資本主義時代の経済学である

「闘争の詩学」~民主化運動の中の韓国文学~金明仁。韓国の人々は、軍部の独裁化で政治的沈黙を強要され人権を蹂躙され、構造的な品行のために苦痛を受けてきましたが、 >少なくとも自らの現在や未来に対する対する存在論的な不安や恐怖を体験することはありませんでした。

「日本の読者たちへ。

この言葉から始めたいと思います。

アンニョンハシムニカ?(お元気ですか)

この『アンニョンハシムニカ?』という言葉は韓国ではもともとありふれた挨拶の言葉ですが今やただの平凡な挨拶言葉ではなくなりました。

 先日、韓国のとある大学生が、自分の大学の掲示板に、この挨拶の言葉で始まる文章を自ら書いて貼り出し、韓国社会に大きな反響を引き起こしました

その大学生はその文章(学生が学校に任意に掲示するこのような文章を韓国ではと言います)で新自由主義のあらしの中で生存競争の死闘に駆られ、一日一日を苦痛と不安でかろうじて生き延びている韓国の普通の人々に、果たして『元気』に暮らしているかと尋ねました。⇒W.日本の大学では昔は大学の掲示板に学生が意見を公開することが許されていた。しかし今は大学の営業妨害になる、という理由で学生の政治的意思表明の活動が制限され、特定の団体は事実上、大学内の活動を「暴力」的に奪われている。学生が学校に任意に掲示する

世のなかの何か間違った方向に進んでいるのに、眼を隠し耳を塞ぎ、口も塞いで生存の戦場にさまよう人々に対して、果たして元気に暮らしているかと近況を聴いたのです。

 はじめただの大学の片隅に掲示されていただけの、この問いに対する世の中の人々の反応は、以外にも熱いものだったと思います。⇒W。日本ではこのようなフレッシュ,ナィーブな波及効果は起こらない。人々の感性が硬直しタコつぼ社会化している。相互をつなげているのは保守マスコミだけだ。

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始めはその学生の大学の同級生たちがその次はこの文章に接した普通の市民が

子細にこの問いに返答し始めると

その後、ある日刊新聞の紙面に毎日この『アンニョンハシムニカ?(お元気ですか)』というタイトルの文章が、しばらくの間、ほぼ、定例のように掲載されていました。

彼らの返事は一様に『元気ではありません』というものでした。

 

 どうして元気なわけがあるでしょうか。

私が暮らしている韓国社会は、これまで30年もの間、もしかしたら劇的な形で、いわゆる『民主化』というものを成就させ進展させてきた社会と言えるでしょう。

しかし、

>その政治的民主化の成就に酔っている間、

>韓国社会は悪性の市場資本主義といえる新自由主義体制とそのイデオロギーによって、深刻な病に侵されつつあります。⇒W。コレが著者の基本視座であり、反俗日記の韓国民主化闘争とIMF管理早期脱却(たった1~2年でGDP回復)以降の経済発展への意見と一致する!

韓国のこの悪性市場資本主義=新自由主義体制はイデオロギー的に日本の新自由主義体制よりもアメリリバタリアン的である。これが韓国民主化闘争30年の成果であった!言い換えるとそのようなフレキシブルな社会構造を背景に製造される~製品と創造物は、世界的市場において日本を凌駕することも十分あり得る。

韓流ドラマが受ける要素はここにある。日本ドラマよりも演者の身振り表情にアメリカ的要素が強く物語の展開がスピーディー、しかも日韓共通の情緒性がある。

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W。ここから先は著者の基本視座、世界観である。悪性市場資本主義=新自由主義体制とそのイデオロギーは悪条件で高度経済成長経済を達成した韓国社会において、日本よりも先鋭、巧妙、合理的である。韓国社会はアメリカ模倣社会に変貌した。

******

 それまで韓国の人々は、軍部の独裁化で政治的沈黙を強要され人権を蹂躙され、構造的な品行のために苦痛を受けてきましたが、

>少なくとも自らの現在や未来に対する対する存在論的な不安や恐怖を体験することはありませんでした。⇒W。日本の評者でこの方向の指摘があるが、ここまで言い切る人はいない!韓国社会は日本社会を先取りしているが、日本は韓国の新自由主義体制の先を越す前に、なし崩しで全体主義社会化する!なぜなら日本に韓国の民主化30年はなく、民主勢力は弱い。

****

 @たとえ奴隷的境遇であっても、

@仕事をすれば食べ物を得ることができましたし、

@またさらに多くの仕事をすれば、いつかは貧困から脱して人間らしい生活を送れるという希望を持つことができました。

@持てる者の横暴はありましたが、

@持たざるものをすべてを奪ったりはしませんでたし、

@人々の間には少なくとも同じ社会の構成員としての共同体意識が生きていて、

@誰かを完全な絶望に追い込むようなことはありませんでした。

 

⇒W。日本の個別特殊悲惨この上ない山上さんの家族はどうして韓国発の統一教会に全財産を奪われたのですか。

日本社会よりも「自らの現在や未来に対する対する存在論的な不安や恐怖を体験すること」が「歴史的」~~Wからすれば歴史的!~~に可能な韓国社会の状況で練り上げられた教義抗うことなく跪いた。

***

 ですが

いまはすべてがかわりました。

韓国社会はこれまでの30年間で、いつの時代よりも豊かになっていますが、もはやその豊かさを等しく分けるべきだという考えはなくなりました。

以前は貧困は社会的救援の対象でしたが、今や貧困は単に貧しいものの責任になりました。

誰か飢えるならば、誰かが失職するならば、

誰かが自殺するならば、

それは社会の責任ではなく、その人自身の責任になりました。

誰かが富を蓄積すれば、それはその社会の構成員がそうなるように支援したからではなく、彼が上手くやったためであり、

誰かが失職して破産すれば、それは社会がそのように仕向けたからではなく、彼が誤っているためで得るという考えが蔓延しています。

 今の韓国の人々はみなが不安です。

どのようなポストでもどのような職業でも安定できず下手をすると一瞬にしてそのポストから追い出されるのではないかと恐れています。

そして誰もそうなった人を助けたりしません。それはその人の問題だというわけです。

 現在に対する不安とも未来に対する恐怖、今韓国の人々このような環境の中で一日一にを生きています。元気なはずがありません。

⇒W.旧統一教会の行動原理は以上のような現在と未来に存在論的レベルで個々人に不安と恐怖を与える韓国社会の創造物。]

民主化闘争30年の次から次へと沸き起こる犠牲を恐れぬ行動主義は世界で類をみないが、異端宗派主義に結集すれば、旧統一教会の原理となる。しかし韓国で実行すれば法律の網にかかるのでやれないが日本では行動の自由と受け入れる精神風土がある。特攻隊精神、家父長制、上意下達、丁稚奉公、長い物には巻かれよ。内容空疎な帰属主義。ハンの韓国民衆に統一教会のような組織システムは受け入れられない。だから金を使う側に回るしかなかった。

*****

 韓国の人々は、ようやく、自ら決して『元気』ではなく、また自らが『元気』でないのは自分自身のせいではなく世の中のせいだということを自分一人の力では人生の安寧を守ることができないということを、初めて悟り始めているようです。

⇒W。韓流ドラマに漂うある種の緊張感は日本ドラマには醸し出せないものだが、以上の文脈を読み込めばなんとなく発生土壌が解る。韓国社会は90年代から30年かけてアメリカ社会に近づいた。学校教育がアメリカ流+詰め込み(高校の歴史教科書は日本史の2倍ぐらいの分量があり、細部にわたって記述。近現代史は別枠でディベートを取り入れている。)ハングルも表音文字。漢字は教えていない。

 今や韓国の人々は、その悟りをもって改めてこの世を変えることを始めなければならないでしょう。⇒W。著者の政治的位置を表明している。この人の戦いは反体制~労働者が主導権を握る~<反共法違反、大統領緊急措置法違反>であり、民主大統領時代距離を置き、大学に就職(本人は亡命という)した。

 そのような『元気』でない韓国人の一人として

日本人である皆さんに改めてお聞きしたいと思います。

アンニョンハシムニカ?(お元気ですか)

~日本の社会のことはよく知りません。

ですが私の短い所見でも日本や日本の人々もやはりさほど元気ではなさそうです。

>いや単に元気ではないのではなく、かなり元気を喪失しているようです。

日本社会はたとえ相当期間、停滞の状態にあったとしてもアジア最高の先進国らしく安定した国でした。

一億総中流を豪語した社会だっただけに

日本の人々にとって人生の不安と恐怖というものは、さほどおなじみの感覚ではなかったのでしょう。

ですが今や日本の人々も、その長年の安寧の感覚から引き離され、

まったく馴染みのなかった不安と恐怖の世界へと引きずりこまれているのではないかと思います。

⇒W.朝鮮戦争、民族南北分断、独裁の韓国には存在論的な不安や恐怖はあった。そもそも若者は徴兵制で兵営入りの義務がある。著者は独裁時代に存在論的な不安と恐怖がなかったようなことを言っているが、それらは圧倒的免疫作用を果たしている、とみるか、徹底した新自由主義体制時代の新しい不安と恐怖の呼び水効果を果たしすぐに恐怖心と不安感が社会に充満してしまうのか、判断しずらいが日本人とはかなり違うことも確かだ。

 対して日本はどうか?付加体列島原住民の心理状態の本体は<無常観>である。方丈記平家物語で日本人の精神の有り様は解釈できる。

山上氏は虚無的なことを発しているが<無常観>に想いをはせたことがなかった。知らず知らずのうちに母親の宗教観が浸透していたのか、徹底した不安感、焦燥感に苛まれていたのだろう。ハンの精神もあるようだ。

一方の側も無常観とは全く無縁なところにいた。特攻隊員の詩を「美しい国」で引用しているが、典型的な浪漫主義文学調で、無常観と全く無縁だ。

 

 2011年3月11日。

~~

これまで自然の威嚇によく耐えてきた日本の社会的な防御の壁が一気に崩壊した事件でした。⇒W。無常観はノー天気。防御の壁の崩壊感はない。忘却とは忘れ去ること成りで、記憶のダムの水は逐一鳳雛されている。付加体列島現住民は忘却装置内蔵でなければ生きてゆけない。

****

 

「日本はもはや安全な国ではないという感覚、長年の安定感の裏で、怠惰と手抜きと危険が毒素のように蓄積され、ついに仮面を脱いでその醜悪な素顔意をさらしてしまったというその感覚こそ、~~~

 わたしは3,11以降、数万人の日本の市民が外套に出たことを知っています。

~私もやはりこのような日本の市民の決断と行動に深い感銘を受けました。

~~W。韓国民主化の長い闘いしか引き付けられるものがないと同じように、著者にとって、反原発デモに立ち上がった民衆しか、関心がないというのが本音。

「結局、韓国も日本もそれぞれ異なる理由ですが

まったく「元気でない国」「元気でない社会」になってしまいました。

そして両国の人々ともに、いつ終わるとも知れぬ、際限なく続く不安と恐怖の中で全く元気のない存在になってしまいました。

「同病相憐れむ」です。

>日本の人々が嫌いになったことはありませんが、

>とはいえ率直に言って特に好きだと思ったこともなかった私は、

>3,11以降、急激に日本の人々が気になり始めました

誰かのことを考えるとき、胸が痛くなるならば、その人のことが好きだということではないでしょうか。

私は元気でない国の一知識人として

@それよりも遥かに元気で亡くなってしまった隣国の皆さんに、言葉にならない連帯感を感じるようになりました。

どのような慰労とどのような激励が皆さんにとって力になるかを考えるようになりました。

@それは苦痛の連帯です。傷の連帯です。

私は胸を痛めますが、それよりも胸を痛めている皆さんとその痛みを分かち合いたいと思います。

皆さんが元気でないことはよく知っています。

ですがその傷に打ち勝って元気になるように祈ります。」

***

ですが残念ながら日本全体を変化させるほどの意味のある結果繋がらずにいくと思います。

>そうではなく日本社会は、危機に直面した支配勢力が状況の反転のために試みる古くて危険な選択によって、今一度大きく動揺しているように見えます。

最近、安倍首相とその政権が示している日本の平和憲法に対する威嚇好戦的な軍事化、東アジアの隣国に対する挑発的な敵対政策などは、

3,11で触発された日本社会内部の不安と危機を対外的な危機醸成を通じて隠そうとする⇒W。排外主義という指摘である。

典型的なファシズム的戦略のように見えます。⇒W。直ぐ側で、見る人が見たらやはりファシズム的戦略の典型に見えるのか?

自分で自分のことは解らないものだ。

ほとんど政治本能で蠢いているので。

だから本人の結末はあんなふうな不条理劇になる。

***

「このことをよく知っている多くの日本の市民は、このような安倍政権の煽動戦略に簡単に振り回されないだろうと信じていますが

>耐えがたい災難によって、不安や恐怖、あるいは無気力を感じざる得ない、

>より多くの普通の日本の人々にとって、

>このような安倍政権の好戦的な動きは、

@もしかしたら国家主義を呼び起こし相当な呼応を引き出しているのかもしれません。

わたしはそれを

ストックホルム症候群ではないかと考えてみました。

W。「精神医学用語の一つ。 誘拐や監禁などにより拘束下にある被害者が、加害者と時間や場所を共有することによって、加害者に好意や共感、さらには信頼や結束の感情まで抱くようになる現象。」

 

人質犯につかまった人質は、最初は抵抗しますが、時間が経つにつれて自暴自棄の状態で犯人に感情移入してしまう現象です。

⇒W.先に東日本大震災福島原発事故への言及があったが、この時の政権は事実上、戦後初の政権交代による政権だったということをこの著者は重きをおいていない。

そして、政権交代に絶望した人たちは政権政治は外部の状況に大きく左右される、

政治経済を通底する利権構造が骨がらみになっている歴史的な経済停滞の改善は見通せない日本では一期の政権が政策的に実行できることは少ない、というリアルな政治状況を直視していなかった。たまたま、あの時、民主党政権だったが自公政権だったら、どうだっただろう?新型コロナパンデミック当初、綿製マスクを国民に配った、しかも利権がらみで自公政権の対応から凡その類推はできる。

戦前の政党政治絶望し、軍部の強力政治を近づいっていった<普通選挙>の有権者と政治心理は似ていると思う

自分の中に原理原則があれば戦術的には柔軟に対応できる

それと政治は潮流というものがある。

一つの政治潮流から別の潮流に合理的思考を疎かにして乗り換えるのは、民主政の原則に反する行為である。古い昔を持ち出すことはないが、こういうことをやる人が多くなると国政は外道に向かう。

W。著者の以下の言論は半分肯定する。日本のリアルな政治過程について不案内な分だけ否定する。もっともこの人は日本にはあまり関心がないようだ。理論的思考は日本に向かわない。日本政治はアメリカ政治軍事と≒極少変数みたいに思っているのではないだろうか。

この本の本文の韓国民主化闘争とその結末の分析は冷ややかだが、納得できた。

政治の民主化

経済の財閥主導、非正規雇用58%、給料半分のグローバル仕様が、同時進行した。

***本文に戻る

地震が起きても津波が襲い放射能に汚染されても止む得ずそれを信じて頼るしかない状態に置かれているのではないかと思うからです。

おそらく韓国でこうしたことが発生するならば、私もやはり同じ態度を示さないとは言えないでしょう。

>私は最近、安倍政権の動きを不安に想えば思うほど、(W.日本にあまり関心がない著者でもアベ政治は不安を与えた。外部勢力を動員する政治だった。院外団の威嚇、威力が議員集団、ネットや市中で威力を発揮した。

その結果、外道政治に精を出した末にもめ事を抱える身内の<痴話げんか>の余波を受けて命を落とした。何とか協会はまず、殺されたヒトに謝罪すべきが筋だ。)

****

 

‘彼らの人質のなってしまった日本の人々の苦痛と傷をさらに深く感じざる得ません。

隣国の韓国の人々が不安と恐怖を蹴散らして再び立ち上がろうとするように、

たとえ手に余る不安や恐怖の支配下に置かれてたとしても

みなさんもやはり再び立ち上がると信じています

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W。著者の韓国民主化闘争の結末に対する分析は自分の以前よりのシニカルな見方を大幅に補強するものだった。

その論理的帰結は民主政を希求する永続革命みたいになってしまうが、これから先はもうそんな政治手法(日本欧米では戦後民主主義の政治)がますます通用しなくなる。

韓国では30年の戦いで民主制度ができたときに経済においては新自由主義が徹底され、グローバル資本制の動向に縛り付けられ(弱肉強食、総取り)現在と将来に対して不安と恐怖を抱く人々が増え、格差社会の拡大再生産システムが確立した。これ以上の民主的改革が足踏みするようになって<政治>は議会圏の党派争いに集中されるようになり、公共福祉充実、格差是正の政治手段は採用される見込みは無くなった。

韓国は日本や欧米の国々の分配が課題になる立ち位置に到達したが、その方面で歪なところが目立っている。

 そこで米国という国が問題系の俎上にまず上がる

戦争マシーン軍産複合体の世界的消費活動、世界的格差拡大システムの震源地、公共福祉を蔑ろにする(できる、と言い換えてもよいが)特殊国家が未だに世界的影響力を発揮していることが人口増を続ける人類にとって幸い、なのかどうか

米国流民主政に前記のシステムは埋め込まれており、それを未だに世界中に伝播しようとしている。冷戦体制崩壊後、米国のような自国の政治(経済)システムを世界に移植したいというミッションを持つ国は無くなった。したがって問題はその世界覇権の中身の是非である。

ミッションによってグローバルスタンダード化すれば、当然米国型企業と米国の活動領域の拡大につながる。ミッションは経済利得に直結している

 諸々、に考えることができる。

ロシアや中国のような新しい独裁体制(ハード国家形態)は民衆の力で倒せば、政治と経済の民主化の可能性が広がる。

欧米や日本の古い国家体制(ソフトとハード兼用の国家体制)は民衆の力で倒れそうになると、強権的な統治形態に転換し倒すことはなかなかできない。新型コロナのように厄介だ。

国家権力の強制力が発揮できなければ、拡大する格差は是正できない。地球環境を維持し、人口爆発を矯正できない。過剰消費を是正できない。

 もう一つの視点が必要。

地球上を一つの政治形態が覆いつくせば、そのシステムの人間性否定面が強固に地球上に広がる。ヨーロッパ中世の暗黒時代のような、少数者の専横と多数の服従の社会になる。

したがってそれを是正するためには対抗勢力の存在が必要だ具体的には米国には強力な対抗物がなければ好き勝手をする。EUは東方拡大することによって新規加入国中間層のエレファントカーブ待望と中核国の金融寡頭制支配層肥大、中間層の階層分解に押され当初の構成各国民衆の意思が反映しない帝国になって、米国の対抗要因になる時代は終わった。

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 W。重要参考資料

diamond.jp

引用 W。ユーロ統一通貨はドイツ経済にとって有利。

統合進展の結果は「ドイツ独り勝ち」。そう解説するのは、前駐英大使の林景一・三菱東京UFJ銀行顧問だ。

 ユーロ圏の中で、ドイツの経済力・生産性は抜きんでて高い。

 ただユーロの為替レートは、ギリシャなど生産性が低い国も含めユーロ圏全体の平均で決まるドイツにしてみれば、自らの経済的な実力に比べ、ユーロは割安で輸出に有利に働いた

 困ったのは他の加盟国。

ユーロ圏内では対ドイツで貿易赤字になっても、自国の通貨安で調整することができない。

しかもドイツはEUに加盟した東欧諸国から、低コストの労働者を「輸入」して雇用

かくしてドイツはユーロ圏内外に対して輸出を伸ばし、輸出大国の地位を築いたというわけだ。

ドイツの独り勝ちによって、欧州ではドイツを頂点とするヒエラルキーが出来上がっている。かつての「ドイツ帝国」が再現されたというのだ。

  ドイツと各国の支配・被支配関係を表したのが、次のページの地図である。

図表:米国と「ドイツ帝国」の人口の推移

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W参考資料

ドイツ“一人勝ち” そのわけは?|NHK NEWS WEB

   ヨーロッパの稼ぎ頭

2016年、世界最大の経常黒字国に

2016年の経常収支を対GDP比で比較しました。ドイツはおよそ8%と2番目に高くなりました。

ドイツは2015年、EU全体の経常黒字のうちおよそ8割を稼ぎ出しました。翌2016年には、前年の首位だった中国を抜いてドイツは世界最大の経常黒字国となりました。

  EUで最も低い失業率

図は省略 4,5%失業率

 


 

「美しい国、日本」⇒1960年安保以来、【駐留軍を同盟軍に変える】というイジマシイ努力してきた。日米の今後の基礎体力の推移も「アメリカが世界唯一の超大国だった時代は終わりを告げた」のは事実であっても、 アメリカの凋落よりも日本の凋落のほうは急カーブであれば、そのつけは国民が被る。

 前回はハンスカロッサ著作集から「狂った世界」を引用した。偶々、枕元に開いたページを読んでいくと、ウクライナロシア戦争はウオッカ戦争ではないかという想いが突然、頭をよぎった。そのような次元を考えなければ分からない一面がある。

超重要な政治(軍事)意思決定がトップ指導者たちの一部に集中した場合、状況に相応しくない判断が個々人の属性によって下されることが過去にあった。しかし、その時点では周囲が反対し修正させる余地がなかった。

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1)2012年、安部普三はどのような党内力関係から自民党総裁選出されたか?

    A=国会議員。B=地方票

A+B
1、石破   199票(34+165)
2、安部   141票(54+87)
3、石原   96票 (58+38
4、(町村)   34票 (町村+林=地方票10票)
5、 林    27票 (同上)

 

 ハ、決選投票(国会議員のみ)

1、安部 108票
2、石破 89票  曰く「一般党員と国会議員の意識の差」
2)総裁選までの安部の動向
2012年9月15日ー側近たちと総裁選の支持母体となる勉強会設立
8月29日ー盟友、麻生太郎、自重を即す
9月13日麻生派高村派支持を表明
9月17日ー2位狙い。石破との連携を模索しながらも、石原も加えた三つ巴情勢。
>安部と親しい石原陣営と連携。
     
    安部支持議員の中核(側近)
甘利明経産相、塩崎、官、中川秀直上げ潮派+お友達。
W。既に第1回投票の国会議員票の安部+石原は過半数を制している。
石破は第一回投票で過半数を制するほか勝ち目はなく、それは5候補乱立では絶対に無理だった。
国会議員票1位の石原と安部の立場が逆転したのは、地方票であるが、石原は地方支持層のネットワークが弱い。
従って、第一回総裁選において、石原連携を前提にすれば、このとき既に2位、安部候補の総裁選出は決定済みだった。
*決選投票での逆転勝利は1956年自民党第二代総裁選以来。党員党友投票導入後、初めて。
1位岸信介、2位石橋湛山→決選投票で石橋総裁が選出されたが、数ヵ月後、風邪をこじらせ体調不良であっさり辞任して、岸信介総裁、首相へ。1960年安保改訂を迎える。
 
安部の党内支持基盤は必ずしも磐石ではないが、他に結集軸がない。
 
自民党各候補の顔ぶれから、党内政治傾向は大同小異とわかる。
でなければ、あのような憲法草案は起草されない。硬直は甚だしい。
 
自民党の中核国会議員は民主党政権交代時の敗勢の中で当選した利権など強固な支持基盤の議員たちであった。
表面的には全体の政治的座標軸が移動したかに思えるが、そうではなく巨大事案によって加速された面はあるが、長く続いた政治状況の継続である
 現在の政治状況は急に始まった事ではない。
 
民主党政権交代はモラトリアム期であり、それ以前の小泉時代の政治風潮が、大震災原発事故、経済停滞によって、加速されて復活した。
*この総裁選全般の特徴は自民党地方政治勢力の存在が今後の党の支持基盤の焦点に浮かび上がってくるということである。
特に安部と石原の帰趨が決したのは地方票だった。
安部氏が今までの自民党政治の傾向の中にドップリと浸かっていることは「美しく国へ」の余計な国家主義ナショナリズムを切り取った政策部分をみてもはっきりと解る。
安部政権は地方の自民党支持基盤に利益供与をしていく。
 
 アベノミクスとはバブル破綻から雇用なき景気上昇で復活した欧米経済事情を背景にした、日本内外マネー経済へのカンフル剤及び、旧来の地方支持層へのカネのばら撒きである。このままいけば、強力な内外上層への資産移転が発生する。
結果、日本経済後退の趨勢を推進するものである。この点に関する安部氏の基本政策は、海外進出企業からの資本収支増をあてするしかない(美しい国への記述のみでは)が、資金の日本還流は条件的に制約される。
(現状の国際収支の黒字は資本収支の黒字による。貿易収支の赤字は言われているような、円安による資源エネルギー価格の上昇だけではなく中間財輸入に依存するようになっている、当たり前の経済構造の発展段階に日本産業構造が立ち至っていることが大きい(韓国や台湾の製造業の海外の中間財輸入のサプライチェーン導入をまねる)。
勿論、今後資源エネルギー価格の高騰の趨勢は不変である。
 また従来から指摘されている高付加価値商品は少なく、後発との市場競争に晒され、利潤率の低下傾向歯止めが掛かっていない
安部のような国内に閉塞感を充満させる基本政治方向では、産業構造、経済環境にも悪影響を与える
なお、この点では韓国の交易条件の悪化は日本を上回り、この様な経済環境の変化を政治家が日本に排外している側面は見逃せない。だからといって韓国政府が日本を挑発しているだけとは全く想わない。お互い様である。であれば日本は自重できる立場である。安部のような政治傾向は不必要な政治摩擦を発生させる
 
 何処がおかしいか「美しい国へ」を参考資料を基に、立体的に読み込めば、解る。そのような考え方を政治家個人が抱くのは自由であるが、最高政治責任者としてふさわしくないというのが眼目である。)
 
*安部は「美しい国へ」の中で叔父、岸信介を強く意識しているが、この著書全体を貫く積極的要素は国家主義偏狭ナショナリズムでしかなく、時代錯誤も甚だしい。
保守論壇で嫌というほど練り上げられた論法を駆使しているから、一見するともっともと感じる人は多いと想う。
 
>「日本の支配層における反米は非常に逆説めいて、反米をやればやるほど実は従米になっていく。」
美しい国へ」の文化論の部分は、より解りやすくなる。ここは中西の執筆部分だと想う。
戦前も基本的にそのような方向にあった。←中国戦線を拡大すればするほど、資源エネルギー獲得とそのための国際通貨の必要から米国やイギリス、オランダのアジア植民地との貿易の重要性(依存度といってもいい)が増していった。
 基本的な視点として小沢一郎の「日本改造計画」の延長線上の【普通の国】論(湾岸戦争における認識の一致を後に引用する)を国家主義的偏狭民族主義に取りまとめたモノ、と見ており本人たちに抗米感覚はないに等しく、アメリカ的な歴史文化に特殊日本を無理矢理対置した拒絶に留まっている。
 
>それはもう少しで愛国党赤尾敏星条旗、日の丸並列路線に近づく。
次のような決め付けはやりたくないが、親米右翼そのものである。(右だの左だの区分けは本質的に日本で成立せず、どうでもいいが)
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美しい国へ」は2006年文春文庫発行。
小泉政権官房長官として自民党総裁選の最有力候補とみなされ、実際に首相に就任する直前に発刊された。
 
 前書きから、拉致事件にタッチした時のリアルな状況報告は同一の文体であり掴みとしては非常に上手く機能しすぎており、その後の文体の分析からも安部普三、本人の執筆した部分は一言半句ないものと想定する。(この部分は日ごろ文章を書きなれたものが大幅に介入して仕上げたものと想定している。多分、文春側の編集者)
 本人執筆部分と他の部分の文体の違いが明白な小沢一郎日本改造計画」と読み比べると、はっきりとわかる。
 ちなみに小沢は<まえがき>の最期にはっきりと次のように明記している。
「本書をまとめるにあたっては、大勢の各方面の専門家の方々から2年間に渡って協力をいただいた。」
 これが書籍を責任を持って世に問う、知識に弁えのある人間の立場である。
 
 2006年度版の<あとがき>部分は安部直筆であろう。
非常に素朴な文体であるが、小沢一郎のような断りは書きされていない。
それでは本人が執筆したことになる。
情報、知識分野の根幹の大切なものに注意が向いていない、蔑にしている、といわねばならない。
 
 ただ彼は読書、芸術文化ジャンルにも不断から接する習慣があることは「美しい国へ」から読み取れる。
 
  第1章、私の原点 サブタイトル  ーたじろがず、批判覚悟で臨むー
チャーチルは若いころから、優れた伝統と文化を持つ大英帝国の力を維持するには、国民生活の安定が不可欠だと考え、安全保障と社会保障充実を唱えてきた。
安全保障と社会保障ー実はコレこそが政治家としての私のテーマなのである」
W。安部はチャーチルが保守党と自由党(経済学者ケインズも所属)をいったり来たりしていた経歴を紹介している。
 
 だが、安部さん。19世紀と20世紀初頭の世界覇権を握っていた英国と日本のでは余りにも歴史と地政学的位置が違い過ぎます。
 
 また、チャーチル首相は戦争が終わって早速、罷免されているのは、英国民の政治意識が戦争屋はもうイラナイ戦後復興は別の人でという、民主的合理主義の基づいているからだとみるがー。
 その昔、イングランドは王様をオランダやドイツからトレードしている。
ウィディペギア引用。
チャーチルは1944年10月にドイツとの戦争が終結次第、解散総選挙を行うと宣言していた
労働党も1944年の党大会で戦争終結後の総選挙では、挙国一致内閣を解消して野党として戦うことを決定していた。
 
 チャーチルは日本の降伏までは挙国一致内閣を続けるべきであると主張したが、労働党はそれを拒否した
 
 ドイツが降伏したことで労働党から解散総選挙すべきとの声が強まった。
総選挙の結果は労働党394議席、保守党213議席自由党12議席という労働党の大勝に終わった。」 
 
 安部氏の「美しい国へ」の根幹部分に民主主義に不可欠な合理主義的判断を国民に即する側面が乏しく、その部分がほとんど情緒的価値観に置き換えられている。
 それで安部の使用する用語で言えば、日本という国柄が上手くやっていけるのかどうか、いや、うまくやっていけたのかどうか振り返ってみることも情緒主義の歴史観で逐一、否定しまくっている。
(この部分に割かれた分量は相当なものである)
 
 それが「美しい国へ」の根幹部分を形成しており、本人曰く、戦う政治家、といことで、他に政策的に前向きで目ぼしいものは全く見当たらない。
教育再生のための公教育に学校序列を明確にするクーポン券制度などは、ただでさえ崩壊著しい地域社会の破壊に直結するものである。
 社会保障政策の歴史は戦争政策と共にあった面があるが、アメリカ流のグローバル、スタンダードの席巻する現在では両立しない。
過剰な戦争意識の醸成は社会保障の切捨て、と軍拡の同時進行に至る他無い。
一部の企業、一部のものが富んで大半の国民が貧しくなるとにしか結果しない。
それがグローバル資本制、マネー経済の特質である。
 
 首相復活と共に完全版の発行があるらしいが、中身の修正はないらしいから無視する。
・まえがき☆
 ・はじめに
 ・第1章 わたしの原点
 ・第2章 自立する国家
 ・第3章 ナショナリズムとはなにか
 ・第4章 日米同盟の構図
 ・第5章 日本とアジアそして中国
 ・第6章 少子国家の未来
 ・第7章 教育の再生
 ・増補 最終章 新しい国へ☆
なお、この著書の実質的な執筆者陣は次の各氏とみなしている
中西輝政、*西岡力、*八木秀次、*島田洋一、*伊藤哲夫と共に安倍晋三のブレーン「五人組」
ウィキペディア当該箇所の引用
>>2006年春以降は五人組の一人伊藤哲夫と安倍政権に向けた政権構想の推敲を重ね、
>>また安倍が自民党総裁選直前の7月にアメリカの『フォーリン・アフェアーズ』誌に寄稿を予定していた論文は、中西と安倍の対話をまとめたものを「五人組」で読み合わせしたものだが、諸事情により掲載は見送られた。」
       
 安部氏の著書の重要項目を捻じ曲げずに、キチンと挙げていくが、大衆向けの啓蒙、政治宣伝の色が濃過ぎて(大衆意識に迎合している部分が大きい)、限界があり、これらの各氏の政治傾向について立ち入って検討する必要がある。
 
 この5人の中で最大の論客は中西輝政であり、頻繁に登場する日米欧の文明論的比較や政治哲学めいた部分は彼の主張であろう。
それでも政治理論書として小沢一郎日本改造計画」と純粋に比較した場合、一回りも二周りも「改造計画」の方が内容緻密で意義深いものである。安部の書は政治宣伝のパンフレットの内容を豊富化したようなもので、政治理論としての独創性がまるでみあたらない。
現時点で安部のような類のことを発する人は世の中にはいて捨てるほど降り積もって、醗酵し、腐臭を放っている。
**************************************************************************
 
・はじめに
・第1章 わたしの原点
・第2章 自立する国家
・第3章 ナショナリズムとはなにか
・第4章 日米同盟の構図
・第5章 日本とアジアそして中国
・第6章 少子国家の未来
・第7章 教育の再生
・増補 最終章 新しい国へ☆
***
    ・第1章 わたしの原点
できるだけキチンと再現するつもりである。
 
現在の自民党の政治家は政局派と政策派という分け方ができるが、政策中心の人が多くなっている。
安部氏はそれらとは別に<戦う政治家>と<戦わない政治家>という区別をする
 
戦う政治家→ヒットラーとの緩和政策を進めるチャンバレンに対して、与党の保守党の席からスピーク、フォーイングランド(英国のために語れ)という声が飛んだ。
上記の上書きとしてー。
古今東西の政治家で、最も決断力に富んでいたのはチャーチル→軍備増強こそがナチスを押さえられると早くから訴えていた。(W注1)。どこかの隣の国と勘違いされては困るなぁ~。事実、歴史を短絡した発言が海外の公式の場であったらしい。
 直ぐファシズム云々をもちだす人たちの対極だが、同じような歴史短絡の感覚が一国の首相にあれば、当然、余計な摩擦が発生する。
戦後、西ドイツの軍備と日本戦後の歴史を比較検討する部分でも、あいまいな説明が目に付き、なんとなくムード的な理解がされるようになってしまっている。
 今日的意義のある物凄く大事な両国のリアルな戦後史の比較部分である。
そこがアイマイで例によって西ドイツは憲法を22回も変えている、などというところを落としどころにしている。
 手前勝手ないいとこ取りは常道手段である。
 
 筆者たちの顔ぶれの検討から、戦後のリアルな西ドイツ史を視野に入れているものはいない。
>さらに湾岸戦争のくだりは小沢一郎の「日本改造計画」のモチベーションと瓜二つである。
 
このとき、安部は父、安部晋太郎の秘書を務めており、議員になったのは1993年であった。
若い安部氏は当時の自民党に漂う空気を共有していたのかもしれない。
 
 今日のアベ路線の基本方向を振り返ってみると、小沢一郎の「日本改造計画」の<普通の国>を原点として、小沢一郎小泉純一郎→安部普三という国家機構の改革の系譜が浮かび上がってくる。
そういうもので我々多数の国民の生活労働環境が改善されるとは想わない
国滅びて山河あり、ではなく、今日のグローバル資本制の下では、先進国では国とそこに密集する支配層はキッチリと増殖、存続しても、
多数の国民生活が衰退する条件が整い過ぎている。
>三人の顔ぶれを眺めて、彼等の直近の動向を勘案すると、感慨深いものがある。
>いかにプラザ合意前後以降、世間を騒がせたトップ政治家に長期的な見通しがないか、解ろうというものである。
>この項の最期にW注1に言及すると、今日将来の日本に<自立した国家>を求めるのは、間違っている。
先般のEU加盟が民衆蜂起のモチベーションになったウクライナ情勢を見ても、語の真の意味での自立した国家などを掲げる大間違いが解る。
 
>自立でなく自律である。
日本語の意味としても大きく違っていると想う。<自立>などという幼児期に相応しい言葉が堂々と政治用語として流通する現状を不思議に想わない政治感覚を疑う。こんな政治用語を用いると、いくところにいけば、キチンとした説明を求められるのではないか。
日本は属国というのも怪しげ定義である。日本は従属していても、覇権を求める国家の側面がある。
 
  「美しい国へ」の愛読者の弁
「これは戦後の歴史から、日本という国を日本国民の手に取り戻す戦いであります」
こんな見解に燃え滾りるひともいれば、何をいいたいのか解らない、という人も多い。
自分は後者である。論理的に意味不明。
ハッキリしていることが一つだけある。
外国の多数の人にも説明しても何が何だかわからないような歴史観には無理があるということだ。
それから事実の積み重ねであり、実証性のある歴史と歴史物語を混同してはいけない。
 
間違った戦争指導をしたものが国民に手によって裁かれるのは、古代ギリシアアテナイ民主政の時代からの原則であった。
1940年代のイタリアでは実際にそうなったし、また、ファシズム台頭の政治基盤となった王政復活禁止条項がある。
 西ドイツ憲法にも、ナチス復活させず、東側に対抗する積極的条項が明示されている。
 
 日本の憲法の第9条は1条~8条までの天皇制の権限規定条項とのバランスを取って設けられた側面も強く、安部氏等の言う日本を二度と列強に歯向かわせないためのモノという認識だけが正当なモノでないことは明々白々である。
 
 どんな日本の事情を知らない政治的愚物でも、天皇制と日本軍隊日本社会の直結が、民主的合理主義と真反対の無謀な戦争を引き起こしたことが理解できるというものであり、そのことを認識すれば、天皇制の権限の明記に対する、強力な対抗措置を選択するのは当たり前である。
それが9条である
民主政と「戦争的事態」を両立できない日本と日本国民は普通の国にならない、残念ながら、なれない。2022年付け加えた記事。韓国は徴兵制と長い民主化闘争を並列させてきたが、日本社会はそれができないだろう。なぜなのか?日本社会は硬直性が強い。柔構造に乏しい。
 
この項目の安部氏の主張の特徴。
【既に命で償った人たちに対して手を合わせることなど禁じていない】
【つまり諸判決を受け入れたのであって、東京裁判そのものを受け入れたわけではない】
【判決と定められた刑について受諾して、今後、国際的に異議を申し立てない】
【服役中の国民を自国の判断で釈放できるという国際法上の慣例を放棄する事によって国際社会に復帰したのだ】
   何処に向かって言い訳をしているのか。
 そこに行きたければいけばいいではないか。何の気兼ねがあろうか。
 
 第2章、自立する国家の結語は靖国への言及で終えているのは象徴的である
 
 次の第三章のナショナリズムの最終記述は特攻隊である。
 
 天皇タペストリー論もあってなかなか話題豊富である。
「日本の歴史は天皇を縦糸として綴られた巨大なタペストリーだ。」
>一見、なかなかしゃれた表現に思えるが、縦糸が天皇であるというトンでもない記述である。
 
第3章 ナショナリズムとはなにか
 安部さんの趣味を聴いて編集専門家が長々と記述してようで、かなり散漫になっている。
どういう論調なのか示すサブタイトルだけ記す。
 
「日本が輝いた時~東京オリンピック~」→「三丁目の夕日」とかいう映画が取り上げられている。物の時代であった高度経済成長から、心の時代への転換を匂わせている
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 第三章ナショナリズムとは何か?
     天皇は日本歴史のタペストリーの縦糸論
前回記事の最後尾に配したカールシュミットの民主主義=同一性と比較してみるのも一考。
『選挙権がより多数の人間に次第に広く流腑して与えられる時、それは、国家と国民の同一性を実現する努力の一つの徴候である。
その基礎には、同一性を実現するものとして承認するための前提についての一定の考え方がある。
そのことはまた論理的には全ての民主主義の論拠が一連の同一性の上に基づいているという根本思想を、少しも変えるものではない。
 
 この一連の同一性には、(W。ここからが凄いことになってくる
治者と被治者との、支配者と被支配者との同一性、国家の権威の主体と客体との同一性、国民と議会における国民代表との同一性、国家とその時々に投票する国民との同一性、国家と法律との同一性、
最後に、量的なもの【数量的多数、または全員一致)と質的なもの(法律の正しさ)との同一性、である。』
 
>W。「美しい国へ」 シュミット的同一性の狂気にまでは至たらないが、
>同一性への強力な巻き込み、強要は一貫している。
天皇はズット<象徴>だった』
日本の歴史は天皇を縦糸にして織られて巨大なタペストリーだ。
ケチ付けではない。表現はキザでもっともらしいが、こういういい加減、粗雑な政治感覚は理解しがたい。
この歴史観は得意な日本文化史であり、首相が公私混同すれば日本史の教科書は書き換える必要がある、と考え実行するのが自然である。
 
  W。憲法第1条。天皇象徴規定にも飽き足らない様子
 安部氏等に憲法第1条に対して、わだかまりが生まれる事情は、丸山真男、等も日本国憲法制定過程において、9条よりもむしろ、1条の主権在民規定に驚いたことからも類推する必要がある。
敗戦直後の平和にひとまず安心する空気が当時にはあった。一方、帝国憲法の習俗化は国民の身に染みていた。だから主権が国民にあると謳われたとき違和感を感じたのだ。もっとも米語のPEAPLEと国民nationは意味が違う。米語の民の精神に該当する日本語は草莽が近い。草莽には能動的な意味が含まれる。
戦後生まれの我々には(戦前戦後の歴史を継承の観点で見る教育を受けていないから、第1条を天皇象徴宣言と同時に、リアルな主権在民宣言と観る政治感覚はないからである。
 
安部氏等に有って、我々にない。紛れもない事実である。
 
だから、安部氏等は第1条に天皇元首規定を入れ、それにリンクさせて<公共の優先>を自由権に必ず対置する。基本的人権条項まで剥ぎ取っている
コレに対してリアルな政治感覚として、反応できない、想像できない弱点を抱えている。
日本政府案では)
天皇統治権を総攬行使する、という明治憲法の基本を継ごうとした。
 
しかしGHQはそれを許さなかった。
結局GHQ案を呑まないと天皇制そのものが存続できなくなるという危機感から象徴天皇制を受け入れることとした。
W。天皇制という政治用語を連発している意図はわかる
当時の人は天皇制といわず、【国体】という用語を使用していたのである
美しい国へ」の国体という政治用語を使用すると反発を受ける、という政治感覚から、あえて天皇制としたのだろう。
>実際に自民党憲法草案2005年度版→2012年度版では次のような第1条の変化が見られる。
2012年度版は「美しい国へ」の思考パターンに沿ったものと考える。
2012年度版自民党憲法改正草案、
第1条 (天皇
 第一条
天皇は、日本国の元首であり
日本国及び日本国民統合の象徴であって、W?the symbol of the state and unity of peaple(直訳国と人民統合の象徴。従って日本語としては日本国民統合の象徴でOK
その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。
 
2005年度版自民党憲法草案
第1章 天皇 
 第1条(天皇
天皇は、日本国の象徴であり、
日本国民統合の象徴であって
この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく
    
現行憲法第一条
天皇は、日本国の象徴であり、
日本国民統合の象徴であつて
この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く
 
 W。ナショナリズムとは何か、の最後は【特攻隊<論>
   【公】の言葉と【私】の感情
本当に当時の彼等のリアルな実存に寄り添えているのか。大いに疑問に想う。
たくさんいいたいことはあるが、云うべきではない。アベ等には自重が足りない
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・第6章 少子国家の未来→少子高齢化対策は、家族の大切さの強調など抽象論に終始し、全く具体策なし。
ほぼ容認(放置)とも受け取れ、財界などの移民導入まで踏み込み込めるはずはなく、対抗策としての企業海外進出による財政寄与に留まっている(資本収支増)。
>唯一、コレはと思ったのは、健康寿命と平均寿命は違う。大体6~7年の差があるという、指摘。
具体的な対応策として、脳出血発症直後の救急医療体制の整備を提案している。救急処置の状態によって、その後の状態は左右される。
国防と社会保障が政治家としてのに大テーマというだけあって、非常にリアルでよい視点だと思う。
・第6章 少子国家の未来にしても、実情を知るだけに、政治家として、自分の専門分野で、いい加減なことをいえなかった、とも受け取れる。
 
・第7章 教育の再生
ここで展開されているフリードマンによって提唱された公教育へのクーポン券制度導入は選択によって各学校を序列化して今唯一残っている、学校区による地域共同性を破壊する。
地域のコミュニュケーションの希薄化は家庭単位で、日本国民多数を地上数メートに漂う風船状態にする。
アングロサクソン的社会構造は山ばっかりの人口密集、地の果て列島日本に馴染まない。
 
  美しい国へ」の全体像を総括すると、
マスコミ宣伝、教育によって、日本国民を政治的に浮遊化させ、政府が上から愛国主義で「集約」していく。
>安部政権の眼目は憲法⇔軍事、教育などの政治的上部構造の改変につきる。
>具体的な諸政策面では今までの自民党保守政治(官僚に政策マル投げ)の枠内に留まる。
 従って、これはイデオロギーや軍事の改変に限定されたものであって、多数の国民の生活状態の改善に寄与するものでは無い。むしろその逆方向の政治である。
まだ政権は1年半程度であり、今後、結果は具体的にキチンと現れる。
 
 アベノミクスは日本の政策当局としては選択肢は極めて限られている中で、動くとすれば、他に方法が無い、所まで追い詰められていた結果の政策選択であった。(官僚関連の報告書を読めば、この辺の事情は実に良くわかる)
 アベノミクスのインフレ政策によって、今まで生活必需品を中心に諸物価の値上がりの既定事実の中で、4月からの庶民の実感として消費税の5%→8%は、実質的に9~10%程度になる。業態によっては便乗値上げもあった。4月値上げに向けたレジなどの機能チェンジ以前にアベノミクスで生活必需品は値上がりしている。
安部政権になってから時間給は軒並み値上げされているようだが、全部、価格に転嫁されて、結果的に物価上昇によって庶民生活締め付けている。
 インフレには各種あり、低経済成長への対応策として、当局が意図的にインフレを引き起こすなどというのは邪道もいいところである。
 結局、欧米の経済危機という外部環境はいずれ改善したわけだから、以前の日銀政策の修正程度でよかった。
政策当局が動いた分だけ庶民生活を締め上げた。コレがアベノミクスの結論である。
もっとも、資金流入アメリカは助かった。
 
下請け中小零細の下方企業群では、淘汰、系列化がさらに進行する。
地元商店街などはいよいよホールアウト状態に近づいている。
 
 ちなみに、アメリ中南部のウォールマートの女性従業員の週休は200ドルとか。州によって労働規制など労働環境が大きく違う。コレだったら、仕事を掛け持ちしなければ生活できない。
それで政治に希望を託すとすれば、政治はどうのような方向に動くか、解りきったことだ。
昔から繰り返されてきたことで、製品輸出資本輸出あるいは、海外からカネを引っ張ってくることしかない。
 
当然、これまで駆け込み需要による景気浮揚も想定されたわけで、その分のマイナス、予算関連のマイナス、消費需要の低迷などを勘案すると、またまた外需頼みの経済状態になるが、交易条件の悪化、内外にわたる産業構造の変化(サプライチェーン化)は円安によってさらに深化するはずだから、これからが安部政権の本性が国民の前に晒される。
 
 今までのマスコミ発の騒ぎはなんだったのだろう、ということになる。
極端に言えば、株価上昇で外国投機筋が大儲けしただに終わり、巷で排外主義勢力が台頭し、国会の政権反対勢力が弱くになった、だけだ。
要するに政治過程に対するの反国民的な荒らし行為だけにおわった。
 こうした状況だからこそ、橋下大阪市長の又してもの任期途中の辞任、再出馬というあり得ない事態がある
 
そうすると、次に飛び出してくる、常套手段として、対中関係の揉め事に放火し、衆目をそらそうという衝動が生まれる。
様々な場面を想定できる。
中台揉め事激化=恒常化、尖閣北朝鮮ミサイル発射、砲撃などの軍事突出。
 
 対韓は台中包囲網結成ということで、アメリカに釘を刺されているようなので動かさない。
安部首相のイジマシイ靖国参拝を見てもそれは良くわかる。
沖縄県知事海兵隊辺野古移転承認を靖国の英霊たちに報告したかった、という『真っ直ぐな』心境だったのしょう。ーおそらく。
日本政府の巨大出費で米軍に新たな基地を造って差し上げるということで、特攻隊の死は無駄でなかった(W。一体なんだったのだろうか?)。
>この辺の自分には解りにくい『真っ直ぐな心境』を「美しい国へ」ー第4章日米同盟の構図ーの検討で点検してみたい。
 先回りして言えば、次のような日米関係の見方があるようだ
 
なぜ日米同盟が必要か
1960年安保以来、【駐留軍を同盟軍に変える】→【日本が独立を勝ち取る】というイジマシイ努力してきた
 要は日米安保において双務性を果たすことによって米側から一人前として信頼を「勝ち取る」という論理構造があるようだ。
このいじましい努力の一環としての米海兵隊への辺野古建設と読み込める
それで沖縄県知事OK直後の、米側から禁止されているにも拘らず、止むに止まれじ、靖国英霊参拝いうことだろうか。
 
 こういう『真っ直ぐな』心根は利用される余地はないだろうか?
日米の今後の基礎体力の推移もアメリカが世界唯一の超大国だった時代は終わりを告げた」ー中西輝政ーのは事実であるにしても、
@アメリカの凋落よりも日本の凋落のほうは急カーブであるとすれば、こういった一人前戦略=言うところの自立は背伸び過剰にならないか。
@そしてその背伸び過剰のつけは国民が被る、だけで日米にまたがる日本支配層は食い逃げ状態を維持できるとすれば、言い換えると第2次世界大戦のときのような支配層の一部の没落することがなく、逆に肥え太るとすれば、
@我々はどうしらいいのだろうか?
 
愚直は『美しい国』では通用しても、外交ではただの愚か者ではないのか?
もっとも、戦略的な選択肢の巾は極端に狭まっているリアルな国際関係がある。
ただ株価の推移は先進国がカネをばら撒いているわけだから、こうした実体経済の動向=庶民生活とはほとんど関係がない。
そもそも、日経平均7000円→14000円は民主野田政権投げ出し→安部政権誕生時期さえ予想できれば、インフレ政策採用不可避の予想から、想定された。
 
 最近アメリカがウクライナ、台湾など世界中で激しく動き回っているようだが、要はバブル崩壊後の景気浮揚は企業収益の史上最大の増加⇔高失業率による更なる格差拡大という国内状況を前提条件に、再びバブル崩壊前の世界中からモノカネを自国に集中させる必要に迫られいる結果と見る
あそこまで金融主導の経済構造ではバブル経済は体質化しており、結果、その前提条件となる世界覇権の再構築の衝動は増大する一方であり、只今実行中。
そうしなければオバマ民主党政権は立ち行かなくなっている。
 
第5章日本とアジアそして中国
『日中は政経分離の原則でできるだけ早く力の間に政経分離の原則を確立する必要がある』
 
W。政経分離は従来の安定的な自民党路線であって、今の安部路線とは違っているようだ
アーミテージ戦略の方向に引っ張られる原因は安部の原理論である国家主義の視点にある。
米軍事戦略主導によって、東アジアに設定された危機対処の方向で軍事バランスのみに追い求めると、必然的に米世界戦略の術中にすっぽりとはまっていく。
 
 自らの理想の政治家像をチャーチルに求めていることとから、対独融和戦略のチェンバレン首相を引き継いだチャーチルの対独強硬路線に対して台頭する中国戦略を二重写しにしている可能性もある。
W。旧版の「美しい国へ」の刊行2006年から余りにも年月が経過した。
完全版でも改訂はしていないが、現状の本音は次のようなものであろう。
アメリカの戦略が変われば、【もはや日本の選択肢はないだろう】から、中国をいかに封じ込めるかに転換せざるえない。
中西輝政
  「迫りくる日中冷戦の時代 ー日本は大義の旗を掲げよー」  PHP2012年刊
「いま、アジアを舞台に新たな冷戦が始まろうとしている。冷戦の次の主役は中国だ。
アメリカが世界唯一の超大国だった時代は終わりを告げたのである。
急速な経済成長を遂げ、アジア太平洋への露骨な膨張政策をとる中国をいかに封じ込めるか? 
米軍の対中国海空戦闘配置ー連動する自衛隊のダイナミック戦略
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安部政権の総選挙の真相は、拙速過大なアベノミクスの破綻にアリ、個人消費停滞と消費税増税延期を口実に、今後の庶民生活の急速な悪化を見越して、デマ宣伝を武器に先行的に襲いかかり、ねじ伏せようとする暴挙。 - 反俗日記

W.混乱した記事。

この時の想いは、小泉郵政改革選挙の手法を使った民主党政権没落後、衆議院圧倒的多数派のアベ自公政権の任期半ばでの突然の総選挙という事態は日本の議院内閣制における解散権の悪用であるとの素朴な怒りであった。

圧倒的な多数派政権であれば、任期半ばで信を問う必要はなく、腰を落ち着けて政権運営当たることこそが、消費税増税、消費の冷え込みに対する通常の政治姿勢のはずなのにアブノーマルなアベノミクスの宣伝と抱き合わせてアベのいう自分の土俵での戦いすり替えている。こういうトリッキーな国政選挙に打って出たのは小泉郵政改革が最初だった。

 そしてまた圧勝すれば政権基盤は盤石になり、民主党政権に上り詰めた野党勢力にとどめを刺すことができる。事実、民主党は消滅した。

それを長々と理屈で記事にしているから何を言っているのかわからないようになっている。

 戦前の政友会、民政党時代の政党政治の本を読んだ時も、こういう政権党に都合のいい時期に解散に打って出ることがかかれていた。しかも当時の野党は上手くやられた、ぐらいに認識しかなかく自分たちもその手法を利用した同じ穴の狢だった。結果的にこういう泥仕合のような政党政治がやむに已まれぬ内外情勢と相まって、国民が旧来の政党政治の枠組みから軍部の強力政治への期待を育んだ。この時代の国政選挙の投票権は成人男性一人に対して2票であり、選挙区も大きく当選者も多数出る。そのことも手伝って買収が横行した。

調べてみなければわからないが、いま世界中で解散特権を利用して政権党に有利な政局を作って国政選挙を挙行できる民主政の国はないと思う。法律でできないようになっている、とおもう。

ワイマール憲法社会民主党に譲歩した「民主的」な条項(企業経営への労働団体の参加+社会主義への道)を補填するために大統領の指揮権に特権を与えた特殊条項があり、それをナチス党が利用しヒットラーとその党の独裁体制を短期間で合法的に作り上げた。

 消費税増税のスケジュールは民主党政権時代に決定されており、安倍政権はそれを履行するだけだったが2年間延長とアベノミクス宣伝と抱き合わせで国政選挙をやれば、任期はさらに4年延長できる。

 しかし、消費税増税は確かに国民消費を冷え込ませ、物価を挙げる要因だが、執行猶予したり減税してもその後の一定のスパンで見れば日本経済の活性化には繋がらないことは専門家であれば承知の事実だし、選挙民のかなりの部分は察知している。適切な政策が見つからないジレンマがある。

日本経済はその基礎的経済要素にふさわしいところに歴史的に回帰している、コレが正解なのだとおもう。日本には日本の限界があった。

こんな時は運にも見放される。動けば昔感覚なので裏目が出る。

 戦前の工業生産値はイタリアよりも下位だったが、ワシントン会議で割り当てられた戦艦建造割合は、英米に次ぎ仏と同列で民需と軍需は歪に逆転した国だった。アジアへの拡張主義はその意味からも日本の経済の歴史そのものだった。戦後の経済発展の道筋では逆の様相になっていたが、軍需増大に手を染めようとする途上である。そしてその時代には各々ふさわしい理由が付いている。

いろんな時代の政治や軍事と混ぜて歴史を云々する人がいるが、資本主義経済は歴史的趨勢には逆らえないことが特製である。

それだからこそ日本支配層の本音は多くの国民に歴史回帰の負荷をしわ寄せし、自分たちだけは足抜けしようとしている自民党の戦略、戦術を遠い眼で見ると結局ここに行きつく。それまでの成長の時代の自民党は中曽根時代のプラザ合意受諾で終わってバブル崩壊以降、自民党は紆余曲折の末、上記の戦略が底流になった。そういう流れの中で、統一教会自民党への浸透があった。利益共同体に囲い込んでいざというときに手足となってつかえる支持者が経済停滞や政治競争で少なく成れば、公明党という宗教丸抱えの政党の集票力に補填させるしかないが、それでも個々の議員は間に合わないようになって、政治行動主義に徹する熱狂宗教と利用関係を持つしかなくなる。政権維持のためなら手段を択ばないのは、今の自民党の本性から言えば当たり前だ。

ハンスカロッサ「狂った世界」。混じりっ気のない生粋の権力陶酔は、総統だけのもの。上層部の者たち、将校団の大多数は、アルコールの助けを借りなければ、自分たちの自尊心や勝利への確信を昂揚したり、あるいは良心をマヒさせることはできない。知性も義務感も著しく劣化しているのに、重要な決定がそういう連中によって下されている。

「あの何日かに出会った心地ようものといえば、それはホテルのボーイであった。彼は手紙を持ってきてそれは私の朗読会で履くはずの靴をもっていって磨いてくれることになった。

一目見れば利口な自制心に富んだ北イタリア人だと解る、私は彼の国の言葉に通じていることを示すと、彼は親しげに打ち解けて彼の故郷のみじめさを細々と話し、ファシスト政権の没落が迫っていることを、まるで必然のことのように冷静に語った。

 国家社会主義については彼は言及しなかった。私がドイツ人であるために、気を利かせたのだろう。

私も礼儀に報いようと、世界中から賞賛されている首領ムッソリーニも大変気の毒なことになったねと述べると「あまりにも専制者です。あまりにもあまりにも~」とだけいった。しかし彼の言葉は正しくはなかった。ムッソリーニヒトラーと手を組んで以来、もはや専制者ではなかったからである。

 同じ廊下の別室に、若い親衛隊の将校たちが泊まっていたが、ボーイはこの将校たちのことをまるで行儀の悪い学童のように寛大に話して聞かせてくれた。

「彼らは毎晩のように珍しくなったワインを何本も明け、酔っ払って見境もなく総統のことをののしり、奴は精神病だと決めつけイタリア人である自分の前で少しも気を引き締めようとしないんです、多分彼らはボーイにはわからないと思ってのことでしょうがね、自分は決して密告者ではありませんから、彼らは心配する必要はないんですがね」

というのだった。実際に彼は密航者には見えなかった。

だから彼が手紙の宛名から私の名前を知っていることもかえって私を安心させた。

そのイタリア的響きを、彼は大変喜び、自分はボローニャのちかくの街で生まれ育ったけれども、教わった専制の一人がちょうど同じつづりの名前で「とても立派な方でしたよ」とイタリア語で付け加えた。

 彼が行った後、再び物思いに囚われそうになったが、ともかくも講演のために着替えを始めた。

無思慮な若い将校たちが酔っ払っていったことは確かに大した意味はない。

しかしそれを聴いたボーイに一人が密告者だったとしたら、彼の命にかかわることになりかねない。

それに彼らの恨みも、実をいうと全ての国家権力が彼らのグループの手に移行していない、という不満だけからきているのかもしれない。

 れにしても酒精が、帝国崩壊にどれほど重要な貢献をしているかということである。

混じりっ気のない生粋の権力陶酔は、総統だけのものである。彼はそれ以外の陶酔を必要とはしない。

しかし当の上層部の者たち、将校団の大多数は、アルコールの助けを借りなければ、自分たちの自尊心や勝利への確信を昂揚したり、あるいは良心をマヒさせることはできないのだ。

 戦場では、将校や兵士たちが血を流し、飢え、凍えている。

しかしそうして戦っている銃後では広く国内全体に、アルコール中毒が蔓延している。

アルコール常飲者は、知性も義務感も著しく劣化しているのに、重要な決定がそういう連中によって下されているのである。

ファンソギョン自伝。最終回。服役中、金大中に批判的な書物を書いてくれないか。そうすれば近いうちに赦免対象にしてあげよう。誰がそう言わせたか知らないが 俺を甘く見るな!赦免の話をするならもっと早く持ってこい。ここでたっぷり暮らしたので今の懲役暮らしがすっかり身についてしまった。

  1979年大統領暗殺以降のソウルの学生たちの状況判断と動き

「私は印税問題を解決しようとソウルの出かけた。

***は今やソウル大学の復学生代表になり

>下から押し上げてくる急進的な後輩たちを慰留しながら民主化運動に取り組んでいた。

>私たちは新軍部と民主勢力が衝突する決戦の時が近づいたと肌で感じていた。

***は、独裁の味を知っている維新軍部が武力を手にしているから、おいそれと民間に政権を委譲することはないと強調した。

W。光州事態はソウルで10万人集会を予定していた学生たちが非常戒厳令下の弾圧を回避するため街頭デモを中止したことによって、予定通り大衆デモを決行した光州が孤立し、保安司令官全(のちにクーデター)の空挺部隊投入を招いたことに原因を求める見解が多い。

ファンソギョンがここで述べている内容は、10万人街頭集会デモ中止の状況判断を示している。

  1980年5月16日

「私は光州の劇団専用劇場の工事資金集めに、5月16日午後に上京していた。

  翌5月17日

 新村駅近くの居酒屋にいると、知り合いの青年があわただしくやってきて、梨花女子大に集まった全国学生会の幹部が、戒厳令司令官(W。司令官は粛軍クーデターによって後に権力から排除)の要員に急襲された、と教えてくれた。同じ時間に**等先輩(学生会の)に連絡してみるとみな自宅から連行されたという。

光州の緑豆書店にも連絡すると**の妻が民主青年協議会の青年たちと在野の人々とは予備拘束されたと告げるのだった。

   5月18日

 デモの知らせと光州市がい延ばす共用ターミナルで死亡者が出たという知らせが飛び込んできた。

逮捕を逃れた在野の人々は身を隠したり上京する直電のことだった。

   5月19日

 状況は一層悪化したため私は周囲の青年たちと光州にもどるべきか、ソウルの残るべきかを話し合った。

**は過去にあった東学<農民革命>の例を引き合いに出して、コレは革命的状況だから戻るべきだと発言したが、**牧師らは今戻れば要注意人物として逮捕されるだろうからソウルに留まり人を集めて戦おうと主張した。

******

甲午農民戦争/東学の乱

反乱は反日・反閔氏政権の様相を強め、全州府を占領した。閔氏政権は清に出兵を要求、清が出兵すると日本は天津条約に基づき出兵、朝鮮支配をめぐって両国は日清戦争となる反乱軍は日本の出兵に反対して戦ったが、30~40万の犠牲を出して敗退し、鎮圧された。日本ではこの反乱を「東学の乱」ともいうが、単なる農民反乱の域を超え、農民が主体となって侵略軍である日本軍と戦ったものなので、現在では甲午農民戦争と言われるようになった。また、日本では「東学党の乱」と言われていたが、東学は党としての組織をもっていたわけではないので、現在では党を付けないのが一般的である。」

****

 5月18日

数回デモをやり私たちの仲間数名が捕まった。

~~その日のデモは***に集合してから合図とともに一斉に道路の真ん中に出て行進することになっていた。

だが約束の場所に行ってみると知った顔は数人だけで学生や若者の姿はほとんど見当たらない。私たちはただ漫然と歩き回るだけだった。

そうして1時間半ほど大通りを歩いていただろうか。のちにれんらくが入って聞いた話では、誰かが投身自殺したとの一報が入ったためにデモは中止になったのだ。

 私たちは光州の惨状を知らせようとアンダーグランド、ペーパー班を組織することにした。⇒W一か所に留まってビラマキをしていると警察に包囲され逮捕されるので、予め逃走経路を確保しておいて複数人で配布する。文字通りのビラまき、手渡しで配布する余裕はない。戒厳令下の宣伝活動はそういうものだろう。

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**牧師と私はアメリカが光州鎮圧を黙認するだろうとの話に拍子抜けしてしまった。私は気を引き締めてできる限り大衆の感性を刺激する扇動的な文章を書こうと努めた。私が檄文や宣伝文を書くと**牧師はそれを校正しガリ版に鉄筆で刻んだ。夜を徹して檄文とビラを擦り終えると、夜が明け始めやっとソファに倒れ込み眠ることができた。

 あちこちへ連絡すると学生や活動家5名が志願してやってきた。

二人でペアを組み一人は見張りをして逃げ道を確保したりタクシーを確保するという作戦を練り担当区域をわけた。

 ある日、解雇された女性労働者の一人がソウル大学出身のある青年とペアになった。

青年は自分がやると言い出したので女性は後方から見守ることにした。

 彼は会階段の中段くらいまで降りると、地下鉄を歩く人々に向かって持っていたビラを固まったままポンと放り投げた。彼は緊張しすぎていたのか、まともにビラがまけないまま、後ろも振り向かずに大通りに向かって駆け出した性労働者は大胆にも階段を駆け下りるとそのびらの束をつかみ四方に撒いてから地上に姿を現した

 彼女は急いでタクシーを捕まえると**方面に向かった。

>すると窓の外をパートナーの男性が髪を振り乱して走っている。

タクシーを止めて「先輩、こっち、こっち!」と声をかけたが気づかないのか走る続けている。

しばらくしてやっと彼女に気づいた彼は倒れ込むようにタクシーに転がり込んだ。すでに全身は汗でびしょぬれだった。

そのご、彼は約束の場所に現れなくなりペアの相手はこうした仕事に向いていないとパートナーの後退を申し出たという。

私は抗争が鎮圧されてからも光州に行くことができず、ソウルに留まり、光州からの連絡を受けて、逃れてくる若者たちを振り分け、彼らが逃亡し身を隠す後始末を受け持った。

 こうした状況の中、妻と連絡することができた。

当時我が家には電話が設置されていなかった。光州民主化抗争の期間中、妻は市民決起大会へ行き、闘争への参加を訴え、同調を占拠した市民軍を助けて炊事をするなど、多くの仕事を自ら買って出た。受話器の向こうで妻は泣きながら「野火夜学」の**(最後までたたかいを主張したのは夜学系が中心。この人は記念館に刻まれている中心人物。)、**が亡くなったと告げるのだった。

そして17日の晩、合同捜査班が、私を逮捕しようと我が家にやってきて、母は靴を脱げと叫んだが、彼らは2回までくまなく探しつくしてから帰ったという。そして母は事態が安定するまで少なくとも2か月ほどは光州に戻らないようにというのだった。

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6月中旬になってやっと光州に戻ると知り合いがなくなっていたり、逃亡したり逮捕されていたりしていた。

まるで戦争が勃発して通り過ぎたみたいだった。

母はその年の冬、雪の降り積もった日に外出して転倒し寝たきりになり起き上がることが不可能になってしまった。

 ある日、高校卒業以来一度もあったことのない同級生の一人が、突然我が家を訪ねてきた。彼は軍の佐官級の法務官になり光州事件の調査にやってきたと告げた。

私に関する分厚い調書と情報報告書は、すべて自分がまとめたものと前置きし、それとなく恩着せがましく、しばらく光州を離れろと勧めるのだった。彼は私関係の事件をすべて終結させるまで、3か月ほどの日時が必要だとも語った。

最初彼は私に光州を離れよと即し、ソウル出身者が何のためにココに暮らしているのかと問い詰めてきた。

「家族全員が無理ならお前だけでもここを離れろ。

もうすぐ戒厳令が部分的に解除される済州島は観光主体で戒厳令とは無関係だからそこにでもいったらどうか」と重ねて進めるのだった。

 私は妻と相談し連載が中断している長編小説を執筆するためにも彼の忠告に従うことにした。

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 1982年妻が連行された。

私は詳しい事情は尋ねなかったが光州民主化抗争最後の手配者だった**の亡命の実行に妻が関係していると推測していた。

私たちはいつごろか二人が関係する活動内容を詳しく話さないことがお互いの礼儀のようになっていた。

 私はまんじりともせずに夜を明かし必つの秘策を思いついた

光州のアメリカ文化院「に勤務する私の長い間の読者の支援を受け、アメリカ文化院長を訪ねて行った。

そのころおきた釜山アメリカ文化院、光州アメリカ文化院に対する放火事件は、光州での虐殺を黙認、または支援したアメリカの制作に対する抗議であることもアメリカ側は知っていた。

 こうしたことを念頭に文化院長にあった

その日の夕刻に院長は再び会おうと提案してきた。

再会の場には、こぎれいに正装したアメリカの男性二人も同席した。

彼らの名刺の所属欄には「アメリカ大使館政治部」とあり、私はこの間の事情を再び説明した。彼らは政治的に微妙な問題だというとお互い目くばせし、「うまく処置します」と述べて帰っていった。

その晩2時過ぎになって、私宛に光州治安本部の「安家」(安全家屋の略。特殊情報機関が秘密維持のため利用する一般家屋)

から妻を引き取るようにとの連絡が入った。

 彼女は憔悴しきった姿で帰宅した。そしてソウルで連行されて取り調べを受けた人々からの全員釈放されたと電話が入った。

しかし最初に拘束され取り調べを受けていた全州、群山一帯の教師たちは左傾革命を準備する「5松会」を組織したなど全く無関係の嫌疑が後日新聞をに大きく報じられた。

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 光州民主化抗争の記録の責任を負った数名のあってみたがみんな発表すれば逮捕されるのは明らかなので拒絶されたというのだ。

わたしは光州で亡くなった人々に負い目を感じていた。偶然にも抗争直前に上京し現場に一緒にいることができなかったからだ。だから光州の人々にはいつも申し訳ないという気持ちを抱いていた。私は遅ればせながら作家としてなし得る役割を与えられたことに感謝し、この仕事を引き受けた。

 **は簡潔に言った「事のすべては黄先輩の責任になります。だから個々について知る必要はありません。私はその言葉の意味を理解した。つまりトカゲのしっぽ切のようなもので私が拘束されたとしてもほかのメンバーを知らないのでさらなる追求は未然に防ぐことができる。

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 正装にネクタイ姿の中年紳士が二人、(W監獄の面会所に)やってきた。

私は面会に来た知人程度に自然に対しようと努めた。やがて彼らのうちの一人が口火を切った。

「今刑期半分ほど超えたようだが、文牧師よりさらに長く過ごすつもりかね。」

私はい落ち着いて答えた

「それなら少し楽にしてくれよ。作家が執筆できないのはとてもつらいんだからね」

待っていたとばかりもう一人の男が続けた。

「だから我々は君を助けるためにやってきたんだ」

彼らは本題に入った。

「ここへやってきたのはほかでもなく頼みたいことがあるからだ。

金大中という男が政界から引退するといっていたのに、またも政治活動を再開しようとしている。そんなことで国を発展させることができるのか。

社会統合のためにも、あの男が再び政治の世界に出てくるのを認めてはならない

君は彼のことをよく知っているようだから、金大中に批判的な書物を書いてくれないか。そうすれば近いうちに赦免対象にしてあげよう。必要なら我々が所有している彼に関する多くの資料を提供し、ココよりももっと落ちつける環境で、心置きなく執筆できるようにしてやることもできる」

 私は彼らの無邪気な提案に大声で笑った。

私が民主化のために運動し訪朝までしたのは、何か政治活動をしたかったからではない。

私は文学を人生の仕事に選択した人間だ。

私の創作以外の活動は知識人として社会に奉仕しようとするもので、それも私の文学の重要な一部を成している。

私は書こうとする作品以外の文章を、政治目的で書けと共用するのは北朝鮮と全く同じではないか。だから君らの考えるあらゆる政治社会的仕組みを変えようと戦っているのだ。

そういいたかったがごく簡単に答えた。

「なんな文章を書くことはできない」

二人は顔を見合わせるとそのうち一人が改まってぴっしゃりと告げた。

「それじゃ、7年まるまる残るんだな」

別の一人は付け加えた。

「ここの暮らし」が気に入ったということか。」

私はぐっとこみあげてくるものを抑えた。

「おい。誰がそう言わせたか知らないが

俺を甘く見るな!赦免の話をするならもっと早く持ってこい。ここでたっぷり暮らしたので今の懲役暮らしがすっかり身についてしまった。今頃やってきて様子を探るつもりなのか。

彼らはもはや問答無用といわんばかりに、すっくと立ちあがり出て行った。

そばで記録していた李主任がいった。

「私の気持ちもすっきりしました。」

後日二人は繰り返しこの時のことを語り合った。

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 ファンソギョンの服役期間5年はほぼ金泳三 - Wikipediaの大統領任期と一致する。

かれは金大中と「いしん」体制後継者大統領候補と争った選挙で共闘できず当選を許した。だれが金大中の批判を書いてくれと指示したのか、金泳三 - Wikipedia

の意をくむ策謀であると考える方が自然。そう考えると「赦免の話をするならもっと早く持ってこい。誰がそう言わせたか知らないが、と合わせると強烈な皮肉、深い意味がある。

>そもそもファンソギョン1989年(ベルリン壁崩壊)の訪朝から帰国(1993年)までの4年間の欧米滞在時に盧泰愚 - Wikipedia

の後の大統領に金泳三 - Wikipediaなるとは予測できていたはずで帰国後の服役期間に大統領の赦免などの意向が働くことは承知していた。今か今かと待ち望んでいたところに金大中批判の本を書けとは心底、呆れたと思うし、議会圏の有力民主政治家に距離を置く大きな契機になったのではないだろうか。

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W参考資料①

1987年6月10日から「民主化宣言(6・29宣言)」が発表されるまでの約20日間にわたって繰り広げられた。この民主抗争の結果、大統領直接選挙制改憲実現などの一連の民主化措置を約束する「6・29宣言」を全斗煥政権から引き出すことに成功した

ja.wikipedia.org

盧泰愚 - Wikipedia

1988年2月25日 – 1993年2月24日

文民出身候補が金泳三金大中の2人に別れたため韓国大統領に当選した。

金泳三 - Wikipedia

第14代大統領(在任1993年 - 1998年