反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

#歴史

2020年8月15日記す。第18回Japan in the Wake of world War Ⅱ「敗北を抱きしめて」12章GHQが新しい国民憲章を起草する。付録NHK音声資料より、動画。犬養毅、近衛文麿。佐藤達夫(憲法対GHQ交渉者)。金森徳次郎(憲法国会答弁法制局長官)。片山哲。芦田均。石橋湛山。

引用 「46年1月の最期の日、『毎日新聞』の記者、西山柳造は松本員会がして会合を開いていた部屋で、修正憲法の草案が言ったバインダーを見つけた。彼はそれを拝借し急いで新聞社に持ち帰って、同僚たちと書き写した。その後草案をこっそり戻した。 毎日…

第17回、「敗北を抱きしめて」ジョンダワー。斬新な視点、GHQ占領=新植民地主義的支配(天皇君主臣民憲法から天皇制民主主義、憲法的民主主義、検閲民主主義)反主体的偽市民革命)への意匠替え)。大欠陥⇒欧州、東アジア戦線におけるソ連とその影響下の軍事政治力を無視し、アメリカ側の戦後世界覇権確立のための不可欠な天皇制渇望を隠蔽。

ジョンダワー「敗北を抱きしめて」を17回に渡って連載してきた。上下巻読み通しての総括的結論に達するまで時間がかかった。 凝縮した歴史的事実経過の記述において、それまで巧みな歴史的文脈の欠陥が露になるときがある。なお、明治いしんが日本植民地化…

第6回。Japan in the Wake of World War Ⅱ「敗北を抱きしめて」ジョンダワー、上巻6章、吉田茂の巻き返し。民主主義を約束する権威主義的支配という逆説。

第3部 さまざまな革命 第6章 革命を抱きしめる 引用 「吉田は1954年末まで政権を維持し、戦後の日本に保守主義を復活させた立役者のように言われているが、後に後悔の念を込めて自らの仕事ぶりを回顧している。 吉田が改革に従ったのは、『自分の心の…

ガルブレイズ 「わが人生を語る」~ほんの数日前にナチスがチェコを脅かすような動きに出ていたものの、普通の市民はそれを無視しようとしていた。~

6、ケインズ旋風 ~新しい考え方に衝撃~ 引用 「1930年代の米国の若い経済学者にとって最大の課題は、どうすれば大恐慌から脱出できるかであった。農業経済学を専門にしてきた私にとっても、農産品価格の低下と過剰供給という当時の根源が大恐慌にあったこ…

信長 秋山駿 最終回。松永久秀、信貴山城付近散策、朝護孫子寺 、墓千基、古代の高安城跡、秩序にとって必須なのは、ある人間がいまにも絞首の刑に値しそうになる時既に、 その人間自らがいまにもそうされそうだと感じることであって、この心象に対して信を置けないなら万事は崩壊

二十二、松永久秀の謀反 町指定 信貴山城(しぎさんじょう)跡 所 有 平群町信貴山2280-1 朝護孫子寺 - Wikipedia 信貴山縁起 - Wikipedia 引用 「生駒山地の南東、信貴山雄嶽(おだけ)(海抜433m)を中心にした城跡で、東西550m、南北700mあり、奈良県で最大…

信長 秋山駿 その2。楽市楽座、撰銭令、織田家の家紋は永楽通宝、「死は人生の最終目標」長篠の戦の実相、ゴッホとシーン。

関銭の撤廃、信長の実施した経済政策「楽市・楽座」とは? | 戦国ヒストリー 楽市・楽座の歴史 引用 「楽市・楽座は信長の専売であるかのように思われているところもあるが、歴史的には先行事例がないわけではない。南近江を支配していた守護大名、六角定頼…

信長 秋山駿 引用 その1。ナポレオンは王として戦っているような弟を痛烈に批判する。 「兵士でなければならない、次に兵士で出なければならない、そしてさらに兵士でなければならない。

wacwac初めに ミシェル・フーコー|哲学と思想,狂気の歴史,監獄の誕生 - Hitopedia <エピメーテ> 知が活動するための、基盤や土台のことをいう。 権力が知識に結びつき、人間の思考を無意識の内に支配する知の構造が形成されることを解明した。 こうした考…

信長 秋山駿

信長 秋山駿 目次 一、桶狭間 二、戦争の子 三、行動の原型 四、行動のエピソード 五、エピソードの展開 六、美濃攻略 七、小牧山移転、あるいは戦争と平和 八、天下布武 十、フロイスと義昭 十一、政治的闘争、浅井の裏切り 十二、姉川の合戦前後 十三、叡…

司馬遼太郎46巻、「北京から長安へ」~鉄の使用の歴史的意味~「 天山のふもとの緑の中で」~遊牧は生物的生存状態の人間が羊の群れに入り込んで移動する人々に奇抜で新しい暮らし向き。スキタイについて。

司馬遼太郎全集46巻 「長安から北京へ」 P220上段 「辺境に近い土地にいた線が列国にぬきんでて鉄器を多く生産した。この製鉄法は遠く市域から流れてきた技術によるものらしい。(秦そのものの祖がせいじゅうといわれるに近い遊牧民族だったらしい) …

「項羽と劉邦」2司馬遼太郎全集46巻、<あとがき>全面筆写。~司馬史観による古代中国史が展開されている。

「項羽と劉邦」<あとがき> この広い地上には、文明という人間の暮らしのための普遍的体系と技術群が、集中的におこる場所があったらしい。 参考資料① 日本・中国・韓国 対照年表←W。歴史は事実の集積。抽象化の仕方を間違えると決定論宿命論になる。今、…

ビートルズ、1963年、ロイヤルバラエティーショー。ジョンレノン「ツィスト アンド シャウト」紹介前の語り草になっているパフォーマンスにまつわる話。

W。ビートルズライブをとっかかりに日本の天皇制と「民主主義」を考えてみるつもりで記事を作成していたが、横道にそれてこんなものが出来上がった。 日本は世界に稀有な天皇制「民主主義制度」の国。天皇と国民の関係は今のなお、大日本帝国憲法時代の<帝…

偶々、谷崎潤一郎「小さな王国」にであった。イロイロな解釈可能な傑作。谷崎はストーリーテラーでもあった。芥川「鼠小僧次郎吉」との比較。

ということで、偶々「小さな王国」を読んだ。岩波文庫別冊20ポケットアンソロジー 生の深みを覗く、2010年発行。 確か、芥川龍之介の「鼠小僧次郎吉」に偶々、出会ったのも、このシリーズで、未だに芥川、最大の傑作ではないか、と思い込んでいる。 谷…

戦争を通してみた日本とアメリカ社会。ノーマン、メイラー「裸者と死者」と大岡昇平「俘虜記」。ウイリアムワイラー監督の最高傑作「我等が生涯最高の年」。

ノーマン、メイラーの「裸者と死者」を読んでみようとふと思ったのは、この本がガダルカナル島を巡る日米攻防戦に彼が従軍した経験を元にかかれてるものと勘違いしていたからだ。大昔この本のページを開いたことがあったが、そのときは想像していた戦争文学…

NHKアーカイブス、兵士たちの戦争の今日的意義~物量と科学技術の余りの格差に驚愕した戦後の「平和主義」及び靖国ー自民党史観を超える視座の探求。

下記は 証言記録 兵士たちの戦争<その1>http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/bangumi/list.cgi?cat=heishi&start=1。<その2> http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/bangumi/list.cgi?cat=heishi&start=31 を注解するために作成した下手な作文であ…

NHKデジタルアーカイブス 兵士たちの戦争の解剖~日中戦争→太平洋戦争の常識論を覆し、再構成する試み~

日中戦争→太平洋戦争の常識論を覆し、再構成する試み。 ノーマン、メイラーhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%BC「裸者と死者」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A3%B8%E8%80…

海軍乙事件の実態を参考資料5点から多角的に照射する。~理研ー小保方騒動の発端~経過~現状と何処か似ている~

前回の記事で取り上げた海軍乙事件は去年の8月15日に向け、マリアナ沖海戦ーサイパン島の戦いを実録重視で取り上げたとき、記事にしなかったが、参考資料として詳しく調べたことがあり、太平洋戦史における事件の位置づけは掴んでいた。また、関連事項を…

雑草物語NO2。ブーゲンビリア~探検家ブーガンヴィルに由来、太平洋戦争のブーゲンビル島~フランスが世界の覇権を争っていた時代は文化も隆盛の時代だった。エドゥアール・マネ。

ブーゲンビリア ウィキペデア「オシロイバナ科ブーゲンビリア属に属する熱帯性の低木。和名はイカダカズラ(筏葛)、ココノエカズラ(九重葛)。W、ぶどうなんかと同じつる性の低木。 原産地は、中央アメリカ及び南アメリカの熱帯雨林。 *ブーゲンビリアと…

珍しい造形美の花、トケイソウ(時計草)。英語名ではパッションフラワー(passion flower)。パッションは「キリスト受難」を意味する。日本では果物トケイソウをパッションフルーツ。サテ如何に。

珍しい花を見かけた。見たこともないような造形的な花だった。 いつも公園の植物を手入れしている人に聞いてみた。トケイソウ(時計草)。 「周りの花弁の数が12枚あるからトケイソウ」との説明だったが、花弁の数を勘定してみると、12枚あるものはなか…

日本の政治家、マスコミ、その筋の学者の朝鮮中国をカタル足元(日本)には大きなグレイゾーンが付きまとうが、自己欺瞞して偉そう立場の評論癖。

中国の人口の歴史--人口推定の方法、人口崩壊のサイクル、など 広島大学総合科学部助教授 加藤徹 こういうネット記載の著書の一部を引用した記事を以前からお気に入りに入れて、中国歴史理解のための参考資料に、と思っていた。 が、どこか大きく腑に落ち…