反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

NHKデジタルアーカイブス 兵士たちの戦争の解剖~日中戦争→太平洋戦争の常識論を覆し、再構成する試み~

           日中戦争→太平洋戦争の常識論を覆し、再構成する試み。
ノーマンメイラー全集1、P186(ロバート、ハーンとカミングス将軍との問答)参考資料『白鯨"Moby-Dick", 1851年。ドストエフスキー
 
*将軍 「ロバート、政治というもの肌ね、歴史とはちっとも関係がないんだぜ」
P183の戻る。
将軍 「わしが着物ネイパイの時、わしの頭を埋めていたことは、蔵したら国は戦争に強くなるかということだった。
 
*ロバート、ハーン少尉 「そりゃ理由のよしあしは別として国民と国家が一体になるということでしょうな」
将軍は首を振った。
「主な要因は二つある。国家は、国家が持っている人的資源と物的資源の量に比例して、戦いに強くなる。
それからもう一つの方程式は、その軍隊の個々の兵士は、それまでの彼の生活水準が貧しければ貧しいほど、いよいよ有能な兵士となる、ということだ。」
「それから、わしが一時利用してきた大きな要因がもう一つある。
もし君は祖国を防衛するために戦っているとしたら、おそらく気味は、もう少し有能になる。」
 
*ハーン 「するとあなたは僕の見地に戻ってこられるわけですね」
 
*将軍 「もし人間が、自分の国土で戦ったいるとしたら、脱走することもまた、非常に容易になるわけだ。」
「国を愛するということは実に美しいことだ。戦争の始めはモラル的要素もある。
だが、だね、戦闘感情というものは、実に頼りのならんものだ。そして戦争が長引けば長引くほど、その価値はますます薄らいでいくものなんだ。
戦争二年後の強、立派な軍隊を作る要因は二つしかない。
優秀な物力と、低い生活水準だ。南部人の一個連隊が、東部人の二個連隊に匹敵するのは、一体なぜだと想うね?」
「我々あは世界中で最高の生活水準と、それから当然予期されることだが、強国じゅうでもっとも貧弱な個々の戦闘兵を持っている。少なくとも彼らはそのままではそうなんだ。彼らは比較的富んでいて甘やかされている
彼らは個人としての自分自身に対する権利については、誇大な考えを持っているくせに他人に対する権利となるとテンで考えもしない。ソレが百姓の悲しさだよ。とことがいっとくが兵士になるのは百姓なんだよ。」
 
*ハーン 「で、あなたは彼らを打ちひしいでやらなくちゃならんとおっしゃるのですね。」
 
*将軍 「まさにそのとおりだ。彼等を打ちひしいでやれ。将校が余分の得点をえるのを、下士官兵が見れば、そのたびに彼らは一掃打ちひしがれるのだ。」
「どんな人間だって構わん。もしわし長い間使っていさえすれば、わしはそいつを恐れさせてやる。
ロバート、軍隊を動かすにゃ、軍隊内の全ての人間を、恐怖の梯子に掛けとか無くチャならんのだ。
目上のもにビクビクし、目下のものを軽蔑するように萎えると、軍隊は一番機能を発揮するものだ。」
 
*ハーン 「警戒している兵士が、ぐるっと機関銃を後ろ向きにさせたくなるときが、やがてやってくるだろうと、僕は想われるんです。」
 
*将軍 「ああ、ソレは結局はね。兵士どもがそんなことを始めるのは、軍がまさに敗れ去ろうという時のことだ。ちょっと考えてみたまえ。世界中の憎悪もってしてもだぞ。革命というのは僅かしか起こらなかったぞ。」


     P332。二部、陶土と型。
*カミングス将軍 「わしは君に戦争のことを説明しようとしていたのだ」
「わしはそれを歴史的エネルギーの作用と呼びたいとおもうんだ。
潜在的な力、潜在的な資源を持った国がある。それらの国は、云わば、潜在的なエネルギーに満ち溢れているのだ。そしてこのエネルギーを解放し、表現することができるところの、偉大な概念が存在する。運動のエネルギーとしての国家は、組織であり、整合された努力であり、君の表現を借りれば、ファシズムである。」
「敵視的にいえば、コノセンソウハ、アメリカの潜在的エネルギーを運動のエネルギーに転化することだ。
ファシズムの肝炎は、よく考えてみると、共産主義よりもはるかに堅実だ。ソレは人間の現在の本性に、シッカリと根を下ろしているからな。
ところがこのファシズムの観念は間違った国で始まってしまったんだ。
完全に発展するための、十分な、本来的なエネルギーを持っていない国おいてだ。
制限された物的手段が、根本的に頓挫してしまっているドイツでは、当然行き過ぎということが起こらざるえなかったのだ。
だが、この夢想、この観念は極めて堅実なものなんだ。」
アメリカはこの夢想を吸収しようとしている。現に今吸収しているところなんだ。
一端権力なり、資材なり、軍隊なりを想像すると、ソレは自然と萎縮してしまうものではない。国家としての我々あの真空は、解放された力で満たされるんだ。我々は歴史のよどみから抜け出して、とうとう足る流れとなっているんだ。」
 
*ハーン 「つまり我々は運命となった、というわけですね。」
 
*将軍 「まさに然りだ。解放された流れは引いてしまわない。~
「編めるかの権力者たちは、わが国の歴史において、初めて真の目的を自覚し始めているのだ。
>みていたまえ。戦後における我が対外政策は、今までよりもはるかに露骨になり、偽善の仮面をかぶることははるかに少なくなるだろう。
我々は、右手が帝国主義のつめを伸ばしているのに、左手でわが目を覆うようなまねは、最早しなくなるだろう。」


   W、日本人捕虜の殺害場面。
 クロフトは、日本軍が渡河作戦を試みた夜のことを思い出していた。そして、旋律が全身に伝わるのを感じながら長い間捕虜を見つめた。~衝動的に水筒を彼に渡した。「さあ、飲め」と彼はいった。穂量が夢中になって獄吏ごくりと飲むのを、ジッと見つめていた。~日本兵の顔には喜びの涙が2,3滴流れた。彼はにっこりと微笑して、自分の胸のポケットを指した。クロフトは紙入れを引っ張り出して、開いた。着物を着たこの日本兵とその妻と、まるい、人形みたいな顔をした小さな子供の写真があった。日本兵は自分を優美刺し、それから二人の子供たちがどのくらい大きくなっているかを示すように、片手で二度手まねをして見せた。
 ギャラガーは写真を見て胸が熱くなった。一瞬彼は自分の妻を思い出して子供が生まれたらどんな様子だろうと想った。たった今生みの苦しみをしているかもしれないと思って愕然とした。なぜか自分でもわからなかったが、不意に彼は日本兵に向かって言った。
「おれもに三日すると子供が生まれるんだよ」捕虜は慇懃に微笑した。
~クロフトは彼に近づいて、もう一本タバコを与えた。にほんへいは低くお辞儀をして、マッチを受け取った。
「アリガト、アリガト、アリガト、ドモ、アリガト」と彼はいった。
クロフトは激しい興奮のために、頭がずきずきした。捕虜の目には、涙が湧いた。クロフトはそれを冷然と見ていた。~
捕虜は深く深く一息すって、それから木の幹に寄りかかった。彼は目を閉じた。すると彼の顔に、夢見るような表情が浮かんだ。
クロフトは激しい緊張がのどに込み上げてきて、口がからからに乾き、苦々しく、激しく引き締まるのを感じた。今の今まで彼の頭は完全に空ろになっていた。
 が、出し抜けに、彼は銃を持ち上げて、それを捕虜の頭に向けた。ギャラガーが抗議しかかったとたん、日本兵は目を開いた。
捕虜が表情を変える暇もなく、銃弾が彼の頭蓋骨を打ち砕いた。彼は前のめりになって横倒れに転がった。
彼はまだ微笑していたが、今は間が抜けて見えた。
~クロフトは一分間も日本兵を見つめていた。彼はのどや口元の緊張が緩むのを感じた。
突然彼は、非常に奥深く埋もれた心の一部では、レッドを先に返した瞬間から、自分が捕虜を殺そうとしていたことをちゃんと知っていたのだ、気づいた。
今はすっかり空っぽな気持ちになっていた。そして笑いが小さな流れとなって、彼の唇から漏れた。「ちくしょう」と彼はいった。もう一度日本軍の渡河作戦を思い出して死体を足で突っついた。「ちくしょう、この日本兵め(ジャップ)、本当に幸福に死にやがった」笑いが、彼のうちでいっそう力強く膨れ上がった。


   W。腐臭漂う死骸を破壊して金歯を略奪する。
この丘には、一面日本兵に死骸が転がっていた。二人ずつ、三人ずつ、又四人ずつにかたまって、みんなでニ、三十人はあったろう。~~
マーチネズは金歯を一杯はめた口を、ぽっかりあけた死骸を見つけてそれに期を採られて、あとをっ振り返ってばかりいたのである。彼は死骸の傍にたってその歯を見下ろした。純金らしい歯が、6,7本はあった。マーチネズは素早く他の連中のほうをチラッと見た。
 彼は、突然金歯が猛烈に欲しくてたまらなくなった。~彼は見舞いと死ながらも、遂に死骸のあんぐりと開いた口を見下ろした。こいつはもう役にたちゃしない。激しく緊張しながらどのくらいの値打ちがあるか計算しようとした。多分30ドルかなと想った。
~マーチネズは首を振った、におわぬものは何一つない。住が一つ彼の足元に捨ててあった。何も考えずに、彼はそれを拾い上げて、死骸の口めがけて、台尻を打ち下ろした。台尻はまるで草ってぬれている丸太に斧を切りつけたときのような音を立てた。彼は銃を振り上げて、もう一度打ちおろした。歯が抜けて、散らばった。
あるもの地面に転がり、あるものは死骸の砕かれた顎の上に散らばった。マーチネズは狂気のようになって、金歯を四つ五つ拾い上げて、ポケットに入れた。


   W、日系二世兵士の夜襲で殺された日本人少佐の日記を見て~戦前の日本人の軍に対する熱狂の替わりの対象はなんであったか、明らかになっている。その不均衡を補うために、どうなるのか?
 
 ワカラ(W、日系二世)は肩をすぼめた。
アメリカ兵たちが彼の死骸に着いたものを略奪し、ある下士官がその日記を持ってきたのだ。
日本軍歩兵少佐S、イシマル。そう彼は日記に署名してあった。そして再び無名に人間に返ったのである。
~そうだ、イシマルの頭の中を去来したようなことを、本当に理解するには、自分自身、余りにもアメリカ人になりすぎているのだと想った。一体、アメリカ兵は日記をつけているだろうか、そして野州の一時間前に、それを書き込んだりするだろうか?
~思索家で詩人。日本人には、この男のような人間がたくさんいる。しかも彼は詩人らしからぬ死に様をしたのだ。群集的な有頂天の激発、まるで部族的な逆上のうちに死んでいったのだ。
ナゼ、ナゼカ?イシマルは震える様の文字で大きく、ソレはなぜか、なぜなのか?と書いたのだ。そして、彼は日本軍の大夜襲の夜、出撃して、川の中で殺されたのだ。彼は、有頂天の無名の人間集団の一分子として、おそらく絶叫しながら倒れたことだろう。
一体誰がそれを完全に理解しうるか?ワカラはあやしんだ。
まだ十二歳の子供だった自分が、日本にいたとき、日本は見たこともないような不思議な、美しい国のように思えた。何もかも、とてちっちゃかった。ソレは12歳の子供の大きさに合うように作られた国であった。
~土地という土地は、一千年の長きに渡って、まるでつめの手入れみたいによく手入れされていた。
何処へ言ってみても、日本は美しかった。まるで展覧会場か市のために作った豆絵のパノラマ風景みたいに、非現実的で、キチンとまとまった美しさを持っていた。
一千年、いやそれ以上の間、日本人は貴重な宝石を見張っている万人のように生きてきたのだ。彼らは土地を耕し、土地のために生命を消耗し尽くして、自分のためには何一つ残さなかった。~
美しい外観の裏は、一切が不毛であった。彼等の生活は労苦と諦めの生活だった。彼等が抽象的技巧を丹念に作り上げ、抽象によって考え、抽象によって語り、結局、何一ついわないために、具苦雑きわまる儀礼を考え出し、目上の者に対して、かつて人間が感じたこともないような激しいイフを抱きながら生きている抽象的な国民であった。
そして、1週間前、この悩ましい国民の一個大隊が、ゾッとするほど恐ろしい絶叫とともに、死の突撃を行ったのである。
~だが彼らは殺されるだろう。日本人は馬鹿なんだから。彼等は一千年のあいだ、ばかだったんだ。
アメリカ軍は、結局、進駐するだろう。
>だが二十年か三十年かすると、国は又、おそらく元通りになるだろう。
>そして人々は彼等の技巧的な、抽象的な、わだちの中で生き、又新しいヒステリックな自己犠牲のための精髄を作り始めるだろう。
200万300万の殺戮。ソレはマルサスの法則のスピードアップされた東洋版のうちに予測されているのだ。彼はそれを自ら感じ、アメリカ人よりもよく理解することができる。


  山西英一の解説より。 ヨーロッパ戦線と太平洋戦線を両にらみする視点があった。
1946年12月8日、真珠湾の攻撃があった瞬間から48時間、アメリカ全土が騒然となり、~学生たちが戦争について真剣に論じ合っているとき、ハーバード大学の3年生だった18歳のメイラーは「一人この世界大戦の偉大な戦争小説は<ヨーロッパについてかかれるのだろうか、それとも太平洋についてかかれるのだろか、密かに心配していた」
「こうして彼は1944年、21歳で大戦争小説ーそれの偵察作戦の小説ーを書くのだという決意を持って太平洋戦争に従軍した。


    知ってましたか?近代日本のこんな歴史。~ミッドウェー海戦 ~命運をかけた戦い~
「当時の連合艦隊司令長官であった山本五十六は、独自の対アメリカ作戦構想を持っていました。劣勢な日本海軍がアメリカ海軍に対して優位に立つには、多少の危険をおかしても、奇襲によって自主的に積極的な作戦を行い、その後も攻勢を維持し相手を守勢に追い込み、相手の戦意を喪失させるしかない、と山本は考えていたと言われています」(戸部良一・寺本義也・鎌田伸一・杉之尾孝生・村井友秀・野中郁次郎『失敗の本質-日本軍の組織論的研究』中公文庫、1991年、73頁)
W。この字句からだけでは山本には明確な対米戦争戦略が無かった、ということになるが、ドイツ、イタリアの枢軸国との共同戦線という視点立てば、山本にも戦略らしきものはあったと解る。
日本の対米太平洋戦争史観にかけているのは、中国大陸、ヨーロッパ戦線を含めての戦略的視点である。その欠落が開戦1年を過ぎてからの「インディアンと騎兵隊の戦争の如き」圧倒的科学物量の差による防戦一方の戦いという矮小な視点に決着する。
そこに占領政策の一種の正当視から、日米安保軍事同盟の今日に至る布石が存在する。


 

   エマニュエル、トッド「帝国以後」第4章「貢物の頼りなさ」P122引用。
「それに対して(W。陸軍の制圧力の伝統的弱さについては後で引用)アメリカ合衆国の海空の制圧力には疑問の余地はない。ソレは太平洋戦争のときから目に付いていた。勿論アメリカと日本の投入された物量の考えられない格差がいささかも忘れがちであるのだが(W。先に引用したノーマンメイラーの描く米軍の補給物資の潤沢さは、日本軍の飢餓線上の戦いと雲泥の差であり、メイラーが架空に設定した日本軍との戦場では、そうした物量差はほとんど描かれていない。描けば、彼の意図する小説は成り立たない。)
ミッドウェーの開戦のようにこちらと比肩しえる兵力に対して行われた緒戦の英雄的な戦闘の後に、太平洋戦争は急速にインディアンとの戦争の様相を呈するようになった。科学技術力の不均等が段違いの損失の不均等をもたらしたのである」
 
 「ブッシュが9月11日の同時多発テロよりも前に軍事費の増額を提案していたのはアメリカ合衆国潜在的能力についての現実の不安からであった。
 要するに帯に短したすきに長し、なのだ。
アメリカの軍備は、一つの国民国家の安全を保証するには規模が大き過ぎるが、非筒の位帝国を統制するには、そしてより広範囲に、遠方のユーラシア、新世界からかくも遠いユーラシアでの覇権を持続的に維持するには規模が小さいのである
 「アメリカの軍事力はある意味では、対等の敵と戦わなければならなかったことが一度もないというこの国の歴史に根ざしている。アメリカ軍を育て上げたものとしては、インディアンとの戦争の役割が頭に思い浮かぶが、これは識字かされていない部族の装備とヨーロッパ型の近代的軍隊が戦うという、根本的に非対称的なセンそうだった」
第二次世界大戦中の目覚しい経済資源の投入にも拘らず、戦場での軍隊の活躍のつつましさを忘れることはできない」
第二次世界大戦の戦略的真相は、ヨーロッパ戦線での真の勝利者はロシアであったということである。
スターリングラードの以前、最中、以後のロシアの人的犠牲が、ナチスの軍事機構を粉砕することを可能にしたのだ。
1944年6月のノルマンジー上陸作戦は、時期的にかなり遅い時点で実行されたもので、そのころロシア軍部隊は既ににドイツを目指して戦前の西部国境に到達していた。(W。イタリア侵攻 (第二次世界大戦)1943年9月3日バーナード・モントゴメリー大将指揮下のイギリス第8軍がシチリア島メッシーナの港から、メッシーナ海峡を横断し、カラブリア(イタリアの「つま先」)に上陸した。シチリア島からの距離が短いため、船ではなく、直接メッシーナから、上陸用舟艇で輸送をおこなった。イギリス第Ⅴ軍団所属のイギリス第5歩兵師団は「つま先」の北側に上陸し、カナダ第1歩兵師団は南側のスパーティヴェント岬に上陸した)
 当時の多くに人士が、ドイツナチズムを打ち破り、ヨーロッパの解放に最も貢献したのはロシア共産主義だと考えることを忘れたら、戦後のイデオロギー的混乱を理解することはできない」(W。NHKアーカイブスでは日ソ不可侵条約を破って、ソ連軍が満州国に侵入してきたというナレーションが二度にわたって行われているが、ソ連軍の進入は首脳会談で期限を切って約束していたものであった。)
「イギリスの歴史家で軍事問題の専門家であるリデル、ハートが見事に見抜いたように、あらゆる段階でアメリカ軍部隊の行動様式は官僚的で緩慢で、踏襲された経済的人的資源の圧倒的な優位を考慮すれば、効率性に劣るものだった。」
「ある程度の犠牲的精神が要求される作戦は、ソレが可能であるときには同盟国の徴募兵部隊に任された。
イタリアのモンテ、カッシーノポーランド人部隊とフランス人部隊、ノルマンジー
作戦ごとに部族の長と契約して金を支払うという、現在アフガニスタンアメリカがやっている『流儀」はそれゆえ昔ながらの方法の、さらに悪質化した現代版に過ぎない。」
~「朝鮮ではアメリカは、その力の半分しか立証しなかったし、ヴェトナムでは全く立証していない。湾岸戦争はどうかといえば、あんなものは神話に対する勝利に過ぎない。イラク軍というのは、人口2000万人の低開発国の軍事装置に過ぎない。」
>「最近、死者なき戦争という概念が、少なくともアメリカ合衆国のがわで浮上してきたが
>この概念こそは、非対称的対決への元々持っていた選好を最終到達段階にまで突き進めたもの他ならない
>ソレはアメリカ軍の伝統的な地上戦での無能さを許容し、公式化し、さらに助長することになる。」
「自分にとっての最小限の犠牲で、敵にとっての最大の犠牲で戦争するというのは、健全な功利的論理から派生してもおかしくない考えである。」
しかしそれはアメリカの地上での軍事的伝統がないという事実は、領土の占領と、習慣的な意味での帝国的空間の形成を、不可能にしているのである」


     帝国の地理
アメリカ合衆国の基本的な属領、プレジンスキーがきわめて明快に述べたように、その旧世界への実際上の足がかりは、ヨーロッパと極東の二つの属領であった、その二つが無ければ、アメリカの世界的勢力は存在しなかっただろう。ヨーロッパと極東の二つの保護領は、アメリカ軍の海外駐留兵員の85%を住まわせており、しかもドイツと日本の場合は、かなり潤沢に養っているわけである」


     オニールドクトリン
「ドルは長いあいだ強い通貨であり続けた。なぜなら世界中の資金がその間に、アメリカ合衆国に流れ込んでいたからである。
それらのドルは消費財の購入に用いられたのではなく、合衆国内で直接投資を実現するか、国債社債、株といった有価証券を入手するために用いられるのいである。
アメリカ国際収支の均衡を確保しているのは金融資本の動きである
純化してみるならば、毎年毎年アメリカ国内に流れ込む資本の動きが、世界からの財の購入を可能にしている、ということになる。
>国外から購入される財のうち、多数が消費に向けられている、つまりは際限なく後進される短期需要に対応しているのに対して、
アメリカ合衆国に投資される金融資本のほうは、その多数が中長期的に対応するという事実考慮するなら、
このメカニズムの中には何かしら構造的な不安定な、とはいわないまでも逆説的なものが存在する
アメリカの貿易収支の赤字を埋め合わせるために、日に10億ドルの金融収入が必要であるが、コレこそがアメリカの指導者たちの抱く恐れを見事に代弁している」
各国通貨というものが存在するのである以上、均衡は何らかの形で実現しなければならない
つまりドルが全世界に信用による強制レートと弁済手段として強制力を持つのでなければ、何の意味もないのである。
*ところでこのの様な状況のもっとも基本的な条件は、絶対的な軍事的、国家的強制力なのである。つまりアメリカ合衆国が全世界で行使する正当暴力のウェーバー的独占に他ならない。


       蒸発
「世界の指導階級、特にヨーロッパの保護領と日本という保護領の指導階級が、このグローバル化された社会の均衡から利益を得ている限り、
先進世界の労働者書階級の搾取と発展途上国のの過剰搾取がこの均衡にとって克服しがたい問題となることはないであろう。
アメリカの覇権の危さが拡大していくとすれば、その原因の一半は、【調整メカニズム】が、ヨーロッパと日本の有産階層や発展途上国の新ブルジョアジーという、被支配的周辺部の特権所階層にとって脅威となるということに存する。」
「世界に利潤の大部分はアメリカ証券取引システムのほうに流れ込んでいく、といわざるえない。
外国から流れ込むこの所得の再分配のメカニズムの全体を復元して見せようとは想わない。資本所有者たちは弁護士や公認会計士というぬ数の奉公人を抱えている一方で、平均的世帯は借金を抱え、ウォールストリートでは首切りが会あいついてでいる。
>現実の利子率ゼロがキビシイ監視の元で遵守されることになると、ソレは投機経済からすれば、通貨の無償分配に等しい。
しかもし、アメリカ経済は、消費財の対領有乳がさらに増大していることからもわかるように、【実態的現実においては生産性が低い】ということを認めるならば、【株式の時価総額は虚構の集塊】であり、
アメリカ合衆国へと向かうカネは文字通り蜃気楼に吸い込まれるのだと、考えなくてはならない。」
      ↓
「摩訶不思議なやり方によって、周辺部の特権者たちが投資と考えたカネの動きは、アメリカ人にとっては、世界中から購入される財の日常的消費のために用いられる通貨記号物へと変貌してしまう
従って、資本投資は何らかの仕方で蒸発してしまう。
アメリカで倒産があるたびに、ソレはヨーロッパや日本の銀行にとっては、資金の蒸発となって現れる。」
「しかし、アメリカはローマのような軍事力を持っていない。」
      ↓
その世界に対する権力は、周辺部の朝貢国の指導階級の同意無しに成り立たない
徴税率が一定限度を超え、資産運用の安全氏の欠如が一定水準を超えると、彼等にとって帝国への加盟はもしかしたら妥当な選択でなくなってしまう
      ↓
「我々あの自発的隷属は、アメリカ合衆国が我々を公平に扱うのでなければ、さらに的確にいうなれば、我々ををますます中心支配社会の成員とみなすようになるーコレこそあらゆる帝国の力学の原理ーのでなければ維持されえないだろう。」
      ↓
「普遍主義の後退が現在にのアメリカの中心的なイデオロギー的傾向になっている
 


     普遍主義の後退
W、普遍主義から見たローマ帝国市民資格の拡大とアテネの市民の厳格性の違い、省略。
中国=単一の国家権力の下に集められた史上最大の人間集団。
成立当初のアラブの電撃的拡大=イスラムの平等主義によって説明できる。
経済的危さから崩壊に至ったソビエト帝国の平等主義はロシア民族の特徴。
ナチズムの自民族中心主義。
 
   *アメリカ合衆国のケース
アングロサクソン個人主義は、常に個人を直接把握する可能性を有している。つまり人類学的母胎によって作り上げられた人間ではなく、むしろ人間一般の把握に他ならない
普遍主義と差異主義という対立競合する二つに原理に対するアングロサクソンの二面性を極端かつ病的な形で表現している。
 まずは徹底的普遍主義の民族的国家的成果と記述することができる。
何はともあれヨーロッパの全ての国から供給された移民の融合から生まれた社会である。当初のイングランド人からなる中核は、サマザ生出自の個人を吸収する能力が完璧にあるところを示した。
統合する能力、中心核を拡大する能力こそが、アメリカの成功の秘訣であり、アメリカ合衆国の先行きにおける帝国としての成功はコレにかかっているのである
2025年には3億4600万人と予想される人工量だけでもこの能力の証明となっている
 
 しかし、コレとは正反対に根底的な差異主義という用語でも描写できる。
アメリカ合衆国の歴史には常に他者というものが存在すた。異なるもの、同化しないもの、殲滅か、大抵の場合隔離を宣言されたものである。
 アメリイデオロギー、システムは、普遍主義と差異主義を組み合わせて一個の総体と成している。
一見して対立すると見えるこの二つの考え方は、現実には相互補完的に作動している。
出発点においては、他者を自分に似た同類とするか異なるものとするかが先見的に決められないという他者に対する不確定がある。
アングロサクソンの他者に対するかかわり方は、全く特異で興味深いものとなっている。すなわち不安定なのである
 普遍主義的諸民族は先見的に諸民族を自分に似たものと決めてかかる。この基本姿勢から、時として具体的な外国人が最初の一瞥で先見的確信を裏付けない場合、直ぐに怒り出してしまう、ということが起こりえる。
普遍主義的民族は外国人嫌いの潜在性があることは明らかである。
 それにたいして、明瞭な差異主義的な民族は、少なくともその征服期間においてはー例えば、ナチズムにいたるドイツ人、軍国主義時代の日本人の場合だがーこの地上の諸民族を優れたものと劣ったものに【安定的な形で序列化】する。
アングロサクソンの世界へのかかわり方は、不安定で流動的である。
彼等の頭の中には、普遍主義的民族にはない人類学的境界線が存在する。その点で彼らは差異主義的民族に近いのだが、ただし【その境界線は移動することがある
*こちらの範囲は大きく拡大する時もあれば、収縮して狭くなることもあるわけである。
*我々と他者がいるわけだが、他者の中には我々あのようなものもいえれば、異なったものもいる。
*異なるものの内のあるものは、我々兄似たものと分類しなおされることもありえるし、似たようなものの内あるものは、異なるものと分類されることもありえる。
*しかし、常に人間たる条件を完備したものと他者を分かつ境界線が存在するのだ
イングランド人の心性的空間は、最小限に縮小した時にはイングランド人だけを含むに過ぎないが、拡大した全てのイギリス人を含むこともある。そして現在はきっとヨーロッパ人全体にまで拡大しつつある。
アメリカの歴史も、この境界線の変動という主題を巡る試みと読むことができる
>それによって中心集団は1965年までは連続的に拡大し続けたが、1965年から今日に至るまで集苦笑し続けている。
1965までの間に新たな拡大が行われ、アジア人と原住インディアンは完全なアメリカン人とされた。
この現象は両カテゴリーがアメリカ人の一般的な婚姻市場に参入したという事実からも判定できる。特に女性は支配的集団の男性にとってタブーでなくなり~。
なぜ拡大傾向が現れたか~平等原理にはそもそも不平等原理に対する優越性が存在するのだということを示唆している
>しかし、副次的な外的要因を無視することはできない
すなわちソビエト帝国による競争という要因である。
 
冷戦時代はアメリカの普遍主義が最大限に達した時代であった。
 連戦の間、アメリカはこの恐ろしい潜在力に立ち向かわなければならなかった。外に対しても、内に対しても、である。
そこで外に対しては、先進国の同盟諸国には同質的な自由主義経済を拡大し、西側諸国全域には脱植民地化を奨励することによって、普遍主義が表現された
アメリカ社会のうちにおいては、共産主義からの競争によって、黒人隔離に対する闘争が必要となった。
二つのモデルのいづれかを選ぶようにせまられた世界は、自国民の一部を人間以下に扱うアメリカを選ぶことはできなかったのである。
日本人とユダヤ人の同化が上手く行ったことは間違いない。黒人の場合は政治システムの統合までは実現できても経済的解放と社会全般への拡散が伴わなかった。
共産主義というライバルの崩壊に対応するアメリカの普遍主義の後退が見られる
まるでアメリカ合衆国は競争相手の圧力によって、現実に自分に可能な範囲を超えて普遍主義に振舞うように強いられてきたかのようなのである
*この圧力が消え去ったために、
アメリカの心性システムは、生来の均衡を取り戻し、それゆえに【自分流の普遍】の中に諸民族を含める範囲を縮小することが可能となったのである 


    外に対する普遍主義の後退ーイスラエルを選ぶということー
~省略~
「平等原理に対して敵対的であるだけでなく、諸民族の序列性という考えに執着する二つの政体が、地理的にも遠く離れていたにも拘わらず、自己同一化した例として最も目覚しいのは、第二次世界大戦中のドイツと日本の例である。
真珠湾攻撃の後にヒットラーは、日本との連帯ゆえに、アメリカ合衆国に宣戦布告した。
このような国家間の関係においても、人間同士の関係におけると動揺に、悪に対する選好、もしくはもう少し控えめに言うならば、不正に対する選好という物が、存在しうるのである。
他者に対する自己同一化の基本原理は、他者の中に善を認めるということではなく、己自身を認めるということなのである。」
アメリカは人間の不平等への、ますます強固なる信念のほうに漂って行き、人類の単一性をますます信じないようのなっていく。
以上の確認は、いささかの修正も加えずにイスラエル国家に適応することができる
 
   帝国は差異主義的ではあり得ない
(省略)
 
  続く。
NHKデジタルアーカイブス 証言記録 兵士たちの戦争は満蒙戦線の拡大の歴史の時系列にそって始めるべきであった。そうでないと、バランスのとれた歴史の教訓とはできない。