丸山真男の著作読もうとしたが、どうもピンと来なくて途中で辞めた経験がある。
在日東大教授のカンサンジュンさんが丸山真男の日本論を東アジアからの視点を含めて批判するのも解る様な気がする。
この前の記事で取り上げた彼の明治近代化論
ー列強植民地帝国からの独立性確保に腐心する立場と東アジアの植民化によって東アジア地域限定帝国を成立させようとする二重性、両義性を持った後発、特殊な資本の原資蓄積期の中で
(先発、列強世界植民地国からの日本の独立が同時に、後発的な帝国主義国家の誕生であった二重性)
近代的日本国家と東アジアへの排外色の濃い国民意識が形成された、と云う歴史総括ーは60年代から70年初頭にかけての大衆闘争の思想的到達点が示されている。
解り易く例えると、極論になるが、毎年行われている広島長崎の原爆祈念式典に欠けている思想的立場は原爆被害者であると同時にアジア侵略戦争を仕掛けた帝国主義国家の国民として、アジア諸民族への抑圧民族として、の加害者であるという立場。
広島は日露戦争時、明治天皇が陣頭指揮の陣を設営した場所であり、日本の軍事的強化とともに歩んできた日本軍(海軍)の中枢を形成する軍事都市であり、軍需都市でもあった。ナガサキも軍需大工場のあったところである。
当時の日本民族はアジアの諸民族に対して抑圧民族であった。
第二次帝国主義世界戦争下において、日本帝国主義下の国民にこの自覚がなかったら、欧米の植民地収奪を受けていると同時に、半封建的軍事的な遅れた帝国主義国家日本から侵略、収奪の脅威にさらされているアジア諸民族とリアルな連帯はできない。
大東亜共栄圏の民族抑圧、収奪を基底とする立場では絶対に連帯はできない。
その意味で世界戦争によって大東亜共栄圏的収奪者が敗北し、内外で収奪したモノを失った。
資本の原始的蓄積時期が遅れた日本資本主義は世界市場を争うとき、早い時期に資本蓄積を終えていた鵜米に比べて、半封建的軍事的要素が濃いモノとなる。
従って、純粋な民主政治過程を通じて成立した民主主義は世界中どこにも存在しない以上、資本の原資蓄積の時期が民主主義の確立期でもあった欧米民主主義も、血塗られた経済外的強制力に満ち満ちた歴史がある。
が、その民主主義の成熟過程が進行しての列強の植民地支配の時期とそれに抗する日本資本主義成立に先行する原資蓄積期のタイムラグは日本にどうしようもできない半封建性、軍事性を刻印する。
韓半島の住民の感情からすると、先に欧米を受け入れ軍事的に的近代国家の道を歩んだ日本に、国民全体の文化水準としては大して変わらない、侵略されたとなる。
それに対して、日本のリベラリストが欧米民主主義の反面である血塗られた歴史を提出し批判するのは水かけ論の類である。韓国知識人は侵略時期の期間限定議論をしており、民主主義の普遍性、世界性の今日的到達点から日本帝国主義を問題にしている。
結局、日本の知識人は明治維新と日本近代化を民族の物語として、存在証明にしている、この立場を手放したくないから、それぞれの国には其々の発展段階がるという個別発展史観に逃げ込み、一国主観主義で東アジア規模での広がりをもった歴史観を打ち立てられないから東アジアで歴史観の共有ができない。
解り易く言えば、歴史発展段階としての帝国主義段階における左翼の国際認識そのものである。
当時のイギリスの植民地国家であるインドの裁判官=知識階層が自分と自国の存在を認識し、植民地状態からの解放を視野に入れると、その様な観点に立つしかない。
パルの主張の根幹は欧米も悪いが日本も同じように悪いということだ。
日本帝国主義は論理的にいえば、日本国民の手で裁かなければならなかった。
で、あれば、その時期から60有余年経てた現状をどうみるか?
大体において保守右翼方面のヒトは第二次世界大戦=帝国主義戦争論を聞くと、それが世界戦争における両帝国主義陣営への批判を含んでいること抜きにして、米英仏陣営の世界戦争正当化論への批判だけを取り上げて、侵略戦争への免罪符を持つようである。
勿論、田母神の様な「日本が大東亜戦争を欧米に仕掛けたからアジアの植民地支配からの脱却が成った」論などは論外もいいところで、世界に通用しない日本だけの限定思想であり、その様な偏狭な暴論は縮小し、世界から孤立していく日本に相応しい歴史観である。
ただ、こういう歴史観が「新しい歴史教科書」などを通じて、陰に陽に日本で市民権を得ている。
ヒロシマの原爆祈念公園の有名な石碑に刻まれている文言は確か「二度と過ちは繰り返しません」だったと想うが、あの文言は原爆被害者に向けたモノであって、第二次世界戦争において日本軍によって被害を受けたアジア諸民族への謝罪ではない。
リアルな問題として当時の軍事都市ヒロシマで被災し、日本の敗戦とともに韓国朝鮮に帰国した朝鮮韓国人は数多くいるが、その人たちへの被ばく認定問題が政治課題として日程に上ったのは1070年代に入ってからである。日本国民の原爆認定問題も燻っている事から、いまだに解決されていないと考えるがどうであろうか?
1960年代中盤の日韓条約も、アジアにおける冷戦体制強化を狙うアメリカの強力な説得があって、日本支配層は締結に応じ、戦争賠償金と云う金で解決できるモノは合意したが、過去の歴史的問題は相互理解に達しなかった。今の竹島問題もこの時積み残した問題である。
どうしてそうなるのか?考えてみる必要がある。
時間不足で十分説明できないが、
それを無視して、アレコレ勝手な都合で歴史上を飛びまわって、己の現状の理論を正当化するから、収拾がつかない不毛の議論に終わる。感情的対立点だけが鮮明になる。
私が述べた見解もその時期、その時代と云う限定性を踏まえた議論のつもりである。
方法論として「原理論、段階論、現状論」を意識的に区切った世界を念頭に置いている。
現状の要請があるからと云って、原理論や段階論を捻じ曲げていない。
現状論としては私が述べた原理論や段階論はストレートに適応するつもりはない。
もはや、中国人や韓国人は日本人みて被圧迫民族とは言い難い。
それなのに彼らが日本の歴史観の特殊性に固執するのは日本人が原理と段階を区切って歴史を清算しようとしないからである。日本国家と日本人の近代化への大きな物語りに修正を加えることなくしてそれは不可能とみる。
「新しい歴史教科書」はそれに逆行している。