高見順発言。
「震災さえなければ、日本は違った道をたどっていたわけだと想いますね。あの震災で軍部が民衆を力で抑えられると自信を持つと同時に、労働者階級の台頭にしはいかいきゅうがおびえて、それがうまく結び付いて急激に情勢が変わった」
関東大震災。マグニチュード7,9。震源地は相模湾沖80キロ。死者行方不明者10万人の多くは火災による焼死者。発生時の昼時、使用中の火が台風の余波の強風に煽られ、各所に一揆に火災を発生させ、住宅密集地では灼熱が発生した。
後のファッショの雛型とは高見発言を受けた丸山の総括的発言で彼の日本ファシズム論を下敷きにした発言。
(私の震災直後の記事はそれをもとにした)
正力を名指しにした記述から軍や治安当局の朝鮮人暴動、火つけ声明に差し替えられている。
B、マスコミの朝鮮人暴動火つけ、等の流言飛語報道による扇動。
朝日、報知、日々など当時の一流新聞が報道。
C、各地で自主的に結成されたで地元自警団による街頭での乱暴幼稚な誰何と朝鮮人、中国人、多く見積って
6600人の虐殺。
>丸山の日本ファシズム論を直接読んだことはないが、有名なモノであちこちにその論旨が引用されている。
この点において、軍部だけを悪モノして、国民は被害者とする戦後民主主義の出発点の論旨を超えて、国民に内省を迫るモノになっている。
しかし、大震災時に国民が軍隊の被災現場への出動、街頭での治安活動を見て安心感を覚えた、という現実を見逃せない。
飯塚発言。
「暴民が押し寄せて来るという情報が立つ。消防は手に白刃を引っ提げて集まって来ても、巡査なんかに、こんな時治安を維持する力があるとはだれも思っていない。銃剣をつけた兵隊が辻辻に立ち欲に日の丸をつけた飛行機が上空を飛んだりしたら。とたんみんな安心してしまった」
>大震災に際して住民の生命、生活財産を守ることを第一としなければならない軍や治安当局が震災のドサクサを政治的に利用し、大正デモクラシーで批判の高まっていた自分たちの立場を回復する機会とすると同時にデモクラシーの推進翼をズタズタにしようと画策した。
元から彼らは内外での戦争、戦乱で地位を築いてきたモノたち。それが第二次大戦勝利で膨張する日本資本主義によって熟した上部構造の一部である体制反対派を敵視し、何とか機会を見つけて潰そうと付け狙っていた。
大震災は絶好の機会を提供した。
>自らの非合法、非公然暴圧を正当化するためには、火つけ、暴徒騒ぎという内乱的騒擾行為による被災住民の更なる危機へのカウンターアタックである、としなければならない。
軍部治安機構の意図をアドバルーン化して、住民に宣伝扇動したのはマスコミである。
このマスコミは日清日露戦争のイケイケドンドンの排外主義的戦争報道で資本を大きくしたマスコミである。
よって軍部治安当局の情報リークを報じる体質がインプットとされていた。
>そんなマスコミに煽られて勝利した日露戦争で領土割譲要求が諸外国の干渉によって、挫折したからと云って街頭デモを繰り広げ、日比谷の松本楼を焼き討ちしたり、各地の交番を襲撃した日本帝国国民であれば、当然、マスコミ扇動で自警団を結成し蛮行を繰り広げる素地がすでにあ出来ている。
>ならば、大正デモクラシーとは何であったのか?と云う問いかけの回答はもはや明らか。
丸山発言。
「自由もあったし、批判的精神もあった~近代的な知識社会が特別の社会なので、一般国民層は全くそれと隔絶された環境と社会意識の中にいた。
それがマスコミの発達によって、否応なく大衆の動向が政治的にモノを言うようになったため、そうした潜在意識に。軍部ファシズムが火をつけてパッと燃え上がったのではないか」
続いて丸山は明治以降の陸軍海軍の「毛細血管の様に国民下層まで神経が通っていて、そこから兵隊が出て来る」、「国民意識とマッチしていた」として
「それが昭和恐慌以後の農村の没落とともに、財閥と結託した政党政治に対する反発から、資本主義の弊害を救済する救世主の様なものとして、一種の国民的背景を持って、陸軍の力が台頭してきた。」
>イロイロ含蓄のある言葉が並んでいる。
確かに今現在進行中の東日本大震災事態とは取り巻く環境が違っている。
しかし、読み替え、翻訳はできるし、それをやれば、非常に参考になる意見だ。
国民意識にそれなりに根を張った陸軍は戦前を継承する利権癒着層とこれまた強引に読み解く。
もっともデモクラチィクを小沢さん流に選挙とそれに基づく多数決原理の履行に矮小化すれば、民主主義の実態のないマスコミ「自由主義」は批判できないが。
この前の石川ともひろ、さんの動画での発言を聞いていると、民主主義を選挙と多数決原理の一部の制度に矮小化していた。
解ってないな~、裁判の被告になっているのに、と想った。
統治の民主主義もあれば、非統治者の生きた民主主義もある。運動で生まれる民主主義、戦うための民主主義
それと統治の民主主義が絡み合って歴史を前に進めていく。
>国民多数派は日本に根を下ろした具体的生活者。
ズット変わらないと云えば変わらないし、変わってきたと云えば変わってきた。
カメレオンかな?
>ただ、政治を云うのならば、まず何よりも、世界と云う大きな一部としての日本、日本国民と云う大状況から問題を立てるのが正統なやり方。
極端に言い換えると、日本国民多数がどこに向かおうが、最後は世界の歴史が決着する。
増して世界は非常に狭くなって相互依存性を増している。
さらに日本は常に外圧によって変わってきた。
狭い日本の政治状況を見て絶望的になることはない。
日本の中に嵐に耐えうる、いい拠点を構築できればそれでよしとしなければ。
<時間不足のため次回に>
<追記>
震災、原発事故、発生の流動的情勢が一段落してから、常にこの角度からの思考が自分の底流にあった。
大震災の日本政治にとっての歴史的意味を問うと同時に、他方で、被災現場作業に従事している人たちや高濃度放射能に晒され続ける人たちのことが、頭によぎっていた
後者の立場からすれば、宮崎学さんのサイトの姿勢を高く評価する。
被災現場の現在の作業の実態報告は、当初の重大事態への緊急作業の厳正さから、すでに労働現場を取り仕切る資本にとって人減らし、ぼったくり、金儲けの段階に至っていることを証言している。
だから、復興担当大臣は事情をよく知っている松本さんにやらせろと、当初から主張している。
大震災、原発事故の復旧の最大の眼目は国家が投じるカネが途中に介在する奴にかすめ取られ、庶民の手元に行かない問題と云っても過言でない。
経済波及効果の問題であり、純経済的問題である。
宮崎さんのサイトの3、11連載記事は地に足がついている、というか地べたから見た見解と再生を模索する姿が私にとってはっ感動的である。
彼の立ち位置は明らかである。
「がんばれニッポン」の空疎さを詮議成長経済もまっただ中で格闘してきた実体験に踏まえ、本当のパワーある庶民の復興とは何かを問うているのだ。
日本の国内経済活動をけん引するのは庶民の中からわき起こるバイタリティーである。
今の予定調和的政治は庶民の中から生まれるバイタリティーを阻害している。
大震災の歴史的意味はにこれからの日本政治、国民生活の執って大きな意味を持つ。
税金問題の狭い範囲の意見も確かに重要。
しかしそれ以上のモノとして、私流に言わせると<F層>問題が浮上してきている。
国民がしっかりしていれば、揺り戻しは起こるが、そうとも言えないと考えている。
小泉政権からの実感の経過を追って思考するとそういう結論に到達する。
今、副島孝彦さんのサイトを久し振り閲覧したが、絵を描き過ぎ、感情論満載。
一番大切なことを除外している。
国民の生活がどうなるかだ。それを抜きに国民感情、フラストレーションの発露を煽っているとしか思えない。
小沢支持者の民族主義急進派に見られる傾向である。