2024年4月6日(土)から4月8日(月)にかけての気になる出来事。
今年の桜の開花はほんとに遅れている。昔の新入生の入学頃に満開になった頃に戻ったようだ。
4月6日(土)、早朝、寝床の中で思いついた二つのことを実行に移すために外に出た。
①近頃一杯顔を出してきた野草の花の名前をアンドロイド携帯で調べよう!前に調べていたのにど忘れしていた。
携帯で撮影した画像はあるが、転写するのが面倒なので野に咲く雰囲気に最も近い画像を挙げておく。ナガミヒナゲシ - Wikipedia
上の画像の花の名前を調べるつもりが、そのど真ん中に怪しげにムラサキ色に咲くもっとおおきな花を入れてそのまま撮影した。
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Googleでの検索結果は*****だった。
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撮影と検索を終えて②週刊競馬ブックをコンビニで買おうと歩を進めていると後ろから知り合いが追い付いてきて「足が上がってないぞ」といつもダラシナイ歩き方をしているWをからかった。病人なんだから仕方がない。取り合わず「**が咲いているよ」と。
数年前かな?大麻草が敷地の中で生えて居ると騒ぎになった、と掲示板の告知されていた。
以上、バカバカしい限り⇒その1。Silence is goldenではないが、waste of time。keep quiet。
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4月7日(日)場外馬券場で桜花賞を迎える。久々に馬券購入。
モニター画面で1番人気馬の仕上がりに大きな疑問。そもそもこの馬の馬名が桜花賞馬に相応しくない。アスコリピチェーノ - Wikipedia
気難しいWは事前に調べた。「ピチェーノという名前はローマ建国のはるか以前にアスコリを建国したピチェニ人に由来するという。」この馬の母親の名前が<アスコリ>。アスコリピテェーノは今も同所に現存する小さな都市である。イタリア中部、アドリア海側。何もない街だ。
>共同馬主クラブは共同馬主に馬名を募集する。そのとき、誰かの名付けたアスコリピテェーノが共同馬主クラブ運営者によって選定された。
>がしかし、こういう凝った難しい名前の馬は運に恵まれなかった。
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>母親の名前もすっきりした名前でないと運に恵まれない。
>例えば、2024年桜花賞出走馬のうち、結構人気になった馬の母親の名前がWからすると問題になる。
クイーンズウォーク 単勝3番人気 母親の名前は ウェイヴェルアベニューその母親の名前から由来している⇒Lucas Street
@日本の最近の名付け親は欧米流に倣って、ようやくこういう恰好付けの世界に浸っているようだが身の丈に(馬文化=競馬文化乏しい農耕民族ー縄文人の血も入っている~~大陸系のヒトよりも毛深い~~)あっていない。
バカバカしい限り⇒その2。
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桜花賞の締め切り間際にマークシート記入失敗のカードがこぼれて床に落ちると、すぐ隣の若者が拾って「これ落しましたよ」などという。
一瞬、無視顔を作ると「いらないんですか?」などと言いながら捨てたマークシートをポケットに入れではないか。ギャンブルをやるときに床に落ちた1枚のマークシートが気になる、その神経が理解できない、といっておこう。合成の誤謬に至る事態、が日本経済と社会に蔓延している。活力を失わせる。大谷翔平事態も合成の誤謬に行きつく。一心同体ではなくとも二人三脚してきた通訳がギャンブル狂い、とは全く知らなかった、とは有り得ない。しかも同じ集合住宅住まいだった。きちんと調べると事実がどの辺になるかわかるが、結局、有耶無耶になる。
もっとも大昔、大和銀行ニューヨーク支店の現地雇用の日本人スタッフが1千億円以上を隠れた為替取引で大損しているのを発見されたことがあった。日本人は自分も含めて難しく込み入った外国語の理解が苦手なので、現金の絡むことまで現地の人任せになりやろうとすればできる。結果、大和銀行の米国支店は閉鎖の憂き目にあった。大谷や前、元メジャーリーガーなる存在はMLBのNPB支配に利用されている面がある。WBCなどと云う不公平な仕組みもそのアイテム。
1000億円ドジャース契約にしても10年後の後払い、というではないか。よくそういうインフレ率を考えると不利な契約を結んだものだとあきれる(インフレ率連動型の契約なのかもしれないが~~ただし経済学でいえば労働の後払い契約は搾取労働の典型~~。実質実効為替レートを無視した1000億円表示にも問題がある。過去にジャパンハンドラーの一人が著書で米国は日本に積極的に売る商品がない。強いて言えばショービジネスとMLBぐらいとかいっていた。大谷選手を個人として見ないで国や国民を代表しているように報じる傾向が気になって純粋に野球を楽しめない性分なのでなるべく近寄らないようにしている。しかも近年に至ってマスコミ報じる野球観戦は時間の無駄としている。
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場内清掃員じゃあるまいし、近頃の若者は博打場に来ても<キレイ、清潔>を心掛けるのか、と唖然とした。そういえば近年の場外馬券売り場はコロナ渦期間中の年配者を含めたネット馬券購入の影響で閑散としている。床にはずれ馬券や競馬新聞が散乱している光景は途絶えた。
>それで場内清掃のおじさん、おばさんたちの姿もほとんど目にしないようになっている。その分、雇用が減ったのは確実だろう。この若者にそういう観点はないのか?ないとすればその機会と教える教育の欠陥である。穴を掘って埋め戻す作業にも社会的総和として有効需要が発生する、と教える経済学は昔あった。
リフレやMMTをすぐいう人たちはこういうところから問題視すべきだ。キレイキレイ社会の行きつく先は何とかいうヒトの老人害悪論。アベも「美しい国、日本」で日本の未来はシンガポールと開き直っている。シンガポールは国の態をなしていない。水道はマレーシアに頼っているタックスヘイブン都市「国家」。
>一方競馬会は床に記入失敗のマークシートが落ちています、などと博打場に来てもキレイごとを云う若者をインクルードしつつ売り上げ快調なのだ。
@気心が優しいのは良いのだけれど、肝心なことに優しさが欠けている。ポリコレ流儀が蔓延しているが、米国みたいにBlack is matterをやる行動力がなく瑣末なことにばっかり目がいく。
Wは場外馬券売り場にまで来て床の汚れを気にするものは
バカバカしい限り⇒その3。
日本的特殊封建時代の支配の肝は年貢ムラ請負であり封建軍事貴族は黙っていても庄屋、名主が年貢一括村請負の額を収めてくれた。何も言わなくても庄屋名主は村内縦社会の関係を利用して日本型封建支配者に忖度、自主規制してきっちり健気にムラでまとめて年貢を上納してくれた。支配者にとってこんな楽な支配体制はない。
明治「いしん」の体制の成功も村請負を利用し金納年貢へと~~イロイロな抵抗はあったが~~移行できた。
戦後日本の民法、刑法刑事訴訟法の中に支配者はこっそり旧法を潜り込ませた。高度経済成長期にもこの構造の改変はなかった。
中曽根政権時代、日本経済が世界的にのし上がっていった時期に、ナント世界の潮流の逆らうように日本的家族制度をうち固める法改正をした。エマニュエルトッドが世界の家族制度に関してイロイロ考察しているが日本は直系家族と分類するがこの日本的特殊性が抜け落ちている。他には日本語というグローバル化に相応しくない言語の問題もある。
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場外馬券売り場からの帰路、またまた気難しいWの問題にするシーンの出くわした。
チャリンコ走行で往復することにしている。健康のためだ。
2車線の車通りの少ない十字路に差し掛かった。
Wの後方から派出所の巡査が2名自転車で来ているのは知っていた。ふと十字路の路面に目をやると死骸になったドバトを1匹のカラスが目ざとく見つけ、安全なところに運ぼうとしていた。
>その一瞬、十字路の一角に止まっていた自転車の若い女性が2名の自転車の巡査の方を振り向いて、「ハトが~~」を死骸をどかしてくださいみたいなことを叫び、巡査たちは即座に大きな声で「わかりました」応答した。
@ハトの死骸を何とかしようとしていたカラスは驚いて逃げ去っていった。
>気難しいWはカラスに処理させてやれよ!と。
巡査はハトをごみとして捨てるしかない。
カラスに処理させるのが自然の摂理、違うかな?
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@ずっと前もこの種の出来事に遭遇した。
都会の川べりの小公園でパトカーが止まっている。子供たちの黄色い声が聞こえる。何事かと近づいてみると、警察官たちが川に流れる犬の死体を手繰り寄せて何とかしようとしていた。犬の死骸が流れているのを見つけた子供たちはパトカーの警察官たちに何とかしてほしいと頼み込んだのだろう。
Wは「お巡りさんもたいへんだなぁ~」といってその場を立ち去った。
昔の川では犬の死骸が流れているのは当たり前の光景だった。
バカバカしい限り⇒その4。
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その出来事の帰路。
うむ!土曜日に確認した****の花が忽然と消えていた。
どうやら茎ごと誰かがきっていったのだろう。怪しげにキレイな花を持ち帰って鑑賞するのだろうか?
おそらく何も知らない?
ということでWの秘かな経過観察はおじゃんになった。まだ同所にはほかにも生えているが。
ところがもっと別なところに堂々と咲いていたのを発見。う~ん。これはどういうこと?keep quiet。経過観察できる。
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岸恵子自伝~卵を割らなければオムレツは食べられない~~2021年5月1日 岩波書店
W.2020年日経新聞 「私の履歴書」の連載を本にまとめたものだろう。岸恵子(1932年、昭和7年生まれ)数えると88歳のときに連載した。凄い、とおもう。wは時々、岸恵子さんや有馬稲子さん、と同い年なんだよ、とその人に語っていた。いまはグループホームにいる。
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ザっと読みっぱなしだったが、後から思い浮べると<凄いこと>なんだ、とわかってきたのでその箇所を取り上げる。
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第1章 横浜育ち W母方は3代続くハマッコ。父の出は厚木。
~Wの調べた地図など資料は時間の許す限り載せる~
4,「今日で子供はやめよう」
W.岸恵子は学童疎開で父方の家系の厚木にいくが、「私も小学校6年生になり、女学校入試のために疎開先から横浜に戻った。自宅近くにフェリス女学院という名門校があったのに、敵国のミッションスクールなどとんでもないと、県立横浜第一高女を受験した。」
赤点線で囲まれた地域。「生まれた場所は、現在の横浜市南区にある平楽という山手続きの高台だった」実戦赤囲い根岸森林公園は旧根岸競馬場跡地。丘陵傾斜地に横穴防空壕を掘って近隣の子供、弱い大人の避難所として惨禍が~。12歳の岸は敢然と防空壕を飛び出した。
~~W「火垂るの墓」野坂昭如と同じ小市民のサラリーマン家庭。都市空襲が始まっているのに、一家挙げての疎開に逡巡しているところも同じだ。
その点、故大橋巨泉さんの実家(両国)はカメラレンズの部品製造販売~~レンズの前に装填する鮮明に映る、とかいう代物<戦後も長く販売されていた~~一眼レフカメラ登場まで>~~~のハイカラな職業で商売人でもあったので時局を読むに敏で~~~戦時中日本は負ける的なことを電車の中で話しているのを聴きつけられ連行され滅多打ちにあった~~一家挙げて千葉の奥の方に疎開した<信念の疎開というべきだ!>~ちなみに萩本欣一の実家(御徒町)の商売も同じカメラ商で大橋の家とは商売の付き合いがあった、という。
W。戦争に至る過程、戦時中は中産階層が軍国主義に率先して染まっていた!中途半端に教育があると時局に流され、率先して時流に乗る。
引用に戻る
「高倍率だったが合格の決め手は時間内に論文を書くこと。
>テーマは大東亜戦争について
>時局や時事問題はいろんなものを読みあさっていたし作文は得意なのですんなり合格できた・」
「敗戦の気配が色濃くなってきても、大本営はひるむことなく日本軍の戦果をラジオで高らかに喧伝し続けていた。」⇒W。大本営の発表をオウム返し以上に拡声器で全国的に叫びたてていたのは日本マスコミだった、とは日経新聞「わたしの履歴書」連載で書けなかった。
「1945念3月10日、東京は敗戦を刻印するような焼け野が原となった。
↓野坂家も空襲が近づいているのに一家疎開の機会を失ってズルズルと町内会の防空訓練に出ていた。クラスでは櫛の歯が書けるように一家疎開する児童が出てきていた。勤め人は勤務する会社の都合を断ち切れなかった、という側面もあるが、先に記したように戦争を積極的に支持していたのは農村都市の中間層である。
>金融寡頭支配層の支配強化とソレを支持する国民層がマッチングして奇怪な世間の風潮が生まれる。
「5月29日に私の横浜も集中てきな無差別爆撃で廃墟と化した。⇒W一家挙げて疎開した家もあったはずだ。(野阪昭如「アドリブ自叙伝」~この本は「火垂るの墓」の社会的背景を丹念に調べて叙述した最高傑作。当時の日本の最先端の重工業地帯、阪神間の歴史的形成過程を知る上でも重要な資料。当時の庶民生活もリアルに活写されている~~
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「横浜空襲の朝は素晴らしい五月晴れだった。けたたましい警報と共に真っ青な雲霞のように押し寄せてくるB29銀色の怪鳥で覆い尽くされた。
~~~その朝父は既に出かけていた。W.神奈川県庁勤務。
ふろ場に駆け込んで張ってあった水に羽根布団を浸し(W中流上層?)私をすっぽり包んだ母の顔が青ざめて白っぽかった。その母の顔を見て私の家は今日焼けるかもしれないとおもった。
「公園のテニスコートへ逃げなさい。石段のところで待っていてちょうだい。
はぐれたら山手小学校の講堂よ」
~~
「おかあさん!どこにいくの!」
>「お隣が親戚の告別式でお留守なのよ。赤ちゃんが一人で寝ているの」
~~
12歳の私を置き去りにした小柄な母親は俊敏な小動物の様で美しかった。母の顔は真っ青なのに目元や口元に、いつもの茶目っ気があり、~~もう一度私を振り返りニコッと笑ったので、私たちは絶対に助かると思った。⇒W火垂るの墓の野坂家は自宅の庭の防空壕に退避して焼夷弾の直撃を受けた養父母が亡くなった。義理妹を背負った野坂少年(14歳岸恵子より2つ上1930年生まれ昭和5年)は防空壕の入らず外に逃延びた。
W.以下の惨劇の描写は「火垂るの墓」の鴨長明「方丈記」の災害描写タッチにくらべるとリアルを心掛けつつも真に迫ってこない。文学とは不思議なものだ!割愛する。
>「大人も子供も、公園の土手を掘って急ごしらえの横穴防空壕へ殺到した」
@W。爆風の吹き溜まりになって危ない!入口は縦穴<塹壕型>にすべきだ。
>W.街場の軍事訓練は科学的ではなく、気合注入目的。
>「その流れに逆らって一人階段を上っていく自分が、
>急に子供を止めたように誇らしい感じがした」
@母は公園に逃げろといった。防空壕へ入れとは言わなかった。
「ドシャーという鋭い爆弾投下音のなかで、公園の石段に、斜めに傾いて座り込んでいる若い女性の防空頭巾が煙を吐いて焦げていた。
喉が焼けるように痛い。
声も出せずにただ夢中でその肩をゆすぶっていると、硬い身体が斜めに傾いてそのまま私の上に倒れてきた。
眼を見開いて死んでいる女のヒトのろう色のほほに髪の毛が焼け縮れて張っているのを見た。
死体に乗られて身動きのできない私を腕章をまいた男のヒトが助け出してくれながらどなった。
「こんなところで何をしている子供はみんな防空壕だ」
↓ ↓
~~砂利道を引きずられ放りこまれた防空壕は、詰め込まれた子供や、大人たちの震えた顔が引きつれていた。
>土を掘っただけの暗い穴をみて、ココに居たら死ぬと思った。
>くらいあなのなかでしぬのはいやだ。
@大人たちが止めるのも聞かず、わたしは地獄の中に飛び出した。地面まで熱い公園の坂道をバッタのように飛び跳ねながら走った。母の云った石段の曲がり角まで来たときなぜか夢中になって松の木に登った。⇒W.松の木は発火し難い?たぶん。
木登りはお手の物だった。
と、身近に爆音がしてB29とは違う、小型の飛行機がぐ~んと高度を下げてきて超低空飛行で私の方に飛んでくる。
ビシビシという鋭い音を立てて機銃掃射が始まった。弾は知れてくれたが、
>殺気を孕んだ機構気がすぐ傍らを通った時、パイロットの青ざめた顔が機体の窓から見えた。⇒w、この描写、戦記物によく見かける。戦闘機は超低空飛行をした方が地上からの攻撃をかわせる。
~~~~
隣家の赤ちゃんを抱いた母と会えたのは、山手小学校の講堂の入り口近くに爆弾が落ちて悲鳴と、炎と煙で息苦しくなったときだった。
~~
わたしが逃げ出した急ごしらえの横穴防空壕にいた人たちは土砂崩れと爆風で殆どが死んだ。⇒W公園の土手の斜面に横穴防空壕!あり得ない!岸恵子が焼夷弾から逃げ惑った一帯の地形は山手町の後背地の丘陵地帯で公園はおそらく丘陵地帯の高い土地を削って作られていた。丘陵の低地に爆弾が落ちると爆風は斜面の沿って高いところに噴き上げてくる。その爆風を吹き溜まりに横穴防空壕を即席で作って近隣の子供や弱い大人の緊急避難所とした。残酷だが人災と云えよう。こういうのを戦後反省した人が何人いるだろうか?疑問である。
大人の云うことを聞かずに飛び出した私は生き残った。
「もう大人の云うことは聞かない。12歳、今日で子供を止めよう」と決めた。