「帝国以後と日本の選択」2006年刊行エマニュエル、トッドと日本の有識者はTPP事態に引き付けて読むと実に面白い。
冷戦体制の残存が残っている東アジアの軟弱地盤に立って、苦慮する榊原、水野など、そこから距離を置いた西部らの政治思想、現状分析はともに問題意識が鋭く、複眼的で共鳴し合っている。
エマニュエルトッドの立場からは、日本が自立性を得るためには核武装を論理として当然、視野に入れ、キチンとその旨を発言する。
こういうトッドの様な学識と複眼思考を伴った鋭角的論理が討論の中に入ってくると、対応する日本側の識者は従来の日本的有識者の環境でなれ合い的に討論している時よりも、自分の論理を突き詰めて、言葉にする必要に迫られる。
よって、全体として中身が濃い議論となっている。
なお、明らかにしたい事がある。
大震災、原発事故は命と健康、生活の問題。
大震災は日本の経済力からしてやがて復興する。ただし中身が大問題。
原発事故現場も期間はかかるが、今よりも沈静化することは間違いない。
解らないという、事をハッキリさせる必要があるのではないか?
個人の判断力がいる。問題は科学的判断。
私が福島市に住んでいると仮定したら、疎開はしない。物的人間的根拠が乏しい。他所に云っても労働生活基盤の乏しいモノにとって疎開は苦しみである。人間はいつかは死ぬが、リアルに科学的見地を加味して決断する必要がある。しかし、私的疎開をする人も大いに結構だと理解する。
>結論的に云えば、2006年の時点で日本有数の識者たちはTPP事態に抵抗する論理は提出することはできるが、
明確なアンチテーゼの日本ビジョンは打ち出せなかった。
言い換えると、米国、日本のエスタブッリッシュメントが迫ってきているTPPに対して、もう一つの日本の道、ビジョンを打ち出せない。オールタナティブは2006年の段階で見いだせなかった。
>>が、2006年から、イロイロナ事があったが、アメリカの制度押し付けTPPに抵抗する拠点は、この間の政治過程、突発事故をキチンと一つの立場を獲得するという目的意識から整理すれば、十分成立する。
裏切られた、と云う感情に支配されると、TPPに押し流される。
これは官僚、アメリカ、財界によって大変都合の悪いことである。
日米支配層とその使用人の云う市場原理とは人類にとって、最もたちの悪いイデオロギーなのである。
>小沢一郎等を政治弾圧するモノどもは率先してTPP推進を煽っているのも偶然でなく、一繋がりのモノ。
小沢さんらも橋下の様な凶暴な市場原理主義と、一線を引いた方がいい。
>最後になるが、「帝国以後の日本の選択」から西部さんの「政府主導の米中経済と改革で自爆する日本経済」より
「ステイト、キャピタリズムを訳せば、<政府主導の経済機構>となる。米国のIT革命にしても、ステイトとしての戦略的枠組みの中ではじめられた。
その米国に対抗しうるかもしれない中国にしても当然のことながら、国家が強力な見通しを与えながら経済運営をしている。
米国ですら、ステイチキャピタリズムという長期戦略の下で経済運営している時に、日本は、その米国が自己正当化のために世界に振りまいてきたイデオロギーや幻影だけを摂取して、これをモデルに改革しようとしている訳です。
>こんなことを10年もやっていれば、崩壊するに決まっている。
もう実質崩壊してしていると想いますが、あと10年後、本当の意味で日本にカタストロフィーが来るというか、国民的活力が上から下まで右も左も衰退の極みに達すであろう、と想います。
それが2005年における私のアメリカを巡るとらえ方です。」
>>TPP事態に立ち至っている今、これを読むと2005年の発言時の日米中国の政治過程が圧縮され、歩を速めている事が解る。
日本戦後史における、国と国の横の関係における従属から、多数派国民は経済的繁栄を得てきたのも事実。
が、世界的に市場原理が跋扈している中では、アメリカの様な極少数の富裕者と多数の相対的貧者が生まれる。
TPPを国と国の問題に切り縮めては問題の矮小化である。