関係省庁の発表する報告書、論文などの資料の一部はネットに公表されている。
それなりにキチンとした分析の上に立って客観的に論旨が展開されているので、株屋さん紛いの方や素人のイデオロギー中心の論旨よりも、じっくりと読み込む価値がある。
今回、米国経済の現状を検索していたら、内閣府が毎年二回、発表している「世界経済潮流」と云う世界経済の現状分析機資料に行きあたった。
2011の今年はすでに上半期と下半期の其々タイトルを打った分厚い記事が公表されている。
時間が決定的に不足しているために、上半期の一部にザット目を通しただけだが、実に解り易くかつ、包括的な分析に感心した。
感心する処は、過去、現在、将来、未来の世界経済の流れを読み解いていこうとする、歴史的視点が一貫している事である。
マクロ経済分析なのだから、当たり前と云えば当たり前なのだが、歴史的視点を分析の土台にしようとする意識が常に働いている。本質的な事をそこから引き出すこと可能な分析視点がある。
こういった目線は経済分析分野においても、表面論議の多い、昨今では貴重である。
記述全体にアメリカ今風経済学に毒されていない落ち着きがある。
これを読めば、一応世界経済の現状がつかめて、これからの流れも何となくわかったような気にさせられる。
かなり突っ込んで描いているが、専門用語の羅列で論旨を進行すると云った、この種の論文にありがちな、傾向がないから、自分の様な素人にも、その気になったら、読めるようになっている。
今年、上半期と下半期の報告書のタイトルは実に意味真である。
>上半期「世界経済の歴史的転換期。全地球一体化と新興国のプレゼンス拡大。
資本市場と名付けられた章を読むと、
自分がこの間記事にしてきたEU経済危機の現状が、基本的な処を押さえていなかった、と解る。
EU経済全体の資金流出入の差し引きで云えば、域外から流れ込んでくる、追加資金によって回っていた。
もっと以前を辿れば、日本のバブル崩壊に行き着く。
>>従って下半期のタイトルは「減速する世界経済と狭まる政策的余地」と悲観的観測になっている。
ここはまだ一切、目を通していない。
が、世界経済の全体像を歴史的視点に拘って描き出そうとする以上、帝国主義論的観点がますます必要になってくるのじゃないか?
冷戦体制と云うのも世界資本主義からみると、一つの経済秩序。
その崩壊後のアメリカ一極体制も一時的な経済秩序。
この一時的秩序が新興国の台頭によって多極的経済軸の出現に移行している。
が、そこに利害対立の相克が沸き起こっている。
>EUは世界経済の在り方の先頭を走っている。
通貨統合、金融政策一致。
が、財政政策の統一のない処に基本矛盾があったとするのは、如何なものか?
予算編成権をなくした参加国は基本的に民族はとして存在するが、国民国家であることを止める。
タイトル関連記事はここまでしか書けない。時間不足で読めなかった。
今後じっくり読むつもり。
特に下半期のモノに注目する。どういう切り口で「減速する世界経済、狭まる政策的余地」となっていくのか?
多分、消費税増税、TPP推進しか、もう選択の余地がない、とにおわせるつもりなんだろうが。
>>>ただこうした省庁関係資料を確認する大切さは以下の通り。前記は後から付け加えたため、前後の脈略がないが、必要と想ったので付け加えます。
再三、ブログ記事で取り上げた様に、昨年の管内閣時の横浜サミット前の管首相の突然のTPP平成開国発言。
その大本は外務省発表の「国を開く」と題する急進的なTPP推進のイデオロギー化にあった。
これはサミット前にネットで公表されていたが、直前になって、抹消された。
TPP被れの信者さんが対米交渉の窓口になるというのだから、多数派国民は、結果的に日米の支配層の共同収奪される岐路にに立たされている。
たぶんこういう、大胆な事を書いているブログは、珍しいと想うが、雑多な事実を抽象化すれば、そういうことに結果する。
手前勝手な資料を豊富に使った論文のキーポイントは民主鳩山政権成立当初、国家戦力化しようとした、東アジア共同体構想の正式な断念と「国を開く」と称するTPP断固推進の決意表明だった。
しかし、そこに至るまでの経過において外務省は自民党政権時代から、腰が引けているとはいえ、東アジア共同体構想をASEANなどに折りに触れて、提起してきたが、中国と共同体参加メンバや構想の中身について、対立していた。
中国構想の参加メンバーはASEANプラス日本、中国、韓国。
どちらも、アメリカは含まれていなかった。
ところが、米国バブル崩壊によって、事情は一変した。
経済規模に比べて政治的軍事的に脆弱な日本にTPPを利用し強引に自国の制度を移植し、恒常的利益を得ようと目論んだことは間違いない。
鳩山政権発足の裏側で日米癒着層の別な動きが同時進行していた。
>これは謀略と云うよりも革命に進行が反革命の密集を招いたという事だ。
民主党政権は政治力学的に、血路を切り開く覚悟で一丸となって、戦わなければならなかったのだ。
小沢氏を守りきらなくてはならなかった。
それができなければ、下野すれば、よかった。それ程の過激性が必要だった。
戦わなければ、使用人になり下がるしかなかった。
しかしそれができない人的構成になっていた。
所詮体制順応第一主義者が多過ぎた。新政権誕生の歴史的意味を日本政治史に位置づける観点はなかった。
マニフェストは所詮、空想的技術、政策論だった。
ああ言ったモノは政権獲得後、権力闘争が本質にならざる得ない情勢では必要でないと自分は当時から考えた。ツマラン重箱に隅の隅の様な政策論議は無効であるばかりか、害がある。これが日本政治の現実だ。
AIPEC前のTPP平成開国の主張するに至って、国家戦略局は完全に葬り去られたのである。
勿論、その場合、東アジア共同体構想などは完全な歴史の屑かご行きである。
TPPに走る日本と中国、韓国の間でFTAが締結される必然性がない。
各国間で経済調整ができるのは、投資やTPPが締結された場合の部品調達の関税障壁による混乱回避程度である。
この外務省記事の最大ポイントはTPP推進することで完全アメリカサイトの懐に飛びこむ決断をした裏側で中国切りを決断したことである。
その最大の理由は中国政府の自国産業育成政策が日本企業の障害になるという視野の狭い見切りである。
東アジアにおいて、紛争が必然化するであろう。
その場合、北朝鮮拉致被害者問題における日本政府頭越しの、北テロ国家指定取り消し。
アメリカ従属覇権の日本は結果的に両国から、軽んじられ孤立するのである。