反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

第14回。フィンリー「民主主義ー古代と現代」の「民主主義の伝統的原理が機能することを許されない、民主主義の先進国、英米という逆説」は市民革命で天下を取った資本家に民主主義の諸原理は搾取の邪魔。神棚へ。

 「民主主義ー古代と現代」より。
 民主主義の伝統的な原理が機能することは許されない、民主主義の先進国イギリス、アメリカという逆説。
 
「今日では~圧倒的多数の人々は、民主主義が最もよく知られ、考えられうる最良の統治形態であると認めている。
>それでいて、民主主義を伝統的に正当化した諸原理が実際に機能していないということ、
*さらには民主主義が生き残るためには
>それらの原理が機能することは許されないことを認めている。
 
>民主主義のエリート理論が取り分けて強力に主張されているのは近代の、経験的に最も成功した二つの民主主義国、イギリスとアメリカ合衆国においてである。
どのようにしてこの様に奇妙でパラドシカルな状況に我々は到達してしまったのだろうか。
 
 
 
 古典時代の民主主義はズット蔑ろにされ続けてきた。
逆転が起こったのは18世紀後半の<アメリカ革命>(W。フィンリーは独立戦争ではなく、革命という言葉を使用。)フランス革命だった。」
 
* ここからWの演説が始まる。
以下の論説は<資本制民主主義>に対する根底的政治信条、政治観なので、避けて通ることはできない。
フィンリーの論旨と直接、関係がない。

>W。産業革命とそのイデオロギー的反映である民主主義の諸原理を掲げた市民革命は、
人間諸個人を<奴隷の身体拘束>や<農奴の身分制による土地への縛りつけ>、から解放したが、
一切の生産手段から解放され、自らの労働力を商品として資本に売ることによってしか、自らと家族を再生産できない賃金奴隷階層を広範に生み出した。
 
 資本制の労働力市場における資本と労働力商品との関係は飢える「自由」を含み、資本への隷属を本質とする「平等な」等価交換であるが、資本の統括する生産過程において労働力商品の価値以上の余剰価値を生み出す。
この付加された価値は生産手段の所有者のものである。コレは搾取である。
 
 その国の労働力商品の価値は社会的文化的に必要な労働力商品の再生産費に相当する。
従って、食料費、その他生活費が低下すると賃金水準は下がり、資本はより安価な労働力商品を手に入れることができる。
 
>」デフレ経済の原因は低賃金ー民間消費低迷ー売り上げ減ー低賃金のスパイラルで説明されているが、表面上、そう見えても、原理的には上記の法則に収斂する。
 
>が、同時に資本の蓄積過程における可変資本の不変資本に対する比率の傾向的な減少によって(資本の有機的構成の高度化によって)、生産と消費の恒常的乖離を生み出す。
 
>この傾向を回避する方法は国内的には生産性向上、イノベーション、高度経済成長しかあり得ない。
 
従って、現日本のは生産と消費の乖離、換言すると慢性的過剰生産資本の状態は回避できない。
アベの資金供給量の増加策は内外への非生産的投機に追加過剰資金が流動しよう。
 
 よく言われる需給ギャップと言い換えてもよいが、その理屈のリアルな経済現場に照らし合わせた見当違いは、<複雑な問題には、簡単な答え>さんの経済ブログが丁寧に説明している。
 
>要はよく言われる需給ギャップは理論上に存在しても実体経済の現場では実在しているかどうか怪しい、というものである。
 
>以上の法則はデフレ経済の隠くされた法則であり、TPP参加を急ぐ金融寡頭支配層の隠蔽するモチベーションである経団連の輩は経済の原則の原則だから、みんな知っている。
 
>知らないのはこうした古典的理屈を知らされていない国民だけだ。労働価値説に基づく経済学でなければ、こういった説明は理論的に必要でないからだ。
 
 その場合生じる国内の生産と消費の乖離に対しては、
少子高齢化などの限界のある国内市場の販売量の先行きには見切りをつけて、利潤率確保優先は織り込み済みで、その国民経済の蔑ろへの反発には支配機構のための消費税増税ルート確保で対処し、最大利潤とシェア拡大は海外市場に期待している。
 
 以上の基本動向は経産省、外務省のネット情報公開記事に基づくものである。
 
 なお、東アジア共同体構想は鳩山内閣以前の小泉内閣時代からの自民党ー官僚層の対アジア基本戦略だった。
この時代の米国はバブル真っ最中で静観していた状態だった。
 
TPPはバブル崩壊米国の成り行きに基づくものであって、元々世界戦略などあろうはずがない日本支配層は東アジア共同体構想を投げ捨てて、米国TTPに乗った。
 
従ってTPPにEUのような歴史的積み重ねや戦略性はない。
 
よって、やらせの交渉によって米の完全自由化の段階的回避などを目玉に国政選挙圧勝などの政治環境の整備も促進材料に一気に参加の方向の持っていくというのがやつ等の戦略である。
 
 

 現状の世界先進国のトレンドは低成長ー高インフレであるが、日本の場合は低成長ー低インフレだった。
 
この事態をデフレと称しているが、
>最初にデフレ宣言をしたのは小泉政権時代の2000年代初頭だった、事もその後の日本経済のす推移と現状の経済政策に照らし合わせて、念頭に置くべきだ。
 
バブル崩壊以降の日本支配層の経済政策は戦後の財政金融の伝統的手段の全て使い果たしているわけだから、低成長ー低インフレトレンドを脱却しようとすれば、<間接的に>通貨供給量を増やすしか方法はない。
 
小泉政権時代をコレを実行し、政策パッケージとしては、<財政緊縮、金融緩和、円安誘導>だった。 
 
*しかし、その前提必要条件*として
 
A)この時代の世界経済の前提条件はアメリカ経済の信用膨張による過剰消費を軸とする世界市場のモノ、カネの循環機能が作動していた。
 
B)世界政治体制としては冷戦崩壊後のアメリカ一極支配体制が目立つ状況であり、新興工業諸国の政治的顕在的台頭は目ざましかったが、パワーは今ほどでなかった。
 
C)そう云う世界情勢を背景に小泉政権の政策は国内の自動車産業や電気産業の「90年代後半からの国内需要の落ち込み、輸出が伸びないという状況」への政治対応として、
今までの産業構造を温存したままでの「海外需要を作り出すため円安政策をとり、金融緩和をし、外需依存の経済成長」を目論んだものであった。
 
 
D)最もこの時代の円安傾向はバブル崩壊以降の日本経済の先進諸国と対比した落ち込みの反映であり、小泉政権円高に推移する歯止めとして、数十兆円の為替介入をしたに過ぎず、
米国バブル崩壊、UE金融危機を受けた世界流動資金の一時的退避策として選択されていた円安とは訳が違う。
 
**現状の円安はアベノミクスによる将来的経済リスクの想定や通貨供給量の拡大に伴う単純な貨幣価値の下落を意味する可能性がある。
 
資金の為替相場市場から、資源原材料エネルギー市場への投機マネーの移動のトレンドが発生しているかもしれない。
 
E)世界的なモノ、カネの循環体制はアメリカ信用膨張による過剰消費にあるが、それに対応する資金供給のルートは日本、アジアの米国国債購入、ヨーロッパの大量の金融商品の購入であった。
 
なお、ヨーロッパ金融機関の資金調達先は米国内という部分も多かったが、コレは貸し手が同時に借り手になっているわけだから、米バブル崩壊に連動するEU金融危機を複雑化させている。米国バブルへの関与度合いは日本ーアジアよりも根深い、から大きな余波を受けている。
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   <この項の結論>
通貨供給量を拡大してもA)~E)まで上げた条件から考えると、日本経済のトレンドは<低成長ー高インフレ>の欧米並みのトレンドに移行するだけだろう。
投機経済拡大によるトリクルリンクは絶対ない。
 
>生活関連物資の物価上昇も想定される。
 
小泉時代の通貨供給増から日銀が手を引いたのも物価上昇の気配が見えてきたからだった。
**現時点の金融政策の志向に、そのような視点は見出せず、強引に突っ走るだろう。
 
>高インフレをやれば、公的借金は目減りする。
>そうすると、物価上昇と増税がセットになっていく訳だから、それに対応できない分野、層から、貧困が急速に蓄積し、他の分野、上方に拡大していくだろう。
 
>TPPという事実上の域内障壁の結成や日本の政治過程の一人歩きは、そういった方向性の一層の促進剤に作用し、日本経済や政治の進路を狭隘化していくだろう。
 
*今、目の前で発生している事態は、日本国民経済の世界経済に対する後退の一コマ一コマである。

 >18世紀後半の先進国の市民革命は新興資本家階層が古い紐帯の封建的絶対主義王政に対して自由平等などのスローガンを掲げて、自らの権益を獲得する、政治暴力闘争となった。
その政治目標が達成される具体的政治軍事過程の違いに応じて、王政との政治取引(立憲君主制)や王制完全打倒の統治形態(共和制)がある。
 
 フィンリーが前掲文でいう民主主義の伝統的な原理が機能することは許されない、民主主義の先進国イギリス、アメリカという逆説。とは、
これらの国において、資本家の活動領域が十分補償されたから、最早、民主主義の諸原理は自らの獲得した活動領域を侵食する賃金奴隷たちの反抗の道具にされる懸念が出てきたから、「それらの原理が機能することは許されない」のである。
 解りやすい、現実だ。
 
フィンリーはこの段落で市民革命の政治内容の提示をマッタクしないで、話題をいきなりマッカーシーファシズムに転じている。
ごまかしである。
 
 以前も指摘したが、近現代民主主義論に関して言えば、フィンリーより、民主主義統治形態は少数者の多数支配であり、被統治者はそれを永久革命しなければならない、という丸山真男の方が鋭く思える
 
 ただ、フィンリーには古代ギリシア論の秀逸性は勿論のこと、政治的積極性が埋め込まれた論理展開力がある。コレは行動の源泉になり、政治思想にとっては大きな力である。
 
     <民主主義のエリート理論の典型。>
「民主主義独特の、最も価値のある要素は、もっぱら<受身の有権者の票を求めて合い争い合う>中で政治的エリートが要請されていく。」ー引用先不明ー
 
ー同じく、シュンペーター
「民主主義的方法とは政治決定に到達するために
個々人が人民の投票を獲得するための競争的闘争を行うことにより決定力を得るような制度装置である。」
この決定力は文字通り、
「政党の指導者たちが決めるのであって、民衆ではない。」
 
「リーダシップのない<決断できない政治>のまま~世界に人的貢献もできないで時間だけが流れていくなら、日本は世界から孤立しかねない。英米を中心とした世界の国々との協調に失敗し国際社会の中で孤立しないためにも~~
いたずらに分散した権力を、形式的にも実質的にも民主主義的に集中することだと想う
ー権力を巡る競争をー云々。」
 
ー同じく池上彰「政治のことがよくわからないまま社会人になってしまった人へ」-
 
「<取りあえず独裁的な権力を与えて政治を任せてみる。その結果、国民の希望に応える政治ができなかった場合は次の選挙で引きずりおろして、別の人にやらせてみる>という、この試行錯誤を繰り返せるのが民主主義です。試行錯誤を繰り返すのだから、当然上手くいかないこともありますが、<この政治はおかしいな>と一人ひとりが感じた場合は、次の選挙で止めさせることができるのです。」
 
>W。この文脈を日本のリアルな2009年以降から現在、将来の政治過程に適応すると、日本では池上さんの嫌う
「独裁権力を手にしている人物(W。人物を支配機構と読み替えるとどうなるか)は国民が止めさせることができません。
その仕組みがないため(W。あっても完全に形式化と読み替え)、クーデターや内乱、革命といった暴力でしか権力者を引きずりおろすことができません。」という真理に論理的に到達しないか。
 
 このヒトの政治とは何か?民主主義とは何か?は全部、足元の日本のことはマッタク言及しないでイギリスの王権と国民との歴史的政治関係における民主政の成立話や
突如、北朝鮮体制の揶揄が飛び出すまさに<時と場所を選らばない形而上学>の典型。
 
 池上彰さんには「マルクス資本論を読む>」という真面目な著作がある。
彼の民主主義論は国家権力のあり方を視野に入れたもので明らかに前二者の西欧の民主主義論とは違っている。