反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

日本では政治的基準としての右も左も真ん中も本質的に存在しない。ーグローバル資本制と日本国憲法意義ー

  日本では政治的基準としての右も左も真ん中も本質的に存在しない。
端的な例を挙げると、日本国憲法を守る、は【純粋な理屈の世界】では、保守ということになる。
 
 いや保守反動ということになるかもしれない。
国家機構のあり方が法制的な規定と大きくかけ離れていくこと、へのリアクションとして、日本国憲法の当該箇所の規定通り、あって欲しいという願い、運動なのだから、政治用語の厳密な規定からは<保守反動>あるいは<復古主義>ということになる。
 
 どうしてそういうねじれが生じているのかということを考えてみると、興味深く重要な三つのことに気づく。
 
 その1は、第二次大戦敗北以降、ある時期まで日本国憲法の内容とそれを実現する戦いの、一致する時期が間違いなくあった、ということである。
 
 この期間の確定は一般に言われている程、簡単でない。
一応、日本経済が高度成長経済にキャッチアップした1950年代後半、としておく。
 
 60年安保闘争の資料を読み返してみると、一部では民主か独裁か、という問題意識が俎上に登ったらしいが、もうこの時点で、高度経済成長への離陸によって、庶民レベルでも民主化の基盤が達成されていたわけだから、そういう問いかけは、実質的に無効になっていたと考える。
 
 戦前の岸信介の復活の60年安保ということで一見わかりやすいが、この時点で後の高度成長経済の前提条件を形成したのだから、民主か独裁か、というスローガンには余りにも収まりきれない面が多過ぎた。
 
 言い変えると、60年安保闘争の時点で日本国憲法の内容の過半は高度成長経済への離陸による経済的社会的変動によって、自動的に達成されつつあったということだ
 
 従って、全学連の国会突入の政治的な意味は、戦後的な大衆行動と、もっといえば政府反対派政党政治に対する高度成長経済のもたらす物質の力によるなし崩し的な変質、を意味していた。
共産党の前衛神話の終焉。社会党が主導するようになった労働運動のサラリーマン化、組織動員によるチンタラデモはこのときもやっていたと貧乏、定職ナシの苛立った一市民として参加した歴史家の色川大吉は報告している。このとき、すでに、大企業の組織労働者はサラリーマン化は顕著だった。何しろ名目経済成長率23%である。)
 
 コレ以降、日本国憲法の内容も高度経済成長の只中に埋もれていった
それほどにこの長期に渡る経済成長の時代の社会に与えるインパクトは凄かった。
経済成長率を見ても改革開放以降の中国経済の成長どころではなかった
 
 日本のように狭い平野部に人口の密集する国ではさらにインパクトを増すことは、韓国のあっという間の経済成長を見るとよく解る。
ただしこの時期は日本内外に最適な特殊環境が整っていたことが大前提だった
 
 他方、戦前なるものの残滓をアメリカと民主運動民主政治によって解体されることなく、継承し発展させてきた政治的構築物も高度経済成長の中に埋もれていた
 従って、戦後「右翼」(冒頭に記したようにこの用語は便宜的に使用している)にとって、戦後史を振り返ってみるとズット、自らの政治性を失われたままの長い時代だった。
 この辺の事情は彼等の言説に実に良く表現されている。
 
 その嫌悪感は実に幼稚、「純」、政治思想レベルとして日本引きこもり型であるが、特性として日本の歴史伝統文化を天皇制の動物的な血統の継承に集約して、世界資本主義のグローバリズム、マネー経済万能に結合する基本構図が明治維新、以来続いている。
 
 アベ等はキッチリとこのパターンに納まっている
それは「美しい国へ」の中で正直に語られている。
 
 著書で展開されている内容の何処から、美しい国という発想がでてくるか理解しかねるが、彼等だけ勝手に富んで都合の良い自由と民主主義で美しくあっても、庶民は市場原理主義の収奪の見えない檻に取り囲まれて悲惨な境遇を耐え忍ばなければならない。
 
 いずれにしても最後にアベ等の政治位相を今まで接した中で、一番彼等の実情、動向がハッキリする記事を引用をする。(時間不足もあり簡単に)
 
  要点は、次の通り。     フランス最新事情より引用
金融、経済のグローバル化が進み、国家が経済政策、社会政策の領域で影響力を減少させていく中、
【国家の治安維持】【国防】と並び、国家が存在意義を誇示できる数少ない領である」
 
「1970年代以降、国内の企業が人件費と法人税の安い国に生産拠点の移転を図ったために、国内に失業が増加し、税収が減少しそれまでの福祉国家体制を維持することが難しくなった。」
「失業が増大している上に福祉が削減されれば、必然的に貧困層は増大する」
「だが貧困層の増大は、貧者以外の人たちに不安を与え、社会全体にも不安を与えることになる。
そこで人々に不安を与える貧者を監獄に収容するという厳罰化政策が、軒並み先進国で取られるようになる。
 
以下キーワードは
【法を凌駕する安全性装置に統制される社会】
【非安全に供えて手の安全】という【保険の論理】
 
 アメリカの刑務所収容人数230万人名古屋市よりも多い←獄産体制(寂れた地方は刑務所誘致によって雇用増加)フランスでも1985年→2005年で収容者は倍増。兵士の調達も簡単だと想う。日本でも震災にあった東北の高卒の正規雇用自衛隊という。非正規なら仕事はあると想う。
 
 ウクライナ情勢に対するEU、アメリカの対応の国内事情はコレで少しはわかる。ドンドン周辺部に向かって攻撃的になる。エマニュエル、トッドさんの情勢分析の理論は通用しなくなっている。
まさかこんな事情はテレビは報じない。
 
庶民生活レベルで戦前的なものの残滓と戦後的な新生事物の葛藤がリアルに展開されたのは、1950年代後半までだった
日本映画黄金時代の数々の名作にはそれとなくこうした時代背景が描かれている
成瀬巳喜男の庶民を描いた作品は政治的無色であるが故に実に丹念にこの辺の庶民生活の実情、時代風物を伝えている。
ジッと映画のシーンに目を凝らすと時代背景を知る良い材料を提供してくれている。モノは見方である。)
 
 日本を取り巻く政治軍事環境をみても米極東軍事力の展開を背景に高度成長への離陸があったみなすと、
民主か独裁かの民主とは実現可能であると仮定すると、民衆決起によって、自民党政権を打倒する人民民主主義革命に等しいものだった、と解釈できる。当然政府は社会党中心になる。
 
 丸山真男の民主主義は少数者の多数者支配の道具だから、民主運動によって、永久革命しなければならない論は、60年安保時点で無力するものであった
事実彼はそれ以降、自身も言うように長期スランプに陥る。
 彼が指摘しているように高度経済成長は、近代主義者としての葛藤の批判対象であった、戦前的なものと、マルクス主義を押し流してしまったのだ。
 
 日本国憲法は高度経済成長の物質文明に埋もれてしまった
狭い国にモノが充満し、欲望が喚起され、それに合わせて精神は変容した
 
 大きくいえば、アメリカ文化の大衆的受容である。(モノ氾濫の条件は整っているわけだから、精神は寄り添った)
 
 >自由と民主主義は当時のアメリカ風のそれであって、ヨーロッパ→イギリス、フランス、戦後ドイツ、イタリア、のものではなかった。
>しかも皮相的なアメリカ風民主主義文化の受容である。精神的バックボーンが違う。
その意味で高度経済成長ととも歩んだ団塊の世代アメリカ汚染は抜きがたい。
 ここにおいて大きな政治文化の限定枠が確立した
 
 憲法1~8条の戦後天皇の権利と義務規定、その実体的政治基盤である武官を排除した文官の国家官僚機構と第9条のGHQ占領下の平和条項固定の実体とすると
(高度成長成経済までは)
 その他の国民主権、人権条項に依拠して、旧体制の半封建的戦争遂行的残存物に対する戦いや、戦後的労働組合、民主主義的諸組織の確立の戦いは、明らかに【破壊と創造の戦い】であり、その意味で政治用語として左翼というに相応しいものであった。
 
その戦いの雰囲気は危機感焦燥感不安感に基づくものでなかっただろう
もっと違う種類のエネルギーがあった。
 
 危機感、不安感、焦燥感を政治意識のモチベーションにするようになったのは、やはり、1950年代後半以降であった、想う。
 
 一定以上の物的充足にあり、反面として不安定、上昇志向を抱える小市民の生活を揺る動かし、政治動員するためには危機感、不安感、焦燥感をより一掃掻き立てることが手っ取り早い方法である。
 
 日本的戦闘的社会民主主義の党、社会党政治思想、闘争戦術は全てこのパターンであり、それを一層、急進化したのが、当時の日本の所謂新左翼であった。
共産党というのは別の地点があったようだが良く知らないが、政治新聞の配布網によって彼等流の政治意識を注人する選挙党支持者の同心円的組織拡大を目指す党でなかったか。「左翼」学会サン?
レーニンのやり方ではあるが、完全な違いがある。日本では大衆運動の自然発生性は乏しい。
ということは党は自分から進んで大衆行動を作り出していく任務を負っているということだ。
原発事故以来、かなりわかってきているが、自、共対決などという概念を持ち出しているところを観てもまだ判っていない。
 
 いずれにしても、破壊と創造の革命思想と危機感、不安感、焦燥感に訴える政治思想(これらは正確には急進民主主義に分類できる。従ってフランス革命ジャコバン主義の表裏の傾向が常に付きまとう。)は重なるところはあるが全く別物と実証できる。
 
 過去の有名な革命家が残した著作を読んでも、何処にも危機感、不安感、焦燥感を掻き立てるような傾向は見当たらない
生命がかかった戦いにおいて、そうしたものを指針とすると自分たちを死地に追いやることがあることを知っている。
幼稚なレベルでは宣伝煽動と現実社会の状況を混同するものが出現する。
山本太郎天皇お手紙事態←「お人形さん」に手紙を渡してどうする。そうさせる周りも悪い。)
 
>左翼というのは欧米のリアルな歴史から、発生した旧体制打倒派の政治的立場であり、対抗する右翼というのも概ね王党派旧宗教派各種保守派であった。
フランス、イギリス、アメリカ史を追認すると、派生的な違いはあっても本質的な政治パターンの同一性が確認できる。
ドイツパターンはその後発的変種であるが別物ではない。
 
 以上、一応民主主義制度とその政治は今でも、世界価値基準とされている。
一般論としてコレに変わる適切な政治システムはない
専制政治システムもそこに合流していく傾向にある。
 
>先進国では金融寡頭制システムの深化にによって非民主政の傾向になり、中進、後発国では民主主義が進展する。
ウクライナ情勢も歴史的流れとしては、そういう大枠にある。個別事態は歴史の意流れの中では小さい
 
 ただし、現時点ではグローバル資本制の強力な反人間的な推進力、破壊力と一体化し、その政治的道具としての自由と民主主義の政治が世界的価値とされているので、鵜呑みにできず、実情に合わせて、ろ過しなけれず、必ずしも文言の自由と民主主義が適切とはいえない。
 
>自由と民主主義はその意味で以前とは大きく変化している
 
>コレを自由と民主主義の世界的に拡大の進歩ということもできるが、
>後ろ向きに退化衰弱、骨抜きになった、とも言える。
 
 日本史のような基本的に外部刺激が少なく内発的な変革力の乏しい歴史過程を検証するだけでは(韓国の高校教科書の通史ーただし非常に情報量が多く高度、読み込むのに苦労したーなどはどこまでが中世なのか近世なのか、もっと時代区分が解り難い。日本史なども自分たちで勝手に時代区分をしているだけでもヨーロッパ人が読むとそう感じるだろう。)、
上記のようなグローバリズムによる自由と民主主義の歴史逆行性は実感できないが、自由と民主主義が早くから政治課題に上った古代ギリシア、ローマ、ヨーロッパ史を紐解くと明らかに大きなスパンの逆行の歴史が認められる。
 
 その例。古代ギリシア以降のヘレニズムから東ローマ帝国の時代
アテナイの民主主義は何処に行ったのか?精神文化哲学の前進はあったのか?
>以前記事にした古代ギリシア、ローマの専門的研究でサーの称号を授けられた元アメリカ人、フィンリーはこの【長期歴史スパンを歴史の逆行】と断定している。
 
 ウィキペディアに載っていないがフィンリーは、著作からは圧倒的な迫力がにじみ出ている本物の大学者である。
膨大な著作の目録を見てもローマ法の専門分野の研究など、題名だけ見てもまず素人が読んでも何のことやら解らない、と想像できる。学者の学者、本物の学者ということで、解りやすく書いても読者の心を刺激する知のパワーがある。日本ではそうした人物は皆無に近い。
 
 日本のその道の専門家の著作を読むと所詮、子供の遊び程度で情けないものだと想った。
コレが日本の自由と民主主義研究の現状であり、フィンリーなどに感化されて、自由と民主主義をいえば、直ぐ民衆武装の問題に直結させる自分などは、それ以下と自省している。
 
 そういう訳で先進国の【現時点の自由と民主主義】【世界資本主義のグローバリズムの反人間的推進力の道具】に転化している側面が強く、【歴史的な長期逆行の途上】にあると、想っている。
 
 以上の【現時点、将来予測としての先進国の自由と民主主義は世界資本主義のグローバリズムの反人間的推進翼の道具に転化している側面が強く、歴史的な長期逆行の途上にあるという歴史認識、を大前提に、(東アジアの歴史認識に対する先進国であるはずの日本の近年の頑な態度を見ても良くわかる。相手云々は二次的なものである)
 
  その2として、
日本国憲法国民主権基本的人権を政治的原則にする戦いには、世界資本主義の反人間的な推進翼の道具化した【歴史大逆行の自由と民主主義と戦う使命】が必然的に新たに生まれてきている。
 
 卑近なところでは、【アベ等やアーミテージのいう自由と民主主義の価値観】なるものは、【彼等がやりたい放題できて、いいたい放題できる、都合のいい、変質させた自由と民主主義】であり、
多数の国民にとっては、そのものズバリ、世界資本主義のグローバリズムの反人間的な推進翼の道具そのものである。
 
 アベ、アーミテージ路線というものは、【軍産複合体、金融寡頭支配のシステム強化】(ウクライナ情勢に典型的なように世界情勢の変化に従ってトッド理論は古くなったので、修正する。一度捨てたものをまた拾い挙げている感はするが。)に行きつくしかないのだから、【本国における需要停滞】、【グローバル資本、マネー資本】の【税金逃れの現実】から、【庶民増税】、【周辺地域からの強収奪】の二本立てのシステムが存在しなければ成り立たない。
 
 当然にも多数の国民の主権【自律】や、当たり前の人間としての【基本的人権を蔑にしたり、圧迫したり、踏みにじったり、抹殺】することでしか、成立しない
 多数の国民が何処まで正気でいられるかが焦点となろう
 自立などという幼児次元ではなく自律が問われている
 
 さらにまた、マスコミにある自由と民主主義もほぼ同類と想った方がわかりやすい。
彼等自身が【メディア資本の蓄積過程の強化】の結果、として物的要請に従って、変質】してきたのである。
それ以上でもそれ以下でもない。
日米のメディア資本の構成要素を見れば一発で解る。特にアメリカの場合は極端なところに至っている。
 
 日本も近いうちにそこに近づく。まだまだ途上である。
もともとがアメリカメディア資本と違って、オカシナところを抱えていたわけだから、アメリカに近づくといっても、正確にはには別次元への陥没になるだろう。
報道の自由度の低位は何も原発報道だけによるものでない。
コレが実情であり、さらに加えて、アメリカ化のメディア、コングリマット化が進行する
 
 もっとも、解るものが増えて、そのほうがいいのではないか
まともに相手にする対象ではない。
 
 最後の第3。
 日本独特の思考パターンである原点回帰である。
原理主義などという程、その原理が論理的、明確でなく、アイマイだから簡単に大衆規模で原点に回帰できる
安部氏の著書の「美しい国」とは本の中身に関係のないネーミングで、都合の良い過去が選択されて自分の好みに従ってセピア色の世界に改ざんされている
美しい国へ」ではなく「美化された国へ」に自己同一化することを政治的モチベーションにせざるえないのである。
それは個々人の心の自由である。どうこういえる筋合いのものでは全く無い。
敢えていえば善悪の問題とも想わない
ただ、そういう思考パターンとはずれたり、違う多くの大衆がいるのも事実である。
 
自分などは立場が違うがその精神世界を理解できるほうではないか、と想っている。
真反対にもアベ的世界はある。
 
 それではマズイのではないのか?
 
 まず何よりも、非論理、非合理、情緒が支配する世界である。
本質的にアイマイな世界である。
そこでの決意、決断である。
確かに動物としての人間を超えた崇高はある。
しかしそれ以上のものは無い。
日常的にそういうものに最高の価値を置く世界は酷いものだ。
 
 いくら公と私の区別だの大義に殉じるなどを持ち出しても、それが一国の最高政治指導者の精神世界の中核であれば、問題が出てくるのでないか。
 
 日本人は間違いなく歴史好きである。
でなければ公共放送のゴールデンタイムに時代劇が延々とかかるわけが無い。
しかも、有名なストーリーが繰り返し演出されており、大人が冷静に考えると実にたわいない物語である。
 
安部氏の著作の核心のほぼ前編は歴史観、文明観の披瀝である。
 
尊敬するというチャーチルはそんなところない実利的な人物だったのでないか。
 
現在の所謂、先進国の最高政治指導者でこの手の歴史観、文明論をぶち上げる人物は皆無だとおもう
彼等に政治思想があるのかないのかわからないが、あべさんに彼等を上回るものがあるとも思えない。
 
先進国の国民にそんな要望がなく、もっと実利的な見解を政治家に求めているからだと想う。
アベ的世界観を披露しても相手にされない。
学者にはそういう人物はいるが。
 
なぜか?
住んでいる世界がもっとシビアーだったし、これからのそうなる見通しだからだ。
アイマイ精神論など大衆に入り込む余地は少ない。
 
歴史や文明論を政治の中に入れることは、絶えず歴史論や文明論の世界に現実逃避をする可能性を残すことである。
 
日本の過去を振り返ったら良くわかる。
明治維新の指導者はそういうことはやらなかった、とおもう。そういう暇はなかった。
 
近代日本の体制が整いだしてからもまだやらなかった。
 
そして遂に爆発したのが、1920年代半ばから30年代、そして、戦争体制になって頂点を迎えた。
後代の指導者が合理主義の精神を食いつぶしたともいえる。
 
当然にも日本には支配的なアイテムに乏しいわけだから、天皇制を支配の道具として変質させた。
 
その証左が天皇機関説で有名な美濃部達吉の戦後憲法草案に対する帝国憲法は正しかったが運用方法を間違ったという試論である。
日本の枠内での法的論理思考ではそういう所に行きつくわけだ。
 
 先ごろ、小沢一郎大化の改新天智天皇を日本歴史上の三大偉人に上げていた。
 
いい加減な人だな、と改めて想った。「美しい国へ」と大して変わらない。
 
双方ともセピア色のアイマイ原点回帰→歴史美化路線で共通している。
 
歴史的事実に分け入って探求しない。
 
それをやった結果の結論であればそれでよい。
 
しかしそうとは想われない。
 
大化の改新の詔は、現実世界では実現していなかったことは考古学的発掘による物的証拠などを持って実証されている。
 
日本中世史の学者の殆どはそういう立場であり、中には日本史最大の誤りとまで言う学者がいる。
 
趣味として日本中世史の本を読んでいるものとしても、余計な意見を聞かなくても単独で、大化の改新の疑問に行きつくことだできる。
 
順序だてて考えていくと、日本史ではあり得ない、とわかる。
 
飛鳥の里など現場を歩いても、大化の改新など当時の日本ではできるわけがない、と実感できる。その実感が湧いてこないのは感性の問題としか言いようが無い。
 
当時の日本は全国的に観れば、半未開社会、部族社会であった。
 
その上に中央政権が乗っていたのである。在地社会の実務者は地方の豪族である。
 
そういう意味で小沢一郎小泉純一郎安部晋三はひとつの系譜である。
 
>反原発の小泉さんに関しては、前回のアーミテージレポートの資源エネルギーの項目、特にシェールガス関係、北米資源同盟への参加要請にヒントが隠されている。
多分この辺にモチベーションを見出しているのだと想う