ウクライナ情勢を受けて世界情勢の基本認識の見直し作業が必要になってきた。
時代情勢はボケた頭の中を置き去りに、ずっと先に進んでいるようである。
以前の世界基本認識の基礎になっていたエマニュエルトッドの「帝国以後」の基本情勢認識をもう一度確認する必要がある。
参考資料(時間ができたら、検討する)
W。広域軍事同盟、広域経済圏は経済の寡頭支配を生む。
EUのような広域経済政治圏は寡頭政治支配になり、周辺への拡大圧力になる。これらとリンクしたアメリカ寡頭支配層。が、相互と内部に矛盾も抱えている。
最後の新冷戦(自分も過去の記事でこの用語を使用したが)という規定には疑問を提出する。
ソ連東欧圏崩壊、中国改革開放。
それ以前も以後も一体誰が支配者だったのか?支配層の世界資本制支配層への転換の時期と形態が大きく違うだけで、やがて均一化される。
トッドさんによれば、こうした見方はフランシス、フクヤマの『歴史の終わり』で提出した仮説。
↓
「歴史は意味=方向を持つが、その到達連は自由主義的民主主義の全世界化である」あるいは
「「自由主義的民主主義国家には戦争は不可能であるーマイケル、ドイルーの法則を、自分のモデルの中に組み入れている」
同じく詳しい説明。
「具体的歴史は、自由主義的民主主義国はそれに敵対する体制との戦争は免れないとしても、互いに戦うことはないと証明しているのである」
この具体的歴史をトッドは振り返って、逆の真実を提出する。
「ヨーロッパを第一次大戦に引きずり込んだのは、実際上政府が議会に対して責任を有さなかったオーストリア、ハンガリーとドイツであったことは認めないわけに行かない」(W。ワイマール時代の政治混乱。結果、ナチズムの独裁へ)
そしてトッドはいう。
「単なる常識からしても、教育水準が高く、満足すべき生活水準を有する国民が、大規模な戦争を宣戦することも辞さないような議会の多数を選挙で生み出すのは困難であることは、納得できよう。」
一回、大敗したぐらいでは収まらないのは、ドイツを見てもわかる。
ワンスモアが。その形、時期が問題の焦点。基本的に少数の支配層と周囲、労働貴族、労働官僚が多数派国民を強収奪して生き残る。コレは経済戦争である。
その排外的ヤラセ大道具として、東アジア危機の恒常化がある。
どうしてそうなるかという説明も次にある。
「似たような政治組織を持つ二つの国民は、互いの紛争をに不可避的に平和的解決を見出すことであろう」
W。東アジアではその条件に乏しい。コレは大規模戦争が発動される、ということではなく、多数派国民収奪のための【排外的ヤラセ大道具として、東アジア危機の恒常化がある】。
「しかし非民主主義的、非自由主義的な体制の指導権を握るものは、一般常識人の多数に宿っている平和への欲求を踏みにじって、戦争を始める決定を下す行動の自由をはるかに持つことだろう」
>欧米世界基準の他に各国、各地域には事情があり、その事情を大事にすることが、多くの国民の利益になることが多い。
コレは東アジアにも適応できる。要はハンドリングの問題である。
個別国家、民族単位と、1%VS99%の全世界的な戦いをどう関連付けるかが大問題。
共通の理念は平和。反グローバリズムになるのかどうか?
それと重なるが次元の違う積極的な思考パターンを加味する必要がある。
でないと、危機感不安感焦燥感を煽る政治になってしまう。
【プレジンスキー、のアメリカが将来、ユーラシアの周辺国になってしまう不安】
【プレジンスキ→旧世界の制御圏を保持するための外交的軍事的技法】
「1996年前後には、アメリカのかつての好敵手は、純然たる消滅の道を辿っていると想われた、帝国という選択が姿を現したのはまさにそのときだった。
W.この場合の帝国は軍事の世界覇権と財政破綻を無視した自国中心のモノカネの集中)
「ロシアの崩壊の結果、米国は唯一の軍事大国となった。
それと平行して金融のグローバリゼーションが加速化する。」
↓
「1990年から1997年までの間に米国と世界全体の資本移動の差額の黒字は600億ドルから2710億ドルに増大した。
コレによって米国は生産によって補填されない使い消費に身を任せることができたのである」
>「米国の指導者集団が極めて明晰であり、天才的な計算能力を有して、決定的瞬間に何らかの戦略を決断するや否や、その後粘り強くその戦略を適応続けるのだ、などと想像してはならない。
>帝国の道の選択に至ったのは、まったく逆の事態の自然の成り行きに任せ、不断に安易な道を好んで選んだ結果に過ぎないのである」
>「ロシアは最終的最後的に崩壊した、米国は世界唯一の超大国として当局は、このように信じて、資本の大量流入を見ても何もせず、貿易赤字への果てしないのめりこみに身をゆだねるほうがはるかに容易で自己満足に浸れることだった。
W。この著作の日本刊行は2003年、トッドのバブル崩壊予言は崩壊よりはるかに前である。
ヨーロッパ人、トッドのこの辺の鋭い突っ込みはアメリカの力の過大視が刷り込まれている日本人にはできない
孫崎享さんの「日本の戦後史の正体」の発想はプレジンスキーの「偉大なるチェスボード」によるところが大きいと想うが、欠陥はこのトッドの視点はない事である。
日本の外交官を長く勤めた人としては仕方がないが。
理論的には、そういう体制の進化はあり得ない、という見解が世界革命の必要性を呼び起こしていた。
それは内実として脆い経済基盤の上に構築されていたということで、むしろ長く持ったほうだ。
丁度その時期に東京オリンピックは開催される。
実際に進行していたのはウクライナ蜂起に至る過程であった。
しかし鋭い視点であった。
今後、世界の見方には軍事的視点が重要視されるだろう。
理由は広域地域連携連合統合の深化によって少数のものに軍事が集中し、情報収集力の向上もあり、政治の主導権に対して対等化してきている。
政治の側も軍事を動かせば、直線的に政治意図が達成できる。
エマニュエルトッド引用ープレジンスキー対ロシア、モデル
「世界は均衡を失い、米国によって全面的に軍事支配されるという仮定は、そのとき多少真実らしさを含んでいたからである。
「プレジンスキーの『大いなるチェスボード』は
>ユーラシアに米国の一方的な支配を確立する必要について最も一貫した戦略的諸作であった」
巨大な外交のチェスボードープレジンスキー、モデルの検討ー
W。『大いなるチェスボード』の発表は1997年ということだが、驚くべきことに、ここで現在の米国のウクライナ戦略が予言されている。
「プレジンスキーの計画は簡潔明瞭である。
もっとウクライナを西欧の側に併合し、ウズベキスタンを利用して中央アジアをロシアの影響県から離反させることによって、ロシアに止めを刺す必要があるが、それはロシア自身の利益になるのだと思わせようとしているし、
またロシアの包囲が必然的にロシアの核心部の解体に結びつくこともあからさまに述べていない。」
「高度な戦略とはいえども、最小限の外交的用心は必要なのだ」
W。>高度な戦略と最小限の外交的用心とは→「ロシアは2002年に設置されたNATOロシア理事会により準加盟国的存在」
W。そしてやがてプーチンは反発して、この関係は断絶する。
W。>「200年代後半後半に入り、アメリカが推進する東欧ミサイル防衛問題や、ロシアの隣国であるグルジア、ウクライナがNATO加盟を目指していることに対し、経済が復興してプーチン政権下で大国の復権を謳っていたロシアは強い反発を示すようになった。
W。まさか予め筋書きを描いたわけではあるまいが、プレジンシキーの予言どうりことが運んでいる。
この予言はトッドがプレジンスキーの著作を深読みしたものであり、預言者トッドの意見も入っている。
長くなるが興味深いので全て引用する。
「さらに明瞭に述べられないことがある。
すなわち1)米国経済の無効性と、2)米国は世界の富の統制を政治的軍事的に確保しなければならないという必然性、
この2点にプレジンスキーは触れていない。
しかし本質的モチベーションを間接的の述べざるえなかった。
>つまりまず第一に世界の人口と活動の主要部分はユーラシアに存在するという点を強調し、次いで米国はユーラシアから遠いということを確認しているのである。
コレを解読するとこうなる。
>すなわち、米国上層階層の生活水準も平民の生活水準も共に維持するために不可欠な商品とカネは、ユーラシアから流入するということである。
以上の点を留保してみると計画は一貫している。
確立すべきアメリカ帝国にとって唯一の脅威はロシアである。
それゆえロシアを孤立させ、勢力をそぐ必要がある。
いわばビスマルク的対処法とでもいうべきであり、ロシアはさしずめ1871年から1890年までの敗戦後のフランスの立場に立たされていることになる。
ビスマルクは当時、1870年から1971年に欠けてのフランスの崩壊によって、ドイツの統一を成し遂げたところであった。
その後20年間、彼は唯一の適性国フランスを孤立させるために、その他のヨーロッパの列強との間に良好な関係を維持することに腐心した。
フランスはアルザスロレーヌの喪失ゆえに構造的な報復体質を持つと考えられていた。
プレジンスキーは米国に、ロシアを除く全ての国との緩和路線を推奨する。
>>日本に対してアジアの枠を超えた全世界的役割を与え、
統一ヨーロッパ建設には理解ある態度を取ることによった、この足がかりを固めようと助言するのである。
唯一イギリスだけは目下扱いされ「行為者にあらず」と定義されている。
仏独のコンビは主要な戦略的ペレイヤーとして尊重される。
>出発点となるビジョンは明瞭である。
>ヨーロッパとに日本がアメリカのリーダーシップに満足している限りは帝国は安泰だ、というものである。
このような戦略的中核の外側では、中国イランへの緩和的態度をも彼は推奨している。
>中国がライバルとなる可能性はまだ長期的課題に過ぎないし、中国とイランから切り離されたロシアは、事実上ユーラシアにおけるいかなる行動手段をも失ってしまうだろう。
>この計画のうちいかなる部分がアメリカ外交によって、適応されただろうか?
>実のところロシアに対する行動だけである。
第7章はウクライナ問題
「ウクライナは、ロシアから切り離されたら、改革の道を進む足取りものろのろしたものにならざる得ない。
本質的にはロシアの周辺地方であり、中央からくる一連の衝動に従い、あらゆる時代を通じて保守主義を特徴とする。
>ウクライナが特殊性を主張するには、ロシアに対して文化的差異化を行う必要は確かにあった。
>しかし独自の推進力を持たないものだから、ロシアから逃れるには、もう一つの別の勢力の支配下に入らなければならなかった。
>アメリカの勢力は、ロシアに対抗してバランスを取る上では余りにも遠く、余りにも実質に欠ける。
>ヨーロッパはドイツを要する現実の経済強国である。しかし軍事的政治的な勢力の極ではない。
>ところがヨーロッパがもしそういう極になろうとするなら、ウクライナを衛星国とすることは利益にならないのである。
>なぜなら、ヨーロッパは、アメリカの後見から開放されるために、やがてロシアという均衡の極を必要とするからである。
しかし、EUの経済基盤であり、元々EU拡大に反対してきたドイツにとってウクライナのEU統合など何のメリットも無い。
>「ここにおいてアメリカが、どれ程ユーラシアに中央部に具体的な経済プレゼンスを有していないか測定することができる。
軍事関連の多少の輸出とコンピューターを別とすれば対して売り込む物を持っていない。
金融資本はどうかといえば、アメリカは逆に吸い上げる一方で~。
世界はますます99%VS1%の戦いに収斂してきている。
国民国家がの役割が縮小して、資本移動によって税収の減少した政府は国防軍事治安に限定突出する基礎には金融マネー経済の全世界的席巻があり、1%VS99%を最大の政治課題にするためには、マルクス的絵図は参考にせざるえない。
トッド引用。
「マルクスはフクヤマとは別の歴史の終わりを予告したのだが(W。唯物史観)そのモデルでは教育的文化的発展は副次的なものに過ぎない(W。これらと家族形態、人口論がトッド理論の一方の柱だが、疑問点も多かった)
【NATOの歴史】
冷戦終結後
>1991年に「新戦略概念」を策定し、脅威対象として周辺地域における紛争を挙げ、域外地域における紛争予防および危機管理(非5条任務)に重点を移した。
A)
【全欧州安保協力機構(OSCE)】、域外紛争に対応。
【北大西洋協力評議会(NACC)】東欧諸国と軍事・安全保障について協議。
を発足させ、加盟国外でもNATOの軍事的抑止力を享受できることを確認した。
拡大に警戒心を持つロシアはその動きを牽制した。
>2003年のイラク戦争
>2006年7月にはアフガンでの権限を全て委譲され、NATO以外を含める「多国籍軍」を率いることとなったが、同時期にターリバーンがアフガン南部各地で蜂起し、NATOと戦闘となっている。アフガンのNATOは英軍4000名が最大であるように、加盟各国ともに拠出兵力に限界があり、戦闘は苦しいものとなっている。
また、仏独はこの戦闘作戦には参加しておらず、加盟国の内部分裂とアフガンでの疲弊により、NATOは新たな国際戦略の練り直しが必要とされている。
新冷戦
(W。勝手に争え!1%VS99%への均一化過程の進行と見る)
W。岩上安見ツィート
↓
孫崎享→『冷戦終結とともに、ロシアのテリトリーであるニアボーダーは侵さないという合意があったはず。(W?)地政学的な安定のためにも、必要だったはず。
ところが米国は、そうした合意などなかったかのように、NATOの東側の最前線を限りなくロシア国境に近づけている。』
>200年代後半後半に入り、アメリカが推進する東欧ミサイル防衛問題や、ロシアの隣国であるグルジア、ウクライナがNATO加盟を目指していることに対し、経済が復興してプーチン政権下で大国の復権を謳っていたロシアは強い反発を示すようになった。
>ロシアは2002年に設置されたNATOロシア理事会により準加盟国的存在であったが、
>2008年8月の時点ではNATOとの関係断絶も示唆していた。
>2009年3月には関係を修復した。
3)NATOの概要
4)炉とNATO軍トップが電話会談。 産経ニュース
2014.3.14 12:05