丸山 眞男。ウィキペディア引用
「1914年(大正3年)3月22日 - 1996年(平成8年)8月15日)は、日本の政治学者、思想史家。東京大学名誉教授、日本学士院会員。専攻は日本政治思想史。
丸山の学問は「丸山政治学」「丸山思想史学」と呼ばれ、経済史学者・大塚久雄の「大塚史学」と並び称された。マックス・ウェーバーの影響を強く受けた学者の一人であり、近代主義者を自称する。
丸山の学問は「丸山政治学」「丸山思想史学」と呼ばれ、経済史学者・大塚久雄の「大塚史学」と並び称された。マックス・ウェーバーの影響を強く受けた学者の一人であり、近代主義者を自称する。
大きな図書館に行けば今でも丸山真男の著作集、関連本が並べられている。ただし、少な過ぎる。
マックス、ウェーバーの著作はなかった。
書庫にしまわれているのだろうが、この辺が限界かな。政治思想の底流である。ネタ元だ。
最晩年のマックス、ウェーバーはワイマール憲法策定に関わったのだが、彼の推し進めた非常事態権限などの大統領の強制権限はドイツ諸邦の分散性、社会民主党主流派のドイツ革命鎮圧の結果として明記された社会主義への合法的な道の基本権条項など、民主関連法規への対抗として、設定されたものだが、
この前、経済学者の金子勝さんは講演会で自分の育った庶民家庭を引き合いに出して、大量失業時代のの大衆にとって、独裁者でも何でも、食わせてくれりゃ良い、という現実はわかると。
当時のナチス運動に参加する若者の手記では、航海士の専門学校を出ても職が見当たらず、行き場を失ってナチス労働団(ナチス党、牛耳る失体事業のようなもの)に拾われて、ナチスの熱烈な支持者になり、Uボートの艦長として活躍するリアルな生き様が見事に描かれている。(題名は忘れた<何とかへの道。何とかとは、彼が船長のUボートが大戦果を収め英雄となった北海の地名>その筋では有名な本)
日本の場合も軍隊と満州国の膨張で形は似たようなもの。
W。第二次世界大戦への道で注目すべきは、世界大戦暴発に対して、「革命ロシア」や世界の社会民主主義政党、「共産主義」勢力に対しての日独伊防共協定や世界の反戦闘争は抑止力にならなかったという歴史的事実である。
>それほどまでに、世界戦争にいたる様々な要因の総合した動因は強力だった。
その中でも一番の動因は金融資本主義の持つ、戦争パワーである。
冷戦体制崩壊以降現時点までの歴史過程に、マネー世界経済の世界住民多数派への大収奪を抑止するカウンターパワーが何処に、どの程度、存在しているだろうか?
そのようなマネー世界経済の最大の動因は世界覇権を達成することによって、自らの世界を作り出す戦争を含めた政治パワーであることは明らかだが(具体的生産要素と離れたところにある架空世界で蠢いているからこそ決定力は軍事パワーによる枠組み形成に頼る)、そのような状態に対する、各国政府の規定力(むしろ呼び込み、増強させている)が弱まる中、ほとんど野放し状態といっていいのではなかろうか?
が、しかし、そういう歴史過程が我々を明日の世界に導く。
世界戦争という従来の破滅がないままに、経験主義的に膨大な事実の積み重ねで、歴史的時間が過ぎていくのである。
そうすると、世界的少数者が圧倒的世界的多数者の上に踏ん反り返る手段はますます少数者の手に移行するカネ、軍事、情報、政治文化の従属システム以外に無いことになっていく。
コレは歴史的必然過程だ。
エマニュエルトッドのいうようにレッセフォール(自由放任)の時代へ、いや、レッセアレ(投げやり)の時代への【歴史の大逆行の趨勢】なのである。
そのような世界的趨勢のなかで動物世界と同じく、日本のような生存条件の厳しい国では自らの人口抑制が急ピッチで始まる。
想えば、人口抑制の江戸時代も長かった。
これからの日本の社会の実態は高度に発達した金融資本主義の江戸時代的様相に戻ると想う。
勿論形は全く違うが、実相はそういう比較対象をしたほうがわかりやすい。
江戸時代は武士政権が石高制度をやめ金納年貢制にすると、人口増加はあったと想うが、今の日本にそうした根本的政策の選択余地は全く無い。
戦前列強、最低の工業生産値→戦後第二位の経済大国への急上昇の付けは必ず何処がで帳尻が合うよようになっているというのは、20世紀21世紀の先進国の経済史を見れば一目瞭然で、日本だけが例外などということは100%あり得ない。
したがって、細川都知事候補じゃないけれど、総合的に考えて、人口減少は江戸時代のような長期スパンで続く。
そうすると途中で必ず移民の必要性に迫られる。そうしないとやっていけない。
が、それに対する日本独特の国粋的抑止力が働くが、ある限界でそれも無効になるだろう。
その期間を先延ばしするということは、資本の海外移転の進行によって、自らが低賃金構造を引き受けることに繫がる。
また東アジアの場合は戦略的対峙が破れて、大きな戦争の引き金になる要素は東欧よりも、大きいと想う。
前回の理屈を当てはめると政治体制がかなり違っている国同士なのだから。
ここでも日本独特の国粋主義が重要な状況の推進翼となろう。
今までその可能性は低いと見ていたが、世界認識の考え違いをしていたと気づいた。
繰り返すが、これから日本の政治軍事経済過程は~。
【世界的少数者が圧倒的世界的多数者の上に踏ん反り返る手段はますます少数者の手に移行するカネ、軍事、情報、政治文化の彼等の従属システム以外に無いことになっていく。
コレは歴史的必然過程だ】
以上の典型的な長期過程の進行であると理解できる。
2020年東京オリンピック開催はウクライナ情勢を勘案すれば、人質のようなものでなる。
消費税は10%、内外に不安要因が多過ぎる。
日本に紹介されるマックス、ウェーバーはその政治理論の根幹を成す強力な政治指導者待望論の部分をカットされているようだ。
安部氏が言うように緩和路線でなく、外からの戦争による打倒しかった。
この事態を市民大衆の決起と読み込んでも、どう考えても自由だが、政府の構成実体をキチンと押さえておかないと、我々日本国民との関係が見えて来ない。
大衆蜂起の実体的主導力、NATO軍事力の背景から観て、大衆次元は権力から遠ざけられ、大衆は金融経済システムへの従属の可能性を【自由に】選択しただけである。
ウクライナ様な状況に外部から散布される政治的資金が一体どの程度あるのかが鍵を握る。
ロシア圏から切り離された辺境、狭間のウクライナに純経済的な見地では投資の意味は薄い。
住民大衆には厳しい状態が続く。
多分、政権から排除された政治勢力が大衆に近い代表である。
コレが基本政治軍事構図である。
丸山の一般的に知られた作品(論文というほど重いものでなく、敗戦の翌年に創刊されたばかりの雑誌「世界」に掲載された)「超国家主義の論理と心理」だが、ここで展開された問題意識が丸山政治学の根幹を成している。
そのなかでキーワードとして使用された無責任体制、決断などは今でも政治用語として、学者、政治家などにコトあるごとに使用されている。
丸山といえば戦後民主主義の代表的イデオローグであるかのようにいわれてきた側面があるが、反面では合理主義的民主的愛国国民主義と受け取れる訳で、日本の戦後の一時期のエリート層に、思想的支柱を提供したという側面がある。
その意味でもマックス、ウェーバーと位相は似ている。
かなり前に「丸山真男をひっぱたきたい」などという評論が出たらしいが、この辺はどう捉えているのだろうか?
全体像を明らかにしない勝手な抽象化はダメだな。
さて以下、ドンドンいく。なかなか面白い。
ー時間不足で文は修正する。
>自分の都合で敗戦後から時系列を遡るという珍しい手法をとる。
「敗戦後、半年も思い悩んだあげく、私は天皇制が日本人の自由な人格形成ー自らの良心に従って判断し行動し、その結果に対して自ら責任を負う人間、-にとって致命的な生涯をなしているという帰結にたどり着いた。」
「その論文を原稿用紙に書きつけながら、これは学問的論文だ、天皇、皇室に触れる文字にも敬語を用いる必要がないのだと自分に言い聞かせた」
「後の思想の発露の論文の一行一行が、昨日の自分に対する必死の説得だったのである」
「私の近代天皇制に対するコミットメントはそれほど深かったのであり、呪力からの解放はそれほど容易ならぬ課題だった」
GHQのラジカル。ここは今と現状と対比して考え直す材料だ。
前振りとして、GHQの獄中共産党幹部釈放がまで思いが及ばなかった、としてー。
わたしのアメリカ観はこの言葉に象徴されるものとそれほど隔たっていなかった。
↓冷戦激化
「アメリカの極東政策は、やがて冷戦の激化によって急転し、結局は予想していたのから遠くないところに落ち着いた。」
「GHQが敗戦当初あれほどラジカルであったのにはイロイロな事情があろうが
(W。安部ブレーンはニューディール左翼がGHQ内部で力を持っていたと説明しているが、次の敗戦後の力関係を、事実を隠蔽するためである。)
何よりもまず、アメリカを始めとする連合国が日本の軍部及び右翼勢力の【地下抵抗】の激しさを当然の事態として予測し、そのカウンターバランスとして『左』の勢力をこぶ激励した、という見込み違いがあるだろう。」
↓
「この見込み違いを裏返すならば、日本の右翼ナショナリズムの見かけによらぬふがいなさ、その体制順応主義主義を物語るものであった。」
モノはいいようであり、明治維新をとあわせて思えば、そういう理屈も成り立つが、天皇制ー人格に純化した国体の動物的血統に歴史文化伝統道徳を押し込めると、後は何を受け入れても、有用ならばどんな政策を施行しても良いという自由が得られる、というのは近代日本支配層の特徴である。
従順な国民性といえば言い過ぎかもしれないが、鎖国と暴力支配に胡坐をかいた支配層の石高制政策の怠慢に年貢ムラ請負、人口調整<間引き、都市人間墓場>で呼応せざるえなかった江戸時代の220年間の刷り込みは明治維新の近代化以降も排外主義を加味して継承された。
W。そして根切りされなかったのだから、悪く言えば体制順応主義、よく言えば状況への抜群の適応力のある日本的ナショナリズムは、今の内外状況に適応して、体制順応主義として隆盛していく。
筋道の良く通ったストーリーである。
ウクライナ情勢は遥か彼方のものとはいえない。」
(W.召集前に東大助教授ー従って、最末端の勲位の身分。月給は助手時代の倍。独身でこのときが人生で一番生活に余裕があったと回顧しているーであった丸山は一高時代に左翼研究会参加の検挙歴があったが、受験すれば軍幹部の資格があるにもかかわらず、受験を拒否して一兵士として召集された。
余り語らないが大きな思想的選択だったと想う。
この経験が後の東大闘争のときの立場に影響していたといわれている。ちなみに丸山は原爆被爆者ということになる。)
わたしはH中尉からいきなり「T参謀のところに池といわれた」
T参謀は私に着席を命じて
自分の陸大時代のO教官は、「日本を滅ぼすのは軍閥だ」と教室で語ったことがあるが、今にしてその意味がわかったような気がする。
明日一日余裕を与えるから明後日から話を始めて欲しい」
~こうして参謀と一等兵とのさしむかいの奇妙な講義が始まることになる。
ビールや山海の珍味を机の上に置き報告に来た将校は、「今はダメ!丸山先生の講義中だ」というT参謀の言葉にあっけに取られた顔で下がっていく、というような毎日が続いた。
T参謀の発する様々な質問のうち、突き詰めたような表情で私に語ったのは
「連合国は民主主義といっているが、そうなると陛下はどうなるのか?君主制は廃止されるのではないか?」という問いだった。
私はすぐさま次のような意味の返答をした。
「ご心配に及ばないと想います。民主主義側が国体と相容れないというような考え方は、それこそ昭和のはじめ頃の軍部や右翼勢力を中心に撒かれて来たプロパガンダです。
国法学の定義としても、君主制と対立するのは共和制であって、民主制ではありません。
民主制に対立する概念は独裁制です。
なお、今後日本の政治方向を参謀と語り合った際に、非合法共産党のことは直接には話題に出なかったが、労働者階級を基盤とする無産政党の出現が不可避であり、かつ望ましい徒として、その理由を参謀に説明したのを記憶している。」
日本資本主義講座を熟読したことで、近代天皇制の成立と発展について知的興奮を持って学んだにも拘らず、その点は代わりがなかった。
むしろ国体明徴運動とそれに次ぐ帝大の自由主義的教授に対する右翼や軍部の攻撃の激化は、返って私の脳裏に軍部ファシズム対天皇を(不明漢字)する所謂重臣リベラリズムの対抗という図式を時局の基本認識として定着させる結果となった。
こういう重臣絶ちは右翼や青年将校によって、<君側の姦>としてテロの脅威にさらされていたが、私に父の情報(新聞社幹部)によって、こういう君側の奥に座する裕仁自身が、反対勢力とは逆に<姦臣>たちをほぼ同様の思想の持ち主であることを知らされていたからである。
W。この構図は今上天皇の評価と瓜二つ。
>時間不足 続く。