(冒頭のアメリカ論、マスコミ論は削除した。)
そういう立場からすると小沢一郎熱烈支持者はいい加減で妄信に見えたし、幹事長小沢氏のあり方にも大きな疑問を持った。
菅VS小沢の民主代表戦で小沢支持にねじを巻き戻したときには、自分では相当な方向転換をしているとの自覚があった。このときの問題意識は結論に対する迂回路、国民側との説得、了解の問題であったと自分なりに理解していた。
代表戦の討論は途中まで注目していたが、両者の基本主張に大きな違いはないと理解した。
小沢氏は民主党内にあって、保守リアリストの政治を展開すべきだった。
キチンと自分の政治内容が整理されていない。
めまぐるしく変転してきた政治軌跡ゆえ、目先の政局対応が主になってきた結果である。
それが破産的事態に立ち至ったのが、昨秋から年末年始のドタバタ劇である。
あれは偶然の判断ミスでなく、なるべくしてなった事態である。
迂回路を取れず強行突破路線を選択して、西南の役を自演しようとしているのも、必然である。
だだ、この滅びは西南の役のように、日本資本主義原始蓄積、成立、発展に結びつくものでは絶対になく、TPP日本の道を掃き清める、一端を担うものである。惨憺たる選挙結果によって、日本の民主戦線に混乱と失望を撒き散らすことによって。
従って、以上のような視点から、植草氏がいう、TPP反対は小沢氏らの躍進一点に収斂仮託するかぎり、マッタクのお門違いなのである。
政治は結果が大事。結果は予測可能なものである。
植草氏の2月24日付記事に展開されている戦後日本史観、論法を真っ直ぐ素直に延長していけば、指示すべきは小沢氏ではなく、日本共産党である。ロジックとしてそういう組み立てになっている。
以下植草戦後史観のあほらしさを列記する。ただ、彼の単純化を図らざるえなかった点は理解する。
日本の既得権が壊される
いきなり小沢支持への伏線を張っている。課題の設定の仕方で、結論は大きく違ってくる。
これは真実の一部であっても全部ではない。どちらかといえば、政局領域の問題である。
1)米国は第2次大戦後、一貫して日本を支配し続けてきた。
2)終戦直後は日本占領方針がいまとは正反対だった。
3)マッカーサーは日本に民主主義のモデル国家を建造しようとした。
6)米国は日本を半植民地に転換させた。
ここから日本の対米隷属が始まった。この対米隷属路線の創設者が吉田茂である。
>この戦後史観は煎じ詰めると、裏切られ史観、純なる処女性の喪失史観。米国政策と日本における追従者中心史観。
2)~4)までは純なる戦後民主主義の時代、純なる原理原則。
3)のマッカーサーは日本を民主主義のモデル国家云々は中学生レベルの幼稚さが覗く。
植草政治論にはこういう幼稚さが付きまとう。複雑な状況認識を漫画化する。
までの戦後混乱期(革命期という考え方もできる)のGHQ日本民主化諸政策を理想的原点の如く、取り上げるのは丸山真男の言う、永久革命としての民主主義というその後連綿として続けられてきた日本のリアルな人民闘争の生きた歴史をないがしろにする歴史視点である。
自分とはかなり違う。
A)戦前の戦争体制との実態的繋がりが、理想的な民主国家日本建設で途切れている。
天皇制と官僚支配体制は戦前の武官支配体制の排除を引き換えに温存された。
1~8条は戦後天皇制の権限範囲と義務のみを記載している。
それを受けての抽象的平和条項の9条である。
理想的な民主主義国家を日本に建設するなどというのはリアルな敗戦直後の政治状況に踏まえない歴史の勝手な歪曲である。
B)以上の敗戦直後の日本の政治頂点で発生したリアルな動向に踏まえても、
連綿と継続してきて、強化されている改憲策動には反対する。
小沢一郎では「中道的広がり」は獲得できないことがはっきりとした。
これもあって、植草はどんどん過激化する。植草の観念世界は体制か反体制か、革命家反革命かという極地まで飛躍することができる。
>改憲策動反対の最大の理由は
まず何より、敗戦日本の民主主義な空気、制度、実体は米占領軍支配によってもたらされたものであり、日本人自らが決起して勝ち取ったものではないという厳然たる事実による。この辺の理解は直近の司馬遼太郎世界の基底。村上春樹世界表皮、出日本=世界性の二重性によって述べた。
敗戦後の第一回の完全普通選挙において、戦前の旧勢力が名を変えて、多数を占めた。
そこでマスコミを統制し、米国流の民主主義の伝播の砦にした。
この時期の占領軍の民主改革の切っ先は日本共産党であった。
彼ら指導部は占領軍の支配によって、監獄から解き放たれたのであって、人民自らが開放したわけでない。
1947年ドッジラインによる主要産業の合理化大量首切り反対全国ストに対して共産党は泣く泣く従わざる得なかった。
ここに戦後日本的コーポラリズム体制を確認する。
したがって、この体制は日本資本主義内の戦後的階層対立が大資本の急激な膨張を元に進行していくと、日本社民的戦闘的労度運動、護憲、は日本労働層の労働貴族化によって足元の生息基盤を掘り崩されていくのである。
そして、日本資本主義の金融資本内外展開の物理力によって、現在の社民党と民主党残存部分の護憲少数派に至っている。が、TPP推進、少子高齢化、格差拡大によって、国民多数の貧窮化の進行は、やりようによっては大きな戦闘基盤になる。
>以上の日本国憲法を取り巻くリアルな歴史の推移と日本の民主主義の空気制度支える具体的運動政党実体の確認から、もたらされる政治結論は、
B)グローバル資本制下における国家の金融経済に対する統制力の本質的弱体性は社会経済に市場原理主義風潮を蔓延させるが、それは個人関係の狭い領域、マスコミレベルでは「自由」をもたらす。
A)、B)は混在する。基本的にアメリカ的社会をイメージするとよい。EU世界の底流にもアメリカ化がある。新興国も同じ。強権が発揮される治安国防など分野は限られていく。後の分野はグローバル資本力への経済的隷属状態に放置する。
日米支配層は収奪支配体制の根幹は強健支配体制となろう。
既に、敗戦直後の政治頂点での日米のリアルな葛藤の視点からは単純護憲の立場は取りえないものと認識している。歴史の実態と論理を大切にする。
同時に天皇制は止めて貰う。
日本歴史上、長らく居住し、日本の伝統を継承する京都を拠点とすべきである。
伊勢神宮もちかく、ありとあらゆる歴史的構築物が関西には存在する。
ヨーロッパのような君主制のあり方は、東京皇居にいる限り無理。
国民統合の象徴とは云うが、現実機能は支配層の抑圧の道具である。
それには日本の政治の改革が大前提である。この道は紆余曲折の歴史的時間がかかる。
拙速に結論付けたら、損をするのは日本国民多数であり、得をするのは日米支配層である。
不安あせりは禁物。今は明治維新時代ではない。
1920年代30年代が参考になる時代。
最後に植草氏は今頃になって、例外あるTPPを暴露し参加の画策を暴露しているつもりのようだが、そんなことはTPPが話題になった頃から解りきったこと。
その時点で指摘する先の見通しを持たなければならない。
備えがないから、一寸の虫にも5分の魂などという虫けら扱いの悲壮感を披瀝する。
コレでは云うところの主権者国民は情けなすぎる。