反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

植草一秀ブログ2013年2月24日 (日)付け記事。「メディアが主導するTPP参加のための巨大茶番劇」を批判する。その戦後史観、論法ならば、植草が支持すべきは小沢一郎等ではなく日本共産党ではないのか。

 (冒頭のアメリカ論、マスコミ論は削除した。)
 
 自分の基本姿勢は民主党政権全体をできるだけ辛抱強く支持するというものであって、そのためには自分の原理原則は一時脇においておいてもいいとさえ決断していた。沖縄普天間基地移転問題がその象徴である。
そういう立場からすると小沢一郎熱烈支持者はいい加減で妄信に見えたし、幹事長小沢氏のあり方にも大きな疑問を持った。
 
 菅VS小沢の民主代表戦で小沢支持にねじを巻き戻したときには、自分では相当な方向転換をしているとの自覚があった。このときの問題意識は結論に対する迂回路、国民側との説得、了解の問題であったと自分なりに理解していた。
 代表戦の討論は途中まで注目していたが、両者の基本主張に大きな違いはないと理解した。
 
 民主党政権交代について過剰な期待は一切なかった。ましてマニフェストなどまともに相手にしていなかった。
 
 小沢氏は民主党内にあって、保守リアリストの政治を展開すべきだった。
が、そうはできず、「日本改造計画」の新自由主義政策プラス曖昧模糊たる理解のヨーロッパ社民政策の自己主張が政局の節目節目で頭をもたげてくるのが、小沢氏の欠陥である。
キチンと自分の政治内容が整理されていない。
 
 めまぐるしく変転してきた政治軌跡ゆえ、目先の政局対応が主になってきた結果である。
それが破産的事態に立ち至ったのが、昨秋から年末年始のドタバタ劇である。
あれは偶然の判断ミスでなく、なるべくしてなった事態である。
迂回路を取れず強行突破路線を選択して、西南の役を自演しようとしているのも、必然である。
だだ、この滅びは西南の役のように、日本資本主義原始蓄積、成立、発展に結びつくものでは絶対になく、TPP日本の道を掃き清める、一端を担うものである。惨憺たる選挙結果によって、日本の民主戦線に混乱と失望を撒き散らすことによって。
 
 従って、以上のような視点から、植草氏がいう、TPP反対は小沢氏らの躍進一点に収斂仮託するかぎり、マッタクのお門違いなのである。
政治は結果が大事。結果は予測可能なものである。
 
 植草氏の2月24日付記事に展開されている戦後日本史観、論法を真っ直ぐ素直に延長していけば、指示すべきは小沢氏ではなく、日本共産党である。ロジックとしてそういう組み立てになっている。
 
 以下植草戦後史観のあほらしさを列記する。ただ、彼の単純化を図らざるえなかった点は理解する。
 
2006年に小沢一郎氏が民主党代表に就任した瞬間から、彼らはその事態を恐れていた。

日本の既得権が壊される
 
いきなり小沢支持への伏線を張っている。課題の設定の仕方で、結論は大きく違ってくる。
これは真実の一部であっても全部ではない。どちらかといえば、政局領域の問題である。

1)米国は第2次大戦後、一貫して日本を支配し続けてきた。

2)終戦直後は日本占領方針がいまとは正反対だった。

3)マッカーサーは日本に民主主義のモデル国家を建造しようとした。

徹底した民主化を推進した。その結果として、財閥解体、農地解放、労働組合育成などの劇的変化が生まれた。

4)戦争放棄の画期的な憲法まで制定された。

5)しかし、すべては1947年に変化した。米国の外交方針がソ連封じ込めに転換した。連動して対日占領政策は「民主化」から「反共化=非民主化」に転換した。

6)米国は日本を半植民地に転換させた。

ここから日本の対米隷属が始まった。この対米隷属路線の創設者が吉田茂である。
 
>この戦後史観は煎じ詰めると、裏切られ史観、純なる処女性の喪失史観。米国政策と日本における追従者中心史観。
 
2)~4)までは純なる戦後民主主義の時代、純なる原理原則。
3)のマッカーサーは日本を民主主義のモデル国家云々は中学生レベルの幼稚さが覗く。
植草政治論にはこういう幼稚さが付きまとう。複雑な状況認識を漫画化する。
 
>そもそも、1947年日本でいえば、4月ゼネストGHQ禁止。朝鮮半島情勢で云えば、済州島蜂起を虐殺開始、
までの戦後混乱期(革命期という考え方もできる)のGHQ日本民主化諸政策を理想的原点の如く、取り上げるのは丸山真男の言う、永久革命としての民主主義というその後連綿として続けられてきた日本のリアルな人民闘争の生きた歴史をないがしろにする歴史視点である。
この単純リアルな闘争抜きの歴史観によって、民主党政権=革命論、小沢一郎過大評価が導き出される。
 
 しかしながら、他方で2~4の原理原則化は日本共産党社民党の戦後史観と折り重なる部分が大きい。
自分とはかなり違う。
 
 A)戦前の戦争体制との実態的繋がりが、理想的な民主国家日本建設で途切れている。
 
 天皇制と官僚支配体制は戦前の武官支配体制の排除を引き換えに温存された。
 
その国家基本法的表現が日本国憲法である。
1~8条は戦後天皇制の権限範囲と義務のみを記載している。
それを受けての抽象的平和条項の9条である。
まえがきー1~8条ー9条の流れのなかに、大正デモクラシーを媒介とした戦前天皇制国体支配体制とGHQ占領政策のリアルな葛藤を見る。
理想的な民主主義国家を日本に建設するなどというのはリアルな敗戦直後の政治状況に踏まえない歴史の勝手な歪曲である。
 
B)以上の敗戦直後の日本の政治頂点で発生したリアルな動向に踏まえても、
連綿と継続してきて、強化されている改憲策動には反対する。
 
 小沢一郎のような解釈改憲、実体改憲の立場にも当然、反対する。
そもそも、植草の記事で示している憲法観と小沢一郎が著書で明示している憲法観は大幅に違っている。
この論理矛盾を官僚ー大資本のカネの論理批判ー一貫するアメリカ支配=総じて既得権支配への偉大な挑戦者としての小沢一郎本体の思想的あいまい性に眼をつぶり、過大に持ち上げている。
小沢一郎では「中道的広がり」は獲得できないことがはっきりとした。
これもあって、植草はどんどん過激化する。植草の観念世界は体制か反体制か、革命家反革命かという極地まで飛躍することができる。
 
 >改憲策動反対の最大の理由は
まず何より、敗戦日本の民主主義な空気、制度、実体は米占領軍支配によってもたらされたものであり、日本人自らが決起して勝ち取ったものではないという厳然たる事実による。この辺の理解は直近の司馬遼太郎世界の基底。村上春樹世界表皮、出日本=世界性の二重性によって述べた。
 
 敗戦後の第一回の完全普通選挙において、戦前の旧勢力が名を変えて、多数を占めた。
 
 だから、GHQ天皇制を温存利用する上で、戦前保守体制と天皇制の合体する恐れを動機に、スムーズな統治に邪魔だった。
 
 そこでマスコミを統制し、米国流の民主主義の伝播の砦にした。
マスコミは統制と引き換えに特権を付与された。正力松太郎のような頑固な抵抗分子は監獄に閉じ込められ、その隙にマスコミ労働組合の勢力拡張を応援した。
 
 この時期の占領軍の民主改革の切っ先は日本共産党であった。
彼ら指導部は占領軍の支配によって、監獄から解き放たれたのであって、人民自らが開放したわけでない。
この時期の共産党活動の一方に凝視するところはGHQ占領政策の推移だった。戦後日本共産党日和見主義は戦前の過酷な弾圧と戦後のGHQ軍事支配によって刻印された。
 
 1947年ドッジラインによる主要産業の合理化大量首切り反対全国ストに対して共産党は泣く泣く従わざる得なかった。
 
 勿論、ソ連朝鮮中国ヨーロッパのユーラシア大陸情勢の冷戦的激化は大きな背景である。
 
 この時点の日本社民勢力はまだ選挙党的実力(空気と制度に依存)しかなく、労働組合や各種人民闘争の主導権は共産党が掌握していた。
 
 社民勢力の護憲や労度運動人民闘争の戦闘的勢力拡大は、朝鮮戦争時の共産党へのレッドパージによって確立し、朝鮮戦争後の日本資本主義の膨張に基盤を置いたものであった。アヒルが鶏に(逆かも?)
ここに戦後日本的コーポラリズム体制を確認する。
 
 したがって、この体制は日本資本主義内の戦後的階層対立が大資本の急激な膨張を元に進行していくと、日本社民的戦闘的労度運動、護憲、は日本労働層の労働貴族化によって足元の生息基盤を掘り崩されていくのである。
 
 そして、日本資本主義の金融資本内外展開の物理力によって、現在の社民党民主党残存部分の護憲少数派に至っている。が、TPP推進、少子高齢化、格差拡大によって、国民多数の貧窮化の進行は、やりようによっては大きな戦闘基盤になる。
 
 >以上の日本国憲法を取り巻くリアルな歴史の推移と日本の民主主義の空気制度支える具体的運動政党実体の確認から、もたらされる政治結論は、
自民党の示すような改憲が実現すれば、社会経済の全般において、支配構造が硬直的に強化されざる得ないということである。が、コレとファシズム、ナチズム体制と混同できない。A)日本の戦前軍国体制との相違。
B)グローバル資本制下における国家の金融経済に対する統制力の本質的弱体性は社会経済に市場原理主義風潮を蔓延させるが、それは個人関係の狭い領域、マスコミレベルでは「自由」をもたらす。
A)、B)は混在する。基本的にアメリカ的社会をイメージするとよい。EU世界の底流にもアメリカ化がある。新興国も同じ。強権が発揮される治安国防など分野は限られていく。後の分野はグローバル資本力への経済的隷属状態に放置する。
 
 また、日本人の明治以降の近代化路線の内実よって植えつけられ、その元をたどれば、天皇制受容の基盤の団体性の重層体制の継承残存からしても、
改憲はTPP市場原理主義体制徹底化に折り重なる。
日米支配層は収奪支配体制の根幹は強健支配体制となろう。
 
 最後に社民党共産党の護憲(差異はある)ではなく改憲反対である理由。
既に、敗戦直後の政治頂点での日米のリアルな葛藤の視点からは単純護憲の立場は取りえないものと認識している。歴史の実態と論理を大切にする。
 
 同時に天皇制は止めて貰う。
日本歴史上、長らく居住し、日本の伝統を継承する京都を拠点とすべきである。
伊勢神宮もちかく、ありとあらゆる歴史的構築物が関西には存在する。
 
坂口安吾が敗戦直後、看過したように天皇制の呪縛がある限り、日本人の精神に本当の自由闊達、はない。
ヨーロッパのような君主制のあり方は、東京皇居にいる限り無理。
 
 国民統合の象徴とは云うが、現実機能は支配層の抑圧の道具である。
 
 さらに云えば、以上とあいまって、本質論から云って、国家の存在を前提にする限り、日本人民の武装力のあり方はキチンと基本法で明記すべきである。自衛隊は粛清し、人民の軍隊に改変すべきである。
アメリカ合衆国憲法修正条項のように民兵武装力を基礎に人民の武装力をつみあがるべきである。
それには日本の政治の改革が大前提である。この道は紆余曲折の歴史的時間がかかる。
拙速に結論付けたら、損をするのは日本国民多数であり、得をするのは日米支配層である。
不安あせりは禁物。今は明治維新時代ではない。
1920年代30年代が参考になる時代。
最後に植草氏は今頃になって、例外あるTPPを暴露し参加の画策を暴露しているつもりのようだが、そんなことはTPPが話題になった頃から解りきったこと。
その時点で指摘する先の見通しを持たなければならない。
備えがないから、一寸の虫にも5分の魂などという虫けら扱いの悲壮感を披瀝する。
コレでは云うところの主権者国民は情けなすぎる。