反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

大森実著書から日本の戦後史を振り返ると、グローバル資本制の最弱の環、日本は明確。

 大森実さんの「日本はなぜ戦争に二度負けたのか」をやっと読み終えた。
得意な早読みでも3~4日かかってしまった。中公文庫、447ページ。厚さを測ったらちょうど、2センチ。
 
 口述筆記でなく、直接、PCに打ち込んだ部分はさすが元名記者、無駄のないシンプルな文章でしかも中身が濃かった。
彼が新聞記者として脂の乗り切っている頃、直接取材した、下山国鉄総裁列車轢死事件の記述なんか物凄くリアリティがあって圧巻だった。
  
 >全体を通して言える事は個人的な意見の混入した部分はあくまで意見としてとどめておいて、戦前史戦後史の第一線で活躍した新聞記者としての生きた証言であり、記録として価値は高い。
 
 1922年生まれの彼は敗戦の時、22歳。
 
 戦争中の徴用の継続で勤めていた会社を辞めて、新聞記者を志した。戦前のマスコミの大本営発表垂れ流し、国民を戦争に駆り立てるばかりの国民洗脳、煽動報道に対して「こんなことならオレが新聞記者に成って真実を書いてやる」と志した。
 戦争に負けてた事実を前にしても、敗戦を終戦と言いくるめて、「国体は護持された」などと報道する新聞への、戦争中のマスコミ報道を知っているモノとしての、怒りがあった。
 
 「一億総ざんげ」なんてのもあった。
 
 ところが、敗戦直後、占領軍統治下で当面の政治を担当するのは、軍部や内務、警察官僚を除いた戦前の政治家、官僚、学者の様な旧指導者だった。戦前の軍国主義翼賛体制の推進者で首相でもあった天皇家に深いつながりのある公爵、近衛文麿もこの政治過程に参加しているから驚きだ。
 
 戦前の憲法で大権を与えられていた昭和天皇マッカーサー占領軍最高司令官との会見は有名である。
 
 彼らが日本国民を実質的に代表して占領軍当局と戦後日本の統治形態を巡って駆け引きしていく。
従って、当然にも彼らはあらゆる手練手管を用いて戦前の日本を支えてきた政治的構築物を残そうとする。
その頂点は天皇制の存続であることは論をまたない。
 
 これを米軍側から見ると、その後の占領政策を円滑に行っていく前提で、残存、旧指導者との交渉において、自分たちの占領政策を認めさせ、彼ら通じて日本国民を円滑に統治することが第一だった。剥き出しの銃剣による直接統治ではなく間接統治を目指した。
従って、戦前の天皇支配を米占領に都合のいい様に換骨奪胎を決定する。
さらに当然にも、戦前の地方中央の行政機構は温存される。
 
 日本国民からすれば、どうなるか?
国民不在で戦後処理と戦後の統治形態がまさに「ボスたちの交渉」の様な閉ざされた空間での取引で決定されることを意味した。GHQと残存戦前指導者による「宮廷政治」で事が決まっていった。
確かに占領軍は戦後憲法を筆頭、に戦前の半封建的、軍事的独裁を除去していったが、この過程に国民は新しく、自分たちの指導部を決めて、対処する体制はまるで持てなかった。
 
 以前、ドイツ憲法を調べて気付いたのはドイツでは憲法討議はいくつかの地方から始めて、それをたたき台に中央で決定された。
 形式的な事であっても、こういう手順は大切で、日本のように近衛文麿までが片方の憲法草案者に成り、驚くべき事に彼の草案の方が戦前の憲法を数段否定していたという事実。
 
 私の想像だが、このような敗戦直後の日本指導者の目覚めない超保守的現状を踏まえて、第9条を含む現憲法が米軍当局から提出されたと思う。何しろマッカーサー厚木基地に降り立った時日本人の精神年齢12~13歳と理解していたくらいである。
 
 やはり、日本国民は戦争を遂行した政治体制を意識の上でもすぐに拭い去る事は出来なかった。
戦後初の日本歴史上は初の本当の普通選挙保守政党が圧倒的多数を占めて共産党は僅か5議席だった。
社会党の前身の共産党よりも票を集めたが大したことはなかった。
 
 これら、いわゆる「左翼勢力」が総選挙によって票を伸ばしていくのは戦後の占領政策が貫徹して、様々な分野で戦前の残滓が取り除かれていった戦後数年を経てからであった。
 国民の間での意識変化には占領統治の力による半封建的軍事的体制の崩壊を梃子としてしばらくの年月を要した。
 国民の民主主義的成長の政治部隊である政党の戦前にはなかった成長は大枠でいえば、占領軍の日本統治における戦前的な半封建的、軍事的残滓を取り除く役割を与えられた範囲を出るモノでなかった。
 
>>1950年が近づき、冷戦構造が明らかになると、占領政策は大きく方向転換する。
象徴的な出来事はレッド、パージと戦犯釈放である。この時点で戦後の共産党の日本政治における大きな規定力は喪失した。
 戦犯釈放と同時に日本の「右翼勢力」の蠢きが冷戦構造を背景とするアメリカの内外戦略に呼応する形で開始された。
 
>>保守政党の対抗政党としての社会党の伸長は共産党の冷戦構造端緒への武力を含めた挑戦の挫折=政治能力の喪失を背景とし、冷戦体制の軍事的爆発に反発し、敗戦国日本、被爆国日本の特殊性に依存する消極的平和主義を原理原則にするモノであった。
 さらにこのような平和主義に戦前から継続してきた日本の社会構造の貧困性を基盤とする社会主義的要素がプラスされ、ヨーロッパにはない、日本独特の戦闘的社会民主主義が実質的な社会党の原動力だった。
 
 >従って冷戦構造という前提が崩壊した時、社会党のヨーロッパ的社民党への展開は成らなかった。
GNP世界第二位になった日本の経済力も社会党支持層を生活基盤を底上げし、その独特の戦闘性を奪っていった。自民党の長期低落よりもこちらの方が思想的に深刻な問題を抱えていた。
 
 労働戦線の社会党支持母体が民社党系の組合群と合流した時、戦後の戦闘的社会民主主義は終焉を迎え、これを組織的原動力にした社会党の崩壊は一気に進行した。
この事態を受けて社会党のヨーロッパ型社民への転身の模索は始まったが、実質的に戦闘的社民政策にシフトしている共産党と新たに結成されたブルジョア改良主義政党、民主党との狭間にあって政治的立ち位置の不明確さが出てきている。
 結果、改憲危機にある憲法原理主義に特化する政治的に幅の狭い政党になってしまっている。
 
>>今後、日本の至る所に大きな格差が拡大していくしかない。
不当な不利益を受ける国民は層をなして出現する。
その利益を体現する政治勢力が必要である。
民主党はヨーロッパ社民以下的な富裕層、大企業の利害を従属する政党だ。
 彼らの唯一の組織的支持基盤である連合労組は日本的な労働運動事情から発生した特殊で異常な資本、当局と戦わない組合群である。各組合の労働組合としての当たり前の中身も空洞化している。
従って、民主党の組織的支持基盤は弱く活発な活動家は少なく、選挙闘争は事実上、マスコミの吹かせる風任せである。
 
 >共産党スターリン主義の組織体制、政策としての戦闘的社会民主主義、綱領的な伝統的社会主義の間に矛盾が大きい。選挙党に純化して、党勢の退潮が著しくなっている現状にもかかわらず、党の官僚部分の自己保身が最近は著しくなっている。彼らはヨーロッパの党のように自己解体はできないであろう。したがって退潮傾向は続く。
 
 共産党が綱領で主張する様な社会主義は官僚の統制を不可避とするが、彼らはこれを否定している。
ただし、この問題は人類の歴史的課題と考える。
 いまあるがままの中から、よりベターな選択が積み重ねられた先がどうなっているか、誰も今の時点で正確に想像できないのではないか。
 
資本主義は歴史的に長く積み重ねられてきた商品経済の発展の中から生まれた。
人間関係が商品関係に代替えされるのは、ある意味、命令、説得、通達、強制などを排除した合理的システムであり、民主主義制度で大きく開花するモノである。集団に個人が埋没した人類史から個人の自立に向けた人類史が通過する場合、避けて通る事ができないのが資本制である。
 
 民主制が衰退している傾向は必ず、一部のモノへの富と権力の集中がみられる。
一部のモノの動きをコントロールするのはあらゆる方面の力を動員した国民の社会「権力」によるしかない。