古くて新しい課題が浮上してきている。
中国はアメリカメダルと重なる部分があるが、独立変数の多いメダルである。しかもこの潜在力の元々あったこのメダルの拡張は止められない歴史すう勢にある。
この国の抱える最大の問題点は歴史的に消滅傾向にあるスターリン主義の政治的上部構造と急速発展する資本制下部構造の軋轢である。
経済発展の引き起こす国内矛盾、混沌はスターリン主義による安定統一的統治を必要としている。
右肩上がりのい中国経済の成長が続く限り、この政治指向は国民の支配的意思となる。
国内矛盾、混沌の政治表現はかつての様な天安門民主化方向に向かわず、反日運動や民族紛争にはけ口を求めている。これは右肩上がりの経済成長による経済第一主義、生活向上第一主義が国民間の支配的イデオロギーとなり、国民の多くが安定統一統治を求めているからだ。
事は俗っぽい評論がいう様な単純じゃない。
外国資本は次第に中国資本との競争になる。将来的見通しとして中国市場でこれまでの様に搾取し放題が認められなくなるとの大きな展望がある。従って、ここが中国支配体制転覆の最大の発信源である。日本の官僚、財界、政界、マスコミの反中姿勢の根源は実はここにある。
資本主義経済活動の中に民主主義的要求は解消される本質がある。ブルジョア革命の基底的目的は資本活動への自由、権利の保障である。従って、今の中国経済の高度成長は民主主義の基底的要求を満たしているから、民主化運動はスターリン主義支配への主要反抗手段とならない。運動には先進分子が必要だが、経済成長が続く限り、彼らは民主化運動に向かう必然性に乏しい。
そこで反抗のエネルギーは反日や民族紛争という別のところに凝縮している。
だから、これらの動きは国際的には無駄な排外的民族対立を高める反動的要素を持っているが、中国の歴史をいい方向に変革する革命的要素も多く含んでいる。
この点で日本の同種の運動と違う。日本のこの種の運動は帝国主義的排外運動であり、日本の歴史を良くする運動ではなく、本人たちの意図にかかわらず、国民への統治支配を強化し日本の対外的選択肢を狭め、結果日本を窮地に陥れる政治反動のみの反革命運動である。
ロシア共産党が打倒されてもロシアは残って、今や日本を相手にしなくなっている。
今からキチンと中国と向き合わなければ、将来の中国がロシアの様にならないとは限らない。その時日本の経済的損失は莫大になる。
現状、いくら日本の一部、反中分子が力んでも、もう中国政府は政治場面で日本をまともに相手見しないだろう。相手にしていい事は何もない。
こういうモノを核とする「改革」はすべて国民が自分で自分の首を絞めることに等しい。
また、憂国烈士は世界中至る所にいるという現実に気付かなければならない。日本だけの十八番ではない。
存在形態が違うだけだ。独りよがりは惨めな結果を今まで招いてきた。
自虐史観云々はそもそも「左翼」理論、裏切り史観からの用語の転用である。
また、この歴史教科書のコンセプト、今現在に立つモノが過去を結果解釈してはいけない、歴史のダイナミズムを見ていかなくてはならないという新左翼理論からの盗用である。
国は滅びない、資本も滅びない、滅びるのは多くの国民の生命、健康、生活だ。日本人は小泉、竹中路線の直近の事態にも、歴史にも学べない国民である。
ロシアメダルは中国よりも独立変数が多く、特殊性を帯びている。ユーラシアのど真ん中に位置してヨーロッパと極東、イスラム圏に跨る地政的特殊性がある。アメリカに対抗的な核兵器大国。資源大国としての経済力も付けてきた。政治的管制高地も国内政治改革によって掴んでいる。国家的戦略性の高い国である。
ヨーロッパとの関係は天然ガス供給など実態面ばかりでなく、政治的経済的に強固になっている。従って東アジアでは現状、中国との安定的関係さえ掴んでいれば、アメリカの東アジアにおける軍事的行為は大して脅威でない。北朝鮮との関係も中国を通してできるように、完全な距離を置いている。もう日本は相手にする必要がなくなった。北方4島首脳訪問はその歴史的メッセージである。
日本はアメリカ、メダルの表側のホンの一部を共有するだけで、残りは裏側だ。
世界は変わった、とつくづく思う。
「全世界の人民はアメリカ帝国主義とその全ての手先を打ち破ろう!」
このスローガンの前には必ず、次の様スローガンが唱えられた。
「アメリカ帝国主義は張り子のトラである」
アメリカ論は時間の都合で次回に。
尤も今さら私がどうこう論じるより、エマニュエル、トッドさんの「帝国以後」を熟読する事を進めたい。
今まで知らなかった人だったが、言ってる事はうなずける事ばかりだった。
しかし、トッドのアメリカ観が知識界先端の常識となりつつある、としか思われなかった。
ところが日本ではジャパンハンドラーどものテメェーの国の過去現在未来への客観的な考察抜きの理屈が幅を利かせている。
日米同盟論はマトモナ、アメリカ論も歴史論もない。
経済的に離れていくすう勢にあるモノを何とか騒動を起こして繋ぎ止め、カネをふんだ来る意思がミエミエである。
日本人にはそのシュクアが宿っているとしか言いようがない。
ある時期から、今まで曲がりなりにも日本人をよくしてきた装置が暗転してきている。其れを守ろうとしている政治方向も変えようとする政治方向も、総和として日本を身動きのできない状態へと導くている。
小沢さんの状態への判断もこういう大きな認識の中にある。
だから復権があるとかないとか、という問題の立て方自体が間違っていた。
小沢さんの中には戦後日本の様々な政治傾向が凝縮しており、類まれな政治センス政治力と合体している。故に様々な立場の人が彼に想いを託せるのだと思う。 ソウ考えると小沢一郎は「日本の宝だ」というスローガンは深い意味を持つ。
何とか頑張ってもらいたいし、周囲から盛りたてなければと、考えている。
小沢さんの挑んできた課題は戦後日本の政治思想的到達点の凝縮が政治的多数派を獲得する道につくという実に困難な道だった。この二律の絶対的矛盾を統一しようと、モガイテきたのが小沢さんでなかったか。
だから、そのモガキの渦中に尋常でない事態も発生する。だがそれを事案化、非難するのは本末転倒そのものであり、戦後の民主主義、思想の敗北である。
なお、ザジャーナル主宰の高野さんが小沢批判をしていると「反戦な家づくり」さんのブログで知ってさっそく読んでみたところ、どう考えても私の代表選中の投稿文からの概念借用としか思われない個所が目に付いた。
高野さんの小沢批判、小沢さんは血路を切り開かなかった、云々のセンテンスは私の代表選中の民主党議員への小沢支持の呼びかけを借用したモノである。民主党は管さんではなく、小沢さんを中心として党としての血路を切り開くしかないとの、状況認識と展望を述べた部分である。
そもそも高野さんに血路を切り開くなんて軍事用語の発想はない。ガキの頃軍事オタクで、その後そういう事態を擬似体験している私でしか発想できないモノ確信している。
しかし、発想の盗用程度は許せるが、真逆の小沢批判に用いるとは無思想モノのマキャべりアン丸出しである。軍事的に考えても総大将が自己犠牲して血路を切り開くなんておかしいだろう。残された者は烏合の衆で逃亡するしかない。人の文章の都合のいいところだけ得て勝手に登用するから、頭隠して尻隠さずの使い方をしている。
さらに、代表選で管支持を論説ハッキリ打ち出していた高野さんは敵側にいたのに、どうして血路云々ができるのか?血路を切り開くとの認識があれば、小沢支持しかないだろう。