対話者 水野和夫
水野
現在の粗暴な資本主義下では、成長を求めるとマイナス成長を呼び起こしてしまう。
W。現在の粗暴な資本主義について、
W。粗暴な資本主義こそ、定常状態。人類初の世界戦争終結以降、東西冷戦終結までの時代が特殊。
引用 白井
「資本主義が行き詰り、国内の同質性の追求は放棄されてしまった。←W?となるとそれは国家の在り方そのもの変質につながると議論されている。この議論(第三の道)生産様式が変化した中で中間層を再建する方策を考案し、政府に採用されましたがうまくいかなかった。
アンソニー・ギデンズ - WikipediaW。よくわからなかった。
「国家が資本の足手まといになっている」という記述がありましたが、これをより踏み込んで言うと、足手まといになっているのは国家というよりも国民ではないかと。
>かつてマルクスは近代国家とは全ブルジョアジーの共同事務を処理する委員会だといいましたが、まさにそのような状態が出現している。
中間層が没落するとファシズムが台頭する
「中間層が没落し、同質性が壊されていく。
同質性が壊れたところで無理やり民主主義をやろうとすると、どうなるか。
コレはファシズムになるんだと思うんですね。
水野
「同質性のない人を束ねるためには、ファシズムが台頭してこざる得ないと。」
白井
「はい、だれかを排除する身振りによって同質性を捏造するのです。
ナチスが台頭してきた時というのは、まさに没落する中産階級が一番の支持基盤となってナチズムのイデオロギーが受け入れられていったという流れでした。
翻って日本を見ると同様の構図が見て取れます。
←W?資本の蓄積様式の変化(戦後の国家独占資本主義政策と内発的発展段階の終わり=オイルショック)とイノベーション~特に日本資本主義~、技術革新に対してソ連東欧~革命後70年ソ連邦解体~中国~統一後70年経過~の新時代への体制的不適応が露呈し、資本制的な体制変革が採用されたことによって、世界資本制国は巨大な国家的物理的対抗物がなくなり、足かせが解かれ、己の資本運動をそのまま推し進めることができるようになった。問題の核心は経済構造にあったが、イデオロギー政治部門のむき出しの資本制的再編がすすんだ。
水野
日本の金融資産ゼロ世帯を見ると、70年半ばから80年代後半にかけての十数年間は概ね3~5%で推移していたんです。
ところが今や3世帯に1世帯が金融資産ゼロという状況になってしまった。彼らにとって何のための国家なのかという話になるんです。
一方で、極一部の富裕層の所得の国民総所得におけるシェアが増加してきている。
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W参考資料
アベノミクスで金持ちの資産は倍増、一方貯蓄ゼロの世帯は427万世帯も増えている現実 | penguinのブログ
白井
確かに80年代までが、同じ国民の中では経済的な同質性を実現させようという
的な資本主義の発展の歴史があった訳です。
その同質性を基に議会制民主主義も機能してきた。20世紀後半の先進諸国は、国民国家のもっとも成熟した形態まで達した社会だったと思います。←W?独伊と異なり絶対君主的な大日本帝国憲法下で第二次世界大戦に唯一参戦し敗戦を迎えた日本で民主主義が曲がりなりにも機能していたのは敗戦直後の「飢餓民主主義」の時期と55年体制
の時代だった。
それ以降の国政において政局出入りに終始した時代は、日本の民主政がコーポラティズムとしてしか実現できないという証明であり、今日の政治の助走段階に過ぎなかった。
W要点解説。大量生産、大量消費、労働権保護(大労組ナショナルセンター中心)、国家独占資本主義政策の内発的な経済発展の好循環。「フォーディズムとは、第二次世界大戦後から1970年代までの高度経済成長期の経済体制を指す。すなわち、生産性の向上による大量生産の実現(内包的な蓄積体制)に対して、消費拡大による好循環を生み出すために、労働組合の承認、最低賃金制度の確立、ケインズ経済政策や社会保障政策を通じた需要拡大などが図られた(独占的な調整様式)」
~~水野和夫、白井聡~~上記の内発的な高度経済成長は破綻
引用 水野和夫
「 定常状態が豊かさを取り戻す道
次の時代を準備しなければならないのに、ゼロ金利状態の先進国ですら、量的緩和策などで、近代を延命させようとしています。
近代を延命させる成長主義はバブルを生み出すだけですから逆に近代の死、資本主義の死を早めてしまうんです。W?資本主義自動崩壊論。外部的自然による人類への大破壊(ペスト中世封建社会⇒絶対王政。今回のコロナパンデミックは中世ペストのような強毒多死による個別支配層の弱体化に伴う王権権力集中の体制変革力はなく、国家権力の集中、資本の集中、社会の反人間的な効率化、が加速度的に促進される、だけに終わる!)や人間の人間に対する戦い以外に資本主義は死なない(世界戦争内乱革命)。理由。書かれた歴史は階級闘争の歴史であると同時に、商品経済連鎖の発展史。コレに終止符を打つためには過渡的な社会状態を世界的に維持する必要がある。根源的な多数派による一部の人間たちへの抑圧。収奪者に対する収奪。
「成長を前提とする近代経済学に対して、水野さんが根源的な批判を繰り返してきた論拠は、~~資本主義が駆動するためには、『自然からの贈与』の必要性を論証していることだと思います。
近代資本主義で言えば、自然からの贈与とはズバリ石油です。
石油をタダ同然に手に入れられたからこそ、先進国はオイルショックまで成長を謳歌できた。
しかしその贈与はもはやない。
主流派の経済学は等価交換の世界を描き出し、そこからはみ出るものをたかだか『外部性』としか位置付け出来ません。
実際は、等価交換の世界が等価交換ならざるものの上に乗っかっている。
←W。後発地域の労働集約作業で生産された商品が生産流通ルートの所有者の独占所有になりブランド付加価値の大きなプラスアルファをもち販売される。先発資本主義国の大企業は左記の付加価値に依存しているが、グローバル資本制下の資本と生産手段の輸出によって自生した後発国の企業も急速に製品力をアップし世界市場で競争力を発揮できるようになった。
>日本経済停滞の大きな要因は、産業資本の製品の世界市場で占めるシェアが後発国企業との競争で後退している、という事実によることが大きい(日本の国際収支における資本収支の増大貿易収支の減少)。
さらに、民間レベルでの研究開発、フロンティア分野への進出も後れを取っていること、国家機構の硬直状態も今回のコロナ渦の事態でもハッキリとした。
マルクス「資本論」は産業資本主義段階の下の等価交換世界を想定した論(資本制勃興時代の暴力による資本形成と労働者階級創出の指摘はあるが、植民地支配による収奪による資本形成に果たして役割の指摘はない)なので、労働力商品の生み出した付加価値の資本家による所有として一括されているだけで、こういったグローバル市場とサプライチェーンの付加価値搾取の実態は描かれる時代背景はなかった。ゆえに資本論をいくら読み込んでも目の前の経済実態との相違感はぬぐえない。しかし、そういった実態の系統的解説書も見当たらない。
未だにレーニン「帝国主義論」を超える世界を鷲掴みにし人々を納得させ行動に駆り立てる書に出会ったことがない。
もともと、白井聡の「資本論を読む」を購入する予定だったが、この対話集に切り替えたのは、資本論の世界をどのように巧妙に解説しても、目の前の経済実態とはあまりにもかけ離れすぎているので、一般的な感覚に応えることはできないという確信を書店で手に取ってあらためて確認し、このリアルな対話集に切り替えた次第である。
マルクス「資本論」においてWが注目するのは利潤率の傾向的低下の法則だけである。
←W日本の高度経済成長は石炭からただ同然の石油への急速なエネルギー転換によって成し遂げられた(宇沢弘文の高度経済成長開始頃の論争~均衡発展論~に興味を持ったが整理されたものは見当たらなかった。佐藤栄作も最初は同調していたらしいが、今から思うと正しかった)その後、寝れ雑巾を絞るプラザ合意受諾まで日本経済が駆け上る道がその後の<日本>を決定した。こうした道程で形成された日本の中間層は世代を超えて身ぐるみはがれて、現代日本の水準に見合ったプロレタリアートになる。