反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

第3回、J.A.ホブソン再評価 松  永  友  有  『明大商学論叢』第82巻第3号~レーニンの指摘する帝国主義の趨勢に対する改革的自由党政府による軌道修正は可能だったのか?~

      ホブソンの著作を,
1896年にかけての「大不況」期,
南アフリカ戦争が起きた世紀転換期,
第一次大戦前の自由党政権期,
大戦戦時期,

1920年代の不況期,
1929年以降の恐慌期という6期に分類し,
各時期を通じてホブソンの経済思想のいかなる要素が変化し,いかなる要素が一貫していたか,摘出を試みる。
>この作業によって,ホブソンの経済思想の従来見過ごされることの多かった特質,すなわち<国民経済主義者としての側面>明らかにすることが,本稿の目的である。
 
   2。「大不況」期 W。産業資本主義段階
記載済み。
   3。世紀転換期 W。世界資本主義は帝国主義時代に転換
1896年,イギリスはようやく「大不況」を脱した
一方,1895年のジェームソン侵入事件以来,南アフリカとの関係は一層緊迫の度合いを深めつつあった。
   ~W。国民経済主義者の側面があるホブソンも典型的な問題意識。
           ↓
彼は,最近50年間のイギリスの対植民地貿易,及び対外国貿易の比率がほとんど変動していないことを明らかにし,次のように主張する。
「『貿易は国旗に従う』ということや,生産活動に市場を確保するために植民地の拡張が必要である,ということは,真実でないばかりではない。
それどころか,アメリカ,フランス,ドイツ,ロシアといった,我々の競争相手国との貿易は,我が国全体の外国貿易と植民地貿易の伸びより幾分急速であり,植民地貿易単独の伸びより相当に急速なのである。」
 
W。この論理も現状に示唆を与える。東アジアとの交易関係の強化と日米交易の相対的縮小。なのに、当時も今も、実利よりも仮想の競争相手との、政治軍事の敵対関係が深まる。
特殊な事情があるとしか思えない!レーニン帝国主義論」における帝国主義の不均等発展=世界市場の再分割戦の基本視座は現状を理解する上で、応用できる。
         


試論<現代金融帝国主義A、B、Cのパターン分類>と米バブル崩壊EU金融危機後の低強度戦争の形をとった世界市場の再分割戦の激化

 
Aタイプの金融帝国主義~金融資本力、覇権力がある依存の国々、地域→米、英仏独(EU)、「日」(従属覇権)
Bタイプの崩壊したスターリン主義政経体制を修正した過渡的特殊新興資本主義→ロシア、中国
CタイプのAへの半従属新興資本主義→インド、ブラジル、韓国ETC
 
>(1)Aタイプの経済停滞、世界への寄生性の増大は低強度戦争という形態で、冷戦体制崩壊後の世界市場の再分割戦の圧力を強めていく=帝国主義の不均等発展=世界市場の再分割戦
>(2)Aタイプの低強度戦争の標的は、領域、潜在経済力に比べて、政治経済面で過渡的ぜい弱性を抱えるBタイプに必然的になっていく。
>(3)したがって、世界金融帝国主義寡頭支配層としての利害の一致するA支配層とBのスターリン主義体制からの修正、過渡的な対立の溝は深いが、コレは新冷戦体制ではなく、レーニン的な帝国主義の不均等発展=世界市場の再分割戦として、理解する。
>(4)CタイプはAタイプへの半従属新興資本主義なので、世界情勢の大きな規定要因とはならない。
*Aタイプに換算した日本の場合、A,Bの争闘戦の中で対米従属しながら(国民の富を積極的に戦費として差し出す)覇権(世界市場の再分割戦のどさくさに紛れて、内外収奪のチャンスをうかがう)を求める。
したがって、Aタイプ金融帝国主義支配層としての共通利害を有する日本金融寡頭制支配層は、<買弁>どころではない!もっと卑劣でたちが悪い!なりふり構わず、国民収奪する国内支配構造をうちたてつつ、世界市場の再分割戦を激化のなかで、トンビが油揚げをさらうような、戦略的位置にいる。

   W。ホブソン(1858年- 1940年)は特権階級の過剰貯蓄と労働者を主とする人々の過少消費としてあらわれる富の不公平な分配を強調したことである。この論は過剰生産と景気変動の説明として、ジョン・メイナード・ケインズに承認され、「有効需要」の概念に発展させられた。 第三は、帝国主義の科学的研究の先駆者として。帝国主義の経済的動因を、過剰生産による資本の蓄積とその投資先を植民地に求めることとしたホブソンの分析は、社会主義者たちに受け入れられ、ヒルファーディングの『金融資本論』(1910)、ローザ・ルクセンブルク『資本蓄積論』(1913)、レーニン『資本主義の最高の段階としての帝国主義』(1917)などの著作に影響を与えている。

これを以て植民地拡張のための軍事費の増加は無駄であることが示され,(3)の命題も否定される。
次いでホブソンは,(1)の「イギリスは,海外貿易を絶え間なく拡張する必要がある」命題に対する反論に移る
ここで彼が武器としたのが,「過小消費説」に基づく国内市場重視論である。
「もし購買力の所有者が,国民消費水準生産力の増加が釣り合うようにその購買力を行使するならば,我々が現在経験しているような外市場への欲求という圧力を感じることもないだろう
 
それでは何故このような圧力が生じているのか問われてくる
…・経済的観点からすれば,答は次のようであるに違いない。
イギリス国内には,国民が生産した全商品に十分な潜在的市場が存在するにもかかわらず,
次のような理由によって有効需要』が存在しないのである。
つまり,商品への購買力をもつ者は,物質的ニーズを十分に満たしているが故に購買意欲をもたない一方で,購買意欲をもつ者は購買力をもたないのである
言い換えれば,我が国の労働者階級は全く不十分な有効需要しかもたないのである。」
  こうして発生した過剰貯蓄は,海外投資として流出する。
「実際,海外投資への欲求という増大する圧力は,我が国の外交政策における最も強力で直接的な影響力を持つものとみなされねばならない。」
こうして,名著『帝国主義論』において完成する,金融勢力による飽くなき投資要求が帝国主義の原動力であるというレトリックが構築された。
 
W。なんだか、この辺の論点はピケティーの格差の歴史的トレンドの長々とした記述よりも問題の発生源の本国の状態を、簡潔にとらえている。

   上記のホブソン「帝国主義論」の特権富裕層の過剰貯蓄と労働層の過少消費という問題意識により<有効需要創出>=厚生経済学的見地に対するレーニン帝国主義論」の批判。産業資本主義段階の世界の工場であったイギリス。長期経済停滞、国内資本過剰からいち早く資本輸出の主導性が高まって、金融帝国主義段階に突入したイギリスでは、レーニンのような、帝国主義本国内の政策論を否定する見地は受け入れ難かっただろう。ホブソンの提起しているのは、帝国主義本国での政府の政策によって、当時の世界の帝国主義の趨勢の軌道修正はできるかという実現不可能な超難題であったが、レーニン帝国主義論よりも、帝国主義本国の読者にとって、耳触りがいいことは間違いなかった。帝国主義本国内で失うもののある多くの人々は政策によって軌道修正はできると、願望を持ちたいのである。
しかし実際にの歴史はどうなっていったのか?
帝国主義の基本矛盾の二つの世界戦争を引き起こすまで修正不可能だった。
>今も同じことが繰り返されている。世界戦争はあり得ないが(レーニン帝国主義論」を注意深く読むだけでもあそれは理解できる)、低強度戦争は世界中にばらまかれ、政治的経済的な不均衡のあるところで、絶えず発火し続ける。
誰がその種をばらまき続けているのか?
アメリカ、EU、日本という世界に対する寄生性、侵略性を深化させることによってしか生き延びることができない金融帝国主義寡頭支配層である。
 
 
(1)W。産業資本主義段階。
 自由競争が完全に支配する古い資本主義にとっては、商品の輸出が典型的であった。
>資本主義とは、労働力も商品となるような、最高の発展段階にある商品生産である。国内の交易だけでなく、とくに国際間の交易の増大は、資本主義の特徴的な顕著な特質である。
 
(2)W。帝国主義段階。
 だが、独占体の支配する最新の資本主義にとっては、資本の輸出が典型的となった
>個々の企業、個々の産業部門、個々の国の発展における不均等性と飛躍性は、資本主義のもとでは避けられない。
    以下は上記の段階的発展の経過説明。
(1)はじめはイギリスが他の国々にさきがけて資本主義国となり、一九世紀のなかごろには、自由貿易を導入して、「世界の工場」、すなわち、すべての国への製造品の提供者という役割をねらい、他の国々はこれとひきかえに原料品をイギリスに供給しなければならなかった。
(1)’しかしイギリスのこの独占は、すでに一九世紀の最後の四半世紀にそこなわれた。
なぜなら、一連の他の国々が、「保護」関税にまもられて、自立的な資本主義国家に発展してきたからである。
(2)そしてわれわれは、二〇世紀にかかるころに別の種類の独占が形成されたのを見る。それは、第一には、資本主義の発展したすべての国における資本家の独占団体の形成であり、
第二には、資本の蓄積が巨大な規模に達した少数の最も富んだ国々の独占的地位の形成である。
先進諸国では巨額の「資本の過剰」が生じた。
>もちろん、もし資本主義が、現在いたるところで工業からおそろしく立ちおくれている農業を発展させることができるなら、またもし資本主義が、目まぐるしい技術的進歩にもかかわらずいたるところで依然としてなかば飢餓的で乞食のような状態にある住民大衆の生活水準を高めることができるなら資本の過剰などということは問題になりえないであろう
>そのような「論拠」は小ブルジョア的な資本主義批判者たちがたえずもちだしているところである。
しかしそうなったら資本主義は資本主義でなくなるであろう
なぜなら、発展の不均等性も大衆のなかば飢餓的な生活水準も、この生産様式の根本的な、避けられない条件であり前提であるからである。
資本主義が資本主義であるかぎり、過剰な資本はその国の大衆の生活水準を引き上げるためにはもちいられないで――なぜなら、そうすれば資本家の利潤が下がるから――資本を外国に、後進諸国に輸出することによって、利潤を高めることにもちいられるのであるこれら後進諸国では利潤が高いのが普通である。なぜなら、そこでは資本が少なく、地価は比較的低く、賃金は低く、原料は安いからである。
 
<金融資本の原理>。

労働力商品のコストが高く、利潤率は低下する傾向にある先進国よりも、後進国では利潤率が高くなる条件がそろっているので、資本が輸出される。

 

ユニクロの法則>

引用。白井聡【「物質」の蜂起をめざして】よりー【不均等発展の理論】2014/3/23(日) 午後 10:05

「発展の不均等性が、資本主義の存続にとって死活問題であるということだ、

>まさにこのように差異は存在することによって豊富な利潤が創出され資本の蓄積が可能になる。
>具体的にいえば、低発展の段階にある後進諸国では【資本が少なく、地価は比較的低く、労賃は低く、原料は安価】である。要する財の価値が総じて低い。
*相対としての価値体系の水準が低い場所で生産されたものを、より高い価値体系の水準を有する場所で売るならば、そこで得られる利潤は高い。
そして、資本主義を駆動させるためには、このような複数の価値体系の間における差異が絶対必要不可欠である。

典型的には,次の文章によって示される。
 W。当時の帝国主義イギリスでが、それなりに根拠のある洗練された政治イデオロギーである!
 
「経済的に国内では生産不可能な食糧や原料を供給するという正当な目的を別とすれば,産業国家の繁栄は海外市場の持続的拡張を必要とするものではない。より公正で平等な富の分配こそ,いかなる生産力の増強にも見合うだけの国内消費を刺激することによって,計算不能なリスクや保障・侵略といった高価な政策に伴う国家的な敵意をかき立てる場となっている世界各地に新市場を発見する必要から,我が国の産業を大幅に解放するのである。」
 
*このようにホブソンは,「供給それ自らが需要を産み出す」というセー法則が所得の不均衡によって機能不全となっていると考え,
所得再分配によってそれを是正しさえすれば,海外市場の拡張は不要となるとみなした。

W。ピケティーの議論の大本は「分配の問題を経済学の革新に戻す」というものであったが、ホブソンはすでに提起している。格差の歴史的トレンドの認定というのは、所得再分配政策の根拠を示したものである。
ウオールストリーの占拠闘争はその大衆闘争版であった。しかし、日本に適用する場合、考えなければならないことは、格差の認識は、国家と日常意識的に分離した市民意識の定着の問題である。
たとえば、アベは云う「分配は経済成長と不可分一体」。これに対する分配の論理はどういう風に組み立てるのであろうか?
戦後ずっと成長に準拠する感覚でやってきたのであれば、これからの低成長の時代にアベを超える論理は組み立てられまい。
低成長経済を前提とすれば、国内の富の分配は、一握り化する日本支配層と多数派国民の争奪戦、これがリアルな実体では、ないのか?
ならばその現状にふさわしい論理の組み立てが必要である。そうすると、格差のトレンドの認定を超えた論理~が必要になる。
政策体系に還元すると、また政権交代時の能書きだらけのマニフェストの無力な迷路に進みこむ。この辺の過去の総括がどの程度できているのかが問われるだろう。

外市場の重要性を軽視した上での,このようなホブソンの自由貿易論は,極めて特殊であると言わなければならない。
すなわち,ホブソンの自由貿易論は,リカードの比較生産費説に端を発する,国際間分業を踏まえたコスモポリタニズム(これにおいては国内市場の自己完結は否定される)とは異なり,
理念的,倫理的色彩の強いものだったのである

それでは,国内市場を重視する立場と,自由貿易主義とは,いかにして結びっくのだろうか。
これに答えるためには,同時代の「貿易は国旗に従うか?」論をめぐる構図を理解することが必要である。
                                   
 「貿易は国旗に従うか?」論争は,自由貿易主義者と保護主義者との間で争われた。
注意すべきことは,論争当事者は,イギリスにとって海外市場が重要である点については一致していたということである。
したがって論争は,「貿易は国旗に従う」とみなすが故に植民地市場を重視し,経済的帝国統合を志向する立場と,
「貿易は国旗に従わない」とみなすが故に植民地市場より外国市場を重視し,自由貿易政策の堅持を志向する立場との間で争われたのである。
 
前述の通り,ホブソンは後者の立場に立ったが,国内市場を重視する面から言えば,いずれの論者とも異なっていたと言える。
ただ,海外市場との結合を人為的に強化しようとする試みは無益であり,かつそれが攻撃的ナショナリズムとなじむものであるが故に,経済的帝国統合論に反対したのである。
すなわち,イギリスにおける保護主義運動が,国内市場重視論ではなく海外市場重視論(正確には植民地市場重視論)と結びついていた,という事情が,ホブソンの自由貿易への傾斜を決定づけたと言えるだろう。
 
上記の論点は,南アフリカ戦争終結に際して書かれた帝国主義論』において敷衛されることとなる。
本書では,「貿易は国旗に従わない」という主張が,さらに詳細な統計資料を用い論じられる。
帝国主義は明らかに割の合わない政策であるにもかかわらず,何によって推進されるのか。
ホブソンは次のように答える。
新帝国主義国民にとっては悪い商売であっても,国民の中のある階級及びある産業にとっては良い商売であった。
莫大な軍備費,高価な戦争,対外政策の由々しい危険と困難,イギリス国内における政治的・社会的改革の阻止は,国民に対しては多大の損害を孕んだが,
ある種の産業及び職業の当面の事業上の利益にはかなり貢献した。」
 
>具体的には,軍需産業,輸出向け大工業等が挙げられるが,
帝国主義において他の何ものにもまさって重要な経済的要素は,投資に関連ある勢力である」。
*すなわち,ロンドン・シティの金融利害が「帝国的政策の主要な決定者」であり,「帝国的機関車の主要な運転手」なのである。
ここから,所得の不均衡→過剰貯蓄→海外投資圧力→帝国主義という経路が導き出されることとなる
 
 
こうしてホブソンは,帝国主義の推進主体を摘出した後,次のように続ける。
帝国主義自由貿易を放棄し,保護貿易の経済的基礎の上に立つ。帝国主義者が論理的である限り,彼は公然かつ確信的な保護貿易主義者となる。」
*なぜなら,<金融寡頭勢力は,帝国主義のコストを間接税という手段によって国民全般に転嫁>することを好むからである。
 
このようなホブソンの認識の背景には,南アフリカ戦争を推進した保守党内における保護主義への動きがあったであろう。
 
 しかし注意すべきことは,帝国主義保護主義=金融利害という彼の捉え方は,ケインを始めとする経済史学における通説的見解とは著しく異なっていることである。
なぜなら通説によれば,世界の多角的貿易構造の軸心に位置するシティの金融利害は,断固たる自由貿易主義者であったとみなされるからである。
しかし,その後の政治過程の展開は,通説よりホブソンの認識の妥当性を示すこととなろう。
 
 
さて,ホブソンが危惧した通り,1903年には南アフリカ戦争の仕掛け人である保守党政治家ジョゼフ・チェンバレンJ.Chamberlainによって,本格的な関税改革運動が全国的に展開されることとなった。
これに際しホブソンは,「保護主義の隠れた意味」という論文を著して,チェンバレンの運動を徹底的に批判した。
彼は,ドイツ,アメリカの脅威を喧伝する関税改革論者に対し,ドイツ,アメリカの繁栄は国際間分業の利益によりイギリスにも帰ってくると反論する。
この点は伝統的自由貿易論と変わらない。
しかし彼にとって,「新保護主義の最大の欠陥は,その目的達成にとって,それが全く不十分である」ことだった。
すなわち,「保護貿易が効率的となるためには,イギリスの資本及び労働力の輸出を妨げる第二の障壁によって補われるのでなければ,穏健な便宜的特恵関税や外国商品の輸入に対する禁止的関税に依拠しても無駄である。」
このように,保護主義の目的そのものには必ずしも反対でなくとも,
*資本と労働力の国際間移動のために保護主義は無益である,という論理は,「大不況」期から一貫していることが看取される。
 
彼の保護主義反対の論拠はそれに留まるものではない。
 
「(本国と植民地間の)経済的・政治的紐帯を人為的に強化しようとする試みは,
イギリスのナショナリズムを拡散し無定型化させることによって弱体化させる一方,植民地の『ナショナリズム』全体の成長を阻害する。・…
それが可能であっても,帝国主義と融合させることによって,より狭義のナショナリズムを追い払おうとすることは甚だしく賢明でない。」

 
*この議論は極めて注目に値する。すなわち,ホブソンは,イギリスの保護主義が,純粋なナショナリズムではなく,帝国主義と結びついているが故に,厳しく糾弾するのである
*したがって,帝国主義とは結びつかない,国民経済重視論という形をとるナショナリズムは,彼の排するところではなかった。
これは次の文章によって一層明らかである。
「このように,(チェンバレンによって提唱されている)特恵関税という修正された保護主義は,実際にはナショナリズムの純粋な力を損なう方法によって,国際主義の精神と戦おうという試みである。
この運動の途方もない無駄と誤解の全ては,ナショナリズムが国際主義の敵であるという誤った観念に由来している。
国際主義の真の友は,より無定型のコスモポリタンとは異なり,最も切実にナショナリズムの擁護を願う
そして,効率的なナショナリズムへの手段として,血と思想と感情の注入によって強力な国家の形成に資するような,各国間の全く自由な交渉を主張することであろう。」
 
 このようにホブソンは,イギリスの国益自由貿易政策の下で最もよく保障されると考えるが故に,ナショナリズムと国際主義とを対立するものとはみなさなかった。
これに対し,チェンバレン保護主義運動は,ナショナリズムとは似て非なる「愛国主義」patriotismを掲げるものに過ぎず,イギリスの国益とは真っ向から反するものとみなした。
このことからも,ホブソンの自由貿易主義が,経済的ナショナリズム,もしくは国民経済の重視と結びついた,やや特殊なヴァリアントであったことが明らかであろう。
IW。上記の解説は説明不足!著者はよく理解していない。
 
      
     V.自由党政権期
 関税改革運動は保守党を三つの派閥に分裂させる結果となり,1906年1月に実施された総選挙において地滑り的大勝を博した自由党が政権に復帰した。
この自由党政権の下で,1908年の老齢年金法1909年の「人民予算」,1911年の国民保険法,
といった所得再分配を志向する社会政策次々に実施されるが,ホブソンの「過小消費説」がその理論的バックボーンを成していたことは良く知られている。
 
W.ナルホド。1909年所得再分配を志向する社会政策が次々に実施される、という先進性に注目。リアリストのレーニンは「国家と革命」のなかでイギリスでは<革命>は必要とみなされない的なことを述べている。
 
ケインも指摘するように,ホブソンが支持する自由党の政権復帰は,彼自身の急激な思想転換を促した
それが最も明瞭に窺える,1911年の「投資の経済的基礎」という論文を見よう。
 
 
驚くべきことに,この論文では,従来の資本輸出への見方が180度覆され,資本輸出の国内経済への利点が詳細に論じられるに至る。
すなわち,資本輸出が不況や失業をもたらしているというのは誤りであり,不況や失業が資本輸出をもたらしているのである。
不況期には,国内市場は資本に不足していないのであり,むしろ資本輸出によって過剰な資本が国外で有用に使用された方が有益である。
なぜなら,過剰な資本が国内に滞留すれば,過剰設備を増やすことによって不況を悪化させるからである。
さらに,資本輸出には次のような利点がある。
第一に輸出を増加させ,さらに資本輸出の見返りとして得られる安い食糧や原料が国内産業のコストを引き下げる結果,国内市場が拡大される。
 
 
 
 このようなホブソンの思想的転換を,ケインは次のように説明する。
「1914年以前におけるホブソンのパースペクティヴの変化は,その多くが政治状況の変化によるものであったと考えられる。
…・1911年までにおいて,イギリスでは既に改革的自由党が5年間にわたり政権にあり,帝国主義熱は遠のいたように見えた。
したがって,人類は一層相互依存性を実感するようになり,所得の不均衡や帝国主義といった非合理的なものは,経済的民主主義と国際協力が支配する合理的世界への歩みの前に結局は屈するであろう,と彼はたやすく信じたのである。」
                              続く