二 原型における批判-シュンペーター
W。ケインズとともに経済学のメインストリームの始祖のようなヒトである。
シュンペーター門下の日本人経済学者としては、ボン大学時代の留学生である中山伊知郎、東畑精一、都留重人などがいる。なお、伊東光晴。
>同じくハーバード大学時代の柴田敬 - Wikipedia
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W.未知のヒト。引用 「「生産係数の変化(W。資本の技術的構成 資本の技術的構成とは、生産のために必要な生産手段(機械設備など)の分量と労働者数の分量との比率は、それが、生産費の節減をもたらすものである限り、(W。この前提があれば、平均利潤率は挙がるのは当たり前!マルクスが指摘しているのは利潤率の歴史傾向的な低下~スパン長い~であり数理的な公式はその目安である。)資本組成の有機的高級化を伴う場合にも、平均利潤率の上昇をもたらす」、すなわち、資本家が生産費、生産物価格を低下させるような新技術を導入する限り、平均利潤率は必ず上昇するとして、マルクスの利潤率の傾向的低下の法則を批判した。これは置塩信雄によって一般化され、シバタ・オキシオの定理と称される。
***
ポール・スウィージー - Wikipedia。W米国流リベラリストが多い。
↓
『資本主義経済の歩み〈上・下〉—封建制から現代まで』岩波書店〈岩波新書〉
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W,ダイナミックな議論だ!
引用
>「古典派が均衡を最適配分として捉えているのに対して、シュンペーターは均衡を沈滞として捉えている。
*****W.毛嫌いする用語だが、見事な唯物的弁証の典型だ!科学的真理は常識の真逆を行く場合が多い。
⇒W。米国、中国の社会経済はこの視座が必要ではないか、と漠然と考えてきた。
@特に今の中国の社会経済の特質をその筋の学者が分析した論集を前にしたときに立ち止まってしまった。何か根本的なところが違う、と。plato-blog.com
引用
矛盾の普遍性
毛沢東「矛盾論」
>矛盾は普遍的、絶対的であって、
事物の発展のすべての過程のうちに存在し、
またすべての過程をはじめからおわりまでつらぬいている。」
矛盾の同一性と闘争性
対立物の統一は、条件的、一時的、相対的であるが、
対立物がたがいに排除しあう闘争は絶対的である。
矛盾における闘争は、過程を初めからしまいまでつらぬいているとともに、一つの過程を他の過程へ転化させるものであり、矛盾の闘争はいたるところに存在するから、
矛盾の闘争性は、無条件的であり、絶対的である。」
矛盾論、引用終わり
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反俗日記
内に大きな矛盾を抱えつつ、それさえも「発展」の原動力に転化している。善悪、正義不正義などの価値判断を超えたダイナミックな発展矛盾を内包している。
⇒W,深化するグローバル資本制に揉まれ日本に<江戸時代が蘇る>。
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シュンペーターによれば、市場経済←W?は、イノベーションによって不断に変化している。
***
>そして、イノベーションがなければ、市場経済は均衡状態に陥っていき、企業者利潤は消滅し、利子はゼロになる。
***
したがって、企業者は、創造的破壊を起こし続けなければ、生き残ることができない」⇒W。究極の創造的破壊は<戦争>であった。歴史を素直に見るとそうなる。
***
W。マルクス「資本論」の底流+レーニン「帝国主義論」の世界である。
W。以下のような資本のイノベーションが世界平和の下に遂行できたのは戦後世界体制という一種の均衡の時代に限定されていた。
***
シュンペーターは、イノベーションとして以下の5つの類型を提示した。
- 新しい財貨の生産
- 新しい生産方法の導入
- 新しい販売先の開拓
- 原料あるいは半製品の新しい供給源の獲得
- 新しい組織の実現(独占の形成やその打破)
景気循環起業者が銀行からの借入を受けてイノベーションを実行すると、経済は撹乱される。
>そして、その不均衡の拡大こそが、好況の過程である。
日本バブル経済の説明としてドンピシャ!
そして、イノベーションがもたらした新しい状況では、独占利潤を手にした先行企業に対して、後続企業がそれに追従することで、信用収縮(銀行への返済)が起こり、それによって徐々に経済が均衡化していくことで、不況になるとした。⇒W。高度経済成長期=ヒトモノカネの移動不均衡。バブル経済=モノカネ価格の投機的上昇不均衡
⇒ナルホド。こういう見方もあるのか。
↓独占利潤を手にした先行企業に対して、後続企業がそれに追従することで、信用収縮(銀行への返済)が起こり、それによって徐々に経済が均衡化していくことで、不況になる。⇒日本経済の長期停滞は経済均衡状態が続いたのだ!日本経済老成説を感覚的に唱えてきた反俗日記の証明になる。
資本主義・社会主義
シュンペーターは、カール・マルクスを評価していた。『経済発展の理論』日本語訳(1937年)に寄せられた「日本語版への序文」では、「自分の考えや目的がマルクスの経済学を基礎にしてあるものだとは、はじめ気づかなかった」「マルクスが資本主義発展は資本主義社会の基礎を破壊するということを主張するにとどまるかぎり、なおその結論は真理たるを失わないであろう。私はそう確信する」と述べている
⇒W。今の中国経済社会は酷い不均衡があると専門家の指摘を受けて考え、国内の不均衡是正が最優先事項と考えがちだが、
>一方でその不均衡の巨大な実在が経済発展の礎だった、という側面を感覚的に評価してきた。中国の社会と経済は規模の経済の世界でありダイナミックな要素を評価する。(例、農民工1億200万人~経済外的強制~経済学的な見方と善悪の価値観は次元が違う。)ソ連崩壊以降のロシアには人口ボーナスがなくスターリン主義体制は老成の段階に達していた。
そして現状の中国政権は、経済成長率5,45%目標、経済構造のサービス化、内需拡大、「共富」を目指している。米国ネオコンはアジアでの覇権を利用して中国大陸制覇を目論んでいる。あまりにも酷い格差拡大は内部解決の方途なく外部化するしかない。
引用
「ヨーゼフ・アロイス・シュンペーター(1883年2月8日 - 1950年1月8日)は、オーストリア・ハンガリー帝国モラヴィア生まれの経済学者である。」
*****
@1919年、オーストリア共和国の大蔵大臣に就任したが同年に辞職。⇒W。就任時の国内事情は<付録>にて。
ドイツ革命後(王家崩壊)、成立した社民党政権の大蔵大臣。
「中欧に650年間ハプスブルク家の帝国として君臨し、第一次世界大戦まではイギリス、フランス、ドイツ、ロシアと並ぶ欧州五大国、列強の一角を占めていた。
>1918年、第一次世界大戦の敗戦と革命により1867年より続いたオーストリア=ハンガリー帝国が解体し、共和制(第一共和国)となった。
付録 シュンペーター大蔵大臣のとき、最後の皇女は波乱に満ちた人生を歩んでいた。皇女は社会民主党員になった。
『エリザベート ハプスブルク家最後の皇女』:猫と花の日々:SSブログ
W.この本は「ベルサイユのばら」(見たことも読んだこともないが)よりも面白い、傑作ベストセラー。作者は大学のセンセイなので時代背景をきちんと描いているが、物語の中に溶け込んでいるのでドラステックなストーリー展開に奥行きを与えている。ヨーロッパ中央の1920年代から、王政崩壊、」共和制社民党政権からナチス台頭、第二次世界大戦、と戦後の生きた歴史を知る格好のノンフィクションである。
ドイツ帝国(王政崩壊)、オーストリアハンガリー帝国(王政崩壊)+トルコ VS 英米仏+日伊。⇒日独伊 VS 英米仏オランダその他諸々。
>本文中のシュンペーターの帝国主義認識(第二次世界大戦後)は英米の先発帝国主義国の歴史(議会制民主政の純粋型)と、母国であるオーストリア、ドイツの半封建的伝統的軍国主義の崩壊をモデルにした認識である。
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W.このヒトのWikiを検索下が見当たらなかった。論の末尾に当時のソ連の学者の資本主義の<全般的危機>W,①社会主義圏と②植民地解放勢力、③先進国の民主主義闘争の拡大が先進国資本主義国社会経済に与える制限(政治圧力)の継続状態を<全般的危機>というのが当時のソ連の党と学者世界認識(この論は1962年)。
ある意味おおらかな時代であった。スターリン主義経済成長は1973年ごろまで西側諸国と変わりはなかったという説もある。
<全般的危機論>に続く文脈で結構シビアで今に通じる先進資本主義の変容を述べている。
松隈徳仁さんは多分、当時の社会党、社会主義協会派系の学者であろう。他のところでは<全般的危機>なるノー天気な用語は使わない。
このある種、イケイケドンドン、スタイルが中ソイデオロギー対立、
1969年、国境紛争衝突(文革真っ最中)から中国のソ連社会帝国主義、という規定に繋がっていく。
@その年、1971年7月15日ニクソン訪中(キッシンジャー路線)
@1971年9月13日林彪事件
>そして1971年10月25日。国連アルバニア決議案、賛成多数で内戦敗北の国民党政権の台湾は国連議席を失う。
英仏欧州主要国も賛成しているl
@1972年田中角栄首相訪中、日中共同声明(一つの中国、確認。尖閣棚上げ)へとダイナミックな流れが続く。
@1976年、9月9日毛沢東死亡。
@1076年10月6日4人組逮捕
@1977年7月
鄧小平復権
毛沢東の死後の華国鋒政権の下で1977年7月に復権した。文化大革命後の混乱の収束を進め、78年に華国鋒を追い落とし、改革開放路線を明確にした。
@日中平和友好条約締結は1979年福田内閣最後の年まで待たねばならなかった。
覇権反対文言(ソ連社会帝国主義の覇権)を挿入を巡っての協議の結論が出なかったためという。
>いい加減な経験主義でその時々のカギとなる政治路線を聴けているというのが中国政権の特徴である。主観的世界認識である。
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現代の帝国主義理論 松隈徳仁 ほぼ全文コピー。縦書きPDFだった。
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(W.レーニンとシュンペーター)両者の理論内容には、とうてい宥和しがたい対決がある。
レーニンが資本主義経済の合目的的発展線上に帝国主義を理論構成したのにたいし、
シュンペーターは、かれの資本主義発展の理論が帝国主義や戦争を説明しない、その矛盾の解決点に帝国主義論を構築した。
***
⇒W。引用 シュンペーターの論理に従えば、社会の基礎が破壊されるほど資本制経済が発展(つまり異常不均衡)する趨勢において、戦争の危機が迫る、あるいは戦争が発火する、のではなかったか。論理的帰結はそうなるがシュンペーターは帝国主義は半封建的資本制帝国が戦争の放火者(攻撃側、つまり台頭する後発国ドイツ)になるとしている。民主政の進んだ英米仏は防衛のために参戦する、という絵図。
↓
「経済発展の理論』日本語訳(1937年)に寄せられた「日本語版への序文」では、「自分の考えや目的がマルクスの経済学を基礎にしてあるものだとは、はじめ気づかなかった」「マルクスが資本主義発展は資本主義社会の基礎を破壊するということを主張するにとどまるかぎり、なおその結論は真理たるを失わないであろう。私はそう確信する」と述べている。」
***
まずシュンペーターは、歴史上の諸国家の攻撃的態度のうち。
「帝国主義とは、国家の際限なく拡張を強行しようとする無目的的な素質である」。
そして、この冒頭で設定された問題枠と定義でもって、太古から近代にいたるまでの諸帝国主義現象が歴史的に分析され分類される。
その結果ひきだされた結論はつぎのようである。
(1)なんらはっきりした目標にしばられない「無目的的」な武力よる拡張への傾向-戦争や征服を求める無合理的な純粋に本能的な性向-が人類の歴史においてきわめて大きな役割を演ずる。
(2)戦争を求める必要性ないし意欲は、たんに「衝動」や「本能」にのみよるものではなく、さらに、民衆や階級が生きのこるためには武士にならざるをえなかったような客観的な生活上の要請から生起したものであり、
遠い昔、そのような環境でえられた心理
素質と社会構造とが、ひとたび自己を確立すると、それ本来の意味と生命保存的機能が失われたはるか後においても、いつまでもその力をもちつづけるものである。
(3)このような性向ないし構造の存続を助長する第二次的諸要因が存在している。
第一に、支配階級の国内政治上の利害関係が好戦的性向を助長した。
第二に、戦争政策によって経済的あるいは社会的に利益をうける個人の影響力が一つの役割を果している。
>シュンペーターはさらに、帝国主義は「現在の生活環境から生れてくる要素ではなく、過去の生活環境から生れてくる要素である。
……それは社会構造の隔世遺伝であり、感情的反応にかんする個人的、心理的慣習の隔世遺伝である」と付言する。
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@それでは、帝国主義を資本主義の内的必然とみなすレーニン理論に対比し、
@シュンペーターは、帝国主義と資本主義との関係をどのように説明するであろうか。かれの論理を追って要約してみよう。
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社会の進歩は、かつて帝国主義を機能させていた構造をすたらせ、それに存立の余地をあたえないような、またそれの支持権力要素を除去するような他の構造を出現させ、帝国主義自体を構造的要素からとりのぞく。
純粋に資本主義的な土壌の上には帝国主義的衝動は育ちにくい。
なぜなら、資本主義の経済形態のもとでは、その経済的合理性のゆえに、本能的なものはすたれてゆくからである。
帝国主義を生みだした生活上の要請は、すべて永久になくなってしまったのであり、現在見うげられる帝国主義的傾向は幅今日の時代が絶対主義時代からうげついだものである。
そのことは、もともとブルジョアジーが非資本主義的環境下で形成されたという事情、そして現在もまだ資本主義社会内に、国によっては、根づよい資本主義前の要素(権力要素あるいは支持権力要素)が残されているという事情に、直接に依存している。
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@それでは、資本主義の経済的利益ないし商業上の利益は、真に帝国主義の要因たりえないであろうか
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>まず、自由貿易制度のもとではどうか。
そこでは、どの国の人間も商品も自由に国境を出入できるのであるから、植民事業も海洋支配も、外地権益も、それらの自由な利用が妨げられない以上、国際的利害対立の原因たりえず、どの階級も武力的領土拡張に関心をもたないのである。
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保護関税制度のもとではどうか。
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確かにそれは、人間や商品の国際的移動を妨害する。
だがそれでも、ただ関税障壁があるだけなら、基本的な利益関連はおおよそ自由貿易下のそれと異ならないもので
ある。
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>しかし、保護政策はカルテルやトラストの形成を促す。
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⇒W.さすがだ!よくわかっている。行き過ぎたグローバル資本制に対抗して保護政策を言う人が多い。エマニュエルトッドもかなり前から保護政策を主張。
政治分野では翼賛体制が不可避になる。カルテルやトラストの物価上昇圧力に対抗したニューディル政権の時代、物価統制に苦慮した(若きガルブレイズはその実務責任者~自伝を読めば当時の事情が解る。)。いずれにしてもファシズム、ナチズム、軍国主義の体制に対抗する側も戦時体制を敷いた。ここに世界的な民主主義者や社会主義者が加わったので、第二次世界大戦が帝国主義戦争であった、という事実が覆い隠されている。戦後日本民主政はGHQとマスコミよって流布された欧米中心史観が混入している。同時に圧縮された近代化日本のアジア蔑視の復活の因子も紛れ込んでいる。
戦前日本は帝国主義であり欧米の帝国主義と覇権を争って世界戦争をし敗北した。
以上ですっきりするのだが、他の要素を持ち出してくるから立場の違いや混乱が拡大する。
****
>しかし、保護政策はカルテルやトラストの形成を促す。
そしてそのことが利害関係の編列をまったくかえてしまう。
@政治的に有力な社会階級のなかに、保護関税やカルテル、独占価格やダンピング、侵略的な経済政策・対外政策一般や戦争等にたいする強い経済的関心がおこってくる。
@またひとたびこのような利益関連が生じると、さらに別の動機による拡張への関心があらわれる。民心を国内問題からそらす対外政策も必要となってくる。
>しかしこれは、あくまで近代経済生活の一側面にすぎず、けっして過大評価してはならない。⇒W。バランス感覚を持てということか
>諸国民間に存在する共通利益の事実は、けっして消えさるものではない。社会の奥深い根底では依然として正常な産業通商の考えが支配する。
@@また、輸出独占主義の政策が武力的拡張政策に発展するためには、本来それによって利益をうけない民衆の支持が必要なのである
しかし、一定の組織能力以上に企業結合を推進させるような内在的傾向は自由競争制のもとでは存在しない。
>重要な点は、トラストやカルテルの発生は、自由競争制の自動的運動によって説明しうるものではけっしてない、ということである。
@この点は、トラストやカルテルが保護関税下でのみ可能だということによって明らかである。
@加えて、もともと保護関税は、自由競争制から自動的に生れてくるものではなく、政治的行為の所産なのである。
@しかもそれは、近代絶対主義下の輸出独占主義からうけついだものであって、
漸次おとろえつつ存続していたものが少数の利害関係者によって利用されたのである。
@@いずれにせよ、帝国主義は資本主義の必然的発展段階の一つであるとか、
@@資本主義が発展して帝国主義に移行するとか考えるのは根本的にまちがっている。
@@資本主義経済下におげる利益関連は、けっして一義的に帝国主義的方向への発展を示すものではない。
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人的、心理的性向と人間の社会的行動を全体として心理的に規制する型としての社会
構造とを構成要素とする国家の攻撃的、拡張的性向を指摘する、その理論枠は、冒頭にも触れたように、
>>資本主義純粋発展(一九世紀イギリスがモデル)の合理性と
>帝国主義・戦争の不合理性との矛盾を、
@一般的には経済的基盤から、特殊的には資本主義経済から、
@帝国主義的性向を切断することによって、解決しようとするものであった。
*******
しかし、この切断は成功しているであろうか。
*********
ホーゼリッツは、「過剰生産の周期、金融資本の集中、市場もしくは投資のはけ口をめぐる闘争に関連する帝国主義の解明-かれに先行する人びとがやったような-については満足にはほど遠いものがあるが、
シュンペーターは帝国主義の基本的に社会的解明を求めたのであった」とする。
「帝国主義とは何か、とたずねるかわりに、
かれは、誰が帝国主義者であるのか、と問うたのである。社会のどのグループが帝国主義政策の槍の穂先をかたちつくっているのか。
いかにしてこれらのグループは存在するにいたっているのか。また何がかれらを消滅させるのか」。⇒W。米国軍産複合体、ネオコン、に戦争国家米国の
を見出す議論は既にシュンペーターがやっていたということか?
******
だが、この二つの問題は、このように分離できるものではない。
シュンペーターにあっては、一方の証明は他をも証明するという不可分の関係で論理は構成されている。
そして重要なのは、ホーゼリッツもみとめるように、シュンペーターの帝国主義概念の論証に決定的な意味をもつ資本主義発展の理解に、すくなからぬ欠陥が見いだされることである。
******
@かれにおいては、生産と資本の集中集積の問題は自由競争下の生産の大規模化に、
独占段階の競争は産業資本段階の自由競争に、
資本輸出の問題性は輸出独占主義の問題に、それぞれ低減せしめられており、
また、保護関税、植民政策等の質的転化もとらえられていない。
>総じて資本主義発展における段階的契機がみとめられず、
@@イギリスにおける産業資本主義の確立過程、自由貿易原理が、一義的に資本主義の一般型として認識されているようである。
@帝国主義の先進国型と後進国型との相違は、
@おそらく非帝国主義と帝国主義との対に置きかえられるのであろう。
もっとも、資本主義社会内の不純的要素に帝国主義の権力要素もしくは支持権力要素を、帝国主義的性向の存続源を、見いだそうとする問題追究が、エリート・グループスの役割の問題を提起したとすれば、それはそれできわめてすぐれた業績にちがいない。
@しかしシュンペーターのばあいは、帝国主義的エリートから直接に帝国主義の存在源をつきとめようとする点に過誤がひそんでいるといわねばならない。
@正しい問題連関のうえにこのエリート・グループの問題を設定してこそ、帝国主義研究の新しい領域はひらかれるであろう。
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そのほか、シュンペーターに学ぶべきものがあるとすれば、
>帝国主義における非合理的、心理的要素のはたらきに着目したことである。
>とくに、帝国主義と不可分な軍国主義やナショナリズムの分析には注目すべきものがあると思われ
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三 現代的批判ストレイチ
一八七〇年前後から、先進資本主義諸国は、相互に激しい競争を展開しつついっせいに世界の併合に進出した。それは何故であったか。
@@ホブスンは、この新しい帝国主義の動機を主要な資本主義諸国が余剰資本を海外に投資する必要性に見いだした。
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@レーニンの「投資学説」もまたこれと同じ系列に立っている。しかもかれの投資理
論は、マルクスの大衆窮乏化説にしっかりと立脚している。⇒W?単純化である。欧米では労働階層の分裂分断があった。
@資本主義国内におげる産業発展と取得の不均等は、
@一方における巨大な資本の蓄積、
@他方における民衆の広範な層の窮乏化を生みだす。
@かくて狭隘化した国内市場にたいする資本の過剰は、必然的に外にむかわざるをえない。
低開発国にたいする輸出の重点は、消費財から生産財へ、資本それ自体の輸出へと移行する。
内産業における独占的支配を確立したトラストは、今度はさらに世界諸地域の独占的支
配をめざし、植民地領土獲得が新しい重要性をもつ。こうした諸国家ないし諸独占体の世界支配への進出は、不可避的に国際的敵対関係を生ずる。資本主義不均等発展の国際的拡大は、帝国主義の世界再分割戦争を避けがたいものにする。
J・ストレイチは、レーニンの帝国主義論をこのように説明する。
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それでは、この理論は、歴史の経験にてらして果して妥当であったか
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今世紀初め頃の「偉大な帝国主義の全盛期」には、この理論はまったく適合したものであった。
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だが、最近二五年間の経験は、これを無批判にうけいれるわけにはいかないことを明らかにしている。
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「ことに……主要な資本主義諸国が、レーニンがそのような発展がおこるに相違ないと示唆した破局的な諸結果をこうむることなく、その帝国を、自発的にせよ不本意ながらにせよ、放棄することができるということが明白になったのである」。
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このつまづきの石はどこにあったか。
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レーニンの理論に含まれた欠陥は、実は、マルクスの窮乏化理論の祖述にあった。
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@全面に浸透する民主政治的環境が、
@産業面と政治面におけるカウンター・プレッシャーの成長をゆるし
@その圧力が賃労者・農民に、かれら自身の生活水準の押しあげを可能ならしめる、
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@つまり、政治的民主主義と最終段階における資本主義との相互作用を、レーニンはほとんど完全に無視したのであった。⇒W.戦時中の自国ロシアとドイツの情勢の連鎖に集中していた。帝国主義論は1916年に出版され、頻繁に掲載されている経済数値はこの両国のものである。その数値と記述でほぼ両国の社会経済状態が読者にリアルに伝わる。Wは「帝国主義論」のなかでここが一番面白かった。
財界ウォチャー、株式投資家のごときリアリズムである。
ドイツの場合は超過利潤で買収された労働貴族層の様態が示されている。
しかし完全に無視したというのは正しい。
革命情勢が予想されない(革命の現実性)国々の統治形態の一覧がロシア革命情勢中に執筆された「国家と革命」に示されている。別の戦い方を示唆している。
*********
@@この生活水準の着実な向上と農業の急速な発展は、いくつかの先進資本主義国で現におこったのであり、
@@その制度機能のかなり根本的な修正は、
@@@海外投資依存にかわる国内投資の拡大を促し、
@@破局面をもたらさないどころか、昔日と比較にならぬ繁栄のうちに、帝国主
義の解体を進行させたのである。⇒W、今と将来の日本はこのように言い切れるのか。否定的な要素がある。
****
フェビアン社会主義の伝統的立場から、その政策論を要約的に述べる。
***********************
「ホブスンが急進主義と帝国主義は同じ問題にたいする二者択一的な解決策であるとみていたのは正しかった。
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対外投資とそれにともなう帝国主義は、投資階級の利益に適合した解決策であった。
⇒Wその手の政治家が首相を務めた。
*********
@@国内投資にもとつく生活水準の向上と社会改良によって遂行される<国民所得のある種の再分配>は、
@<それ以外の住民の利益に適合する解決策>であっただろう。
@そして、これは現在大規模におこっているところのものなのである。
⇒W。上記のように言い切れる良き時代があった、ということだ。今とこれからは違う!
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つぎにストレイチは、帝国の解体1植民地領有の消滅に深い注意をはらっている
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「そのことについてはまったく疑う余地はありえない-過去一六年間に、資本主義的帝国は、かれらの領土のほとんどすべてを放棄するか、ないしは喪失してしまった。資本主義的帝国はもはや存在しないにひとしい」。
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この定言は、ストレイチの現実認識であるとともに、理論的帰結でもあるとみなければならないのであるが、
***********************
これは論理的にはさらに二つの問題を含んでいる。
@第一は、植民地領有は解消したかという問題であり、
@第二は、植民地領有の解体は資本主義的帝国主義自体の消滅を意味するか、とい
う問題である。
************************
かれは、資本主義的帝国といって、なぜ、資本主義的帝国主義といわないのか。
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これはかれが、一九四五年後に解体した帝国主義の型を植民地主義に限定していることで説明できる。
そして植民地主義とは、かれによれば、植民地の現実的、直接的領有、つまり植民帝国にほかならない。
@しかしこれは、植民地主義ないし帝国主義の概念を不当にせばめ、法的、擬制的概念に閉じこめることにならないであろうか。一
一九世紀末以来の帝国主義・植民地主義の発展は、直接的領有にいたるまでの政治的、経済的支配"従属の過渡的諸形態を生みだした。
@同じように、<その消滅過程においても過渡的諸形態が存するのは自然>であり、より包括的な概念を設定する方が、歴史の動態的な把握をより正確ならしめるのではなかろうか。
ストレイチのこの概念の制限は、おそらく、かれが、先進国と低開発国との現存関係を、たんに商取引上の利益関係一般に解消してしまったことと無関係ではなかろう。せっかくかれが「間接的帝国主義」ないし「非植民帝国」という概念を用意しながら、むしろそれを非実体的概念として扱う態度をみせているのは、この自己抑制の結果であろうし、それではかえって「目に見えない帝国主義」⇒W.執筆の時代は今から60年前なので「目に見えない~」としている。
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さて、ストレイチによれば、両大戦間の時期は帝国主義の退却に
一時期を劃したものであった。
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そこでは三つの新しい要素が出現しつつあった。
(1)植民地の抵抗勢力が世界の舞台に登場したこと。
(2)資本主義帝国内に反帝国主義的、民主主義的な圧力が成長したこと、つまり、この圧力が国民所得分布を修正し、その結果、非帝国主義的政策を可能にしたこと。
(3)大きな非資本主義社会が世界の舞台に登場したこと
(すなわち、ここでは、反体制の圧力が帝国主義的政策を抑制し、民主主義制度も、発展させ、国民所得分布をも修正したとする一元論ではなく、
「民主主義」の自律的運動と資本主義の自制的作用を強調し、それに国外からの圧力を並列する点で方法的二元論である。この点、帝国主義戦争についても同じ論理がなりたつ
⇒W理屈に過ぎない。一元論も二元論もない、同じ。)。
>以上の記述はだいたい1960年代までの先進国の高度経済成長期まで。
W。一つの中国、アルバニア決議案可決の際、欧州は賛成に回った根拠はこの記述でもわかる。そういう時代の趨勢があった。
W。歴史は螺旋階段。アルバニア気議案の政治的経済的な環境は薄れてきた。歴修正主義的に日米EUはキャンセルしようとしている。
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そのあと、帝国主義を最後の退却へ追いこんだのは、第二次大戦の破局であった。
***************************
これにひきつづいて、さらに、一九四五年以来のもっとも注目すべき発展がおこったのである。
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そこでは、帝国主義の核心をなす植民地主義が急速に消滅した。そのさい、自発的な解消(イギリス)も、流血の抵抗を経ての解消(フランス、オランダ等)も、その速度において変りはなかった。
***************************
@@@@一方アメリカは、史上未曾有の強大な勢力を実現しながら、植民地帝国にのりださなかった。
**************************
@@@勢力と帝国とは同一物ではないのである。
**************************
@また、完全な破壊から立ちなおった西ドイッは、帝国的領有地をもたなくとも、安
定し繁栄し進歩する経済をつづげることができるということを否定
**************
しかるに、紙の上に書かれた独立の背後では、ただ形式と方法を変えただけで本質には変化のない帝国主義的搾取関係がつづいているという反論がある。
**************
つまり、カイライ政権あるいは衛星政権の方法による帝国主義のことである。このような方法での住民の支配と搾取は、確かに存している。
********
だが、間接支配、間接搾取は、直接的領有にもとつく植民地主義とはけっして同じものではない。
********
「ある国が独立したのちでさえ、なお特殊な搾取の行為が継続するという議論は、ある限度において正しい。
>しかしそれは、新生独立諸国の政府によって処理されうる問題である。
⇒W,日米安保体制はどうなのか?
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それらの政府は、かような搾取行為をすきなときにやめさせることができるのであって、それに失敗するのは、無能な政府か弱体な政府だけである」。
⇒W.後段で解りやすい概念を提起している。<共同搾取>
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しかし、低開発諸国にたいしては、歴史上はじめて、明日の開発のために巨額の資金が富裕国からあたえられているという事実がある。
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「コロンボ計画あるいはアメリカのポイント・フォア計画のもとに提供される資金と、私企業による利潤のための伝統的な帝国主義的投資とをまったく区別しないのはつむじ曲りである」。
ここで、帝国主義解体の議論に、先進国と低開発国との経済的関係の問題を含ませまいとするストレイチの配慮は、論理的な帰結として、かれの帝国主義概念に制限的作用をおよぼすにいたる。
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@@「それゆえ、帝国主義という言葉は、一国の他の一国にたいする、すくなくともかなりの程度政治的な、そして究極の手段としては物理的な、パワーを意味するように使った方がよいように思われる」。こ
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四 現代的批判の批判-マルクス主義
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九六一年『コムニスト」誌上で、ヴェ・チェプラコフは、
@レーニンの帝国主義理論と資本主義の現段階とを比較対照する考察をおこなった。
かれは、まず、資本主義の現段階を、第二次大戦前の第一段階、
第二次大戦後約一〇年の第二段階にひきつづく、
@@全般的危機の第三段階@@であると特徴づける。
⇒W.全般的危機に陥っていたのはスターリン主義体制であった。
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その内容は、
@この新しい段階@が世界戦争との関連であらわれたのではなく、
@帝国主義の弱化、二つの世界体制間の力関係が社会主義に有利に決定的に変化したこと、
@植民地体制の解体、資本主義体制の不安定性・矛盾の激化などの状況のもと
で生れた点に認められる、とする。
@そして、「帝国主義は二〇世紀の後半に、新しい特殊な歴史的条件のもとで存在している、-もっと正確にいえば、その存在を終えつつある」。これらの条件は帝国主義の初期の発展期に存在していた条件とはことなっている、と述べ、
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現存する後期帝国主義のいくつかの特殊条件を指摘する。
(1)帝国主義は、もはや完全なすべてを包括する体制ではなく、はなはだしく切りちぢめられた体制である(レーニン時代には、包括的な世界支配体制であった)。
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@一方では、帝国主義の地歩の弱化する過程がたえまなくつづいており、
@他方では、社会主義世界体制の優位がいっそう高まり、社会発展の決定的要因に転化しつつある。
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(2)民族解放運動の打撃のもとで植民地体制が粉砕され解体しつつある結果、帝国主義は客観的には
@反帝国主義的な新しい勢力@を敵としてもつにいたった。
この勢力は、植民地時代とは比較にならぬほど増大しただけでなく、政治的に独立した国家に組織されている。
@@新興国家の経済的、政治的発展は、客観的不可避的に反帝国主義的な性質をもっている。
(3)@@巨大独占体と全国民との本質的矛盾は強化し、労働と資本の大戦闘がますます大きく広がっている
4)独占資本主義は国家独占資本主義に転化した。
⇒W.社会党社会主義協会派はだいたい上記のような世界認識であった。
⇒W.意識が存在を規定してしまっている。このような世界認識が通用した領域は限られている。儀礼や修飾のような言葉の羅列がソ連の政治世界の特徴であり、肝心な時にそういう世界で生きてきた指導者が混乱の矢面に立たざる得なかった。
一定の物理力に基礎づけられたイデオロギーの上部構造が崩れてしまったということだ。
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現代帝国主義の形態論を、とくにその経済的標識の面に限って、チェプラコフ、E・ヴアルガ等の意見にしたがって(論者間に若干の意見の相違はみとめられるが)整理してみよう。
W,ここから後に興味深く先見性のある見解が述べられている。
第一に、独占体と金融寡頭制は格段に強力となった。大きな量的変化は、質的な構造上の変化をもたらさずにはいない。
生産と資本の集積は、先進資本主義国では、
@@企業の銀行にたいする独立性を強め、銀行の地位を相対的に低下させただけでなく、新しい技術を生産に急速に導入する可能性をつくりだした。
@私的独占体の支配は、国有企業と密接に結びつくことによって、非常に大きくなる。W民営化
@帝国主義諸国の今日の経済での国有企業の役割と意義は見のがせない。
⇒W。やはり国有企業重視。生産手段の量的拡大から質への転化の段階に対処できない。
@@独占体の強化と国家独占資本主義の発展の結果、
@@過剰生産恐慌@@の重荷の分担が変化した。
@@大独占体は、恐慌時にも価格を下げず、破産することもない。
>>恐慌の重荷は、労働者、中間層、非独占ブルジョアジー、低開発国にふりかかる。
だが、長期にわたる恐慌局面は独占体の支配にとって政治的に危険である。経済恐慌は、過去一五年間に較べて、今後ははるかに深刻なものとなるだろう。
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今日の資本輸出面には顕著な変化が生じている。
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@資本輸出のほぼ半分は、<国家輸出か半国家輸出で占められている>(復興銀行の活動、低開発国にたいする国家借款、民間資本輸出にたいする国家保障等)。国家資本輸出は、二つの体制の闘争のもっとも重要な手段となった。
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民間資本輸出の方向もかわった。
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いまでは、大部分は独占会社の支社建設の形態で先進国間でおこなわれている。これは、資本主義世界市場の細分化と賃金水準の差異にもとつくものである。
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アメリカ、イギリス民間資本の海外投資からの利潤は、年々の新規資本輸出に等しい。
また、低開発国にたいする国家資本輸出についていえば、政治目的を別としても、それは低開発国にたいして高い価格で、しかも危険負担なしに商品を輸出すること、民間投資に安全な道を用意することを大資本に保証している。
第三に、
@国際カルテルの発達@は、資本と生産の全世界的な蓄積の新しい段階となる。
@超独占体が創出@された。
いまでは、資本家団体間の世界分割は、国家協定(ECSC、EFTA、EEC等)によっても実現されている⇒W共同搾取
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(先進国間における資本の相互進出、からみあい、市場の相互開放等は、
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反面、各国民にたいする国際的共同搾取の体制であり、
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そ@の密化した国際経済体制@には、
@国際的な「神聖同盟」@が照応する。
それ自体、@帝国主義の世界支配体制の主要な一環@を形づくると考えてよいであろう)。
つぎに、帝国主義諸国家は、依然として世界支配の貫徹をめざしており、国家間の闘争も消滅していない。
今日の帝国主義集団の特徴は、かつての植民地や従属国を経済的、政治的に従属させる新しい形態を探求する試み、これら諸国のなかに@新しい市場を保持し、奪取@しようとする志望である。⇒W。ロシア、中国の体制崩壊までグローバル資本の膨張が続く。本国では下層から欲しがりません勝つまでは状態が広がっていく。
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@@勢力圏は帝国圏にほかならない@@。
@@とくに、@@今日の新しい植民地主義の主柱@@は、
@@「見えない帝国」の伝統をもつアメリカである@@
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その新しい方法、新しい形態とは、
旧植民地における旧来の経済的地歩の保持、「援助」による新しい地歩の獲得、新独立国を軍事ブロックに引き入れ、軍事独裁体制を擁立し、軍事基地をつくること、民族資本家の買収、カイライ政府の樹立、
民族・部族間の反目の利用等をさしている。
また、やはり、新植民地主義の一変種として、
@「集団的植民地主義」@の形態がある。
これには、
1、@共同弾圧@(アルジェリア、コンゴ等)、
2,@共同搾取(国際会社)@、
>>3,@国際組織(国連その他)内での共同行動@の三種が含まれる。
>>そのなかでもっとも発展しそうなのは、
第二の形式であって、たとえば、「ユーラフリカ」計画(EECに所属)、
サハラ石油開発計画(仏、米、英、西独)等がそれである。
W。「帝国」の文脈の先駆けか?
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一方、資本主義諸国間の不均等発展性、ならびに世界市場をめぐる帝国主義間の闘争性は、
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戦後においては、
@一種の超帝国主義アメリカの出現@、
アメリカの資本・軍事力によるヨーロッパ諸国が保有した旧植民地のアメリカ勢力下への吸収、
@@@そして最近においては、アメリカの資本主義世界内における地位の相対的低下@@@、⇒W.60年も前からこんなことを言っていたのか。
考え直さなければ。
経済数値を見る限り不均衡発展があり決して均衡停滞していない。
仏"独枢軸を中心とするEEC、英連邦を中軸とするEFTA、それにアメリ
カの三大ブロック間の市場支配と政治的指導権をめぐる闘争、EEC内における、仏、独両国のヘゲモニー争い、等にもっとも端的にあらわれているとみられる。
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ただし、それらの矛盾は、帝国主義間にしろ対社会主義にしろ、世界戦争をいま一度くりかえすことにはならないだろうとの見通しがおこなわれる。
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周知の帝国主義戦争不可避性をめぐる議論点であるが、
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結局、「戦争がおこるか、おこらないか、という問題の解決が帝国主義者の望むとおりにきまった時代はすでにすぎさった。
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??世界に強大な社会主義陣営が存在していることと、
??平和を守って闘う諸国民の運動が、帝国主義者がそうすることを妨げている」とする立場が、
??大勢を制しつつあると考えてよいだろう。
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⇒W。上記戦争対抗要因が消滅あるいは弱くなっている現実があるのだから、
結局、「戦争がおこるか、おこらないか、という問題の解決が帝国主義者の望むとおりにきまる時代になっている、と冷厳に直視すべきだ!
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もちろん、この戦争抑制=帝国主義抑制の動因に関する
理論は、ストレイチの二元論とはことなっている
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(一九六二・五)