反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

J.A.ホブソン再評価 松  永  友  有  『明大商学論叢』第82巻第3号への問題意識。ホブソン解説文によって、ピケティー21世紀の資本の欠陥と、レーニン帝国主義論を照射する。

  J.A.ホブソン再評価   松  永  友  有  『明大商学論叢』第82巻第3号   
  Wの問題意識。 
上記の論旨明快な長い論文を取り上げる前に<前説>が必要である。
この論文は久しぶりにネット上でみるすぐれたものである。文科省の補助費の出た研究である。
前回の記事で示したピケティー批判の問題意識とも重なるものである。
20世紀初期はピケティーの指摘するように格差トレンド分析は一切行っていない。というより、あまりにリアルな格差の実態が目の前にあるので、必要とされなかった、というのが正しい。ただし、今と違って、工場労働に根を張った労働者階級という実態が存在しており、社会変革の一方のエネルギー源であった。
 
ホブソンの生きた時代のイギリスは、世界の工場の時代のイギリスではなく、世界市場に強力な競争相手が出現し、覇権国家から急速に衰退傾向に向かうことで、政策的にも苦悶するイギリスである。
イギリス資本主義の動向分析と分配政策については、きちんと、取り上げている。この辺のリアルな分析と政治感覚が当時の時代を直接反映し、いまでも参考になる。
彼は最初は自由党員(JMケインズチャーチルも一時、籍を置いた)だった。正直言って、さすがに資本主義の先行した国だけに、問題意識は今に通じるものが多く、具体的かつ理論的である。でなければ、長い論文で取り上げる価値はなかった。
 
 レーニンは「帝国主義論」の序文で、次のようにJ.A.ホブソンについて書いている。
「ここに読者に提供する小冊子を、私は一九一六年の春にツューリヒで書いた。仕事をしたその土地の事情から、私は当然、フランス語と英語の文献のある程度の不足に、またロシア語の文献のいちじるしい不足になやまなければならなかった。
しかしそれでも私は、帝国主義についての主要な英文の労作、J・A・ホブソンの著書を、十分の注意をもって利用した。この労作は、私の確信するところによれば、まさにそういう注意に値するものである。」
 
なお、ホブソンは大恐慌ナチス台頭をみて、1940年に死亡した。有名な経済学者のJMケインズより少し年上であり、以外にホットな時代のヒトである。

時代背景をリアルに知るためには、後世に普遍的になった、政治経済理論(レーニン帝国主義論)を多角的に検証するという方法がある。ホブソン研究論文によって、レーニン帝国主義論のありようが照射され、帝国主義の時代背景が一層よくわかる。


アメリカの1% VS 99%の現状を数種類のグラフで表した日記の過去の記事を探していた。このグラフは、専門家である「簡単な質問には常に簡単な~しかも誤った答えが用意されている」さんのブログからコピーしたもので、通常の格差グラフと違って、1%に富が集中している状態を数種類のグラフを使って、謎解きのように、リアルに表したものである。必要なグラフ類はフォルダにまとめておくのだが、これに限って仕分けしていなかった。
ブログの整理も時間不足やっていないので、探すのに手間取る。
 しかし、偶然にそんな乱雑状態が良い方に回ることもある。
 
次のものに行き当たった。
白井聡【「物質」の蜂起をめざして】よりー【不均等発展の理論】及び議会主義→コミュニュケーションへの信
2014/3/23(日) 午後 10:05
白井聡レーニン研究の書である「物質の蜂起」の世界資本主義=帝国主義の不均等発展の問題を集中的に取り上げた箇所を記事にしている。白井の問題意識からのレーニン帝国主義論」の現代的解釈のようであった。今関心が向かっている先のピケティー議論と重なる部分が大きい記事にたまたまぶち当たった次第である。

白井聡流の解釈もありかなとは思ったが、やはり詰めが甘いと感じた。
しかし、調べていっても、事は純粋に経済学の分野のことなので、自分の手に負えないと思った。
狂気の記事に手を加えるつもだったが能力不足であきらめた。
 
 が、アウトラインだけははっきりしている。
レーニンの「帝国主義論」は、強烈な時代的地域的制約の中で書かれたものだから、そのままでよい、修正して解釈する必要はない。丸ごとだめだとは思わない。
>使えるものはできるだけホットに取り出して他は歴史の中に置いておく。
要するに、資本主義の発展段階を区分する方法、を意識するかしないかの問題であり、ココがはっきりしていれば、修正して解釈する必要はない。
またピケティーの「21世紀の資本」のように、マルクスは語るがレーニンの「帝国主義論」は無視するということもあり得ない
私にいわせると、マルクスレーニン以上に時代的制約性を受けている。よって一部の経済理論以外は歴史の中に放置しておく。相手にしない!そもそも好みではなく、仕方なく利用すべきを利用している。
また、ああ云ったヨーロッパ社会民主主義に行きつくしかない理論からは<革命>は生まれない。

    以下はまたしても分配論への批判である。
マルクスの間接的な最大の政治精華はドイツ社会民主党である。
20世紀初期のドイツ社会会民主党系の労働組合運動の賃金闘争論の根幹は前回の記事で提起した、資本の剰余価値をめぐる労働力商品としての階級意識を醸成するものであって労働者の闘争本能を引き出せない分配論ではなかったろ想定する。それが当時の後発産業国ドイツの時代状況にぴったりとマッチしヨーロッパ一の労働者政党に結実した。
仕事の結果として給料をもらっている、という基本認識があって、もっと給料環げてくれと要求すれば、雇用者側は当然にも、もっと働いて、会社の儲けを増やして、その加減に応じて~云々という当たり前の論法で臨んでくる。
この両者の分岐点を政府VS野党に拡張すれば、アベ首相の言うように成長あっての分配は機能する、みたいな論法になる。
もっと卑近にいえば、分配の財源問題でわぁ~わぁ~のおなじみのやり取りになる。市民住民レベルでいえば、身近で切実な要求を出すときに、地方自治体の財源不足を気にする人たちが出現する。
 
*これらの立場の問題は、究極のところ、国家と市民住民の次元の利害の区別をリアルに生活感情として感じられるかどうかの問題に行き着く。
ピケティーの分配議論の大前提にはそれがあるのだが、フランスの国家と市民のありようを身体的に受けとけているピケティーにとって、それは暗黙の了解事項として、格差トレンド分析を行っているのだがアメリカによって市民革命を達成した日本では、まず出発点から語らなければならない現状がある。
こんなに格差拡大の方向にありますと示したところで、そんなものかで終わる可能性が強い。反応が行動につながらない。(投票行動も含めて)
また、米国ではあんなに格差が目の前にあるのに、ウォール街の占拠闘争だけなのか、という現実を考えてみる必要もある。


帝国主義論」は、少なくとも当時の帝国主義の基本動向をぴったりと言い当てた予言の書でもある。ある程度のボリュームの政治理論書において、予言を含まない書の価値は低く、情報資料の一種でしかない。
情報としても使えない得手勝手な書は、本の体裁を整えた紙屑である。
ピケティーの今回の書情報の一種として使えるレベルであるが、あの程度のことは興味のある人には承知の事実である。あんな長々と書く必要はなかった。
帝国主義論」は分析方法も立体的な世界経済のトレンド分析(帝国主義の不均等発展は世界市場の再分割戦を必然化する)の経済書であると同時に政治、歴史書、完全な予言書でもある。
こうした大きな研究分野を俯瞰する書におけるキーポイントは、どういう方法で分析するかということである
前回の記事で取り上げたピケティーの「21世紀の資本」の冒頭の<はじめに>の概略に目を通した限り、「世界資本主義」を格差という切り口に絞った歴史的トレンド分析の方法に大きな疑問を持った。
これはネット上の同著の簡潔極まる紹介記事であらかじめ、ピケティーの世界資本主義の格差の歴史的トレンド分析には、そういう欠陥があるだろうと想定して、書店で確認したものである

 
批判点は次のところに尽きる。大切な方法のことなので、前回の記事を引き継いでもう一度、確認しておく。

イギリスを先行とし世界化した資本主義には、歴史的にはっきりと区別できる、発展段階があり、その各々において、同じ資本主義とは言いながらも、基本構成、動態は大きく違っているということだ。
具体的にいえば、資本主義の発展段階の区分は次のようになる。なお、このような資本主義の発展段階の区分は、日本のそういう方面の経済学の研究成果であり、外国ではその認識は薄い。
また、日本でもその認識がない人たちが多い。
(1)産業資本主義の段階
(2)帝国主義の時代
(3)第二次世界大戦後のソ連型国家官僚統制型「過渡的社会経済体制」(内発的経済自立要因は脆弱)を政治的規定力とし、若干「修正された」世界資本主義の時代。
(4)冷戦体制崩壊後の(3)の世界資本主義のグローバル資本制への展開~米国1極の過剰消費を軸としたのヒト、モノ、カネの世界循環は、冷戦体制崩壊のボーナスが米国に集中
>したがって、この時代に(1)(2)(3)の時代的変遷を経てきた米国資本主義、とその社会構成は(4)において変質した。ココがキーポイント。
(5)米国に集中した冷戦体制崩壊のボーナスの枯渇から、グローバル資本制の本来の発展パターンである経済の多極化=新興工業大国の台頭→資本の流れの変化→米国バブル崩壊→連動するEU圏の財政金融危機
(現状)
*米国バブル崩壊、EU圏財政金融危機の回復過程で政府の選択した政策手段は、ありきたりの金融緩和財政出動によって、大資本系列に沿って経済を立て直すことにすぎなかったが、
その救済規模は巨大であり、主要対象は(4)(5)の時代を通じて金融寡頭制支配を強化していた金融資本(銀行などと巨大産業資本の融合独占資本の意味で使用する)なのだから、
当然、結果的に(4)(5)時代の金融寡頭制支配はさらに強化され、人々の目の前にあまりにも理不尽な経済不平等の実態が出現することになり、その傾向に政府そのものが政策的に後押しするようになった。

>そうすると、国内の強化された金融寡頭制支配は<グローバル金融帝国主義の動態を強化>するようになり、世界中に国内の経済格差拡大システムを伝播させ、低強度戦争、ショックドクトリンを無制限的に散布するようになった。
その極致をいくのは米国経済とその政府、<戦争国家アメリカ>であり、米国バブルに直接、連動していたEU中央の基本動向もアメリカに準拠するものにすぎない。
 *ピケティーの「世界資本主義」を格差という切り口に絞った歴史的トレンド分析が、G7の中で対米対抗要因の歴史的に強いフランスから出現したのも当然と言えよう。
*米国に冷戦体制崩壊のボーナスが集中している最中に、エマニュエルトッド「帝国以後」を表し、(3)の冷戦体制の時代から(4)の時代への移行に伴う米国の変質をはっきりと示し、
GNPの3分の2が金融セクターによって創出されているという架空性をリアルに描き出し、米国が世界のケインズ国家になっている現状が、必ず変わっていくと予言したが、
ピケティーの「21世紀の資本」は基本的にエマニュエルトッド、の系譜にある米国への告発書としてもっとも有効に機能する。
なぜならば、米国に準ずるヨーロッパの格差は、概ね政府が分配機能を果たすことによってある程度は調整されている。ただしその分配機能は、国境なきグローバル金融経済による、税収不足によって、劣化してきている。
 ピケティーの「21世紀の資本」の提起する具体的な分配政策は、格差トレンド分析r>gの現状認識から従来の高い間接税の負担から、工夫を凝らした直接税にシフトすることによって、富裕層に蓄積していくカネの流れを多数の国民の消費に帰ることによって経済の活性化を図るというものである
 
 しかし、現実にはピケティーの支持してきた社会党政権ですら、提案を受け入れる様子はない。むしろその提案は、過激にさえ映っているようだ。
 
どうしたことか?
ヨーロッパでは税収の直接税の比率が今より高かったころには経済は好調だった。日本でも同じだ。徴税の技術的な問題は、国境なきグローバル資本の時代には大きいしかしそれだけで、今の間接税重視は説明できない。もっと他の深い原因があるようだ。
 
*日本は、自公政権によって、格差がこれから本格化する途上であるが、政府日銀政策の実態が、成長経済などにあるのではなく、ピケティも指摘するようにインフレによる政府の借金減らしに行きつくしかないのだし税制社会保障はヨーロッパ型の国民高負担を目指し、分配政策は米国型を志向しているのだから、急速に米国型社会経済に接近していくだろう。 
>それをピケティーの、使った<「世界資本主義」を格差という切り口に絞った歴史的トレンド分析の方法>だけは明らかにできない。
 
 世界資本主義の歴史的格差のトレンドは、主要先進国でこんな風になっています。現状とこれからは、放置しておけば、こんなひどいところまで行き着きますよ、というピケティーの警告と、なんとなくそんなものかと受容する読者がいる、という読書界の現象だけに終わる。
 
>ところが実際の経済と政治はそんなことにお構いなしに、荒々しく、ある傾向を帯びて内外で<野蛮>の域に達して展開していく。
 したがって、現在のグローバル資本主義の構造分析が必要である、と極々当たり前の指摘をしているつもりだ。
ピケティーの議論は、当事者意識の希薄な読者層からして、何か精神安定剤的な作用さえしているのではないか
面倒でもグローバル資本主義の構造分析から目をそむけてはだめで、ココからしか強いのモチベーションは生まれない。

 
     以下 J.A.ホブソン再評価 松  永  友  有  『明大商学論叢』第82巻第3号   
W。このホブソンの優れた解説書はレーニン帝国主義論だけでなく、ピケティーの格差歴史的トレンド分析の手法の位置を照射している。
今回はさわりの部分しか掲載できない。なお、書き忘れたが、敢えて長文を掲載するのは、ネット上に出ている論文は倍率の効かない小さな文字になっており、読み取りはほぼ不可能な状態。読解しながら、コピー拡大にそれなりの手間がかかったので、公開して自分だけではなく、誰か読んでくれたらいいなぁ~という気持ちも多少、あった。

1.はじめに
在野の経済学者であり,かつジャーナリストでもあったホブソンJ.A.Hobsonは,名著『帝国主義論』がレーニンV.1工eninに多大な影響を与えたこと,
*さらに「過小消費説」を唱え「需要側の経済学」においてケインズJ.M.Keynesの先駆者となったことで知られる。
(W。金融資本主義の永遠のテーマ。エマニュエルトッドは、アメリカ流の経済学者クルーグマンスティグリッツは、先進国での格差の拡大は認めるが、需要不足は認めたがらない!ピケティも同類である!)
しかし彼の業績はこれに留まるものではない。
彼は,1880年代末から1940年に死去するまでのほぼ50年以上にわたり数多の著作を残し,その内容も経済学に留まらず,社会学,政治思想,国際関係論等多種多様な分野に跨っている。
 
死後暫くは忘れられた思想家であったとされるホブソンだが,特に1970年代以降再評価が進められ,
>最近は一種のボブソン・リバイバルの現象を呈していると言ってもよい

その中で,本稿の問題関心にとって最も興味深い議論を展開しているのは,「ジェントルマン資本主義」論で知られるピーター・ケインである。
>彼は,ホブソンの著作を通時的に跡づけることによって,その思想が時代背景に応じて変化していることを立証する。
すなわち,ホブソンは1902年の『帝国主義論』において,帝国主義の主動因を主に過剰資本の捌け口を求める金融利害及び輸出産業の膨張欲に求める議論を展開し,
*その是正策として,所得再分配による社会改革を提唱した。

>W。どこかで聞いたことがあると思ったら、ピケティー累進課税強化だった。所得の再分配、富裕税。その議論は20世紀初頭から、的を射ていたものだ!実行できる政府をもたなかっただけだ!
究極的にはそれを実現する、政治独裁の問題が出てくるナ!問題はこの語の歴史物語があることだ。根底には、人類史における自然成長的商品経済の根源性がある。これを人間理性=権限、権力によって規制する。

しかし<1905年に自由党内閣が成立して以降>,第一次大戦勃発に至る時期において,彼は対外貿易・資本輸出に対する認識を改め,<その役割を積極的に評価>するようになる。
一転,大戦後半期には,『帝国主義論』当時の金融利害の謀略説に復帰し,国際協調主義を否定するに至るが,
1920年代には再び楽観的な自由貿易主義の立場に戻る
ところが,1930年代の世界恐慌期には,国際協調主義への疑念が三度復活することとなる。

*このように,ケインによれば,ボブソンは,対外的緊張が高まった時期においては各国内部での社会改革の重要性を説き
逆に国際平和の時期においては国際協調主義的な楽観的自由貿易論に期待を寄せたとされる
つまりホブソンは,国内の経済問題を解決する手段として国内的な社会改革国際的自由貿易論という二つの異なる道を提起したのだとされる。←<国民経済主義者>W。適切な概念!としての側面!
 
>W。真面目な在野の人!方法的視野は厳しい時代だからこそ、基本矛盾は内にあるとする方法は、的を射ている!平時との一貫性なき混乱はあるが。 
 
時代背景と政策論を関連づけて考察するケインの手法,及びそれによって得られた結論は,極めて斬新で興味深い。
しかしながら,ホブソンの国内的な社会改革構想と国際的自由貿易論を有機的に関連づけて考察する場合,
ケインの見解はあまりにもホブソンの思想を状況追随的にのみ把握しているきらいがある

そこで本稿においては,ケインの分析を手がかりとしつっ,彼とはやや異なった角度から,ホブソンの思想体系を捉え直してみたい。
具体的には,ホブソンの著作を,
1896年にかけての「大不況」期,
南アフリカ戦争が起きた世紀転換期,
第一次大戦前の自由党政権期,
大戦戦時期,
1920年代の不況期,
1929年以降の恐慌期という6期に分類し,
各時期を通じてホブソンの経済思想のいかなる要素が変化し,いかなる要素が一貫していたか,摘出を試みる。
>この作業によって,ホブソンの経済思想の従来見過ごされることの多かった特質,すなわち<国民経済主義者としての側面>W。ホブソンが普遍に至らなかった本質だ!
を明らかにすることが,本稿の目的である。
 
W。現状の<ニポン>の三橋貴明、3流経済「学者」はこの典型!国民経済主義にネトウヨ理屈を接ぎ木して体裁を整えているが、学術としては通用しないものであることは本人が一番よく知っている。
ああ云ったものを、本気に受け止める知性の浅はかさが問題である。こちらは一部のマスの在り方の問題だ。