反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

第二回。「J.A.ホブソン再評価 松  永  友  有」及び参考資料、注釈。

 
      
     W。参考資料集  
(1)ホブソン(1858年- 1940年)解説文読解の獲得目標。→今回のホブソン解説文によって、下記の思想と業績に示された三つの基本政治経済思想(1、厚生経済学。2、ケインズ経済学。3、(イ金融資本論、ロ資本蓄積論←ドイツ社民党の理論)。ハ帝国主義論の萌芽を確認する。素人入門書のようなものとして読み込むこと。
    思想・業績
第一は、はやくから厚生経済学の立場をとった。経済理論を社会福祉の問題によって制限され、改革を導くべきものとしてとらえた。
第二は、特権階級の過剰貯蓄と労働者を主とする人々の過少消費としてあらわれる富の不公平な分配を強調したことである。この論は過剰生産と景気変動の説明として、ジョン・メイナード・ケインズに承認され、「有効需要」の概念に発展させられた。 第三は、帝国主義の科学的研究の先駆者として。帝国主義の経済的動因を、過剰生産による資本の蓄積とその投資先を植民地に求めることとしたホブソンの分析は、社会主義者たちに受け入れられ、ヒルファーディングの『金融資本論』(1910)、ローザ・ルクセンブルク『資本蓄積論』(1913)、レーニン『資本主義の最高の段階としての帝国主義』(1917)などの著作に影響を与えている。
 
(2)ケインズ 1883年- 1946年)は、イギリス生まれの経済学者。
有効需要に基いてケインズサーカスを率いてマクロ経済学を確立させた。
 
(3)ケインズサーカス(ケインズ率いた若手学者集団)の一人→ジョーン・ロビンソン剰余価値のアプローチ。
*米国で主流になったIS-LM分析(経済学のとっかかりに教えられる。コレに?ということは~。)や新古典派理論には懐疑的であった。
アメリカで発展したサミュエルソン等いわゆる「ケインジアン」たちの理論が、政策上の利便性を求めて本来のケインズやサーカスの理論的前提条件を安易に曲げてしまったことでかえって現実世界における理論的妥当性を失ってしまったことを激しく非難
有効需要最初に説いたのは、ミハウ・カレツキ
 
(4)大不況 (1873年-1896年) ホブソン、ケインズの時代背景。イギリス資本主義の後退と米資本主義の台頭
第二次産業革命および南北戦争終結したことで力強い経済成長を遂げていた欧米に深刻な影響をもたらした。~
1873年に始まる穏やかなデフレと低成長の時期を通じて、1930年代の世界恐慌ほどの深刻な「経済の後退と劇的な崩壊」は起こらなかった。
英国はしばしば最も激しい打撃を受けたと考えられている。例えば、この期間に英国はいくつかの巨大産業で、欧州大陸国家に対して保っていた優位を失った。大不況のさなかでは、英国経済は1873年から最大で1896年までの連続的な不況が続いているという見方が多かった
*米国では
1973年に始まったパニックに続いて起こった不況は、1873年10月から1879年3月まで続いたと定義。
65ヶ月間の不況というのは、全米経済研究所の分類では最長の不況であり、世界大恐慌の43ヶ月間の不況よりを上回っている。パニックの後、経済は急成長期に突入し、1870年代および1880年代の中で最も急速に経済成長を遂げた。
     
    危機の原因
発展的波動(コンドラチェフの波を参照)の関与を指摘しており、第二次産業革命によって多くの国の経済の重点が移動し、産業の転換コストが発生したことが、恐慌を引き起こす重要な役目を果たした可能性があるとしている。
 
   思想・業績
第一は、はやくから厚生経済学の立場をとった。経済理論を社会福祉の問題によって制限され、改革を導くべきものとしてとらえた。
第二は、特権階級の過剰貯蓄と労働者を主とする人々の過少消費としてあらわれる富の不公平な分配を強調したことである。この論は過剰生産と景気変動の説明として、ジョン・メイナード・ケインズに承認され、「有効需要」の概念に発展させられた。 第三は、帝国主義の科学的研究の先駆者として。帝国主義の経済的動因を、過剰生産による資本の蓄積とその投資先を植民地に求めることとしたホブソンの分析は、社会主義者たちに受け入れられ、ヒルファーディングの『金融資本論』(1910)、ローザ・ルクセンブルク『資本蓄積論』(1913)、レーニン『資本主義の最高の段階としての帝国主義』(1917)などの著作に影響を与えている。
 
 

  ホブソン解説文へ。
 
       I.「大不況」期
ホブソンが本格的な執筆活動を始めた時期は,イギリスにとっての19世紀末「大不況」期(1873~1896年)にあたる。
彼は実業家マメリーA.F.Mummeryとの交流を契機に,
不況の原因を富裕階級の過剰貯蓄と貧困階級の過小消費に求めるという「異端の経済学説」を信奉するようになった。
W.OH!さっそく、現状の経済現象を理解するための参考意見の開陳!コレは経済学(政策?)の基本テーマだ!ピケティー→r>g式のお出ましだ!

マメリーとの共著『産業の生理学』がホブソンの経済学研究の第一歩となる。
 A)ここでは,国際経済を対象とする1891年の論文「イギリスは貿易を持続しうるか?」をとりあげよう。
 本論文の問題関心は,当時進みつつあったインドの工業化によってイギリス経済がどのような問題に直面しているかを明らかにすることにある。
まず,インドの工業化は何によって可能となったのか?
これに対するホブソンの解答は明快である。
本国イギリスの資本輸出がインドの工業化を推進したのである。
>それでは新たに工業化したインドは,やがて本国イギリスの経済的地位を脅かす存在になるのではないか
「新興のランカシャーの圧倒的な力の前に没落したノーフォークやハンティントンと同様の運命をイギリス自身が辿ると想定するのは馬鹿げているだろうか?」
W。大衆消費材としての綿繊維工業が世界的主力輸出産業の時代~産業資本主義時代~
 
ホブソン自身はそのような事態を必然とみなしたのだが,その判断の根拠としたのが,資本と労働力の国際間移動である。
すなわち,「この動き(インドの工業化とイギリスの経済衰退一一松永注,以下同)の真の意味を知るためには,我々は一般的に海外貿易として知られる商品の国際間輸出入ではなく,むしろ資本と労働力の国際間移動に注目せねばならない。
最も躍動的な投資の場を求める資本と労働力の動きこそ,イギリスの通商に新たな段階を画したのである。」

このようにホブソンは,イギリスの海外貿易,ないしはそれを支える工業力を掘り崩しているのは,資本と労働力の国際間移動であると把握し,そのメカニズムを次のように解明する。
*当初資本と労働力の内,より機動性が高かったのは労働力の方であった。
W。エッ!グローバル金融資本機動性が国家の枠組みの障壁に阻まれた労働の移動性を、圧倒する今と違いすぎる!
*その結果,奴隷に代表される安価な労働力が資本の下へ移送された。W。ナルホド、参考にならん。
W。奴隷の移動は原始次元に対する、先進世界の反人間性、暴力の極み、によって、強行された!
 
しかしこの傾向は今や二つの点で歯止めがかけられるに至っている。
第一に,民主的な政府は奴隷貿易を禁止したほか,
国内の労働者階級の圧力により安価な労働力の輸入も制限されるに至っている。
第二に,移民規制の進展とは逆に,資本は年々流動性と国際性を増している
*今や,イギリスの年間歳入の12%にあたる約15万ポンドが海外投資から得られるに至っているのである
W。当時は資本輸出のかなりの部分は本国に還流する。今、国際収支黒字は、資本収支分黒字で貿易収支の赤字をカバー。が、「年間歳入の12%海外投資から得られるに至っているのである」などということは絶対にない。

したがって,「たとえ安価な労働力の移動に対する法律的な規制がなされなくても,長期的には安価な労働力の初期的な潮流はやがて枯渇し,安価な労働力がある地へ資本を向かわせる逆の潮流が始まることとなるだろう。」

*資本の高い流動性,及び労働力の低い流動性の結果,
*イギリスを含む西洋諸国の資本は,安価な労働力を豊富に保有するアジアへと向かう。
*「こうして,アジアの急速な発展は,少なくとも長期的には,ヨーロッパの労働者を犠牲にしてアジアの労働者を受益させることになる。・・
W。以下の記述。100年も前に、世界の工場であったゆえに、イギリスの産業の空洞化の進行が、問題になっている。現実に、世界の工場、イギリス資本主義の衰退は、ホブソンの描く通りに進展した。
 
・・我々が資本と労働力の双方がイギリスを出入りするのを自由に放任しておくならば,
我々は遠くない将来,資本がイギリス国内の労働力を飢えるに任せて国外に去り,労働力も飢えに駆られて資本の跡を追うといった現象を目のあたりにすることとなろう。」
 
 このような事態を避け得るためには何を為すべきか。
ホブソンの解答はこうである。
「もしイギリスが通商を失うことを望まないならば,我々は保護貿易政策の採用を迫られることとなろう
・…今日の保護主義者は,外国商品を閉め出すことによって国内産業を守ることに関心を持っている。そのような政策は資本の移動を防ぐにあたっては全く役に立たない。
逆に,イギリスのような古い国に保護貿易政策を適用すれば,資本の流出を促すだけである
もし,より安価な生産手段のある地を求めてイギリスを離れる通商の傾向に本気で歯止めをかけるつもりならば,
イギリス資本の移動に抑制的な関税を課するための何らかの措置をとらざるを得ないだろう。」W。資本輸出の火元をたつということ!

このような措置をとらない場合にイギリスを訪れる将来としてホブソンが描くシナリオは,極めてグルーミーである。
イギリスが資源や気候の面で特別な利点をもたない以上,←W。ココは今日の日本にも当てはまる
「未来の通商には全く望みがない。」「イギリスではいかなる生産的な労働も不可能となるであろう」し、「産業貴族が支配する封建制の復活を見ることになるかもしれない。」

以上のホブソンの議論を通じて,注目すべきは,彼が一貫してイギリスの国民経済への得失という観点から,通商問題を論じていることである。
そして国民経済を防衛する観点から,保護貿易政策を無用とみなした。
すなわち,保護主義者の政策目的には同調しつつも,保護貿易によってはその目的は達し得ないと断じたのである。
*そして必要とされるべきは,商品の自由貿易の規制ではなく,資本の自由移動の規制であると主張したのである。
ここに示されるのは,広く流布しているような国際主義者としての顔ではなく,国民経済主義者としての顔である。
実際,工業衰退がやがては通商の衰退を導き出すというレトリックは,保護主義者と全く共通する。
**そして,国益に関わりなく資本を海外に流出させるシティの金融利害が後に厳しい批判の対象となる伏線がここに存在したと言えよう。
さらに,資本輸出への課税という処方箋は,不労所得への課税による所得再分配を志向する「過小消費説」の展開とも,よく整合>するもの
*W。ピケティーのr>gに該当する政策19世紀と20世紀初頭の端境期のイギリスにあった今再び注目を浴びている理由は何処にあるのか?前回の記事において、資本主義の発展段階を示した。少なくとも19世紀への回帰に2重写しするのは完全に誤り。
先進国の経済状態とトレンドが、19世紀と20世紀初頭の端境期のイギリス似ているからだ。それ以外に何がある?グローバル金融経済は地球規模の物語であり、少なくとも産業資本においては不均等発展の原則が貫徹している。
 
     
     III.世紀転換期
1896年,イギリスはようやく「大不況」を脱した
一方,1895年のジェームソン侵入事件以来,南アフリカとの関係は一層緊迫の度合いを深めつつあった。
南アフリカ戦争勃発の前年1898年の論文,「自由貿易外交政策では,時代状況を反映して,
以前に見られたようなイギリス経済の地位への悲観論は影を潜め,かわってイギリス帝国主義への懸念が前面に出ている。
W。イギリス資本主義の構造分析はなく、ホブソンが先行させているのは、政策論。

さらに,本論において初めて,帝国主義と「過小消費説」が関連づけて論じられることとなる。
W。学者というよりジャーナリスト。

本論の焦点は,外交政策の経済的含意を明らかにすることによって,自由貿易政策の意義を問い直すことにある
その際ホブソンの念頭には自由党(W。メイナード、ケインズ自由党員。チャーチルも一時期自由党員。労働党が強くなる以前の時代)帝国主義化への懸念があった。
彼は「植民地の保持ばかりでなく,新市場,もしくは新領土の獲得,最低限でも弱小国への影響力行使を追求する,市場をめぐる戦い」を正当化する,「市場開放政策の疑似自由貿易主義」が自由党を侵食していることに警告を発する。
「軍事力によって先導され,維持されるような『自由』は,良くても曖昧で不確かな類の自由に過ぎない」のである。

ホブソンは,自由貿易主義が変質するに至った背後には,次のような観念の浸透があるとみなす。
(1)イギリスは,海外貿易を絶え間なく拡張する必要がある。
(2)この拡張は,軍備増強と帝国領の拡大という手段によってのみ,効率的に達され得る。
(3)海外貿易を促進するためには,これらによるリスクと出費は,「経済的に」健全である。
W。自由党帝国主義化→産業資本主義段階の世界の工場、イギリス資本主義の帝国主義への展開の時期の動機を理屈にしたもの。
彼は,上の考えに対し(2),(3),(1)の順で,以下のように反駁していく。
まず(2)の命題は,
「国際貿易の通説を全く無視した」暴論にほかならない。
中国の例を見てわかる通り、「ヨーロッパ諸国の保護貿易政策は,疑いもなく産業資源の新たな浪費を伴ったにもかかわらず,広大な新市場のいかなる部分の取得にも報いるようにはなっていない
国際貿易は,関税や独占にもかかわらず,あらゆる協力的な参加者に対し,各自が得る通商利益のシェアを割り当てるという,国際協力の方法なのである。」W?ホブソンの限界。
*W。事実の指摘!ゆえ列国による中国分割の衝動が生まれる 
 
このような楽観的自由貿易論は,次のような状況認識に裏打ちされていた。まず一つは,イギリス海運業の圧倒的優位である。
*さらに重要なことは,貿易は国旗に従わない,と彼がみなした点である。
W。グローバル金融資本の論理の先駆けが、産業資本主義の帝国主義時代への展開の時代にすでに芽生えている。古くて新しい問題系なのだ。
 
彼は,最近50年間のイギリスの対植民地貿易,及び対外国貿易の比率がほとんど変動していないことを明らかにし,次のように主張する。
「『貿易は国旗に従う』ということや,生産活動に市場を確保するために植民地の拡張が必要である,ということは,真実でないばかりではない。
それどこちか,アメリカ,フランス,ドイツ,ロシアといった,我々の競争相手国との貿易は,我が国全体の外国貿易と植民地貿易の伸びより幾分急速であり,植民地貿易単独の伸びより相当に急速なのである。」


W。この論理も現状に示唆を与える。東アジアとの交易関係の強化と日米交易の相対的縮小。なのに、当時も今も、実利よりも仮想の競争相手との、政治軍事の敵対関係が深まる。
特殊な事情があるとしか思えない!世界市場の再分割では解読不可能な事態。政治軍事の経済構造から遊離した、「暴走」過程が想定される。
 
これを以て植民地拡張のための軍事費の増加は無駄であることが示され,(3)の命題も否定される。
次いでホブソンは,(1)の「イギリスは,海外貿易を絶え間なく拡張する必要がある」命題に対する反論に移る
ここで彼が武器としたのが,「過小消費説」に基づく国内市場重視論である。
「もし購買力の所有者が,国民消費水準生産力の増加が釣り合うようにその購買力を行使するならば,我々が現在経験しているような外市場への欲求という圧力を感じることもないだろう
 
 
それでは何故このような圧力が生じているのか問われてくる
…・経済的観点からすれば,答は次のようであるに違いない。
イギリス国内には,国民が生産した全商品に十分な潜在的市場が存在するにもかかわらず,
次のような理由によって有効需要』が存在しないのである。
つまり,商品への購買力をもつ者は,物質的ニーズを十分に満たしているが故に購買意欲をもたない一方で,購買意欲をもつ者は購買力をもたないのである
言い換えれば,我が国の労働者階級は全く不十分な有効需要しかもたないのである。」
 
 こうして発生した過剰貯蓄は,海外投資として流出する。
「実際,海外投資への欲求という増大する圧力は,我が国の外交政策における最も強力で直接的な影響力を持つものとみなされねばならない。」
こうして,名著『帝国主義論』において完成する,金融勢力による飽くなき投資要求が帝国主義の原動力であるというレトリックが構築された。
W。なんだか、この辺の論点はピケティーの格差の歴史的トレンドの長々とした記述よりも問題の発生源の本国の状態を、簡潔にとらえている。
ピケティーの「21世紀の資本」は神経衰弱的議論であり、行動に移る<力>の動機にはならない。

以上のようなボブソンの議論は,まさに海外市場を軽視し,国内市場を重視する国民経済主義者としての立場の表明にほかならない。
W?そうかな。レーニン帝国主義論の構成を見よ!