反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

トマ、ピケティー著「21世紀の資本」~「分配の問題を経済学の核心に戻す」~研究の結論は、先進国グローバル資本の<r(資本利得)>r(経済成長)>結論なのだが、探索してみる。

 「21世紀の資本」みすず書房。紹介文を読む限り、真っ正面から取り組む書ではないと考えたが、実物に興味があったし、疑問点もあった。
そこで大きな書店に出かけてみた。思想哲学コーナーの書棚にアイボリーのシンプルな表紙を表にズラット陳列されていて、いかにも高級本の雰囲気を醸し出していた。見本1冊だけが、中身を見開きできる状態で、他は全部、封印されていた。
手にとって、まず、価格、ページ数、増刷数を確認。¥59**。消費税8%だから、なるほど¥6000超え。
ページ数は確かに700ページだが、100ページジぐらいは注釈だから正味の内容は600ページだった。
増刷は17刷り。
 
 中身を確認しようとしたが、時間がなく、<はじめに>の概略を中心に自分の疑問点に沿って、ザット目を通してみた。
まず、この本は大部の訳ありげな高級政治経済本の体裁を整えていても、文章は極めて平易、かつ巧みで、文脈の流れも自然で普段、経済学に注意を払っていない人にも、込み入ったはてな的専門用語は皆無で、文脈の流れでなんとなく理解できるて、とっつきやすく読み進めらる。
がしかし、扱っているテーマはそこそこ高度。この難しい二つのことを同時に一貫して処理できるのだから、そのエネルギーも含めて大したものだ。
やはり、どう考えてもこんな本をかける学者は日本には一人もいないのではないか、と納得する。
思想哲学コーナーに積み上げられている本の大半は対談本。インタビュー本のたぐい。云いたい放題しゃべって、後で編集すれば1丁上がり、実に省エネ、お手軽。○や×、合う合わないで、よんでいるんだな。
 
疑問点は、やはり的を射ていた。
リカードー(1700年代後半のヒト)マルクス(1800年代中盤から後期にかけてのヒトでリカードーから50年後のヒト)から、グローバル資本制の現代までの格差のトレンドを事実の集積から丹念に拾い出していることはわかるが、
(1)彼が語っているトレンドはその方面に関心のあるだれもが既に承知の事実ばかりだった。丹念に調べて説得力を持たせたというところが彼の特徴である。
 
(2)そういった、長期の経済トレンドをオーソドックスな手法でやれば、景気循環の長期(歴史的)波動という古くからの分析手法があった。昔はコレがけっこう流行ったのではないか。怪しげなものだが。
 
(3)<分配問題は経済学の核心>ではなく、資本の基本動向のもたらす結果である。
<分配の問題を経済学の核心に戻す>というは、分配問題を切り口にするとで理論作業としては比較的やさしい。
オーソドックスな経済学の視座は資本そのもののありようを分析する、コレ非常に複雑な現経済体制を取りまとめる高度な学術作業。今はもうだれもやれないんじゃないか。みたことがない。人間の抽象力には限界があるようだし、今の経済学のトレンドは、そういう努力の放棄から成り立っている。
 
(4)IWJのピケティー来日講演の要約によれば、「経済が成熟し、低成長期に入っている先進国では、放っておけば所得や資産が一部の富裕層に集中し、19世紀のような格差社会がよみがえってしてしまう。」ということである。
コレをピケティーは「21世紀の資本」の本文で表現では次のように表現しているが、
マルクスの利潤率の傾向的低下の法則と、誰もが否定する絶対的貧窮化法則のミックスであり、大間違い。

     「マルクスの、無限蓄積の論理
 
  
資本が蓄積してますます少数者の手に集中してしまうという必然的な傾向資本の収益率の低下あるいは、国民所得における資本の比率が無限上昇し~~(W、要約。プロレタリアートの反乱や国民戦争から、第一次世界大戦までの政治と戦争の歴史過程を引き起こした。)
 
ここでピケティーの指摘するマルクス議論はおそらく、
(A)プロレタリアートの絶対的貧窮化法則という、後にドイツの社会民主党のベルンシュタインを中心とする理論家や、レーニンの「帝国主義論」帝国主義本国での超過利潤の発生の指摘よって、否定された分析と、
(B)利潤率の傾向的低下の法則ミックスして議しているものと思われる。
 
>(A)は産業資本主義段階という経済歴史段階に生きたマルクスの時代的制約であり、間違いである。
 
>(B)のマルクスの議論は、現在、一部ではあるが論者がそれとなくふれるようになってきた。
自分の知っている限り、宮台真司、最近では白井聡が「永続敗戦論~戦後日本の核心~」の文中で簡単にふれている。
それは、ピケティーの云うがごとき、「マルクスの、無限蓄積の論理」~国民所得における資本の比率が無限上昇し~~と取りまとめられるほどリアリティーのない議論ではなく、今の日本の目の前にある経済実態の一部を証明するものである。
ただし、以下の法則は、論争を巻き起こした経過から、論者は通りすがりのように取り上げても、正面から取り上げない、厄介なものである。

    利潤率の傾向的低下の法則
第3部 資本主義的生産の総過程 
第2篇 利潤の平均利潤への転化 W、ここも抑える必要がある
        ↓    ↓
>第3篇 利潤率の傾向的低下の法則
 
   引用 ウィキペディア
資本家剰余価値不変資本により多く振り分けると、資本有機的構成が高度化する。すると総資本に対する剰余価値の率は低下する。すなわち、利潤率は必然的に低下することを示した法則である。マルクスが『資本論』第3巻第3編で論じた。
なお、利潤率が常に低下するわけではなく、低下傾向に反対に作用する要因もあり長期的に見れば利潤率は低下する、ということから、マルクスは利潤率の低下を「傾向的低下」と呼んだ。景気循環の中で、利潤率は上下するが、景気の下降局面で利潤率が低下することは利潤率の傾向的低下の法則ではない。」
 
  数学的「証明」 W。この式は簡単な元式だけを、数回記事にした。
論争は戦後にも続き、~議論を「資本の有機的構成剰余価値のうち,どちらがより急速に上昇していくか」に集約し、「剰余価値がどれだけ上昇してもけっして越えることのできない上限が存在し(W剰余価値の概念~交換過程において奴隷労働ではないのだから労働力商品の価格の低下に限界があるということ~からすれば当たり前のこと!),この上限そのものが資本の有機的構成の高度化C 不変資本→原材料など/V 労働コストによって低落する」ことが主張された。その証明は、次のようなものであった。技術革新やイノベーションの果たす役割も考慮して、論争が繰り広げらてていたようだ。
 
剰余価値→「生活に必要な労働を超えた剰余労働(不払労働)が対象化された価値である。資本の一般的定式である「貨幣G-商品W-貨幣G'(G+ΔG)」における「ΔG」を指す。W。資本の生産過程における商品の価値増殖である。
 
ウィキペディア剰余価値の説明を受けて、この記事の中で一番肝心な、労働力商品の価値創造性という特殊性について書き忘れた。コレを抜かすと、<探索>も何もあったものではない!
資本の生産過程における商品の価値増殖性に結びつくことによって実現する。労働価値説については、イロイロ批判があるが一応さておいて、結論的にいえば、貨幣Gにおいて、原材料などの不変資本と労賃に表現される労働力商品を資本家が購入し、労働量商品の所有者、労働者に、自分たちの生活に必要な労働を超えた剰余労働(不払い労働)をさせる際、すでに生産された商品の価値は増殖しており、それが価格に飛躍した時に貨幣G´に転化する。おおざっぱに別の観点でいえば、仕入れ値と販売価格との差額=付加価値ということになるが、その場合、労働力商品の価格は、貨幣Gの一部で購入された段階で既に決定されているとみなす。
 言い換えると給料は仕事をした後に支払われるが、実際のところ、雇用者と労働契約した時点で、決定されている。
 この事情を、もっとわかり易くすれば、一日の日雇い労働で「契約した」場合を想定すると、この日雇い労働力商品が仕事をした後払いの結果の支払い労働でないことがはっきりする。後払いは、生産過程で剰余労働を引き出す以前に決定されているのだから、雇用者は、当該労働力商品からできるだけ多くの不払い労働=剰余価値を引き出そうとする。
月決めの給料支払いは、労働力商品の先払い制の実態を見え辛くしているだけで、日雇い労働の延長のようなものと解釈できる。
 
 
 では一体、実際は、先に決められている労働力商品の価格はどうして決定されるのかという問題が出てくる
コレも結論的なことになるが、その国の平均的な労働力の再生産費によって、決定されるのであって、あくまでも総労働、という観点に立てば、の総資本家に対するアレコレの分配闘争の結果、決定される性格のものではない
労働力市場の実態がそうなっているではないか。大企業の春闘があれば、底辺労働では、そんなことはどこ吹く風の低賃金過重労働が横行しっぱなしであり、今はむしろ、ブラック企業に典型的な、こちらの方が優勢になっているのではない。
そのブラック企業において、労働力商品への分配は、一体だれが決めるのであろうか?
働く前から企業内の原則で、決定済、いやなら辞めろということだ。
そうすると、一国の労働力の再生産費(家庭生活を継続し子育てをしなお、余暇などを享受する総費用)が一体どの辺で決まってくるのかが問題にがこれは、中国と日本のような国や地域の平均値によって大きな違いが生じる。
また、TPPによって農産品のような安い商品がどっと流入すると、労働力商品の価格は低下していく。生活必需品の低下によって、フレッシュな労働力商品を再生産する価格が低下するからだ。
経団連の云う、移民導入にも同じ論理がある。途上国から移民してきた労働者には、インセンティブが働き、低賃金でも我慢するだろうが、そのことによって賃金水準は下がっていく。
コレがヨーロッパで民族問題が噴出している根源ではないのか。
 
 
 以上を総括すると、ピケティーの分配を経済学の核心にすれるとは、もともと階級格差が大きく、階層間の戦いの展開され、二度の世界大戦を経て、政府の所得再分配が一応機能するようになった、ヨーロッパ先進国を基準にした政治イデオロギー、政策、政治体験、であるといえよう。
 
 
 岡田代表民主党は格差問題をメイン政策テーマにするらしいが、日本の労働力市場の過去現在の状態、運動史、国民意識創価学会が今日まで大きくなった事情は、この辺の実に日本的な事情がからんでいると思う)からして、どんなものになるのか、見極めたい。悪い試みではない!ようやくここに至ったのかという感じだ
 
具体的に、不変資本C 可変資本V 剰余価値M 利潤率r とおくと、
http://upload.wikimedia.org/math/f/d/e/fdefb3c6d2e32b98c5b830e4e08a1a93.png
という関係が成り立ち、資本の有機的構成C /V が高度化すると、剰余価値M /V 一定である限り利潤率r は低下することがわかる。

>(4)ピケティーの議論は、分配(格差)の歴史的トレンドを明らかにしているが、その間の、資本そのものの歴史的変化を立ち入って研究していない。
 
イ)リカードー、マルクス時代は産業資本主義の段階。基本的にイギリスが世界の工場だった時代といえる。
この場合、イギリスに対抗する産業資本を有する国の台頭の前段階地位置づけられる
W。このような初期資本主義状況にたいして「、「経済が成熟し、低成長期に入っている先進国では、放っておけば所得や資産が一部の富裕層に集中し、19世紀のような格差社会がよみがえってしてしまう。」というのもおかしな物語である。
 
ロ)イギリスの経済覇権の後退は1800年代後半から急伸した。ヨーロッパではイギリスに代わって対抗的に急伸するドイツ資本主義が急伸した。それよりもアメリカ資本主義の急成長があった。
従ってこの時代は、世界市場の再分割が政治的軍事的問題に登場する。
以上、イ)、国民戦争からロ)は帝国主義戦争の世界市場の再分割戦がリアルな課題として迫った時代である。
もちろん、資本蓄積に基本法則に恐慌により価値破壊の必然性が組み込まれていると考える。
>イギリスからアメリカへの覇権の移行期でもある。
 
ハ)第一次世界大戦の結果としてのロシア革命第二次世界大戦後の植民地の独立冷戦構造の定着(米の覇権の確立、東側の社会経済体制は<特殊な過渡的社会経済>であり、基本的に内発的基礎要因にかけていた)は、戦後の先進国内外に特殊な力の均衡安定の世界情勢を提供した。
米国の黄金時代は1950年代といわれているい。先進国の「平和と繁栄」に時代も、そのあとに続いた
エマニュエルトッドは、東側の存在が西側の資本と社会の動向をけん制し民主的方向に修正させていたとリアルに指適している<特殊な過渡的社会経済>としたゆえんである。例えが悪いが北朝鮮のような体制であれば、東側の存在が西側の資本と社会の動向をけん制し民主的方向に修正させていた、とはいえない。
 
この時代の資本の動向と格差の歴史トレンドは、どうであったのだろうか?
しかし、今思えば、この時代は、特殊な時代だったのではないだろうか。
 
ニ)冷戦崩壊後、統治形態と資本の内容は違うが世界は資本主義化した。そして、規制は緩和され、半野放し状態になった金融経済は、国民国家の枠組みを超え、世界中で蠢動し、人々の経済生活を飲み込んできる状態だ。
タックスヘイブンが世界中に点在している現状から、巨大規模に膨らんだグローバル金融経済の巨大さに比して国民国家の徴税能力も低下している。ここに経済支配の軸足を移しているグローバル支配層は、こうした矛盾に手をつけるどころか加速さえしている。アベの推し進めている政策の要点はこれだ。
 
>この経済歴史段階において、
グローバル金融資本(銀行証券とかの狭い意味ではなく、巨大産業資本と一体化した資本)は寄生する対抗要因がぜい弱化しているのだから、当然にも、国境を超えた「自由な収奪構造」を築くことができる。
>この状態を19世紀産業資本主義の段階への螺旋的な回帰と2重写し、できなくもない。
>しかし、資本主義の中身がまるっきり産業資本主義段階とは違っている。

>ピケティーの議論は、少し読んだだけでフランス社会党の立場に近い政治イデオロギーであると直感できる。
目新しいところは、現状のフランスの税制にける直間比率の逆見直しをしているところである。
どうやらスウェーデン方式を見な立ってのこと、らしい。
しかし、現状のフランスの主力税は付加価値税である。連帯富裕税という制度も機能しているが額は小さい。
 
日本の現状はあまりにも矛盾に満ちすぎている。
政策の周回遅れは甚だしい。最低限、90年代の政治改革騒ぎに終始していた時期に、打つ手はあった。
社会保険と徴税の一体化がやれないのは先進国で日本だけである
 
 
>このような資本歴史的変態を真っ正面から捉えた後の再分配、格差の歴史トレンド分析ならば、納得できるが、それを抜きにした、格差トレンド分析は、一般に受け入れられやすいが、一面的な見方でもある。もっと資本の基本動向と格差の問題を一体的に把握しなければ、社会経済の全体堂がつかみとれない。
>具体的にいえば、相互の核ミサイルの威嚇の中で展開するウクライナ情勢。
そこにおいて、米国の基本動向は、国内格差の厳然たる存在抜きには語れない。実際問題として、オバマの年頭教書の3分の2は国内問題に費やされていたという。典型的には格差の歪みの生み出す諸問題と総括できるが、同時に、米国資本主義とその社会のありようを、面倒でも見ていかなければ、戦争国家米国のリアルタイムな動きの全貌はつかみきらないだろう。
軍産複合体のせいばかりにするものなんだかおかしな話で、米国GDPの3分の2を占める金融セクターにとって、戦争国家アメリカも、グローバル資本制も内外から富を収奪するための最適環境ではないのか。
 
確かにあこまで格差が広がると資本の基本動向さえも左右する。生産と消費の基本矛盾が拡大しっぱなしになるバブル世界循環の米国への投資が依然のように回復しないならば、さらなる上位階層への富の集中がシステムとして進展し、そのことがさらなる格差を生みだす。
>加えて、たやすい地域、国からの収奪が目的意識的に追及される
 
>そういった意味で、ピケティーの格差トレンドによる米国分析は貴重なものである
  
 
  引用 ウィキペディア  2011年の「ウォール街占拠運動」への影響
「ピケティが取り上げた、所得上位層の所得が総所得に占める比率の推移をめぐる研究は、2011年のウォール街を占拠せよ運動に、大きな影響を与えた。
この運動の中では、所得最上位層1%の所得が総所得に占める比率の推移など、ピケティたちの研究の成果が広く紹介され、金融界批判の根拠とされた。」
 
ヨーロッパが世界戦争の発火点に2度もなったことの大きな原因に格差社会があったことも、ピケティー格差トレンド分析からあきらかにした。
 
*格差歴史トレンドの分析の一番最適国は米国である。
 
あまりにも拡大しすぎた格差が、内外に及ぼす影響は大きい。この点から、ピケテーの「21世紀の資本」の只今現在の状況に対する、最もリアルな説得力をもつ対象国は米国である。
 
*そしてヨーロッパも含めて、日本においても支配層の進む方向が、米国の方向なのだから、米国状態とは形は異なっているが、いぜれ格差むき出しの社会になる。現に日本の戦前「デモクラシー」の機能していた1920年代の社会は格差社会だった。
>その意味でも、ピケティーの議論は安易なファシズムがやってくる議論を修正する役割を果たすことができる
 
>格差の歴史的トレンド分析に集約した基本視座によって「21世紀の資本」が一般に読みやすいものとなっていることは疑いの余地がない。もちろん基本視座がはっきりしているから、著者は論述し易い側面もある。
>それを私が望むような視点を付け加えると、多分日本及び世界の読者のかなりの部分にとって、受け入れ難いものとなっていただろう。
 
>しかし、やはり資本の歴史段階をはっきりさせる仕分け作業は避けて通れない、のではないか?

日本では17万部売れて、世界中で150万部という。イロイロ、下世話な計算はできる。この観点からみると、ピケティーの来日は、どういう位置づけになるか、おのずからわかろうというものである。
あまりその一言一句を真面目に受け取らない方がいい。ヨーロッパ、フランスの若手理論家で、学者職業の出発点が、いきなりアメリカ、マサチューセッツ工科大学2年間という経歴からもどこまで日本の事情に精通しているか怪しいものだ。
たとえば、ウィキペディア(ここの解説がピケティー関連の日本のネット情報ではダントツにすぐれている。他は?)でピケティーの次のような発言が載っている。
 
「<アベノミクスについて
(D)2015年1月30日のニコニコ生放送における萱野稔人とのインタビューにおいても、
「成長に投資をし、教育に投資をし、次世代に投資をすることによって、(1)公的債務を急激に減らしていく方法がいい」と述べ、
(2)若干のインフレ誘導若干の債務リストラクチャリングを組み合わせるのが良い方法だとした。
(1)の公的債務を急激に減らしていく方法
(2)のインフレ誘導、債務減らしの若干と、政策的にどこでどうつながっているのか、きちんと説明してほしいものである。
 
ここで(D)という符号を打っているのは、(A)(B)(C)のアベノミクス批判めいた発言を各々のマスコミ相手にしている。
 
(B)2014年12月22日の日本経済新聞のインタビューに対しては「安倍政権と日本銀行が物価上昇を起こそうという姿勢は正しい。」と述べ、
*2-4%程度の物価上昇なしに<公的債務を減らすのは難しい>とした。」
W。ただこの発言は日本のインフレ政策の真意をズバリついている!<公的債務減らし>!
 
 
すでに前々回に記事で再び上げた日本資本主義の戦前戦後の長期トレンドから、現状の日本資本主義の世界に対する相対化=縮小は避けられない。
コレは日本大企業の国外収益現象と必ずしも直結しないことは米国大企業と米高経済の相対化を見ればわかる。
あくまでも国民経済規模の枠組みの問題で、その場合、大きな公的債務が財政を硬直化させ、国内貯蓄とバーター機能が衰え、機能不全に落とし込める推移は今からでも、分かり切ったことだ。
それに対する対抗措置は、インフレ政策による公的債務の減価以外にないと、ピケティーあからさなに云っているのだ。日本と直接の関係のないフランスのヒト故の気軽な発言であり、米国人のしかるべき人は、こうも率直な物言いをしない。そのほうが国益につながる、と直感している。
 
他方、(C)2015年1月31日の日本記者クラブでの記者会見では
アベノミクスは格差を拡大する一方で、経済は低成長になるという最悪の事態に陥るリスクがある。」とし、賃上げの強化を主張
所得税最高税率が高かった時代は格差が小さく経済成長率も高かったと分析し高齢者を中心とした富裕層への課税を提言。
固定資産税への累進制の導入や相続財産への課税も主張する一方で、低所得者層への課税の引き下げや若者に有利な税制改革を求めた。
日本の公的債務については「私は日本も欧州と同様に、資本への課税を増やすことを提言する。」と語り、
**日本のように国民所得に比べて民間資本が大きい国(W。云い得て妙。会社国家日本!マルクス的にいえば、剰余価値量が大きい!=会社の取り分が大きすぎる)は、労働所得に減税をし資本に増税するのが自然な解決策だとした。」
 
       ピケティに対する識者の意見
早稲田大学ファイナンス総合研究所顧問の野口悠紀雄は「日本において所得分布の不平等化が見られるとしても、それは税制の変更や非正規雇用の増大といった別の要因によって引き起こされたものである」とし、ピケティの主張は欧米を検証したもので日本経済には当てはまらないものであると述べている。
W。だから、「日本経済の現状を本当に分かっているのかなぁ~」と。もっといえば、軍需突出の低レベル経済規模の戦前と戦後の急成長とその巨大な歪み、その付けが表面化してきた、という肝心なところが分かっているのかどうか。
フランスの場合、戦前の世界に占める経済力は今半分程度に落ち込んでいるが、うまくやりくりしてきたが、こんなフランスの立場からは、日本への理解は難しい!
 
しかし、野口さんは、ピケティーの「r(資本利得> g(経済成長)」という方程式を<所得分布の不平等化>と読み替えている。
ピケティーの「r>」は不労所得の意味合いが強いもの。
たとえが悪いが、鳩山元首相。母親がブリジストン創業者の娘で、所有株式は巨額の含み資産になり、売却すれば、不労所得。その割に税率も低い。株式配当金は不労所得
しかし、配当金の所得からいえば、働いてその程度の収入を得ている人いくらでもいる。ここはピケティーも「r(資本利得> g(経済成長)」という方程式で、指摘しているところ。
竹中平蔵の派遣会社役員収入年間1億円は、米国の大企業の経営陣の高額収入と同類のものだろう。
ただ日産のカルロスゴーンの給料5億円程度が日本の会社社長の給料の上限で、米国と比較すれば桁違いに低くこの辺が日本資本主義の特徴である。
いずれにしても、特権による資本収入と総括できる。