反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

シジック「真昼の盗人のように」→本当か→「市場においては、人同士の関係が自由と平等を相互承認する関係として現れる。支配関係はもはや直接的ではないし、可視化されないのである。」

 W。問題の個所を引用する。

「商品の世界にいおいては『人同士の関係がモノ同士の関係の姿をまとう』←W。疎外とか物象化などという学者用語をはるかに超えた厳しい現実。モノ=カネ。争わなくてもいいことで人は争っている。人間関係のモノ交換を通じた合理化の裏面は悲惨なニュースの世界だけではない。マルクスの有名な定式においても、コレと同じことが言われていたのではないか。
市場においては、人同士の関係が自由と平等を相互承認する関係として現れる。支配関係はもはや直接的ではないし、可視化されないのである。
>20世紀に実存した社会主義は、市場による疎外を克服することによって、「疎外された」自由のみならず単純な自由までも失われ、その結果、直接的な支配関係という「疎外されていない」関係が復活する、ということを証明した。」

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 マルクスが何と言おうと関係ない。数年前の正月に資本論を読んでみようと思い立ち図書館で借りてきて開いてみたが退屈過ぎて直ちにやめたことがあった。労働価値は市場を前提としているのだが単位時間を媒介としてもそれで商品の価値を云々するのは時代遅れも甚だしいと、感じた。信用がバンバン増長し過剰資本が世界中に溜まりに溜まって、市場を出たり入ったりして差益を稼ぎすために蠢いている時代いくら恐慌によって相殺されるにしても労働は価値基準にならない。その労働とはいったいどういう労働を指すのか?単純労働に還元せざる得まい。しかしその単純労働が世界の富のどの程度を生み出しているか、ということである。

 >そもそも素朴な疑問として世界中の膨大な過剰資本のかなりの部分が実体経済に投入されると仮定すればどんな経済現象が発生するのか、と。

>この仮定はあり得ないのだが、膨大な人々にスコップ持たせて穴を掘らせて埋め戻す労働に目いっぱい労賃を払う、そうとでもしなければ(もっともこの場合、コストプッシュインフレ発生)

グローバル資本制の中心部の生産資本に投下されるとすぐさま経済恐慌が発生するだろう。これはまさしくマルクス的経済原論が言う景気循環の法則が野蛮に働く世界が現出する。環境破壊も大変なものになるだろう。

という変な問題意識を抱いているので、資本論の突端に位置する商品論はまったく受け付けられない。

 竹中平蔵がどこかでマルクスは学者さんというのを読んだことがあるが、なかなか良く見てるなと感心した。マルクスは革命家の素養がない。政治家としても無理。文は人なり。その点レーニンは大違い。読む人を行動に駆り立てる「パッション」が文脈に埋め込まれている。毛沢東も躍動感がある。

 マルクスは産業資本主義段階のイギリスが世界の工場であり、対抗資本主義がまだ大きく成長していないイギリス「一国資本主義」を目の当たりにして資本論を書き上げた。従って当時の資本主義の分析が今に直接通用するはずがない。

資本主義を分析する場合、原理論ー段階論ー現状分析という方法を採用しなければ、理論として混乱が生れる。

 ここで挙げるシジックの議論はたぶんマルクスの人間疎外を扱った文脈なのだと思うが典型的な学校で教える範囲のマルクス解釈で自分から見たら大混乱している。

こんな見解は今の現実と全くかけ離れている。

 資本論で展開されている原理論のなかで、一番大事にしているのは資本主義の利潤率の一般的低下「法則」である。

普通に発生している経済現象を数値化したものだからどのような経済学の視点に立ってもコレは否定できない。

個別企業の一生懸命生産性を上げもうけようとする行為がトータルされると利潤率は低下傾向に陥り、巡り巡ってその個別企業も儲けが薄くなりやがてその延長線上の企業活動では採算が取れなくなる。だったらどうするのか?目の前にある経済現象が物語っている。

この法則が機能するからグローバル資本制の中心部から工場が周縁部に移転し経済の金融過剰窒息空間が広がって相対的貧困化が進み、分断された人々の心はアップアップ状態になり、風船の糸が切れたように地に足がつかず漂い、ある時は集まりある時は散り散りになる社会状況が現出する。

>只今現在、いわゆる先進国の政治状況の在り様の根底にはこの経済環境がある。

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 現状はg<r  経済成長<資本 金融資産が有り余っている時代において、労働市場は不平等極まりない環境にある。

 引用

「日本の労働市場は、正規雇用と非正規雇用のあいだの壁が厚すぎるというのは、掛け値のない真実です。正規・定期労働と非正規・不定期労働では同じ1時間当たりの賃金給与の水準が違いすぎます。その結果、世帯主が正規雇用の世帯と、世帯主が非正規雇用の世帯ではあまりにも大きな所得水準格差が存在する状態が続いています。」

「しかし、その解決策は正規・定期雇用者の地位や身分を不安定にすることなのでしょうか。

これはアメリカで盛大に実践され、日本でもアベノミクスを推進している経済学者や大企業の経営者から推奨されています。

しかし、結果は正規雇用者のクビを切りやすくなり、給与外のさまざまな給付を減らしただけであって、非正規雇用の賃金給与や労働条件を改善する効果はまったくなかったようです。

むしろ、正規雇用者が減る以上の人数で非正規雇用者が増えたが総労働時間は増えていないため、非正規雇用者1人当たりの実働時間が削減されただけではないでしょうか。」

「貧乏人はどんなに過酷な税制にしても他国に移住したりはできないですから、気兼ねなく増税します。大企業は自国の法人税率が高いと税率の低い他国に活動拠点を移すので、企業や産業の競争力を保つためにも、個人税を重くし法人税を低くするのは正しいという発想なのでしょう。

もちろん、欧米の経済官僚たちが勧めているのは、日本をアメリカのように特権的な立場の人間と、そうではない一般大衆のあいだに大きな資産格差や所得格差がある社会にすることです。

なぜ、そうしたいのかと言えば、西欧諸国も徐々にアメリカ型の格差社会・資産家社会に転換しつつあって、一般大衆を説得する論理は「現代経済はこうした極端な格差がないとうまく行かない」という議論しかないからです。」

「こうした環境の中で、アメリカの労働力市場にどんな変化が起きているのでしょうか。

もっとも意欲的に雇用創出を行っているのは法人化した自営業者で、雇用者数の伸びは大きいですが、就労時間や賃金給与の少ない仕事が多いようです。←W。アレキサンドラ、オカシオ、コルテス(AOD)は民主党ニューヨーク選出の下院議員に当選する前に一日16時間、タコス屋でバーテンダーをしていたそうだ。

日本の労働力市場も似たような情勢になってきていますが、決定的に違うところがあります。それは、アメリカと違って日本の労働力市場は極度に閉鎖的だということです。」

ヨーロッパ各国の大部分が労働力人口の中に5%以上の外国人をふくんでいます

日本は韓国の2.2%よりさらに低い0.3%です。そして、おそらくこの外国人就労比率の低さが、労働力人口に対する求人数の比率が2000年のアメリカでのハイテク・バブル絶頂期以外は先進諸国で最高という数字を支えているのでしょう。

「現在世界経済には失業率が諸外国より安定して低い国などあってはいけない」と考える欧米の経済官僚たちには、目の敵にされるところです。だからこそ、日本の勤労者は労働力移動の自由化には、自分たちの労働力としての希少性を薄める政策として慎重かつ批判的に対処すべきです。労働力の供給量が増えて得をするのは雇う側に立つ連中であって、雇われる側ではないのです。

「日本の賃金が短期的なデフレに陥ったのは、2001~02年のアメリカでのハイテク・バブル崩壊期と、2009~10年の国際金融危機の時期であって、国内物価上昇率のマイナス幅の大小とはほとんど無関係です。つまり、先進4大経済圏の中ではいちばん物価デフレの顕著だった日本が、賃金デフレを防ぎとめるという点ではいちばん健闘しているのです。この事実からも、「デフレは物価より賃金のほうが深刻になるから、デフレは勤労者の敵だ」といった議論がいかに実証性を欠いたものかがわかります。

 

21世紀にマルクスはよみがえるか | 池田信夫 | コラム | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

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引用

「ピケティはこの原因を資本蓄積の増加に求め、

gを成長率、rを資本/所得比率とすると、r>gとなると資本収益のシェアが高まる

それを投資することで資本蓄積が増えて資本分配率が上がり、さらに不平等化が進む。」

このような資本過剰は、人口が減少して成長率の下がる国でもっとも顕著にあらわれる。その例が日本である。

第二次大戦後、欧米の水準にキャッチアップする過程ではg>rだったが、80年代に逆転した。90年代にはバブル崩壊で成長が止まり、r>gになって企業の貯蓄超過が起こり、賃金が下がった。」

「これは単純労働にしか当てはまらない。ルパート・マードックが年収2500万ドルもらっているのは、彼が平均的な労働者の1000倍働いているからではなく、彼が自分の所得を自分で決めることができるからで、その子の所得が高いのは親の財産を相続できるからだ。」