前回に続いて、ポラニー「大転換」の訳者 野口建彦の各30章冒頭の要約を考察する。
第3章 「居住か進歩か」
W。キーワード 囲い込み(16世紀~17世紀)→産業「革命」ウィキペディア「イギリスの産業革命は1760年代から1830年代までという比較的長い期間に渡って漸進的に進行。」 「現在では産業の変化とそれに伴う社会の変化については、「革命」というほど急激な変化ではないという観点から、「工業化」という言葉で表されることが多い。」
この章で、ポラニーは持論である自己調整的市場の脅威に対する社会的保護の政策、運動の再評価と両者の相克の観点から、囲い込み(16世紀~17世紀)→産業「革命(1760年~1830年を再解釈している。
自己調整市場の「自由」な自己運動に対する規制、統制、政策を再評価するポラニー経済思想の特徴が良く出ている章である。
>急激な変革が社会に与える破壊的要素を問題にし、漸進的改革の有効性を提起している。
引用
「囲い込み」は、適切にも、貧者に対する富者の革命と呼ばれてきた。土地や住宅を追われた農民は乞食や盗賊になり、社会は引き裂かれた。
19世紀の歴史家は、囲い込みを抑えるための保護主義的立法などの王権側の措置を、自然発生的な進歩の法則を理解しない反動的な政策と批判した。
しかしこのような見解は、事態の核心を見逃している。
>問題は、変化の方向ではなく、変化の速度にあったのだ。
(王権の政治家のとった政策がなかったら)変化の速度は破壊的と云えるほど急速なものとなっていたに違いなく、従って、変化それ自体も、建設的であるどころか致命的なものとなっていただろう。
政治権力を自ら手放して、IMF手法で急激な市場経済化を強行することによる人的物的ロスはあまりにも大きすぎた。巨大なな資源国の国有企業の所有権に当たるクーポン券を国民に配るなんて信じられない幼稚なことをして、マフィアに濡れ手に泡で回収され金融寡頭支配者があっという間に出現し、現状でもそのまま居座っている。
アベ政権の戦争法案とTPP推進の軍事と経済の一挙的変革も次元は同じ。両方一挙にやった先進国はない。
日本は明治維新と敗戦のときに同じようなことをやって、国が良い方に変わったが、今度は条件が違う。前者は何もないところからの出発。今度は、巨大な国民経済の歴史的衰退を迎えての軍事と経済の一挙的変革。結局追い詰めれれて流れに身を任せているだけ何のに、アベ等は虚勢を張って誤魔化している。米世界戦略に沿って軍隊を動かして日本の国民が得をすることがあるのか。国民が自腹を切っているのだから、米軍の下請けでも2軍でもない。中国は永遠に攻めてこない。中国にそんな力はない。素人がちょっと調べただけでもわかる。国家ーグローバル資本複合体の権益を拡張するフィクションである。
>イングランドが、深刻な被害をこうむることなく囲い込みの参加に耐えることができたのは、王権がその進歩速度を社会的に耐えられるまで緩和したからに他ならない。
>やがて王権の保護機能がもはや不可欠なものでなくなり、クロムウェルの革命(が王権を破壊すると(王の首をはねた過去の業績は忘れ去られ、国民の記憶から消え去った。
W。イギリスの<囲い込み>は、ヨーロッパの資本の原始的蓄積期の一つのモデルである。
資本の原始的蓄積を手短にいえば、次のようになる。
コト バンク引用。
詳しい解説はコレ。
資本主義成立に先行する原始的蓄積は先進資本主義国の固有の歴史によって大きく違っていることに注目する。例えば、原住民の<処女地>が無尽蔵にあったアングロサクソン系移民大陸国家では上記のような資本の原始的蓄積があったのどうかさえ問題になる。
特に日本の場合、資本の本源的蓄積をマルクスの「資本論」の当該個所をなぞって、説明するので必ず、松方デフレ政策が登場し、農民分解云々を論じることになる。他方、資本蓄積は政府の国家資本育成政策で説明する。なお、江戸時代末期の日本ではマニュファクチャー(工場制手工業)さえ全国的に成立していたのかどうかさえも論争になっていたほどだったから、資本の原始的蓄積はなかった。
W。明治政府の<土地><労働><貨幣>改革はポラニーの経済思想の基本テーマである人間にとって本源的要素である3大フィクション商品化(擬制的商品)論は、資本制時代に先駆けたイギリスの原始蓄積期の典型的悲惨性に対するヨーロッパ的人間主義的理解であるとわかる。
<土地><労働><貨幣>の商品化はフィクション商品でも何でもなく、資本制成立するために実在する不可欠な基本要件である、と納得できる。イギリスの原始蓄積期は先行する生みの苦しみを人民に強制した。
(1)労働力の商品化
(省略)
(2)土地の商品化
(省略)
~<貨幣> 金銀本位制から国立銀行設立へ
「3.19世紀末に「遅れて」登場した日本資本主義の「特殊性」
「日本における資本制への移行段階は、世界史的には帝国主義段階への移行期に当たる。よって、植民地化を回避し世界資本主義の間での生産力競争に生き残るために、高度な先行技術、株式会社の制度の輸入により、政府が個別資本の代わりに巨大な固定資本でもって産業基盤を整備した。」
「国立銀行条例を1872年に公布したが、兌換請求が多く流通せず、兌換制度の確立をあきらめ、政府紙幣を準備金とするように条例を1876年に改正した。それにより秩禄処分で発行された大量の公債が資本に転化することになった。しかし、流通紙幣量が増大し、最後の内戦である1877年の西南戦争の戦費の問題も絡んでインフレーションが進行した。その結果、定額利子を受取る旧武士層が没落し、公債を売却し労働力の売り手に転化していった。」
「他方、農民の可処分所得は増大し、その買い手となることも可能となり、農民の商品経済化が促進したが、逆に1881年に大蔵卿に就任した松方正義の財政政策によりデフレーションが進行し、農民層は分解され、土地から切り離されて労働力の売り手と化していった。
>しかし、先行技術の輸入により、資本主義セクターは過少労働力で済み、非資本主義セクターである農村に過剰な無産者を滞留させることによって地代が上昇し、封建的な外観をとどめることとなった。いわゆる近代資本化と農村共同体の残存の「二重構造」である。
.
政府財政の平均30%軍事予算の民需(綿工業段階がづッと続いた)を極端に蔑にした軍需特化、異常な経済体制が続いた。従って市場の狭隘性と急速近代化による農村からの毎年20万人の過剰労働人口排出で、海外に戦陣を拡張することが、資本のカネの儲けに直結した。また。国民の多くも国家の対外拡張に自己存在を重ね合わせた。だからこそ、日露戦争で日清戦争のような巨額の賠償金が獲得できないとなると、内外事情を説明されない人々は、日比谷松本楼焼き打ち暴動を起こした。以上が日本の国民国家の現状であり、紆余曲折はあったが大きな変化はなかった。
>日本資本主義の原始的蓄積は、日清戦争の巨額賠償金を清国から収奪することで完成した。
>そもそも、江戸時代末期にマニュファクチャー段階にさえ達していなかった経済が、資本制の整備、国家的産業資本成立は事実であるが、たった、20数年で、「資本が自律的に循環し始め」「産業資本に対応する自由主義段階に」突入する訳がない。
日清戦争による巨額額賠償金を軍事予算に回すことで、軍拡産業資本が本格的に離陸し、コレを中心に資本主義経済が回り始めた。日露戦争で高橋是清がユダヤ金融に頭を下げて巨額の軍資金を調達するくせに、民需のための外資の積極的導入をしなかったことも民需産業の発展を遅らせた。
「イギリスの産業革命は1760年代から1830年代までという比較的長い期間に渡って漸進的に進行。」 「現在では産業の変化とそれに伴う社会の変化については、「革命」というほど急激な変化ではないという観点から、「工業化」という言葉で表されることが多い。」
>富岡製糸工場世界遺産登録?、東アジアの歴史への敵対、現代版脱亜入欧米宣言、国民向けのがんばれニッポン風の勘違いを引き起こす、アベ等国家ーグローバル資本複合体の国体政治化に向けた転回のイデオロギー洗脳の類である。
それは日本だけではない。東アジア諸国民は共に自らのと相互の歴史を直視できない段階にある。事実行為の積み重ねでしかない歴史が政争のアイテムになっている。日本側は日本と中国韓国朝鮮の歴史的経過の大きな違いから、民主化のモチベーションが民族主義を生んでいる事実を踏まえていない。日本の民族主義と彼らの場合は、大きな違いがある。
引用。
「松方の歳出削減の中心的な政策は、官業の民間への払い下げであった。それは上からの資本制の整備が終わり、産業資本への移行を同時に意味する。1890年に産業恐慌が軽工業を中心に起きたことは、資本が自律的に循環し始めた証拠であり、それをもって産業資本に対応する自由主義段階に入った。
他方、産業革命によって精巧な機械を所有することになった産業資本家の創世記は、
引用 資本論研究「「産業資本家」とはここでは工場主を表します。中世に高利資本と商人資本はありましたが、これらは農村では封建制度によって、都市では同職組合制度によって産業資本家への転化を妨げられていました。しかし、封建制度の解体とともに、マニュファクチュアが田園や輸出港に出現しました。こうしたマニュファクチュアの勃興と、アメリカでの金銀鉱山の発見、奴隷貿易とイギリスによる東インドの征服などが本源的蓄積の契機となりました。」
「簡単に言えば、「大航海時代」(←W。日本の特殊用語。新大陸発見)の征服戦争と植民地化が、本源的蓄積の契機となったということです。これを時代的に追ってみると、スペイン、ポルトガル、オランダ、イギリスの順で、ここでも暴力が主役となりました。」
「略奪によって獲得された財宝は、本国で資本に転化しました。植民地制度を真っ先に発展させたオランダは、17世紀中葉には商業的繁栄の頂点に立っていました。
「今度は大工業の幼年期での「幼児誘拐」と「幼児売買」、そして死ぬまで働かされた陰惨な搾取です。
ここでも教区の"労役所"=救貧院が登場します。」
植民地では独占、詐欺、暴力によって錬金術のように本源的蓄積がすすみ成長するマニュファクチュアの販路を拡大しました。
資本の原始的蓄積を手短にいえば、次のようになる。
↓
精巧な機械をうみだした。機会を生産過程において損失なく使うためには、全ての原材料そして生産要素が商品とならねばならず、すべての所得は何者かの販売から生み出さねばならない。
産業革命は、その成果である精巧な機械は生産に用いられることによって、自己調整機能を持つ市場システムを創出した。
第4章 社会と経済のシステム
市場システムの特異性を明らかにするために、過去の時代における経済の秩序について考えてみよう。
ではそうした生産と分配の秩序はどのようにして維持されてきたのか
~互酬、再分配、家政と云う3つの行動原理によって与えられる。
W。ここから後は、3つの行動原理各々の説明。
>市場システムを明らかにする目的ののために、ポラニーが抽象化して挙げる中世や近世の社会の中に経済が埋め込まれたシステム?を抽象化し比較する必要はない。
>直接、市場システムの経済原理を語れば足りることである。
>また、ポラニーの資本主義の先行する時代を論じる観点は、資本の原始蓄積の観点から論じないで、何か牧歌的な郷愁を呼びかねない、~中世近世の互酬、再分配、家政と云う3つの行動原理にすり替えられる。
これらの作は江戸の上下の安定的秩序にくるまれた庶民の生きざまを物語っているように受け取られるが、実際にこれらの落語のストーリが作られたのは古くても明治、大部分は大正昭和初期と思われる。
よく注意すると登場人物の価値観は身分によってワンパターンであり、そこからはみ出ることはなく、各々の身分に沿った価値観の持ち主たちの善意の行き違いが、泣き笑いのドラマを生んでいる。山田洋二郎監督のフーテンの寅さんも基本的にこのパターンである。
物語の起承転結は、登場人物たちがすべて善意の持ち主で、悪人が登場にないので、登場人物相互の激しい行き違いがあっても、必ず一定の範囲に落着する。予定調和的世界の原理があるから、聴く者は安心して、泣き笑いに身を任せることができる。
>ポラニーの『大転換」にとって、安心できる原理は、資本主義以前の~中世近世の互酬、再分配、家政と云う3つの行動原理なる抽象である。そこに資本の原始的蓄積のような悲惨性は省略されている。
三代目古今亭志ん朝 - 宋珉の滝
第5章 市場パターンの展開 W重商主義の時代を取り上げている。
「局地市場 国内市場 遠隔地市場」
「ただし、この重商主義の段階においても、経済システムは社会間液の中に沈み込んでいた」
W。この章が「大転換」のハイライト。
第6章 自己調整市場と擬制的商品
「自己調整的市場とは、すべての商品が市場における販売のために行われしべ手の所得がそのような販売から派生するような一つのシステムを意味する。」
>「労働、土地、貨幣と云う生産の本源的要素が含まれなければならない。」
*「本来これらは、市場での販売のために生産されたものと云う商品の経験的な定義に当てはまらない」
*「つまりこれらの3つの生産的要素は犠牲として商品とみなされているのである。」
W。上記のように云いきることができるのは、第4章、第5章において、
「市場システムの特異性を明らかにするために、過去の時代における経済の秩序について考えてみよう。
ではそうした生産と分配の秩序はどのようにして維持されてきたのか
~互酬、再分配、家政と云う3つの行動原理によって与えられる。」と、考察してきたからである。
ポラニーにとって、市場システムは、互酬、再分配、家政と云う3つの行動原理の崩壊と<土地><労働><貨幣>の3つの人間的生産要素のフィクション商品化によって成立する。
>しかし、<土地><労働><貨幣>の3つの商品化はフィクションではなく実在である。
W。明治政府の<土地><労働><貨幣>改革はポラニーの経済思想の基本テーマである人間にとって本源的要素である3大フィクション商品化(擬制的商品)論は、資本制時代に先駆けたイギリスの原始蓄積期の典型的悲惨性に対するヨーロッパの人間主義的理解であるとわかる。
<土地><労働><貨幣>の商品化はフィクション商品でも何でもなく、資本制成立するために実在する不可欠な基本要件である、と納得できる。イギリスの原始蓄積期は先行する生みの苦しみを人民に強制した。
(1)労働力の商品化
(省略)
(2)土地の商品化
(省略)
~<貨幣> 金銀本位制から国立銀行設立へ
「労働とは人間生活の一部であり、土地は自然の別名である。また貨幣は、銀行あるいは国家財政によって存在するようになった購買力の表象である。
市場システムがこれらを支配すると云うことは、人間の物理的、心理的、道徳的特性が市場に処理され、自然の汚染が進んで生活官許と景観が破壊され、貨幣の不足から企業が~~
つまり自公調整的市場の自由作動を許せば、社会は破壊されてしまう。
>当然のことながら、このような市場の影響から社会を防衛しようとする動きが生じた。実際のところそのような対抗運動がなかったら、人間社会は壊滅してしまっただろう。」
>かくして19世紀の歴史は、市場の拡大とそれに対する社会の抵抗と云う二重の運動によって説明することができる、
第7章 第8章 スピーナムランド法をめぐる議論をポラニーは次のように結論付ける。
「こうしてシピーナムランド法体制の欠陥が明らかになった。
>おおくの国民が、『生存権』は死にに至る病であると確信した。
引用 ポラニー「大転換」本文8章末尾
「人間の労働は商品化されねばならない、と。反動的温情主義は、この必然性にむなしい抵抗をしていた訳である。
W。原理原則のない相対主義である。米国移住以前のヨーロッパ時代のポラニーの職業は雑誌編集者、主幹、寄稿者。ジャーナリスト的感性が先行しており論旨に政治的人間を魅了する力強い政治的一貫性はない。ヨーロッパ時代の彼は不遇であったのも頷ける。その思考パターンは、論理性の要求されるヨーロッパ向きではなく、紛争の渦中から遠く離れた米国向きである。
>宇野弘蔵学派が労働力の商品化を資本主義の基本矛盾として大きくクローズアップしているせいで、学派の分解以降、野口建彦のようなこの学派の一部がポラニー評価の大きな契機となったのだろう。その他は新しがり屋が便乗した。
第9章 貧民とユートピア
ロバートオーウェンなど、資本主義は未発達で、問題が萌芽常態にあった時代の理想主義者たちを好意的に紹介している。
第10章 政治経済学と社会の発見
人口法則、収穫逓減法則と云った諸法則が、経済の基礎理論として導入し、スピーナムランド体制と自由放任を擁護した。
W。人口法則と収穫逓減法則は、◆◆◆「資本論」の研究◆◆◆ http://homepage3.nifty.com/ykbdata/DAS_KAPITAL/DAS_KAPITAL_019.htmに載っている。末尾に近い後半部分。
①食料は人類の生存にとって必要である。
②両性間の情欲は必然的なものであり、だいたい現状のままでとどまるだろう。
②両性間の情欲は必然的なものであり、だいたい現状のままでとどまるだろう。
以上の陳腐な「公理」の上に立ってマルサスは
「労働者がその強い増殖力で増えると生活資料が不足し、窮乏する。労働の価格も下落し、食料の価格は騰貴する。こうして労働者の生活と増殖は困難となり、人口増加は停滞する。一方、労働の低廉化は工作者(借地農場経営者を奨励して耕作地の拡大と収穫量の拡大で食料と生活資料が増加する。こうしてまた、労働者の人口にたいする抑制が緩められるという具合で、こうした運動がくり返される。」W。この部分が人口法則、収穫逓減法則だろう。
「そしてこの自然な人口法則を阻害するのが、豊凶、戦争、疫病、救貧法、生産力の向上などだというのです。つまり、戦争や疫病は自然な人口増加をも抑制し、救貧法は自然な人口抑制を緩めるというのです。そして結論として「優勢な人口増加には、悪徳ないし窮乏を生み出すことなしに制限することができない」
>ロバートオーウェンだけが市場社会と国家の分離を正しく理解していた。
W。ポラニーの国家による市場の統制と自由と云う基本テーマが語られている。理想主義的である。
つまり彼は人間は市場のあくを取りのどかなけらばならないこと。
国家の政治機構や機械文明はそのために利用できること。
それでもあくを取り除くためには何ら間の強制が必要になること、
それは人間の自由には限界があることを意味するのであって人間はこの限界を甘受し中れ場ならないこと。
>しかし、彼が要求した社会の自己防衛が市場システムと相容れないものであることは予見していなかった。
第11章 人間、自然、生産組織。
自己調整的市場の人間生活労働にもたらす脅威を強調し、経済の統制と自由の問題を1930年代の二つの陣営への世界の分割と世界戦争、その戦後処理と冷戦体制の現実を目の当たりしたうえで、「大転換」を書き上げたポラニーの立場からすると、現在のグローバル資本制万能の時代に生きる我々よりも実際のところ、相当、踏み込んだ自己調整市場の統制と自由の許容範囲に関しての見解を持っていた、と想像する。
↓ ↓
第20章 社会変化の始動。(P426) 第21章複合社会における自由(P450)のエッセンスによって
、ポラニー(野口う要約)は云う。
「社会を統合するための政治権力とsy会に必要な財サービスの質と量を判断する経済的価値決定は、社会の基本的骨格である。
コレは自由意志から生じるものでなく、人間が社会をなして生活することから生じるものである。
自由主義者が規制と計画化を否定することはこうした社会の枠組みを否定することである。
ファシストは権力を賛美して社会における自由を否定するのに対してロバートオーウェンに代表される社会主義者は、社会の現実を受け入れた上で、自由の再生を図る。忍耐強く、社会の現実を受け入れれば、人間は除去しうるあらゆる邪悪と隷属を排除することができるだろう。豊かな自由を創造すると云う意思があれば、権力と計画化をその道具として使うことができる。」
ジョセフ、ステグリッツ序文
「もっとも成功裏に発展を遂げた世界に一部である東アジアにおいて、政府はくすることなく中心的な役割を果たし、そして明示的に、また暗黙裡に、社会の結束を維持することの重要性を認め、社会的人的資本を保護するだけでなく、その価値を高めた。
東アジアの成功は、政府が積極的な役割を果たしている経済の方が、自己調整的市場よりも優れていることを劇的に証明した。
(東アジア危機の)機会をとらえて、市場のさらなるフレキシビリティー(柔軟性)を要求した。
市場の柔軟性とい用語は<社会的政治的安定性を高め、それによって経済的安定性を提供してきたある種の社会契約を排除するための学問上の隠語である。
~~
W。今までのポラニーの論法を応用すると変動相場制下の国家ーグローバル資本は国家によって庇護されたカジノ賭場的投機市場と実体経済の世界市場の中心から周辺部への焼き畑農業的拡大が許容される限り、拡張をやめない。あらゆる格差は世界規模に増進するが、人間にはたった200年にも満たない自覚的近代化より以前の動物的耐性が刻印されている。
W。日本の2度目の敗北の歴史的必然性は戦前の列国最低の工業生産値から、戦後の一時的世界第二位のGDP、現在の第3のGDPの不均衡経済成長によってあまりにも明らかである。
>日本だけが例外であることはあり得ない。ただし半分になるまでは、時間がかかる。
しかし。間違いなく日本の国家ーグローバル複合体の将来に向けた構想の中心部を占めるのは、国民経済の歴史的衰退傾向における己の権益の絶対的確保であり、アベ等の云う国民の生命と財産を守るとはその文脈によるものである。
W。①国家ーグローバル資本複合体という先進国共通の政治経済体制と
②有権者が選択した(政権交代ための小選挙区制は、政治独裁の道具に転化。棄権率は寝方理論で明らかに)棄権率日本独特のアベ等自公政権の「永続化」による国体政治化の結合の最大の要因は、ひたひたと忍び寄り、避けることのできない日本国民経済の歴史的衰退傾向への日本支配層とそれにインクルードされたがっている輩どもの急進的な政治経済対処方法に求めることができる。戦争法案もその一部である。
日本のグローバル企業は国境なき巨大資本である限り、他の巨大資本とまじりあい、急速に減価することはあり得ない。しかし、日本国政府はグローバル資本から、国民経済衰退に見あった徴税をすることなく、むしろ減税するが、減税分は列島に投資されず、遊離貨幣資本化する。
従って、水が高きから低きに流れるごとき日本国民経済の歴史的衰退傾向の歯止めは効かない。いやむしろ、コレから日本政府の打つ基本政策の全ては裏目に出て、国民経済規模の衰退を後押しする。
そうするとこの不均衡のしわ寄せは列島原住民に荷重される。
このシリアスな現実から目をそらさせるという衝動にかられて、マスメディアは日々奮闘している。
引用。
各給与所得階層の推移は国家ーグローバル資本複合体の基礎資料~参考資料1~7 2015/8/21(金) 午前 11:32で示した。
「階級別では
501万円~1000万円の中間層の減少が目立っている。
グラフを見ると~。1980年~~1997年の上昇率は右肩上がりで各層の中で一番高い。
頂点から右傾斜が一番きついのもこの層である。
米国バブル崩壊の2007年から谷底に落ち込むように下落している。
>ピーク時の97年、1378万人→2010年、1068万人。 310万人 約22%の減少。
*W。しかし、1985年の約600万人→ピーク97年1378人(約2、3倍)→2010年1068人(約1,8倍)の推移を政治的に読みこむ必要がある。
>W。また、2009年から急激な上昇に転じている。
>W。この落ち込みに対応するのは、301万円~500万円の上昇カーブだろう。下層分解中なのである。
その上の、1001万円~2000万円の層も同期間に置いて250万人→159万人。 91万人減少 約33%減
W。この層の推移は501万円~1000万円ほど変動は激しくないが、同じ波形をしている。
W*ただし、上記と同じ見方をすれば、1985年当時、約100万人→1997年250万人(約2,5倍)→159万人(約1,6倍)
>W。給与所得者の各階層において、1997年をピークに右下がりの減少傾向、特に08年世界経済危機以降急激な減少を示しているのは、上記の二つの階層だけである。これらの階層はより下層給与層に分解している。
>W。しかし、2010年から1990年の20年を一つのスパンとするとほぼ同じ人数1000万人150万人である。
と云うことは、深読みすれば、1997年(2000年)以降の物価上昇率などを加味すると所得減はリアル実感できるにもかかわらず、これらの所得階層の年齢構成を考慮すれば、20年前の給与上昇局面の世の中観を引きずっている。
W。この実生活とイデオロギーの間には大きなギャップがある。
日本社会の「イデオロギー」的変容の一方の推進翼は、自らのよって立つ生活労働基盤の動揺を根拠とし、社会への発信力を備え、反動化排外化するこれらの給与所得階層である。古臭い見方であるが、そうとしか類推できない。
>各種。メディアの発信の変容の物的根拠はここにもある。実存事情が意識を規定している。
「その一方でこれら以外の層はおおむね増加しているが、特に顕著なのは300万円以下の層である。」
*上記と同じ1997年~2010年を基準とすると、各層の増加は次の通り。
100万円以下→201万人増加
200万円以下→203万人増加
300万円以下→137万人増加
合計548万人増加
「先の中間層の減少とと合わせて、この間の労働者の所得減少の転回を明白に示している。」
*「なお付け加えると、こうした労働者の低所得化が進む一方で、
2000万円以上の高所得層が増加している。
1997年に15万人→2007年ピーク時、23万人(22%増)
2008年以降減少しているが、2010年、18万人へ。
「最後にこれら一連の労働コストの節減が労働者に与えた影響について確認する。
非正規雇用の拡大を中心とした労働費用の節減が、労働者の窮乏化を推し進めてきたことは明らかである。」
「こうした雇用の非正規化を推し進めているのは何であろうか?
これらの動きには利潤率の低落に伴う資本節減の追及(その加速)にあると云えるが、具体的には次の点を要因として挙げることができる。
第一。国際競争である。
価格競争を中心とした国際規模での資本間の競争激化に伴い、一方でコスト削減と販路拡大を主目的とする海外進出が増えるとともに、
>国内での一層のコスト削減が進行する。非正規雇用の拡大も基本的にはこの国内でのコスト削減の一環。」
第二。バブル期以降の雇用の『過剰化』である。
産業予備軍効果。非正規雇用の増加はこうした競争の強化を促進する作用を持つ。
第三。IT技術の発展である。
>一般に、IT技術の発展は、企業内において業務の標準化を促進し、
>ソレが当該企業独自の技術とそれを有する人員の必要性を低下させる。
第四。労働法制の規制緩和である。
~~
>「大企業ほど、投資を抑制することで、結果として利益率を上昇させると云う投資行動を取っていることが明らかになった。」
「同じ、資産圧縮といっても、中小企業が売り上げ低下への不可避的対応、大企業が売り上げの増大する中でのむしろ意図的なリストラと云う側面を強く持っている。」
「売上高が上昇しても投資を抑制していると云う事実とその動きが2000年代以降の大企業にこそ当てはまると云う事実である。」
日本の2度目の敗北の歴史的必然性は戦前の列国最低の工業生産値から、戦後の一時的世界第二位のGDP
現在の第3のGDPの不均衡経済成長によってあまりにも明らかである。