反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

カールポラニー「大転換」の論点。

 カールポラニー新訳『大転換』 2000年東洋経済新報社発行 野口建彦訳。
(1)本書の構成上の特徴。
A、この本は経済学の著書ではない。19世紀最末期から1930年代初頭までのヨーロッパ中心の経済史の通史であり、一般教養書に分類されるのが適切である。
>長く饒舌な大書であるが、経済学的論証はなく、膨大な経済史的随筆とでもいうべき書である。厳密な概念規定をした上で、論証を積み重ねていく書と違って、読みやすい。
*しかし、随所にハッとさせられる個所、国家ーローバル資本複合体の主導する世界政治経済時代に通用する問題提起が含まれている。ここが本書の魅力であり、オールタナチブを探し求める識者を引き付けるところである。ポラニーの経済人類学的視点は下図のような産業革命以降の人口推移グラフに何の言及もない。ポラニー心酔者?はさすが気になると見えて訳の分らぬ説明をしている。
 
B、イメージ 1経済人類学的な分野に深入りした叙述の現在的価値は、経済過程が社会過程から自立し、人間生活の基本に弊害を及ぼしている側面を、再び社会の中に経済を<埋め込む>政治経済思想の確立の<一助>となるだけで、ポラニーの産業革命以前の社会経済、市場の関係や古代のそれへの言及は真剣な検討課題ではない。
 
C、3部構成の大著 合計30章の各省の冒頭に訳者のまとめが記載されている。コレを読めば、ポラニー政治経済思想の長所と欠陥が展望できる。
ただし、大著にちりばめられた今でも斬新なハッとさせられる箇所は省かれている。
 
D、*第二次世界大中、米国に移住したポラニーがブレトンウッズ体制を目の前にして、未開地域の経済人類学研究に没頭したのは「大転換」を継承し、それをマクロ経済学分析に発展させて、現状と将来を見渡した研究をする能力の欠如を自覚していたからだと考える。
*ポラニーの経済思想を現実政策として運用すれば、米国ニューディール政策、イギリス挙国一致政権の政策、ケインズ経済政策の肯定となり、「大転換」の自己調整的市場に対する根底的な批判のような<もう一つの世界>は提出できない。
かといって、デタントソ連の経済体制をそれに対比することもできなかった。
 
>結局、訳者の野口が指摘するように、ラニーは、欧米資本主義とソ連圏体制の反発と依存関係(冷戦とデタント体制)の枠内に、産業資本主義段階末期から顕在的あるいは潜在的に続いてきた自己調整的市場の人類社会に与える猛威を修正する道を見出していた、と云わざる得ない。
 
>この(訳者野口の解説による)ポラニーの冷戦時代の政治軍事力学の世界的機能を、経済主義的な角度から読みこんだ大局感を冷戦時代の再評価に運用する必要がある。
つまり、グローバル資本制が発展して、国家ーグローバル資本複合体に至り、各国民経済を超えて、己の最大限の利潤追求を金融資本の本性丸出しで追求できるのも、こうした基本動向に対する内外の具体的現実的な対抗要因が後退してきた事に根源的な原因を求める必要がある
冷戦時代の特殊時代性を世界史だけではなく資本主義の経済史としても再評価することは、これからの国家ーグローバル資本複合体の政治経済軍事を理解するうえでも大きな意味を持つ。
*具体的実際的な対抗要因が希薄な段階では資本主義は人間を動物次元の存在に突き落とすがごとき、やりたい放題のことをやってきた。
内外にリアルな資本主義の盲動をけんするほどの対抗要因が存在していた歴史段階においては、資本主義は本性を修正してきた。それは資本主義の原理としての利潤率の傾向的低下の歴史法則とは別の問題である。
まして、未だに米ドルを世界通貨とする変動為替相場制の貨幣の究極の市場化であるデリバティブなどの金融工学による投機的金融市場を利用したGDPの12倍の架空資本の形成と架空需要に基づく、国家ーグローバル資本複合体の主導する段階では、大資本は投資抑制、資本節減によって利潤率を高めている。この事態こそ
リアルな対抗要因の希薄性の後退によるところが大きいことを証明している。

 
 
 
(W。ポラニー『大転換』の政治経済思想を一言で切り捨ていると文明史観による根拠薄弱な<経済主義>に尽きる。
国家の制度政策設定による自己調整市場の原理の追及をユートピアであるとして、コレに対する戦いを人間の自然な社会防衛として、両者の抜き差しならない相克が社会機能を破たんに追い詰め、経済恐慌や世界戦争をもたらした、という二元論的史観(金子勝はに二分論としているが)の論理のの破綻は、
『大転換』第1部国際システム第1章 平和の100年 第2章 保守の(19)20年代 革命の(19)30年代のタイトルに象徴されている。
<保守の20年代>のポラニーの真意は第一次世界大戦後の主要国の金本位制の自動調整機能に基づく、健全通貨、健全財政の経済政策が「19世紀文明を支えたバランス オブ パワーシステム、金本位制、そして自由主義国家と云う諸制度、そしてこれらの共通の基盤となっていた自己調整的市場」(訳者、保守の20年代 革命の30年代まとめ引用)というもはや機能しなくなったはずの19世紀システムへの復帰を追求し、「弱小国家の国民に厳しい生活を強い、またそのような国家の後見人として融資を続けてきた富裕な国家にも重圧となった。」からである。
<革命の30年代とは
金本位制の『黄金の拘束服』の重圧から、「本能的に開放を求めて米国が1933年に離脱することによって伝統的な世界経済の最後の痕跡が消滅した」
金本位制の最終的な崩壊は、革命の30年代を告げる合図であった。」
「19世紀文明を支えて多くの制度は新たに作り直されることになった。自由主義国家の多くが全体主義的な独裁国家になった。自由市場を基礎とする生産は、新たな形の経済に代替えされた。根底的な社会の転換プロセスが開始されたのである。
ファシズム社会主義ニューディールは、この物語の一部をなしている。」
以上の論法がポラニーの『大転換』のタイトルの意味である。
それは、当時の主要国の20年代の政治的「自由」とソレが行き詰った30年代の政治的「逼塞」の政治過程を省いた経済現象や新たな経済政策にだけに焦点を当てた結果論的解釈である。第二次世界大戦後の世界体制に安住する立場から、ファシズム社会主義ニューディールを自己調整的市場の猛威と社会防衛との相克から、経済過程を国家の統制力で克服する共通項でひとくくりにしかねない踏み込みの不足したお手軽文明史観である。
 
それはこの大著の核心に示されている。
>『大転換』第Ⅱ部 市場経済の勃興と崩壊(1)ーー悪魔の引き臼  第6章自己調整市場と擬制的商品
~土地、労働、貨幣
(W。むき出しの自己調整市場が人間の基本要因<フィクション商品→土地、労働、貨幣>を自己調整市場のシステムに任せる事による根源的弊害)
 
>『大転換』第2Ⅱ部~社会の自己防衛~
 
続く