反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

連載最終回。真昼の盗人のように~ポストヒューマニティ時代の権力~スラヴォイ、シジック~アトランダムに書き出し。総括感想、視座が決まっていない。

  <自由選択が至高の価値である社会における社会的管理、支配>

我々の社会では自由選択が至高の価値に祭り上げられているので、社会的な管理や支配が主体の自由を侵害するものとしては現れることはもはやあり得ない

だから、社会的な管理や支配は、自分を自由な存在として実感する個人の経験として現れる。

 不自由が自由に偽装されて現れる例はたくさんある。

例えば、長期雇用が当てにできなくなり、数年ごとの新しい不安定な勤め先を探さなく得ざるなると、こういわれる。

君たちは新しい自分を生み出す機会、自分の中に眠っている驚くべき新しい創造性を発見できる機会に恵まれたのだ、と。

あるいは子供の教育費を賄えなくなるとこういわれる。

きみたちは《自己起業家》になる。自分の所有する資源に投資する方法を自由に選ばなければならない資本家のように君たちは教育、医療、旅行の分野において活動するのだ、と。

>われわれはひっきりなしに自由を押し付けられひっきりなしに決断を迫られる。

しかもその決断は自分の手に余るものなのである。

こうした中我々は、自分に与えられた自由を、その実際の在り様のまま、すなわちわれわれから変革という真の選択を奪う重荷として経験するようにになってきている。

ブルジョア社会は一般的に、あらゆる個人を階級的差異のみによって分けられた市場の主体として平等化しつつ、カーストおよび他の位階秩序をうやむやにする。

~今日の後期資本主義はわれわれみな自己資本家であるという主張と通じて階層分割そのものをうやむやにしようとする。

われわれの差異は、単に量的なものに替わる

>大資本家は投資のため数億ドルを借り。貧しい労働者は補足的な教育のため数千ドルをかりる。

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W。マルクスの時代は産業資本主義段階。それでもマルクスは市場における等価交換は仮象(みせかけ)としていた。特に労働力商品という特殊、価値創造的商品を売り買いする市場においては等価交換などあろうはずがない。 現状はg<r  経済成長<資本 金融資産が有り余っている時代に不平等極まりない労働市場でなくとも一般的市場において等価交換は成立しない。

21世紀にマルクスはよみがえるか | 池田信夫 | コラム | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

 

「商品の世界にいおいては『人同士の関係がモノ同士の関係の姿をまとう』とマルクスの有名な定式においても、コレと同じことが言われていたのではないか。

市場においては、人同士の関係が自由と平等を相互承認する関係として現れる。支配関係はもはや直接的ではないし、可視化されないのである。

>20世紀に実存した社会主義は、市場による疎外を克服することによって、「疎外された」自由のみならず単純な自由までも失われ、その結果、直接的な支配関係という「疎外されていない」関係が復活する、ということを証明した。」

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「近年公開されたいわゆるパラダイス文書からえられる基本的教訓は、超富裕層は習慣法に縛られない特別地区に生活しているという単純な事実ではないか。

この奇妙な苦境から引き出さざる得ない第一の結論は、

階級闘争が「最終審判における決定」という古き良きマルクス主義的な意味での、政治生活の主要な規定要因として復活しているということである。

第二の結論は

階級闘争は政党間の闘争に直接反映されなくなっており、個々の政党内部で発生するようになってきているということである。

第三の結論は

したがってこの複雑な左翼の戦術に関わってくる。

左翼にとってカギとなる戦略は敵陣営の分裂は容赦なく利用し戦うことである。

>主流派に対抗するあらゆる政党との幅広い共闘無くして左翼の勝利はあり得ない。

>絶対に忘れてならないのは、われわれの真の敵はグローバル資本主義の支配体制であって、グローバル資本主義の行き詰まりに対する反動に過ぎない新興ポピュリスト右翼ではないということである。

このことを忘れたら左翼はあっけなく政治の舞台から姿を消すであろう。

>これはヨーロッパの大部分(ドイツ、フランス)で穏健な社会民主主義左翼にすでに起こっていることである。

~「左翼政党が軒並み崩壊した今、有権者に残された唯一の選択は保守主義か、右翼ポピュリズムかである。」

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「トランプの誤ったビジョンは既存の世界システムはもはや機能しないという正しい洞察に基づいている。」

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>「70年代初頭は~つまり80年代初頭から2008年まで世界経済をけん引していた怪物的エンジンがうまれ時代であった。」

>60年代後半と70年代初頭は単なるオイル危機とスタグフレーションの時代ではなかった。

米ドルに対する金本位制を止めるというニクソンの決断は、それよりもはるかに根源的な資本主義システムの基本機能の変化を表していた。

60年代のの終わりの段階で合衆国政府はこの衰退に大胆な戦略を持って対応した。←W??予定調和的戦略などあろうはずがなく、米国以外の資本主義各国の戦後発展によって戦後世界体制に占めた圧倒的経済地位からずれ落ちて成り行き上そうしただけだ。

国家財政の赤字に対処する代わり人それとは反対のこと、

>赤字を増やすことに決めたのである。←W.決めた?

>ではだれがこの赤字の穴埋めをするのか。

合衆国以外の世界の国々である。

ではどうやって?

アメリカの資金不足の解消のために大西洋と太平洋間を止むことなく流れる資本の、恒久的移動によってである。

>かくして合衆国の赤字はこの増大する貿易収支の不均衡は、合衆国が非生産的な捕食者であることを証明している。過去数十年の間に合衆国は、自国の消費を賄うために他国から1日数十億ドルを吸い取らねばならなかった。

この信頼は主としてイデオロギー的、軍事的な者であって経済的なものでないので、合衆国にとっては、いかに帝国として自分の役割を正当化するかが問題となる。

>そう合衆国は永続的な戦争状態を必要とするのである。

>だからこそ合衆国は、他の正常な国家の普遍的な守護者としてふるまいながら、「テロとの戦争」を発明せねばならなかった。

~W.以上はエマニュエル、トッド「帝国以後」と同じ分析である。これに米国中心の世界金融寡頭制の実態を追加すれば、現状が把握できる。

「言い換えればグローバル資本主義によってもたらされたのは、寡頭制へと向かう新たな世界的傾向でありそれは文化の多様性という仮面を被っている。アクチュアルな政治原理としての平等と普遍主義は、ますます視界から消え失せつつある。

 オバマ政権時代、FRB議長であったベンバーナギンはこのシステムに活を入れた。

>彼は米ドルが世界紙幣であることを利用して輸入資金を賄うため大量の資金を印刷したのである。

>トランプはこの問題に違ったやり方でアプローチすることを決心した。

>グローバルなシステムの脆弱な均衡を無視する彼は、合衆国から見て不公平なものとして告発できる要素に注目した。

>過剰な輸入は国内の雇用を奪っている。云々と。

>だが彼が不公平と非難したものは、合衆国に利益をもたらしてきた利益のシステムの一部でもあった。

>合衆国は輸入することによって、そして借金と造幣でその資金を賄うことによって、実際に世界から「略奪」してきたのだから。

>このゲームは明らかに今後も続いていくだろう。

彼は富裕層の税を引き下げただけではない。彼はひそか貧困層の状態改善のために民主党が要求する多くのことをひそかに支持した

*つまりこれらは赤字の増大を意味するのだ。

>この件を尋ねられたトランプはおそらくレーガンのかつての答えを繰り返すだろう。「我が国の赤字は膨大なので放っておいても何とかなる。」

世界貿易を支配したシステムの崩壊に伴って、合衆国は世界貿易にとってますますは破壊的要素となっている。

世界は合衆国を必要としない。合衆国のほうが世界を必要としている。

>こうして二人の追放者~除外された追放者(金正恩と世界の中心にいる追放者~はシンガポールで会談することになった。」

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アイデンティティは常に未決定で流動的であると主張するだけでは十分でない。

人々は決定不可能性の状態にあるからこそ、ポピュリズム的な民族アイデンティティになっていくのである。

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ポピュリズムアイデンティティーはその内的な分れを隠すために、<他者>に対して否定的言及を基盤とする。

たとえなユダヤ人がなければナチは存在しないし、移民の脅威がなければ、ヨーロッパは存在しないのである。

しかしながら政治的公正もまた、性差別的、人種差別的な正しくない他者に寄生しており、一種の否定的言及を基盤としている。政治的公正を旨とする主体性が、永遠の自責の念との混合体であるのはそのためである。

従って次のような逆説が出てくる。

ポピュリズム原理主義の問題は、そのアイデンティティ意識が強すぎることではない。そうではなく逆にそれが適正なアイデンティティを欠いていること、そのアイデンティティティがその構成要素である他者を否定するのを止められないことである

>いわゆる原理主義者はイスラム教徒であれキリスト教徒であれ、本当の原理主義者なのだろうか。

彼らは本当に信じているのか。

>彼らに欠けているのはチベット仏教徒から合衆国のアーミッシュに至る、あらゆる真の原理主義者に簡単に見て取れる特徴、すなわちルサンチマンと妬みがないこと、無信仰のヒトの生活にまったく無関心であることである。

今日のいわゆる原理主義者が自分達の<真理>への道を本当に発見したと信じているなら、なぜ彼らは無信仰の人々に恐れを抱かなければならないのか、なぜ無信仰のヒトをうらやまねばならないのか。

えせ原理主義者は無信仰のヒトの罪深い世界に大いに悩まされ興味をそそられ、魅惑される。罪深い他者との戦いの中で彼らは自分自身の誘惑と戦っているところがある。

いわゆるキリスト教原理主義者あるいはイスラム原理主義者が真の原理主義者の面汚しであるのはそのためである。」

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「ある民族集団が、アイデンティティの否認と、支配的(たいていは西洋的)文化と生活様式への統合を強いられたために、創造的アイデンティティを表現するのを妨げられた場合、その集団は、否定的差異、つまり、支配的文化価値と戦う退行的原理主義に逃げ込むことによって、反応するしかない。

>要するに原理主義暴力とは、支配的文化がその原因となっておこる反応なのである。

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今日の民衆のアヘンの、もう一つの形は、フェイスブックツイッター等々の疑似社会的なデジタル世界への逃避である

マークザッカーバーグは2017年5月ハバード大学卒業式のスピーチでこう語った。

「われわれの仕事は、目的意識を生み出すことですよ!」

われわれの感情そのものが化学的な刺激によってコントロールされているだけではない。

>われわれの感情そのものが化学的な刺激に「アウトソーソング」されているのである。

>われわれが薬物を使うのは外的刺激(ショック、不安、等々)をコントロールするためであり、また何もやる気がない時に人工的に興奮を生み出すためでもある。

薬物は日常生活にとっての二つの相反する脅威、過剰な興奮とうつ状態とに対抗するために用られる。

西洋の先進国では、我々の公的生活はますます興奮を欠いたものになっている。その一方で、薬物はこの欠如を私的な形の興奮によって補ってくれる。

>つまり薬物は公的生活に麻酔にかけ私的生活を人工的に興奮させるのである。

この緊張関係が極度に充満している国は韓国である。

 最近ソウルを旅行したイタリアのマルクス主義者のレポート。

韓国は世界のゼロ地点(急激な変化の始まる場所)地球の未来の青写真である。

植民地化と戦争のあと、独裁政治と飢餓状態の後、韓国の精神は自然の身体の重圧から解放され順調にデジタル化空間へと移行していった。

>その際、文化的抵抗の度合いは、世界のどの国民より低かった。

>空虚な文化空間の中にあって、韓国人の経験は極端に個人主義の特徴を帯びている

>そして同時に集団的精神の究極のケーブル通信化へと向かっている。

>この孤独なモナドたちは手に持った小さなスクリーンから流れてくる映画ツィート、ゲームと絶えず敏感に交流しながら都市空間の中を歩んでいる。

彼らは完ぺきに孤立しておりデータが流れ込んでいる滑らかなインターフェイスに完璧に繋ぎ止められている。

韓国の自殺率は世界一高い。韓国では40歳以下の人の死因で一番多いのは自殺である。興味深いことに韓国の自殺者数は過去10年で2倍に増えた。

二つの世代の間で、生活状態は、歳入、栄養状態、自由、外国旅行の機会の視点から見て確実に向上している。

だが、この改善の代償は、日常生活の砂漠化、生活リズムの極端な加速化、人生の極端な個人化、際限のない競争を意味する不安定な就業であった。

仕事のリズムの激化、風景の砂漠化、感情生活の仮想化、ひとつにまとまって意識的に拒むことも抵抗することも難しい、一定レベルの孤独と絶望を生み出している。

 ソウルを巡るベラルディの印象から得られるのは、自らの歴史を奪われた場所、いいかえれば、世界なき場所というイメージである。

我々の住まう社会空間はますます世界を描いたものとして経験されている。」

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「資本主義的隷従においてはわれわれは単純に自由を感じる。

それに対して本来的な解放においては、われわれあは自発的隷従を大義への献身としてー単なる自分の要求の満足としてではないー受け入れる。