https://www.doyukai.or.jp/policyproposals/articles/2016/pdf/160729a.pdf
Ⅲ統一通貨が内包する問題
2,統一通貨ユーロが抱える難点
欧州内の南北格差が拡大
引用
「ユーロ圏各国の競争力や生産性には格差ドイツ、オランダや北欧諸国等は生産性が高く、輸出競争力もあるが、ユーロ周縁国(ギリシャ、スペイン、イタリア等)は、相対的に生産性が低く、単位当たり労働コストが高い。こうした国々が異なる通貨を使っていれば、競争力が弱い国は、通貨安によって一定の競争力の補完ができるが、ユーロ導入以降はそうした調整は期待できなくなった。
その結果、ドイツ等は常に経常黒字を、ユーロ周縁国は経常赤字を計上。
『統一通貨導入によって政策オプションが限定される以上、競争力において劣る国が、構造改革、賃金引下げ、研究開発促進などの競争力強化政策を実施していくことが必要となる。』」
⇒W。近代史も文化も異なる国民国家が<北>のEUスタンダードに均一化しなければならないのか。EUグロ資本と当該国受益者が潤い過半の国民が労苦にあう。
>域内の過半の住民にとって、エマニュエルトッドのいう「EUとユーロの牢獄」状態。
@EU問題は地政学的な地理的拡大と域内格差(北諸国と南諸国及び域内全域の階層格差の拡大)の二つの基本視座から俯瞰していく必要がある。
>EUスタンダードに合わせるために苦労すよよりも<楽な道がある>
>①北(特にドイツの工業製品)を輸入し、
②北の金融資本の投資を受け入れる=周辺地域の大衆バブル経済化。
③EU内移民をすること。
①、②、③は南の中間層中位以上を潤わせる効果がある。もちろん弱小国は面倒で危険性のある為替管理などをしなくていい。
⇒英国EU離脱の最大の要因は東欧特にポーランドからの移民の大量流入だったといわれている。
理由⇒共通語の英語使用。労働力市場の流動性。
知る限りの日本マスコミは英国領北アイルランドとアイルランドの国境通過問題が英国離脱の最大の要因などと報じていた。
Wは英国のアイルランド問題が今頃唐突に出てくることに何か不思議な思いがした。(確かに今でも問題があることには間違いないが今や英国の大製造会社が税金逃れのために本社をアイルランドに移転する時代、プロテスタントとカソリックの宗教問題や領土問題は従属的な問題になっている、という感覚がある。)
エマニュエルトッドの「人類はどこからきて今どこにいるか」を読んでこの現実を知った。ここで取り上げた<経済同友会>の報告書もポーランド移民大量流入を指摘している。英国固有の歴史的なアイルランド問題をブレグジットの要因にするのか、EUの根本問題である域内格差による「東欧からの移民の問題にするか、では問題の深さや広がり、現代性が全く違う。
日本のマスコミ報道は肝心な問題で信用できない。報じる者の頭が洗脳状態になって自分たちのイデオロギーに都合の悪い事実は頭の中にない。
アライアンスEU側の立場に立って報道する日本マスコミの報道姿勢では英国EU離脱の本当のところは日本国民には察知できない仕組みになっている。
なぜそうなってしまうのか?
グローバル資本制下の同調、協調の大きな流れから<日本>が単独離脱することを潜在的、存在論的に怖がっているからだ。自律への恐怖心を誘う情報が歴史教育によって、社会生活によって埋め込まれている。
1)個別加盟国の金融操作や為替相場調整オプションの喪失⇒W手間が省ける。
2)加盟国の財政規律維持という課題⇒W.守られていないが独緊縮財政の真似事。牢獄
3)加盟国間の財政支援禁止のルール
⇒W。EU最大恩恵国ドイツはEU(仏北欧その他北)やIMF(アングロサクソン)を巻き込む支援策。英国離脱は独戦略にダメージ。
Ⅳ. 域内の人の移動の自由が抱える構造的課題
引用
「1990 年のシェンゲン協定の運用開始後、2000 年代には、中東欧のEUへの加盟(2004 年と 2007 年で計 12 ヶ国)に伴い、ポーランドやハンガリーなどの新規加盟国から、西欧や北欧への域内移民が増加した。特に、英語圏・所得水準の高さ・労働市場の柔軟性といった特色を持つ英国には、中東欧からの大量の経済移民が流入した。 」
⇒英国はシティーの金融覇権を維持するためにポンド通貨を維持(当たり前、ユーロにすればハンブルクのEU中銀優位)。その点離脱は容易。ユーロ導入国の離脱は技術的困難を伴う、とトッドは指摘している。だからEUとユーロの牢獄に例えている。イタリアは早まった。ユーロに入って損をしているのではないかな?
(2)「人の自由な移動」に伴う従来の課題
引用
「欧州域内における人の移動は、英国やドイツのような受け入れ側の国に対し、労働力・人材不足の補完という恩恵をもたらした。
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⇒W.経済的な地力のある独は流入した移民を活用できる。自由主義的な価値観は独拡張主義へのカモフラージュになる。他方、移民流入に耐えきれない国々が多い。核心は経済問題であるが、多くの地元住民にとって習俗という皮膚感覚レベルの問題もある。
****
その一方、安価な労働力の流入は、各国において、失業や賃金水準の停滞・低下な
ど、雇用を巡る摩擦・不満を、さらには、社会的緊張を生むこととなった。
ダブリン規則がある。
1990 年締結のこの規則は、欧州域外からの難民の受け入れに際し、難民が最初
に到着した国が申請を受け付け、その認定に責任を負うというルールである。
欧州を目指す難民は、北アフリカや中東が母国である場合が多く、地理的に近いイタリアやギリシャに入国する例が多かったため、これらの国に難民認定実務の負担が集中しがちであった。
また、難民の受け入れについては、迫害を受けた真の難民⇒W?政治難民?なのか、よりよい機会を求める「偽装難民」⇒W非合法経済移民、つまり実態としての経済移民なのか、申請受付国での判別が難しいことも課題である。
⇒W。移民の大半は歴史的に難民だった。だから区別すれば差別になる。EUを止めれば済むだけのこと。経済グローバリズムは放置していても進行する不可逆的事態。それに即応する政治構造物は必然的に住民ボトムから遊離したEU官僚層を形成し、その政治が遂行されるようになる。コレを称してEU帝国主義という。グローバル資本の拡大再生産構造は周辺、縁辺に伸びていき、非対称な世界を己の超過利潤を満たすために都合の良い社会体制に強引に変革していく。これはウクライナロシア戦争の根底に流れる動因である。旧スターリン主義圏とスターリン主義圏を新規開拓地にした資源獲得の問題であり、金融資本の席巻する市場に変革する問題である。侵攻したロシアは実は攻め込まれている、という転倒した事態が現出しているが、この戦争は局地戦ではなく中国市場分離策動と連動するG7の覇権を掛けた世界的な戦争に転化している。
(1)反移民・難民を掲げる政党の勢力拡大
引用 経済同友会は心配しているが、極右政党は政権に近づくとグロ資本に都合の良い政策に変質している(イタリア極右政権EU政策変更なし。仏国民同盟もマクロン政権への協調姿勢が目立ってきた。)
「、極右政党が欧州主要国の議会に占める議席数は限定的だが、この勢力が今後拡大すれば、各国議会において、欧州統合の推進に寄与するような各国の予算案が、極右政党の議員の反対により不成立となる、あるいは極右政党の政策を一部取り込まざるを得なくなるなど、欧州政治の不安定化や、欧州統合の停滞を招くリスクがある。⇒W。広域経済連合はグロ資本増殖の最適市場。なぜならば国民国家の政府の統制力は広域帝国には及ばない。統治制度を見ると一目瞭然。EU議会は立法府ではない。重要立法は理事会や閣僚会議で決定され、最終賛否はEU議会ではなく国民投票。反対票が多くなっても、必ず修正案が当該国で決議されている。EU民衆は無力感に囚われている、コレが実態。任期5年のEU議会はお飾りのようなもの、と言って過言でない。
***
「移民急増に対するEU各国の国民の反発は、英国のEU離脱論者にとっての追い風となり、2016 年6月のEU離脱を問う国民投票実施の背景のひとつにもなった。 」
Ⅴ. 欧州を見る視座
1.共通の通貨・金融政策、個別の財政政策という構造
W。共通の財政政策などできるはずがないし、やれば破局を迎える。
W。ただし、域内をまとめていくための戦争政策は不可避になる。
第一次、第二次世界大戦の発火点、世界規模の戦場はヨーロッパだった。
W.三度、同じことが発生している。今度はヨーロッパの東端で戦争が発火した。
この戦争は局地戦ではない。世界戦争だ。
W。東アジアの激動情勢(米国対中市場分離策)に連動していく。
>ロシアや中国の権威主義専制拡張主義が<悪>というのは一つの世界戦争推進のイデオロギーに過ぎない。
>二つの世界大戦に<善>も<悪>もなかった。
>なぜならば帝国主義戦争であったからだ。世界戦争における政治的上部構造の性質は経済構造の従属変数に過ぎなかった。世界戦争に至る世界経済構造があった。
@今の世界的事態も経済構造に埋め込まれてた世界戦争に至る道が我々の眼前に開けているに過ぎない!
@戦争事態は長期化し歴史的趨勢にまで高まっていく。アライアンスすることでしか覇権を維持できないG7支配層と諸国民は事態を前に目を背ける材料に事欠かない。インフレが進行して生活に大きな影響が出てもやがて不感症になる一方で<世界的な悪>に対する戦いが何か正当であるような錯覚に陥らせる情報が周辺を埋め尽くしている。
@その長期過程において<世界的な富>は一極に集中し他方で、資源と労働を握る新興国に流れていく。
2.「域内における人の自由な移動」という原則と国際環境の乖離
W。ヨーロッパ統合以前にフランスではリベラリズム(要約すると資本の自由主義)かソーシャリズム(統合懐疑派)かという論争があったという。リベラリズムが優勢になって今日的統合が進行した。東西ドイツ統合がドイツ拡張主義復活に繋がる危惧もあった。英国サッチャーとフランスミッテランの奇妙な組み合わせが、東西ドイツ統合によるドイツ拡張主義の復活をEU内に閉じ込める、などという論理でGOサインが出た。
W。価値判断は抜きにして結局今、EUは拡張するばかりか米国アングロサクソン同盟とリンクしたNATOまでが徹底的に東方に南に拡張した。
W。そして世界戦争の火の手が上がった。
W。英国EU離脱に引く継ぐこの戦争で、北米大陸国家米国の地政学的優位性が管制高地を獲得した。同時に東アジアにおいて中国市場分離のための台湾カード強力プッシュのためには日本と韓国という戦略基地を最前線化していく必要に迫られている。
w。米国の日本支配の道具であり続けてきた日本マスコミの任務は徹底的に一方向の情報を日本国民の脳裏に刷り込み体感的反応ができるまで仕立て上げることである。
3.欧州統合に伴う恩恵と負担認識と、反EU主義の高まり
引用
「2016 年6月 23 日には、英国がEU残留か離脱かを問う国民投票に踏み切り、離脱を決定したことは、EU史上最大の衝撃を持って受け止められた。
⇒W.戦略的に考えて独(経済)仏(政治「軍事」)主導のEUにいてもメリットがないと判断したから抜けただけ。ポンド維持なので抜けるのは比較的容易。早速TTPに参加(大英帝国系のオーストラリア、ニュージーランド、シンガポール、<インド>との連携を想定?気休めなのだが。)。
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この動きに追随する形で、EU統合に懐疑的で排外主義を唱える極右政党(Wイタリア国民が極右に投票し政権につかせたのか?フランスでは極右が40%近い投票率を挙げたのか?現地の情勢と乖離した見方)が勢力を増しており、今後の推移如何では、他のEU加盟国においても、同様の国民投票の実施を求める声が高まりかねない10。
英国のEU離脱派に見られるような、欧州連合の官僚主義への反発や、懐古的・保守的なナショナリズムといった潜在的な要素も働いていると考えられるが、急激な反EU主義の高まりの発端は、世界金融危機後、成長が鈍化した欧州を襲った複合的な危機、
⇒W。EU統合以降のファンダメンタルズが枯渇した、ということ。だから、資本の本能として資本活動への規制に緩く超過利潤のえられる東にどんどん拡張していった。ところが東欧においてポピュリズム強権政権が誕生し想定した超過利潤が有られなくなった。ドイツのロシアとの海底ガス輸送パイプライン2設置は局面打開措置だったが、爆破されても政権は沈黙。東アジア激動情勢を醸成するためにノルドストリーム爆破のような非常手段を必ず用いるだろう。その時日本政府はどう出るのか?れいせいな情勢判断ができるのか?
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特に、ギリシャ危機に端を発するソブリン債務危機や、大量の難民流入だと思われる。そして、その背景には、EUの一員であることの恩恵と負担について、各国、そしてそれら国々の国民がどのような認識を持っているか、という問題があるのではないか。
特に、経済のグローバル化が進む中で、EU域内の貿易・投資に大きく依存する国、域外との関係強化に活路を見出す国など、各国の実利・実益という観点から見たEUの重要性には、ばらつきが生じているようだ。
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W.ノルドストリーム爆破、原発廃止宣言にもかかわらず、この図を見ると再生エネルギーの電力構成が40%を超えている。採炭国なので、石炭褐炭は7~8年前に40%を使用できていた。割高になるがガスはノルウェーオランダなど近隣から調達できる。地続きだからフランスの原発発電も利用できる。
>日本と違って西ドイツ時代から貿易立国を続けてきたので産業構造が荒波にもまれて先を読み打つ手が早い、基本政策の実行力が迅速で凄い。
>こういう決断力、実行力、組織性が周りには脅威に映る。
@原発廃止宣言は仏原発送電に頼っているので欺瞞などというのは、寝ぼけた情緒議論。
@Wはイロイロ承知の上でドイツは市場競争関係があれば勝者になる。勝者があれば敗者が出てくる。その意味で危ない、と主張している。内部矛盾を外部化する装置がドイツには潜在していきた。
エネルギー危機先進国・ドイツ 経済と自動車産業に立ちこめる暗雲 | Business Insider Japan
引用
「ヨーロッパ、とくにEUの場合、脱炭素化・再エネという世界的なメガトレンドの主導権を握ろうという意向が強い。そのため、エネルギー政策が自縄自縛に陥ってしまい、その場その場の都合に合わせて右往左往している印象が強い。
ドイツに話を戻すと、9月末にショルツ政権が年内で稼働を停止する予定だった2基の原発に関して、これを2023年4月まで継続運転する方針を示した。ショルツ政権は当初、2基の原発を非常時の電源として維持しておき、形だけでも年内の「脱原発」を完遂させようとしていたが、結局、「脱原発」は延期に追い込まれた。
⇒W。2022年9月2基の原発を廃止する予定を2023年4月まで継続運転決定⇒そして4月で2期原発廃止決定。
⇒W.社民、みどりの党は北方の州の地方議会選挙で大敗。コレもあって決断した。確かに右往左往しているが、この選挙大敗を受けた決断は今まで以上のウクライナロシア戦争への踏み込み、軍事支援拡大に転化する。平和の道と真逆に事態に進む。
>侵略者ロシアへの排外主義によって国民の目を逸らそうとするのが政治の常道手口であり歴史的にドイツ国民の習性は危機に際してひと固まりになり対外軍事行動に走ってきた。
>国内の戦争反対派は左翼党(リンケ)と極右しかいない。
***
「脱原発」はそれまでドイツの民意であったが、深刻なエネルギー不足を受けてドイツの民意は稼働延長に転換した。エネルギー不足がドイツの人びとの生活を苦しめていることがうかがい知れる。」⇒W.今年の冬は歴史的な暖冬だったらしい。
*******************************************2017/05/06 9:00
W.ウクライナロシア戦争をある意味で予言した書である。
W.内部の矛盾(国内の経済停滞は超過利潤を求めて①周辺への投資拡大、②経済強者は安価な移民労働力移入を受け入れる=経済法則が野放しにされてきた。しかし国境なき市場が目の前にあれば資本の本能は抑えきれない!結果ユーロマイダンなどという事態に立ち至る。超停滞ウクライナのUE願望は仕方がなかった。多かれ少なかれ東欧諸国はみんなそうしてきた。)は周辺に縁辺に排出される。
根本的に誤っていたビジョン
今後20〜30年の間に世界の権力構造は――EUの指導者たちはそこにEUを組み入れたいと熱望しているわけだが――大きく様変わりするだろうということだ。
歴代のEUの指導者たちは、根本的に誤ったビジョンを持つきらいがあった。彼らの頭の中には、地理的に近接した国々が経済的・政治的に固く連合するという考え方しか存在しない。
>興味深いことに、これは大陸の広い範囲が1つの帝国のもとに統一されていた第1次世界大戦までの欧州の姿と符合する。
>しかし直近の数十年間に世界で起こったことを踏まえれば、このようなビジョンは現代の現実とはまったく相いれない。
彼らのビジョンはまた、海を挟んで築かれた、かつての広大な政治・経済連合と完全なコントラストをなしている。
英国、フランス、スペイン、ポルトガル、オランダは、いずれも7つの海を股にかけた大帝国を経営した。
17世紀にはもちろん、19世紀から20世紀前半になっても帝国内の遠隔地との連絡は困難だったが、何とかうまくやれていた。
小さすぎると同時に大きすぎる
距離が大きな障害となった時代に、英国は史上最大の帝国を築き、管理した。なのにこのインターネットの時代に隣近所で寄り集まって経済・政治連合をつくる必要がどこにあろうか。
言語、文化、共通の歴史、法、仲間意識などが地理に打ち勝つ時代があるとすれば、間違いなく今がそれなのだ。
環境や安全保障の問題に関して言えば、地理的に近い隣国との共通点が最も多くなるだろう。しかし近隣の家々が家計や社交活動を一体化せずとも防犯グループを結成することができるように、欧州の国々も貨幣・財政・政治同盟を結成せずとも安全保障や環境の問題で協力し合えるはずだ。
EUにはおかしな特徴がある。小さすぎると同時に大きすぎるのである。政治的なグループとして成功するには大きすぎるが、さりとて自給自足しうる経済ブロックになるには小さすぎる。経済的な側面から言えば、属する意義があるグループは国連(国際連合)だけだろう。そのメンバーに、すべてのEU加盟国はすでに入っている。
「見たいものだけを見ている」知識人の集団錯覚
統合主義者のプロジェクトがたびたび失敗し、さまざまな危険性を露呈しているにもかかわらず、非常に多くの知識人(目立つのは欧州のエリート層だが、米国の支配層も含む)がこの問題を認めていないのは不思議なことだ(もちろん認めている人々もいるし、EUへの懐疑主義は至る所で増大している)。その理由は、彼らが自分の見たいものだけを見ているということだろう。そして問題点を目にすると、勝手に改善を期待してしまうのだ。
このような集団錯覚の傾向は、知識人の間でかねて顕著だった。
共産主義に心奪われた知識人たち
20世紀前半には数えきれないほどの欧州の知識人が、共産主義に心を奪われ、ソ連を熱烈に支持したものだ。両大戦間の時代には多くの西側の知識人が共産党に入党した。後に英国の蔵相や国防相を務めたデニス・ヒーリーもその1人だ。~~~~
地獄への道は善意で舗装されている
私はここでEUや欧州統合の理想を邪悪な共産主義になぞらえたいわけではない。私が言いたいのは、知性と善意を持つ大勢の人々が、時代を画する大問題について考えを誤る例もあるということだ。人々はコンセンサスにのみ込まれることがある。コンセンサスはそれ自体が命を持ち、ひとたび定着するとなかなか揺るがない。人々は自分が信じたいものをつい信じてしまいがち。なぜなら、それにより心地よい世界観や未来像が得られるからだ。そうしたコンセンサスへの依存行動はある種の麻薬のようなもので、断ち切るのはとても難しい。
ユーロが生きながらえるとしたら、それは間違いなくその通貨同盟を救うために、(英国を取り残したまま)何らかの財政・政治同盟がつくられた場合だ。この同盟は未来永劫、課税し、調和を図り、規制するだろう。根本的な改革が行われないかぎり、そのような同盟はEU経済の成長に極めて有害な決定をするものと思われる。ユーロの創設とその悲惨な経済効果は、将来に対する身の毛のよだつような警告なのだ。
劣悪な統治が膿む貧者な経済
この問題は経済の枠を超えている。これは民主主義の問題であり、統治の質の問題だ。しかし、劣悪な統治には貧弱な経済的パフォーマンスがついてくる。これまでの経験と、何らかの政治同盟を組まざるをえなくなる国々の多様性からいって、EUは最悪のことをしでかす目算が高い。EUはすでに「エスペラント・マネー」(ユーロ)を生みだし、今また「エスペラント政府」(政治同盟)を生みだそうとしているかに見える。
条約や合意や規制に執着し、共通化を追求してきたのだ。
>エリート層はまるで理解していない。国家の繁栄は、大小の工場や店舗、サービス業で働く市井の人々の、一見単調な営為のうえに築かれるものだということを。しかもそれが実現できるのは、彼らが官僚主義に邪魔をされずに、ビジネスの利益を十分に追求できた場合に限られるのだ。
市民を内外の危険から守ること――に関しては、救いようがないほど無力である。移民問題にせよ国防問題にせよ、現代の欧州国家は哀れな落第生だ。大きいが優柔不断で、金食い虫だが能力が低い。これが右派からの批判である。一方で左派からは、グローバル化と市場圧力の猛威にさらされているのに、国家が「社会保障」の提供者としての役割を果たしていないと不満が漏れている。
どちらの批判も説得力がある。しかし防壁と口実と脅威の混合物であるEUの傘がなくなれば、さしもの欧州各国の政府も目覚め、するべきことをするかもしれない。
「絶えず緊密化する連合」を絶えず追求することで、欧州の成功を生みだすという目的が後回しにされてきたのである。
W.ナルホド、下記のような見方もあったのか。東欧諸国。南の国々は自分たちの弱さを痛感できるからEUに従ってきた。債務危機のギリシャも結局、債務減額ではなく、財政援助を受け入れてきた。利子がついている。今、ギリシアはどん底らしい。ユーロを使っている以上、物価は安くならなず、観光客にはその点魅力は無い。庶民生活は苦しいままだ。
*****
>EU内の比較的立場の弱い国々では、
>欧州の指導層の政策への反対論が抑えられる。
自分たち自身の制度的な弱さや、危うい近代史を知るがゆえだ。彼らはブリュッセルから漂いでる傲慢と無能と腐敗の混合物を、あまりに長く許容してきた。
「国民国家」復活に目覚めはじめた人々
経済停滞(極端なケースでは経済崩壊)、政治制度への不信、外国人嫌悪、人種差別主義が一体となって、破壊的な弊害をもたらすかもしれない。
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W.エマニュエルトッドよりもワンランク力落ち、の御人だな。
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参考資料
国際的討論のために
トロツキー/訳 西島栄
引用 以前は無視していたが今読めばなかなか含蓄がある。一国社会主義論を定着する以前のロシアの革命家はヨーロッパ情勢との連動をいつも気にしていた。ヨーロッパ統合を最初に話題に挙げたのはロシアの革命家たちだった。
「解説】この論文は、1921年のコミンテルンの戦術転換(統一戦線戦術と労農政府の提唱)を、1923年のフランスによるルール占領という危機的事態をふまえて発展させたものである。「ヨーロッパ合衆国」というスローガンをヨーロッパにおける社会主義政党の共通スローガンにするという立場は、1914年の第一次世界大戦の勃発当初からのトロツキーの立場だった。当初は、レーニンもそうだったが、1915年の有名な「『ヨーロッパ合衆国』のスローガンについて」という論文の中で、このスローガンの実現は社会主義革命後にしかなされないし、現在の資本主義のもとでは、帝国主義者によって悪用されるだけであるという理由で拒否された。
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トロツキー「ヨーロッパ合衆国」
引用
「先の帝国主義戦争は基本的にヨーロッパの戦争であった。アメリカと日本のエピソード的な参戦は、この戦争の持つこうした性格を変えるものではなかった。アメリカは必要とするものを獲得した後、ヨーロッパの焚火から手を引いて自宅へ引き返してしまった。
戦争の原動力は、資本主義の生産力がヨーロッパの民族国家の枠組みを乗り越えて成長したことであった。
ドイツは、ヨーロッパを「組織する」という課題――すなわち、世界支配をめぐって本格的にイギリスとの闘争を開始するために、まずヨーロッパ大陸を経済的に自己の指導のもとに統一するという課題――を自らに課した。
フランスは、ドイツを解体するという課題を自らに課した。
フランスの人口の希少さ、その圧倒的に農業国的な性格、経済様式の保守主義のために、フランス・ブルジョアジーにとっては、ヨーロッパを組織するという問題を提起することさえ不可能なことであった。なにしろ、この問題の解決は、ホーエンツォレルン家の軍事機構によって武装したドイツ資本主義にとってさえ歯が立たなかったのだから。
そこで、今や勝利したフランスは、ヨーロッパをバルカン化することによって自己の支配を維持している。
そしてイギリスは、たえず彼らの伝統的な偽善によってその活動を隠しながら、ヨーロッパを分裂させ弱めるというフランスの政策を扇動し支持している。
その結果、われわれの不幸な大陸は切り刻まれ、分割され、弱められ、解体され、バルカン化されて、狂気の館に変えられてしまったのである。
ルール占領は、先を見越した計算(ドイツの最終的破壊)と結びついた抑えがたい狂気の現れであるが、この種の結びつきは、精神医学によって一再ならず観察されているところである。
戦争の根底に、関税障壁を一掃したより広範な発展の舞台を求める生産力の要求があったように、ヨーロッパと人類にとって破滅的なルール占領のうちには、ルールの石炭をロレーヌの鉄に結びつける必要性の歪められた表現が見出せる。
ヨーロッパは、ベルサイユ条約によって押しつけられた国境と関税の境界の内部では経済的に発展することはできない。ヨーロッパはこうした境界を取り除くか、さもなければ完全な経済的衰退の脅威に直面せざるをえない。
だが、支配的ブルジョアジーが、彼ら自身によってつくりだされた国境を克服するために用いている方法は、混沌を増大し、解体を促進しているにすぎないのである。
ブルジョアジーにヨーロッパの経済的復興という基本的問題を解決する力がないことは、勤労大衆の前にますます明らかになってきている。
「労働者と農民の政府」というスローガンは、勤労者が自分自身の力によって活路を見出だそうとするますます増大する努力に応えたものである。現在では、この活路をより具体的に指摘することがぜひとも必要になっている。
それはすなわち、ヨーロッパの経済的分解と強力なアメリカ資本による奴隷化とからわが大陸を救う唯一の手段としての、ヨーロッパ諸国人民の最も密接な経済的協力である。
アメリカは、ヨーロッパ経済の死の苦悶が昂じて、――オーストリアのように――ヨーロッパをわずかな金で買い占めることができるようになるのを安んじて待ちつつ、ヨーロッパから離れた。
だが、フランスはドイツから離れることはできないし、ドイツもフランスから離れることはできない。
そして、ドイツはフランスとともにすでに西欧の基本的中核となっている。
ここにヨーロッパ問題のアルファとオメガがある。これ以外はすべて付随的なものにすぎない。
帝国主義戦争が勃発するはるか以前に、われわれは、バルカン諸国は連邦制なしには存在することも発展することもできないという結論を下していた。
オーストリア=ハンガリー帝国の各構成部分や、現在ソヴィエト連邦の外に残された帝政ロシアの西部地域についてもまったく同じことが言える。アペニン山脈やピレネー山脈やスカンジナビア半島は、大洋にむかって延びたヨーロッパの身体の各器官をなしており、独立して存在することはできない。
現在の生産力の発展水準のもとでは、ヨーロッパ大陸は一つの経済単位をなしている。もちろん、閉鎖的な単位ではなく、深い内部的結びつきをもった単位であり、その結びつきは、帝国主義戦争の恐るべき破局のうちに暴露され、現在ふたたびルール占領の激烈な発作の中で露わとなっているのである。
ヨーロッパという言葉はけっして地理上の用語なのではない。それは――とくに現在の大戦後の条件のもとでは――世界市場という用語よりも比較にならないほど具体的な一つの経済上の用語なのだ。
以前からわれわれは、連邦制がバルカン半島に必要であると認めてきたが、現在では、バルカン化されたヨーロッパに対してこの連邦制の課題をきっぱりと提起すべき時である。
ここで、一方ではソ連、他方ではイギリスの問題が残されている。
ソヴィエト連邦は、もちろんのこと、ヨーロッパの連邦的統一にも反対しないし、ソ連邦とヨーロッパとの連邦的統一にも反対しないだろう。
この統一によって、ヨーロッパとアジアの間に堅固な架け橋が保障されるのである。
イギリス問題の解決は、より条件的である。つまり、この問題は、イギリスにおける革命の発展がどのようなテンポで行なわれるのかということにかかっている。もし、イギリス帝国主義が打倒される前にヨーロッパ大陸において「労働者と農民の政府」が勝利するならば――そして、このことは大いにありうることなのだが――、ヨーロッパにおける労働者と農民の連邦は、まさにイギリス資本と敵対することになるだろう。そして、もちろん、イギリス資本が打倒される時には、イギリス諸島は待望の一員としてヨーロッパ連邦に参加するだろう。
ところで、なぜヨーロッパ連邦であって、世界連邦ではないのか、と質問する者もいるかもしれない。だがこうした問題の立てかたはあまりにも抽象的である。もちろん、世界の経済的および政治的発展は、統一された世界経済を志向しており、その集中化の程度はその時々の技術の水準に照応している。
だが問題は将来の社会主義世界経済にあるのではなく、現在のヨーロッパが袋小路から抜け出す活路を見出だすことにあるのだ
。われわれは、アメリカやオーストラリアやアジアやアフリカにおける革命がいかなるテンポで発展するのかということとは独立に、ばらばらにされ荒廃せられたヨーロッパの労働者と農民に対して、活路にいたる道筋を示さなければならない。
こうした見地からすれば、「ヨーロッパ合衆国」というスローガンは、「労働者と農民の政府」というスローガンとまったく同じ歴史的地平にある。それは活路を指し示し、救済の展望を明らかにし、それによって勤労大衆を革命の道へと押しやる過渡的スローガンW?なのだ。
世界の革命の発展過程をすべて同列に置くとすれば、それは正しくない。
アメリカは戦争によって弱体化したのではなく、強化された。アメリカ・ブルジョアジーの内的安定性はいまだにきわめて強力である。彼らはヨーロッパ市場への依存性を最小限に引き下げつつある。
したがってヨーロッパを捨象するならば、アメリカの革命は何十年も遅延するだろう。だが、このことは、ヨーロッパ革命がアメリカ革命にならわなければならないということを意味するだろうか? もちろん、否である。
後進国ロシアがヨーロッパの革命を待たなかった(そして待つことができなかった)とすれば、ヨーロッパはなおさらアメリカ革命を待たないし、待てないだろう。労農ヨーロッパは、資本主義アメリカによって封鎖されても――最初はおそらくイギリスによってすら封鎖されても――、緊密な軍事的および経済的同盟にもとづいて持ちこたえ、発展することができるだろう。
ヨーロッパの破壊を助け、ヨーロッパの遺産相続権を得ようと準備を整えている北アメリカ合衆国の側からの脅威こそが、互いに相手を破壊しようとしているヨーロッパ諸国民を一つの「労農ヨーロッパ合衆国」に統合することをとりわけ緊急なものにしている。このことに目を閉じてはならない。アメリカとヨーロッパのこうした対立は、当然ながら、ヨーロッパ諸国と大西洋の向こうの強大な共和国[アメリカ合衆国のこと]とが置かれている客観的な諸条件の相違から出てくるものであるが、この対立はもちろんのこと、プロレタリアートの国際連帯やアメリカにおける革命の利益に反するものではけっしてない。その反対である。全世界で革命の発展が遅れている理由の一つは、衰退したヨーロッパがアメリカの「金持ち叔父さん」に卑俗な期待をかけていることである(たとえば、ウィルソン主義、ヨーロッパの最もひどい飢饉地帯への慈善的な食料供与、アメリカの「借款」等々)。ヨーロッパの人民大衆が、戦争によって奪われた自分自身の力に対する自信を再び取り戻すことが早ければ早いほど、そして彼らがヨーロッパ労農共和国連邦というスローガンのもとに堅く団結すればするほど、大洋のこちら側でも向こう側でも、革命はますます急速に発展するだろう。なぜなら、ロシアにおけるプロレタリアートの勝利が、ヨーロッパ諸国の共産党の発展に強力な刺激を与えたように、ヨーロッパ革命の勝利は、同じくらい、いや比較にならないほど大きな程度で、アメリカならびに全世界の革命に刺激を与えるからである。ヨーロッパを捨象するならば、数十年にわたる霧を通してアメリカ革命を眺めなければならないが、歴史的諸事件の最も自然な連鎖にもとづくならば、ヨーロッパ革命の勝利は短期間のうちにアメリカ・ブルジョアジーの力を揺るがすであろう。このようにわれわれは確信をもって言うことができる。
単に、ルール問題、すなわち、ヨーロッパの燃料と鉄の問題ばかりではなく、賠償問題もまた完全に「ヨーロッパ合衆国」の図式の中におさまる。
賠償の問題は純粋にヨーロッパの問題であり、近い将来、ヨーロッパの資力だけで解決することができるし、解決されるだろう。労働者と農民のヨーロッパは、外部からの危険に脅かされているかぎりは、自らの戦争予算を持つと同様に自らの賠償予算を持つだろう。こうした予算は、累進所得税や資本課税にもとづいて、さらに戦時に掠奪された財産の没収等々にもとづいて立てられるだろう。
この予算の配分は、ヨーロッパ労農連邦のしかるべき機関によって規制されるだろう。われわれは、ここでは、ヨーロッパの各共和国の統合がどのようなテンポで進められるか、それがどのような経済上および憲法上の形態をとるか、ヨーロッパ経済が労農政府の最初の期間にどの程度集中されるか、ということについて予言する必要はない。こうしたいっさいのことを、われわれはすでに、旧帝政ロシアの領土の上で形成されたソヴィエト連邦がすでに有している経験を念頭におきながら、安んじて将来に委ねることができる。
だが、まったく明らかなことは、関税障壁を覆さなければならないということである。
ヨーロッパの人民はヨーロッパを、ますます計画的となる統合された経済の領域としてみなさなければならないのである。
われわれにとっての問題は実際には、将来の世界連邦の構成部分としてのヨーロッパ社会主義連邦なのであり、こうした体制はプロレタリアートの独裁のもとでしか実現されないのだ、といった反論がもしかしたら出されるかもしれない。だが、われわれは、こうした議論の検討に時間を割くことはしないだろう。なぜなら、そうした議論は、「労働者政府」の問題を討議した際に、国際的規模で十分検討に付されたからである。「ヨーロッパ合衆国」というスローガンは、あらゆる点で「労働者の(あるいは労働者と農民の)政府」というスローガンに照応している。「労働者政府」はプロレタリア独裁なくして実現されうるだろうか? こうした問いにはただ条件つきの答しか与えられない。
いずれにせよ、われわれは「労働者政府」をプロレタリアート独裁に至る段階として取り上げている。この点にこそ、われわれにとってのこのスローガンの巨大な価値があるのだ。だが、「ヨーロッパ合衆国」というスローガンもまた、まったく同種の、完全にパラレルな意義を持っている。こうした補足的なスローガンなしには、ヨーロッパの根本問題は宙に浮いてしまうだろう。
だが、この「ヨーロッパ合衆国」のスローガンは、平和主義者の手の上でもてあそばれはしないであろうか?
こうした危険性を、このスローガンを拒否する十分な根拠であるとみなすような「左翼」が現在この世に存在しているとは思われない。何といってもやはり、われわれは1923年に生きているのであって、なにがしかを学んできた。「労農政府」というスローガンに対する民主的エスエル流の解釈を恐れるのと同じ根拠ないしは無根拠でもって、ヨーロッパ合衆国の平和主義的解釈を懸念することもできよう。もちろん、もしわれわれがヨーロッパ合衆国のスローガンを「労働者政府」のスローガンや統一戦線のスローガンや階級闘争から引き離し、自立した綱領として、和解と復興のための万能薬として提起するならば、われわれは必ずや民主化されたウィルソン主義――すなわち、カウツキー主義ないしは、これより低劣なもの(そもそもカウツキー主義より低劣なものがあるとすればの話だが)に転落してしまうだろう。
だがそれでもやはり――繰り返すが――われわれは1923年に生きているのであって、なにがしかを学んできた。共産主義インターナショナルは今では一つの現実であり、われわれのスローガンと結びついた闘争を実行し統制するのはカウツキーではない。われわれの問題設定は、カウツキー主義のそれと直接に対立している。
平和主義とは、革命的な行動の必要を避けることを自己の課題とするアカデミックな綱領である。これとは反対に、われわれの問題設定はいかに闘争を促進させるかにある。ドイツの労働者に向かって、共産党員ではない一般の労働者に向かって(共産党員を説得する必要はない)、何よりもまず、労働者政府のための闘争の経済的結末を恐れている社会民主党労働者に向かって、いまだに賠償と国家債務の問題で頭がいっぱいになっているフランスの労働者に向かって、さらに、労働者政権の樹立が自国の孤立と経済的破滅に導きはしないかと恐れているドイツやフランスや全ヨーロッパの労働者に向かって、われわれは次のように述べるのである。――たとえ、一時的に孤立させられても(ソヴィエト連邦のような東方の大きな橋があるかぎり、ヨーロッパはそう簡単には孤立させられないであろうが)、
ヨーロッパは単にもちこたえることができるだけではなく、内部の関税障壁を一掃し、その経済とロシアの無尽蔵の天然資源とを結びつけることによって、いっそう発展し強固になることができるだろう、と。純粋に革命的な展望としての「ヨーロッパ合衆国」は、われわれの革命的展望全般における当面する次の段階なのである。
それは、ヨーロッパとアメリカが置かれている状況の深刻な相違からくっきりと浮かび上がってくる展望である。当面する時期にとって最も本質的なこの相違を無視するものは誰でも、実在する革命的展望を否応なしに単なる歴史的抽象の中に埋没させてしまうであろう。もちろん、労農連邦はヨーロッパの段階にとどまらないだろう。それは、われわれが述べたように、わがソヴィエト連邦を通じて、ヨーロッパにアジアへの出口を切り開き、それによってアジアにヨーロッパへの出口を開くであろう。それゆえ、単に一つの段階が問題になっているにすぎないのであるが、それはきわめて偉大な歴史的段階なのであり、われわれは何よりもまずその段階を通過しなければならないのである。
1923年6月30日、『プラウダ』第144号
『ヨーロッパとアメリカ』所収